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聖女の役目は終わりましたので、勝手ながら自由にならせていただきます

何本か短編で書いて、反応がいいのを長編として書いていきたいと思ってるので、

長編で見てみたいと思ったら何かしらのリアクションをしていただけると嬉しいです。

「勇者様と聖女様、ご成婚おめでとうございます!」

「国を救ってくださり、ありがとうございます!」

「お二人の輝かしい未来に、神のご加護を!」


 鳴り響く鐘の音と、舞い散る花びら。王都の大通りを埋め尽くした民衆の熱狂的な歓声が、馬車の窓を叩く。

 誰が、いつ、そんな話を決めたというのだろうか。

 純白の豪奢なドレスに身を包んだ私は、隣で完璧な笑みを浮かべて手を振る勇者様――この国の第一王子であるレオンハルト様の横顔を盗み見る。金色の髪は陽光を浴びて輝き、空を映したような青い瞳は優しげに民衆へと注がれている。絵に描いたような、まさしく勇者様だ。

 だが、私、アリアの内心は、この祝賀ムードとは裏腹に、絶対零度の氷原が広がっていた。


(ご成婚? おめでとう? ……はぁ?)


 魔王討伐の旅から、昨日帰還したばかりだというのに。

 一体どこでどう話がこじれれば、私と勇者様の結婚話が既成事実として民衆にまで広まるのか。疲労困憊の身体で王宮に辿り着き、報告もそこそこに「祝賀パレードの準備がある」と侍女たちに引っ張り回され、気づけばこの状況。報告、連絡、相談。社会人の基本がこの国の王族には欠けているらしい。


「アリア、疲れていないかい? 君の顔色が少し優れないようだ」

 レオン様が心配そうに小声で囁いてくる。こういう気遣いができるところは、彼の美点だと思う。旅の途中も、彼の優しさには何度も救われた。

 でも、今だけはその優しさが私の神経を逆撫でする。

「いいえ、勇者様。民の皆さんの喜びように、胸がいっぱいなだけですわ」

 私は完璧な聖女の笑みを顔に貼り付け、当たり障りのない嘘を吐いた。長年の聖女生活で身につけた、数少ない特技の一つだ。


 そもそも、私が聖女になったのは、ただ神聖魔法の適性があったからだ。

 孤児院で暮らしていた私に聖女の力が発現し、教会に引き取られ、徹底的に聖女としての教育を叩き込まれた。それは、いずれ現れるであろう魔王を討伐する勇者のための「パーツ」になるため。私の意思など、そこには欠片も存在しなかった。

 そして三年前、予言通りに魔王が復活し、レオンハルト王子が勇者として選ばれた。私は彼のパーティーに組み込まれ、魔王討伐という名の長期出張に出たのだ。

 私の役目は、勇者一行のサポート。回復魔法で仲間を癒し、浄化の力で魔物の瘴気を祓う。それが聖女の仕事。私はただ、その「仕事」を全うしただけ。魔王を倒せば、この役割から解放されて、自由になれる。その一心で、三年間を駆け抜けてきた。


 私の夢は、ささやかなものだ。

 討伐報酬で、辺境の小さな町にパン屋を開くこと。焼きたてのパンの香りに包まれて、穏やかに、誰にも縛られずに生きていく。そのために、旅の傍らでパン作りの本を読みふけり、こっそり野営地でパン(のようなもの)を焼く練習までしていたのだ。

 王妃になるなんて、冗談じゃない。窮屈な王宮で、一生「聖女様」の仮面を被って生きろというのか。私のささやかな夢は、一体どこへ行ってしまうというのか。


 パレードが終わり、王宮での祝賀会が始まった。

 きらびやかなシャンデリアの下、着飾った貴族たちが次から次へと私とレオン様の元へ祝いの言葉を述べに来る。

「聖女様、この度は誠にご苦労様でした。勇者様とのご成婚、国中の民が祝福しておりますぞ」

「お二人のご子息は、きっと次代の勇者となることでしょうな! がっはっは!」

 国王陛下までもが、満面の笑みでそんなことを言い出す始末。レオン様は困ったように笑いながらも、それを否定しようとはしない。彼の立場上、難しいのはわかる。わかるが、私の人生がかかっているのだ。


(もう、限界)


 私はそっと輪から抜け出し、バルコニーへと続く扉を開けた。ひんやりとした夜風が、火照った頬を撫でていく。

「やっぱり、ここにいたのね。アリア」

 凛とした声に振り返ると、パーティーの仲間だった賢者のエリザが立っていた。銀色の髪を揺らし、知的な紫色の瞳で私を見つめている。

「エリザ……」

「お疲れ様。ひどい顔よ」

「そう見える?」

「ええ。まるで、砂糖漬けにされた挙げ句、蟻の巣に放り込まれたみたいな顔」

 的確すぎる表現に、私は思わず噴き出してしまった。

「……もう嫌。私、聖女なんて辞める。辞めて、自由になる」

 私の決意に、エリザは静かに頷いた。

「そう言うと思っていたわ。……計画は?」

「計画?」

「あなたのことだから、とっくに逃亡計画くらい立てているんでしょう?」

 さすがは、このパーティーの頭脳。私の性格などお見通しだった。

「もちろん。でも、少し修正が必要になったわ。まさか、国を挙げて外堀を埋められるなんて思ってなかったから」

 私はエリザに、自分の計画を打ち明けた。討伐報酬の一部を金塊や宝石で受け取り、それを元手に身分を偽って国外へ脱出する。そのつもりだった。しかし、この「勇者と聖女の結婚」ムードの中では、私が報酬を受け取って姿を消せば、ただの「金を持ち逃げした悪女」にされかねない。

「なるほどね。確かに厄介だわ。でも、手はある」

 エリザは悪戯っぽく微笑んだ。

「あなたの聖女の力、回復だけじゃないでしょう?」


 私の聖女としての本当の力。それは「聖なる力による物質の祝福と変質」。

 普通の水を聖水に、ただの薬草を特級ポーションの材料に変える。戦闘中は、ガイの斧やレオン様の剣に一時的な祝福を施し、切れ味を聖剣の域まで高めていた。魔王を倒せたのも、最後の最後で私がレオン様の剣にありったけの力を注ぎ込み、魔王の結界を両断する一撃を放てたからだ。この力は、パーティー内でもごく一部しか知らない、私の切り札だった。


「その力を使えば、資金調達も、追っ手を撒くための道具作りも容易いはずよ。協力するわ」

「エリザ……ありがとう」

「いいのよ。私も、王宮魔導士なんて窮屈な役職、お断りだもの。あなたに付き合って、しばらく自由な研究の旅に出るのも悪くないわ」

 心強い味方を得て、私の計画は精度を増していく。決行は三日後。国王が正式に婚約を発表する晩餐会の夜。その混乱に乗じて、私たちは王都を脱出する。


 決行の夜。

 私は侍女が用意した豪華なドレスではなく、動きやすい旅人の服に着替えた。聖女の証である純白のローブは、丁寧に畳んでベッドの上に置く。――さようなら、不自由だった私。

 エリザが魔法で作り出した幻影が、晩餐会で私の影武者を務めている間に、私は裏口から王宮を抜け出した。月明かりだけが頼りの薄暗い庭園を駆け抜け、約束の場所である東門へと向かう。

 門の前には、見張り兵がいるはずだ。エリザが合流し、睡眠魔法で眠らせる手筈になっている。

 しかし、そこに立っていたのは、見張り兵ではなかった。

 月光を浴びて、静かにこちらを見つめる金色の髪。

「……レオン様」

 勇者様が、なぜここに。冷や汗が背中を伝う。計画が漏れた? いや、エリザがしくじるはずはない。

「やはり、君は行ってしまうんだね」

 レオン様の静かな声には、責めるような響きはなかった。むしろ、どこか寂しげだった。

「……ご存知だったのですか?」

「いや。ただ、そうするだろうと思っていた。祝賀会の時から、君はずっと辛そうな顔をしていたから」

 彼はゆっくりと私に近づいてくる。

「アリア。君を、引き留める資格が僕にはない。君はいつも、僕たちのためにその身を削ってくれた。君が自由を望むのなら、僕はそれを祝福すべきなんだ」

「……」

「でも、一つだけ、聞かせてほしい。君は、僕のことが嫌いだったかい?」

 その問いは、あまりにも真っ直ぐで、子供のように純粋だった。

 私は首を横に振る。

「嫌いではありません。むしろ、尊敬しています。レオン様は、優しくて、強くて、立派な勇者様です」

「じゃあ、なぜ……」

「私は、勇者様の隣に立つ『聖女』でいるのが嫌なんです!」

 私は、溜め込んでいた想いを、堰を切ったようにぶつけた。

「私は聖女アリアじゃない! ただのアリアとして生きたいんです! 誰かの期待に応えるためでも、国の象徴になるためでもなく、自分の足で立って、自分の人生を生きたい! 小さなパン屋を開いて、毎日パンを焼いて、穏やかに暮らしたいんです!……そんな夢を、笑いますか?」


 私の告白に、レオン様は目を見開いた。そして、ふっと、これまで見たことのないような、力の抜けた笑みを浮かべた。

「……パン屋、か。君らしいな」

 彼は天を仰ぎ、深いため息をついた。

「笑うものか。むしろ、羨ましいよ。僕も、本当は勇者なんてものになりたかったわけじゃない。王家に生まれたから、勇者の剣に選ばれたから、ただその役割を演じてきただけだ。魔王を倒せば解放されると思っていた。……でも、違った。今度は『国を治める英雄』という、もっと重い役割が待っていた」

 彼の青い瞳が、悲しげに揺れる。

「君との結婚は、その重圧から逃げるための、僕の言い訳だったのかもしれない。国民が望むから、と。君という聖女の輝きに寄りかかれば、僕は立派な王になれるんじゃないかと……。最低だな、僕は。君の自由を奪って、自分の弱さを糊塗しようとしていた」


 その時だった。

「侵入者だ! 東門にいるぞ! 捕らえろ!」

 遠くから、複数の足音と甲高い号令が響いてくる。私の脱走が、ついにバレたのだ。

「アリア、早く行け!」

 レオン様が私を背後にかばい、腰の剣に手をかけた。

「僕が時間を稼ぐ!」

「で、でも!」

「いいから!」

 騎士たちが松明を掲げ、私たちを取り囲む。絶体絶命。

 だが、私はもう逃げるだけの弱い自分ではなかった。三年間、死線を潜り抜けてきたのは、彼も私も同じだ。

 私はレオン様の隣に並び立つと、彼の剣にそっと手を触れた。

「レオン様。あなたはもう、誰かのための勇者じゃない。あなた自身の意思で、ここにいるんですね?」

「……ああ」

「なら、私も戦います。聖女としてではなく、あなたの『共犯者』として!」

 私はありったけの聖なる力を、彼の剣に注ぎ込んだ。ごう、と音を立てて、ただの鋼の剣がまばゆい光を放ち始める。刀身には神聖な紋様が浮かび上がり、その輝きは騎士たちの目を眩ませるほどだった。

「これは……!?」

「一時的なものですけど、伝説の聖剣よりは切れるはずです。行きましょう、レオン。私たちの『これから』を探しに!」

「……ああ!」

 レオン様は迷いを振り払うように叫ぶと、光り輝く剣を構えた。その顔は、もはや国の期待を背負った王子の顔ではなかった。一人の男として、自らの意志で道を選んだ者の顔をしていた。


「僕はもう、誰かの期待に応えるためだけの勇者じゃない! 僕は、僕の守りたいものを守る!」


 レオン様の一閃が、包囲網の一角をいとも容易く切り裂く。私たちはその隙間を駆け抜けた。背後からエリザの援護魔法が飛来し、騎士たちの足を止める。合流したエリザがにやりと笑った。

「まさか、勇者様までお持ち帰りするなんて、予想外の大物ね」

「話は後! 行くわよ!」

 私たちは闇に紛れ、喧騒が遠ざかる王都を後にした。


 ***


 それから、半年後。

 王都から遠く離れた、国境近くののどかな町。その一角に、小さなパン屋が開店した。

 店の名前は「聖女の隠れ家」。ちょっと物騒な名前だが、エリザが「皮肉が効いてていいじゃない」と命名した。

 カラン、とドアベルが鳴る。

「アリア、今日の新作はできたかい?」

 店の奥の厨房から顔を出したのは、エプロン姿の元勇者、レオンだった。彼は今や、この店の用心棒兼、力仕事担当兼、一番の常連客だ。

「もう、レオン。つまみ食いはダメだって言ってるでしょ。これは売り物なの」

「一口だけ。君の焼くパンを食べないと、一日が始まらないんだ」

 そう言って笑う彼の顔には、王宮にいた頃のような苦悩の色は微塵もなかった。


 私の焼くパンは、ほんの少しだけ聖なる力が宿っているせいか、食べると少しだけ元気になると町で評判になっていた。特に、レオンと二人で試行錯誤して完成させた「勇者のメロンパン」は、子供たちに大人気だ。


 私たちはまだ、恋人というわけではないのかもしれない。

 けれど、「勇者」と「聖女」という役割から解放された私たちは、誰よりも対等で、自由なパートナーだった。

 私は焼き上がったばかりのパンを一つ、彼に手渡す。

「はい、今日の賄い。味見して感想聞かせて」

「ありがとう、アリア」

 大きな口でパンを頬張る彼の幸せそうな顔を見ていると、私の胸も温かくなる。


 聖女の役目は終わった。王妃になる未来も捨てた。

 でも、私は今、人生で一番、幸せだった。

 焼きたてのパンの香りに包まれながら、私は心からの笑みを浮かべた。

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