第9話 踏み出した者たち
【第9話 踏み出した者たち】
積み上げられたのは、夥しい数の死体だった。
その山の中心に、ただ一人の男が静かに座している。
場所は、かつて学園の心臓部と呼ばれた司令本部の中枢。
最上位の席に腰を据えるのは——夜行被繍のコードネームを持つ男。
今は人の姿に戻っており、血一滴、塵一つ纏っていない。
事実上、この司令本部の制圧は彼一人で完遂されたようなものだった。
銃火の轟き、悲鳴、爆発。すべては既に過去。
いま聞こえるのは、遠くの棟で断続的に鳴る銃声だけ。だが、それも長くは続かないだろう。
そもそも、学園側には戦う術がなかった。
防衛システムは既に敵の手に落ち、ダミーの情報で内部連絡も遮断されていた。
通信網は切断され、応援も要請できず。
完全な奇襲。そして、完璧な制圧。
「全戦力、状況を報告せよ」
夜行が低く通信を開く。
その声に応じて、各部隊のコードネームが次々と応答を返した。
『こちらナイトテラーズ。北及び南ゲートの封鎖、継続中。異常なし』
『ノイズエコーズより。防衛システムの監視継続中、異常なし。つまらん』
『アイアンヴァイパー。研究開発棟の制圧完了。コールドクレイドルに引き継ぎ後、商業区画へ進攻』
『ブラックハウンド、防衛区画の制圧を完了。敵兵の無力化、確認済み』
『ミーアキャット、現在構造級を追跡中。接敵には至らず』
『コールドクレイドル、降下完了。研究開発棟に向けて進行中』
『グリムキャリバー。学生寮の制圧および非戦闘員の移送完了。ただし、ベルサイド四体の逃亡を確認。一体は構造級、残り三体を捜索中』
「逃亡した三体の識別を要請する」
『対象は以下の通り。早坂優。端末級、静電気体質。加賀輝晃、水無瀬千夜。両名は異能未発現。詳細不明』
「三体の確保優先度を下げる。ミーアキャットに追跡を委任。発見次第、無力化、もしくは拘束せよ。グリムキャリバーは次項任務に移行、ショーの準備にかかれ」
『こちらノイズエコーズ。敵対勢力と思しきドローン機影を確認。距離、西北西500m』
「来たか……」
夜行は椅子にもたれたまま、わずかに目を閉じた。
司令室にはもう、銃声すら届かない。
ただ静寂だけが、鉄と血の匂いを漂わせながら広がっていく。
開戦の号砲は、すでに鳴り終わっていた。
◇
シャワーを終え、わずかばかりの安堵に浸っていた三人のもとに、軍服の女が現れた。背筋を伸ばし、気品と威圧を併せ持つ眼差しで彼らを見下ろす。
「私の名はノーブル。階級は中佐だ。この艦の指揮官を務めている。まずは労いを。ご苦労だった。そして情報提供に感謝を。して——早坂優。キミ、隠し事をしているな?」
有無を言わせぬ声音に、室内の空気がわずかに張り詰める。突然の訪問と詰問に、優はソファの背もたれに体を預けたまま、心底だるそうに目線だけを上げる。
「突然なんですか? ここに来る途中で全部話しましたけど」
「報告は受けた。大変だったな」
「そうなんです。なので早く私たちを本土に——」
「話を聞いたら、すぐにでも送るさ」
どこか煙に巻くような口調に、優の表情が歪む。
「私が隠し事をしている、でしたっけ? なんのことです?」
「キミはいち早く襲撃に気付いた。聞けば、我々が異変を察知するよりも、はるか前に。さらに寮舎を襲撃した部隊を退け、敵の索敵を潜り抜け、我々の存在に気付き、コンタクトまで取った。それも、未発現者ふたりを連れて、だ。——とても一学生の所業とは思えなくてね」
「偶然です。運が良かった。それに、彼は発現しています」
優の隣で、千夜が申し訳なさそうに顔を上げる。
「おや、それは失礼した。発現したのは最近かね?」
「はい。2週間くらい前です」
「それは情報の更新が遅いな……情報部に文句を言わねば……。——あぁそれと、運だって? 違うな。キミは運に頼るタイプじゃあない」
「……なにを根拠に?」
「小さな戦闘狂と別れたそうじゃないか、キミ。正解だよ。あれは隠密には一番向いていない。もし共に行動していたら、彼女しか生き残れなかっただろうね」
「お褒めに与り光栄です」
「キミは冷静に情報を精査し、理知的な判断ができる。勘では動かんよ」
ノーブルの瞳が、まるで全てを見透かしているかのように鋭く光る。
「ということで改めて聞き直そう。——キミの情報源はなんだ?」
「企業秘密です」
優は、あくまで淡々と、しかしわずかに皮肉を帯びた微笑を浮かべて返した。唇の端だけが持ち上がるその顔には、どこか人を遠ざけるような冷たさがあった。
「ふむ。そうか。それは残念だ。キミの情報があれば、生徒たちの救出成功率が上がると思ったのだが」
ノーブルの言葉に、空気がわずかに揺れる。加賀と千夜が、同時に身じろぎをした。
「救出……? みんなを、助けてくれるのか?」
加賀の声には、戸惑いと期待が混じっていた。
「無論だ。我々は市民のために存在する。と言っても、その事実を知ったのはつい先程だがね」
静かに発せられたその言葉に、室内の空気が変わる。希望の気配が、冷え切った空気に一筋差し込む。
「優、話した方がいいんじゃない?」
千夜が、そっと促すように言った。
「………」
優は無言だった。頑なに口を閉ざし、目線を床へと落としたまま動かない。さっきまでの軽口すら失われた彼女は、別人のようだった。
「おい優!」
加賀が声を荒げる。焦燥と怒りがないまぜになった声だった。
「なんでだよ……助けを求めるために逃げるって、言ってたじゃねーかよ……」
「優……」
千夜の声が細く、胸に刺さる。優は答えず、目を閉じた。
「ごめんね、千夜」
たったひと言。小さく呟いたその声に、何か大きなものを背負っている気配があった。
「もういい。ノーブル中佐、だっけか?」
沈黙を破ったのは加賀だった。立ち上がり、ノーブルの方をまっすぐに見据える。
「なにかね。キミは…加賀輝晃君、だったな」
「学園を……みんなを助けるんだよな?」
「そうだ」
「俺も参加させてくれ」
「ほう」
ノーブルの眉がわずかに動く。興味を引かれたような目をしていた。
「加賀!?」
千夜が驚いて声を上げる。
「やっぱさ、みんなを置いて逃げるってのは、無理だ」
「彼らとそれほど仲がよかったのか?」
「いや、全然? こちとら未発現とはいえベルサイド。一般人の反応なんて、だいたい同じさ」
「ではなぜ? 死ぬかもしれんぞ?」
「理由なんて、知らねぇ。あえて言うなら、そこに、恋があるからだ」
「……恋?」
ノーブルが目を見開いた。想定外の返答に、明らかに戸惑っている。
「ノーブルさん。俺は優のように万能じゃないし、リンのような強さもねぇ。でも、後生だ。雑用でも、荷物持ちでもなんでもいい。俺を、連れて行ってくれ」
言葉は熱を帯び、加賀は拳を握りしめて頭を下げた。彼の声は震えてはいない。だが胸の奥に隠した焦燥と、蚊帳の外に置かれることへの恐怖は、誰の耳にも届きそうなほど大きく脈打っていた。
「ふむ……」
ノーブル中佐は短く息をつくと、顎に白い指を添え、しばし思案の素振りを見せた。紫の瞳がわずかに細められ、加賀の全身を静かに見定める。その眼差しは冷徹な秤のようで、軽々しく言葉を返すことを許さない。
沈黙が流れる。艦の機械音がやけに大きく響き、空気を張りつめさせた。固唾を飲み、加賀はその視線を受け止める。喉が渇き、背中に冷たい汗が伝う。
「まぁ、よかろう」
ようやく紡がれた答えに、加賀の胸が跳ねた。
「いいのか!?」
思わず顔を上げた彼の声は弾み、安堵と驚きが混じった笑みが口元に浮かんでいた。
対してノーブルは、ふっと笑みを漏らすような気配を見せた。
「そちらの2人は?」
ノーブルの視線が、静かに千夜と優へと向けられる。
張り詰めた沈黙の中、千夜がゆっくりと立ち上がる。まるで、何かを振り切るような動作だった。その制服の袖口を、優がそっとつまんだ。微かな力。だけど、千夜にはそれが必死の叫びに思えた。
「千夜、だめ、お願い」
優の声は震えていた。止めたい。引き留めたい。彼女はただ願うように縋る。
「ごめん、優」
千夜の脳裏に浮かんでいたのは、ある朝の教室の光景だった。
委員長が、勇気を出して感謝の言葉を告げた日。小さな変化が、静かに、でも確かに始まりかけていた、あの時間。
(やっと、僕たちは“始まり”に立てたんだ——)
「ここでクラスのみんなを見捨てると、一生後悔する気がする」
どこかで聞こえたみんなの声が、記憶のなかで反響する。
「この人たちに任せておけば……!」
たしかに、その選択は正しいかもしれない。けれど——
千夜はそっと首を横に振った。
「うん。僕が参加したところで、なにも変わらないかもしれない。けど、ここで逃げたら、やっぱりそれは、みんなを見捨てたことになると思うんだ」
言いながら、自分自身にも言い聞かせていた。怖さはあった。けれど、もっと強い後悔を、千夜は確かに想像できてしまった。
「千夜……」
優の声が揺れる。
「優は、逃げて」
その一言に、優は返す言葉を見つけられなかった。彼女の唇が、何かを言おうと動きかけて——結局、何も紡がなかった。
ただ、黙って三人の背中を見送る。
扉が閉まる音が、妙に静かに響いた。
残された優は、ソファに座ったまま、ゆっくりと顔を上げる。薄暗い天井を見上げながら、ぽつりと小さく呟いた。
「くーちゃん……私、どうしたらいい……?」
その声に、誰も応えない。
瞳は、深く沈んでいた。感情を押し込めた果てにある、暗く、冷たい湖のように——どこまでも寂しげだった。
◇
司令室からは、重苦しい空気の中で激しい口論が絶え間なく続いていた。
「だめに決まっているでしょう! なにを考えているんだ、あなたは!」
副官が怒気を孕んだ声を張り上げる。彼の額には苛立ちによる汗が浮かび、眉間には深い皺が刻まれていた。
「任命権は私にあるはずだが?」
対照的にノーブル中佐は平然としている。感情の揺れがほとんどないその声が、副官の神経をさらに逆なでしているようだった。
「だからと言って、未発現のベルサイドふたり! しかも素人! 邪魔にしかならないでしょう!」
副官は加賀と千夜を苛立ち混じりの視線で睨む。加賀は肩をすくめて目を逸らし、千夜は所在なく壁際で落ち着かない様子で視線を泳がせていた。
「おいおい、ノーブルさん、大丈夫かぁ?」
「うん…もう20分はやりあってるね……」
そのノーブルが千夜を指差し言う。
「彼は発現者だそうだぞ。目覚めたのは二週間前らしいが」
「余計にだめです! もし異能が暴発でもしたらどうなりますか! そんな爆弾を抱えて、兵が任務に集中できますか!」
副官が机を叩く。重苦しい沈黙が数秒間続いた後、加賀が意を決して口を開こうとした。
「あ、あの……」
「キミは黙っていたまえ。話が拗れる」
即座にノーブルが遮る。加賀は苦々しそうに、言葉を引っ込めた。静かに息を吐き、再び押し黙るしかなかった。
「ああ、一刻も早く、奪還作戦を立案せねばならないというのに! 電子班! 学園内のシステム奪還の状況はどうなっている!」
「依然、難航しています。ゴーストしか返ってきません」
「なんとかしたまえ! セキュリティを奪われたままでは動くに動けん!」
「鋭意努力中です。しかし、正直難しいです」
「ええい! それをなんとかするのがきみたちの仕事だろう!」
怒号が飛び交い、空気が荒れる。その中で、シュィン——と滑らかな機械音が響いた。静かに、司令室の電子ドアが開く。
「システムは私がどうにかします。端末をひとつ貸してください」
凛とした少女の声が、すべての雑音を切り裂いた。張り詰めた空気に、新たな緊張が走る。
その場にいた全員の視線が、入り口へと集まった。
早坂優は、どこか場違いなほど落ち着いた足取りで室内へと進み出る。その歩みは、まるで舞台を歩くモデルのように無駄がなく、美しい。だがその背筋には鋼のような意志が宿っていた。
左手には、鈍い光を放つガントレット。その禍々しさすら感じさせる光が、彼女がただの生徒などではないことを無言で物語っていた。
その場にいた兵士たちは、一様に動きを止める。誰一人、彼女の登場を予想していなかった。ただ、まるで現実感を奪われたかのように、その姿を見つめるしかなかった。
「優……」
千夜がぽつりと名を呼ぶ。思わずにじむ安堵の響き。だが優はちらりとそちらを一瞥し、呆れたように小さく首を振った。それは子供のわがままに付き合うような、どこか姉のような仕草だった。
「誰だきみは!」
副官が声を張り上げた。困惑と苛立ちが入り混じるその声に、室内の空気が震える。
「早坂優。期待の新星だよ」
ノーブル中佐が口角を上げて応じる。その目は、優の登場を待っていたかのようにどこか愉しげだった。
「また端末級の学生か……ノーブル中佐! あなたはいい加減に——」
「ノーブル中佐」
副官の罵声を、優が静かに、しかし有無を言わせぬ口調で遮った。
「なにかね」
ノーブルの声には微かな期待がにじむ。
「あなた言ったわよね。私の情報があれば、みんなを救出できると」
「な、なにを……」
副官が狼狽える。しかしノーブルは即座に、曖昧さの欠片もなく頷いた。
「言った」
断言。短くも重いその一言が、室内の空気を再び締める。
「情報源は言えない。けど渡せる情報は渡す。力も貸す。それでいい?」
「十分だ」
ノーブルの返答は即決だった。疑いも、迷いも、そこにはない。
「了解。さっさと終わらせましょう」
優は滑らかな動作で椅子に腰を下ろすと、躊躇なく端末に向かう。長い指がキーボードの上を舞い、機械音が静かに鳴り始めた。彼女の表情には、もはや少女らしい迷いも焦りもなかった。ただ、ひとつの戦場に向かう者の、研ぎ澄まされた静謐があった。
「して、どうするつもりだ?」
ノーブル中佐の問いに、優は間髪入れず答えた。
「母艦を撃つわ。場所は掴めてる?」
「わ、わたしを無視するな——!」
副官が声を荒らげるが、もはや誰の耳にも届いていなかった。優とノーブルの間で、ただ淡々と、戦略が交わされていく。
「ノーブル中佐……?」
電子班員の一人が戸惑いの声を漏らすが、ノーブルはそれを軽く一蹴するように言い放つ。
「説明はあとだ。敵艦の場所は?」
「おおよその場所は。しかしダミーが紛れています」
「データを回してください。あとケーブルを一本」
優は端末に向き直ると、ガントレットから伸びたポートを取り出し、滑らかにケーブルを接続した。
その数瞬後——。
「が、学園システム、復旧しました!」
電子班の一人が叫ぶ。室内が一気にざわめいた。
「なにをした?」
問いかけが飛ぶ中、優はさらりと答える。
「強制的にロールバックしただけ。まだ取り返せたわけじゃない。奪い合いは任せたわ」
「敵性プログラム、再度侵入! 迎撃を開始します!」
「一介の学生に、そんな権限があるはずが……!」
副官が必死に否定するが、優は薄く笑って肩をすくめた。
「ありませんよ? こんなのはちょっとしたイタズラです。……見つけた」
その声と同時に、モニターが切り替わる。そこには、敵艦の明確な座標が映し出されていた。ひとつ、確かな獲物を射抜いた証拠。
「じゃちょっと集中するんで」
そう言って優は椅子に深く腰を沈め、目を閉じた。背筋を伸ばし、両の手は膝の上に重ねる。まるで眠るかのように、静かに呼吸を整える。
「おいきみ、いったいなにを——」
「少し黙っていたまえ、キミ」
ノーブル中佐の一言が、すべてを封じた。
「なんですと! 元はと言えばあなたが——」
再び交錯する言葉の火花。しかしその傍らで、加賀はぽりぽりと頬をかきながら、千夜に小声で囁いた。
「おい、千夜……優のやつ、寝ちまったのか?」
「いや、大丈夫」
千夜の声は揺るがない。穏やかで、しかし芯のある響きだった。
「あれは優の、戦闘モードだよ」




