第2話 巨樹
「……?」
体勢はそのまま、メルディは瞳を右へ動かし、それから左を見て、もう一度右へ……そしてまた真上の空へ視線を向けた。
(ここは……?)
魔の森ならこれだけ開けた空が見えるわけがない。なにより魔獣の気配は消え去り、自分以外の人間の気配をすぐ近くで感じたメルディは眉を顰める。現状を把握できず——いや、把握はしているが理解が追いついていなかった。
「わぁ! あの人、魔法使いみたいなかっこうしてる!」
「こら! 指差しちゃダメよ! こっちに来なさい!」
幼い子供の、まるで珍しいものを見つけた時の楽し気な声と、焦るような母親の声がメルディから離れるように少しずつ遠くなっていく。
(魔の森に小さな子供ってことはないだろうし……え!? まさか転移した!?)
まだぼんやりとした頭で空を見上げたまま記憶を呼び覚ます。強烈な光、抗えないほどの強い力……いつか読んだ書物に非常に稀な天変地異の一つとして記載されていた。
【自然転移現象……転移先が人里が近くにあるなら幸運。海だとどうしようもない。各地にある魔の森だった場合、通常の人間は生きることを諦めるしかないだろう。】
なんてことが書かれていたのだ。
(よし。人間が住んでる場所からならなんとか家には帰れるでしょ)
腹筋を使って、よっ! と起き上がった。ぽろぽろと服についていた芝生が落ちる。
「!!!!!??」
その時見た景色の衝撃と言ったら。彼女の師匠が領主と喧嘩してボロボロにした城の跡を見た時よりも大きく、メルディは目を見開いていた。
彼女が倒れていたのは小高い丘の上。とても眺めがいい。背後には巨大な木がそびえたっている。かなりの樹齢に違いないことが簡単に窺い知れた。
「なにあれ!?」
目の前に見える景色の中には、ボコボコと大きな建物があっちこっちに生えている。海の近くには大聖堂のような建物も。そこから離れた場所にはガラス窓がたくさん張り付けられた高い塔がいくつもある。というか、建物自体がみっちりとひしめき合っている。建物、建物、建物建物……道路には大量の馬車のような乗り物が高速で動いていたり、列をなしていたり。最新の魔道具かもしれないとメルディは目を凝らした。あれが魔獣の群れだったら大変だ。
(大都会に転移しちゃったのね)
メルディが住んでいた街もかなり大きかったが、ここは王都よりも栄えている。もしかしたら国もまたいでいるのかもしれない、と警戒を強めたちょうどその時、彼女の耳に届いたのは柔らかな声だった。
「あれ~? おねーさん、観光?」
「へ?」
スラリと背の高い青年が話しかけてきた。色素の薄い茶色の髪が、太陽に照らされて透けている。身に着けている服もなんだかとてもシンプルだ。これがこの国の民族衣装なのかとメルディはついジロジロと観察しまった。周囲にいる人達も飾り気のない服が多い。腰に剣をさしている人間も見当たらないことにもすぐに気付いた。
(よっぽど平和な国なのね)
思わずメルディの表情が緩む。とんでもない自然現象に巻き込まれたと思ったが、最悪の事態は免れた、と。
「おい。行くぞ」
スラリとした青年の後ろには短く刈り上げたブロンドの端正な顔立ちの青年もいた。メルディの方を怪訝そうに見ている。そんな彼の方を振り向きもせず、人懐こい笑顔のまま茶髪の青年がメルディの視線の先を探した。
「あれはね、マグノス大聖堂。来年で九百歳なんだよ!」
あっちのあれだよ? と海の方を向いて指をさした。
「とっても綺麗な建物……」
それに彼女の師匠と同じ名前。何も知らないこの街だが、メルディはなんだか親近感が沸いてくるのを感じていた。
よく見てみようと彼女は左手の人差し指を小さく動かした。するとどこからか金縁の片眼鏡が現れ、メルディはそれを当たり前のように指先で触れ、見え方を調整し始める。
大聖堂には色とりどりのステンドガラスがはめ込まれ、太陽の光を美しく取り込んでいた。周辺の広場には賑やかで、市も開かれているのが見える。
「そうでしょ~! この街の一番の観光地!」
茶髪の青年は嬉しそうに同じ方向を見ているが、その後ろのブロンドは目を見開き口をあんぐり広げていた。
(なに!?)
メルディとブロンドの反応に気付くことなく、相変わらずにこにこと茶髪の青年は話続ける。
「おねーさんはコスプレ? あの巨樹の前で撮影すんのかな?」
「こすぷれ?」
「違った? メルディの樹も結構な人気スポットなんだけど。たまにロケ撮影してる人たちもいるんだよね」
(何その名前!?)
ギョッとしながらその自分と同じ名前のついた樹の方へと振り返る。
(そういえばこの樹……どこかで……?)
思い出せそうで思い出せないモヤモヤとした感覚がメルディの中へと広がり始めた。首を傾げ、一生懸命思い出そうとしていると、
「なっ……おまっ、おまえっ! 魔法使いか!?」
驚いた表情のまま固まっていたブロンドが声を上げた。何を今更と、メルディは半目になっている。
(この大都会では魔法使いなんてそうそう珍しいモンじゃないでしょうに)
と、思いながら。
「魔法使いというか……まぁその……まだ見習いなんだけど……」
胸を張って魔法使いと名乗れないのが少し悔しい。魔女や魔法使いを名乗るには、師匠による《《杖》》の授与が必要なのだ。
『ん~メルディの杖? もうちゃんと用意してるよ!』
『え!? じゃあそろそろ!?』
『アハハ! ……僕がそう簡単にあげるとでも?』
『ンギー! やっぱり!!!』
『まあしかるべき時に君は手にするだろうよ』
昨晩、レオナルドと話したばかりの内容。杖を手にする為には早く師匠の所に戻らなければならない。
「うそっ!? マジで!?」
今度は茶髪の青年まで驚き始めた。幽霊でも見ているような顔だ。大袈裟すぎるとメルディは思っていた。この時はまだ。
「この国では魔法使いが珍しいの?」
魔法使いの数は通常、街の大きさに比例する。これだけの大都市であれば、通常であれば魔術師も錬金術師も魔具師もかなりの数がいるはずだ。そうでないのなら、やはり国を跨いだのだろうとメルディは考えていた。が……、
「魔法使いが珍しい? 世界中で絶滅寸前だっつーの」
本日二度目。言葉は聞こえたはずなのにメルディは理解が追いつかない。
(じゃあ私はどこに転移したわけ……?)
ただ口をポカンと開けて、焦点をどこにも合わせられず固まるしかなかった。




