第10話 遺物
その日は長い一日だった。
「この箱を開けて欲しいんだ!」
朝一番にやってきたのは観光客の男性。手には薄汚れた銀色の小箱が。魔法陣のような幾何学模様が刻まれており、小さな錠前も付いている。
「……お客さん、これをどこで?」
ユーリがにこやかに尋ねた。今日は大学がお休みということで、祖父の代わりに店に出ている。
「こ、こここれは露店で買ったんだよ」
「そうですか」
観光客はユーリの質問にわかりやすくうろたえていた。それからそれを隠すかのように声が大きくなる。
「開けられるのか、開けられないのかどっちだよ!」
「ん~~~無理ですね。たぶんこれ、”遺物審査局”通ってないですよ」
そう言いながら、ユーリは黒い特殊な手袋をはめ始めた。これは魔力を通しにくい素材で作られたもので、この街でトレハン――トレジャーハンターの資格を持っている人間は誰でも持っている。
「こういう紋様が入ってるのに検査通ってないやつ、けっこう危ないんですよね~」
ちょうど店の奥から、エリオとメルディが商品の入った箱を抱えて店内へ入って来た。最近店の売れ行きがよく、品出しの頻度も上がっている。
「ん?」
メルディがデッサン人形と小鳥の剥製の入った箱を床に置いた時だった。久しぶりの気配を感じ取った瞬間、眉間に皺がよる。
「もういい!! 自分でやる!!」
手袋をしたユーリの手が届くより先に観光客がカウンターに置かれていたその小箱を奪い取る様に握り、錠前を無理やり外そうと力を込めた、それとほぼ同時。
「うえええええっ!!?」
ガンガンガンガン!! と、小箱から金属がこすれぶつかり合うような、耳をつんざく甲高い音が店を震わすほど鳴り響いたのだ。
「あー!!! お客さんダメダメ!!!」
ユーリの叫び声も虚しく、観光客は大慌てで小箱を放り、耳を塞ごうとしたが、
「うわぁぁぁぁ!!!」
信じられないことに、銀色の固い小箱がピョンピョンと飛び跳ね始めた。それも観光客目がけて。
「あいたっ!!!」
そのうち一発は鼻にクリーンヒット! 思わずうずくまるその男性に、小箱が助走をつけて飛び掛かっていく。男性は青ざめながらパニックに陥り始めた。
「ヒィィィィ!!!」
「ちょっと!!」
なんとか逃れようと店内を走り始めた男性はあっちにぶつかりこっちにぶつかり……貴重なアンティーク品が商品棚ごとガタガタ揺れる。だが、それが突然ピタリと制止した。メルディの魔法だ。人差し指をくるくる回し、男性が行く先行く先にシャボン玉のような膜を張っていく。やわらかなポヨンとした音は、残念ながらけたたましく鳴り続ける小箱にかき消されていたが……。
「あぶね!」
「うわぁ!」
突然方向転換した男性がメルディの方目がけて突撃してきたのだ。だがエリオが庇うように彼女を抱き寄せた。
「……ありがと」
こんな風に誰かに助けられたのが初めてだったメルディは少し照れくさい。なんせいつも凶暴な魔獣を一人で狩っていたのに、今日は商品を守るのに必死で自分の身に意識がいかなかったのだ。平和な日常に慣れ過ぎていた、というのもある。
「これどーすんだ……」
頭の上から聞こえてきたエリオの声にハッとしたメルディは、ついに追い詰められ頭を庇って縮こまる男性をしつこく小突き回している小箱に向かって、ブツブツと小声で呪文を唱えた。
「スタグナオブムテスク」
ガタンッと音を立ててそれは地面に落下した。店内が突然シンと静まり返る。ショーウィンドウの向こうで、たくさんの観光客が何事だと立ち止まっていた。
「はぁ~~~メルディが居てくれてよかった……」
ため息をつくように吐き出したユーリの声が聞えた後、コクコク頷くエリオの顔をメルディは間近で見ることになったのだった。
この観光客はその後、マグヌス屋敷の跡地にある、現在発掘中のエリアに侵入してその小箱を見つけたと白状した。【遺物審査局】の局員と警察にみっちり叱られ小さくなりながら。
「まさか本当に魔道具が存在するだなんて……魔がさして、つい……」
「ここはキルケですよ! 今でもまれに動く魔道具が発掘されるんです! だいたいなんのためにトレジャーハンターの資格が存在すると思っているんですか! もし今日誰かを傷付けていたら、あなたは禁固刑もありえたんですよ!?」
フォリア・アンティークスの店内はメルディの魔法に守られ傷一つなく、もちろん男性以外は誰も怪我をしていない。ユーリが店内での状況を魔道具の専門家の局員と警察に説明している。彼らがギョッとしているのはメルディの話を聞いたからだ。チラリと視線を見習い魔法使いに向け、いかんいかんと職務に集中する。
「ねぇ……あの人、牢屋に入れられちゃうってこと?」
こそこそとメルディはエリオに尋ねた。少し可哀想だと思っている顔だ。なんせあの魔道具、メルディには見覚えがある。
(あれ、師匠が作ってたやつだ……。なんにも入ってないのに鍵を開けようとすると大騒ぎするだけの小箱……)
しかも鍵が付いているのに中には何も入っておらず、さらに他人の気を引くようにわざと怪しげに光ったりするのだ。なによりそんなものを遊び半分で作っていたことを彼女は知っていた。
(質が悪いんだから……)
千年後の世界でまんまと師匠の悪ふざけにハマってしまった男性にメルディは同情していた。
「理由はどうあれ悪いのはあのおっさんだ。だけど今回は被害なしってことでギリ罰金刑だろうな。メルディのお陰だよ」
「いやもちろんそれはそうなんだけど……そうなんだけど~……」
なんとも歯切れの悪い言葉が出てきてしまう。それはこの男性があの後すぐに誠心誠意店に謝罪をし、メルディに感謝の言葉を述べていたからだ。
「意外と甘いんだな」
「そうかな!? まあ誰でも失敗はするし……一回くらいはね」
彼女もこれまで散々失敗してきた。レオナルド・マグヌスは滅茶苦茶な魔法使いではあったが、失敗には寛容だったのだ。……おちょくることは忘れなかったが。
「メルディさん。本当にお世話になりました。実は魔法の存在を信じていなかったんです……陰謀論だと思っていて」
最後に改めて礼を言いにやって来た男性は深く深く頭を下げていた。
世界で十人だけ存在すると言われている【魔法使い】はもはや近年、幻の存在だと思われていたのだ。それ故に歴史上、世界に魔法など存在しなかったという陰謀論まで広まり始める事態になっていた。
「もう絶対に変な物拾っちゃダメですよ……じゃなかった、発掘現場のもの盗んじゃダメですよ!」
「それはもちろん! 本当、なんであんなことしちまったのか……」
深く反省しているらしく、思い出すだけでしおれていったが、
「いやでも……店の中での出来事はまるで夢のようだったなぁ~これぞ感動体験! 罰金払ってでも経験してよかった……!」
夢見る少年のようにキラキラと目を輝かせたこの男性の肩を、再び遺物審査局の局員と警察がガッツリと掴み、懇々と説教が再開したのであった。




