第1話 おはよう
遠くから、小さな鈴の澄んだ音がメルディの耳に届いた。フォリア・アンティークスの近くにあるパン屋のドアを誰かが開けたのだ。
(今日もいい朝~)
まどろんでいたいところだが、メルディはえいやと気合を入れてフカフカのベッドから起き上がり、慣れた指つきでブランケットを綺麗に整える。本日も魔法の調子は上々だ。
魔法の珍しい時代であっても、メルディは魔法を使うことをやめなかった。もちろん、わざわざ見せびらかすようなことはしていない。必要な時に必要なだけ使っている。
(地道な魔術の積み重ねが魔法使いとしての能力向上になるってのが師匠の口癖だったけど……)
大雑把なようで、魔術に関しては繊細さを兼ね備えていた師匠レオナルド・マグヌスのことを朝から思い出し、チョッピリ憂鬱な気持ちの中身支度を進めた。彼の墓探しは進んでいない。
蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗う。千年前とは違い、この水を出すために魔道具も魔術も必要ないことに、メルディはまだ不思議な気持ちだった。
『筋トレと同じだな』
毎日の魔術トレーニングのことを聞いたエリオの感想だ。メルディは”筋トレ”というものかピンとこなかった。なんと現代では戦う必要もないのに人々が体を鍛えるというのだ。美と健康のために。
(そういえば筋力も鍛えるように言われたな~。大技使うのに必要だって)
確かに、足の踏ん張りが必要な魔術も多い。だがこの時代で使う日が来るかどうか……。
(ていうか師匠も筋肉なかったし! 絶対に肉体強化魔術を使ってたよね!?)
今更気付いたところで、千年後の今となっては確認する術がないのが残念だ。
食堂から温かな香ばしい匂いが漂ってきた。パンとコーヒー。それからベーコンとタマゴ。途端にお腹が減って来たメルディは、ウキウキとした足取りでで部屋を出た。最近彼女は甘いカフェオレにハマっている。
「おはよ」
「おはよう!」
ドアのすぐそばでエリオと鉢合わせる。彼も今日は朝から出かけるようだ。
「大学? トレハン?」
「どっちも。トレハン行って大学。今日はちょっと現場が遠いんだ」
エリオはトレジャーハンターの仕事で学費を稼いでいた。ユーリ曰く、エリオは”いい目をしている”らしく、考古学の専門知識がないにも関わらず、多くの貴重な品々を発見していた。
「ユーリは夏休みって言ってたけど、エリオは違うの?」
「研究室の方に顔だしてんだ。実験の……まあ、やることが色々あんだよ」
途中で彼が説明をやめたのは、食堂までにメルディが理解できるよう説明できる気がしなかったからだ。以前、彼の専門分野の話をした時、彼女の目は点になり、頭の上にハテナを飛ばしまくっていた。
メルディは『軌道力学』や『ジャイロセンサ』や『慣性航法』なんて単語、これまで一度だって聞いたことがなかった。ユーリの、
『オレも聞いたことないよ』
という言葉が、自分を安心させるためかそれとも本当にそうなのかもわからなかった。そもそもの話をすると、彼女はこちらへ転移して初めて『宇宙』という単語を聞いたのだから。
「星界の……じゃなかった、宇宙の研究って千年後も続いてるんだねぇ」
「研究内容は全然別物だけどな」
食堂に入ると青年が一人、すでに食後のコーヒーを楽しんでいる。メルディの顔を見てパッと表情が明るくなった。
「おはようメルディ!」
彼は十日間このゲストハウスに宿泊していた。本当は一週間の予定だったが、メルディが本物の魔法使い(見習い)と知って、思わず叫び声を上げそうになっていたのをギリギリで踏みとどまり、その後おずおずと宿泊延長願いをユーリの祖父に申し出ている。
『も、もう少しキルケの街を探索したくって……』
この家に住む誰もが、彼がメルディと少しでも長く過ごすためそうしているのはわかっている。彼はこの街を訪れる多くの人と同じく、魔法に憧れた青年だということを知っていたからだ。まさか、本物がいるとは思ってはいなかっただろうが。
「おはよ! 今日が最終日だよね?」
「そうなんだ。名残惜しいなぁ」
心の底からそう思っているのか、肩をガックリと落としている。
「最後にもう一度マグヌス大聖堂に寄ってから帰るよ。地下の霊廟が限定公開されてるんだ~いや~本当に僕はラッキーだったなぁ」
再度しみじみとその幸運を噛みしめ、彼はキルケの街を後にした。
「結局彼、メルディの身元は見破れなかったか~」
おはよ~と目をシパシパさせながらユーリが食堂に入って来た。また夜遅くまで資料を読んでいてようだ。
「おはよ。コクサイホーを皆ちゃんと守ってるってことでしょ?」
魔法使いは最重要保護対象。悪意を持った干渉は国際法で禁止され、破れば厳罰が下る。三年前に大きな違反があり、それは大きなニュースとなって世界を駆け巡った。一人の魔法使いがネット上に顔と名前を晒されたのだ。もちろん、すでに一般人レベルではその内容を検索することもできない。
「別に魔法使いに個人的な質問しちゃダメっていう法律でもないんだけどな~あの事件のせいで萎縮しちゃう魔法使いファンは多いだろうね」
ちょっと同情気味な声で、チャンスを逃した青年の置手紙を読んでいる。
「”また来年も絶対来ます!” だって。メルディがいい客寄せになってくれてるよ」
「お役に立てて光栄だわ」
ふふん! とわざとらしくメルディは得意気な顔をした。
同様に、最近アンティーク店の方でも彼女の影響で例年よりお客が増えている。
キルケの街ではこれまでメルディが関わった小さな事件がほんのりと広まっており、確証を得ようとフォリア・アンティークスを訪れる地元民が日に数人はいた。そして店主と会話をしつつチラリと横目でメルディを確認し、運よく彼女が背の高い商品棚に品物を並べていれば、本物の魔術を見ることができたのだ。そうして高揚した表情のまま、テンションお値段お高めの商品を見繕い、
『決して誰にもこのことは洩らしませんよ』
といった表情をメルディに向けた後、にこやかに店を出ていった。
「こりゃあ来年の旅行は贅沢ができそうだよ」
店主のダルクも満足そうにその客を見送った。
「浮遊魔術を使っただけで1万エルか~師匠が見たら流石にびっくりするかもしれません」
「もはやお金を払えば見れるものでもないからなぁ。メルディのお給料も上げないといけないねぇ」
「やった~~~! ……実は今度、スマホを買おうと思ってるんですよ……欲しいやつが高くって!」
珍しく照れるようにはしゃぐ様子のメルディを、ダルクもニコニコと見守っていた。
(千年後の世界でまさかこんなに穏やかな毎日を送れるなんて~)
もちろんマグヌスの弟子にそんなものは訪れない。メルディの知らないところで大きな存在が動き始めていた。




