第7話 ダーク・エントリー
【第7話 ダーク・エントリー】
リンが去った後、場に残されたのは、重く沈黙する空気だけだった。
何が起きているのか──千夜にも加賀にも、それがまるで飲み込めなかった。だが、そうして黙っている時間すら惜しいことは理解していた。
「それで、なにが起こってるんだ? あいつらはなんなんだ?」
静寂を破るように、加賀が口を開く。声は平常を装っていたが、その奥底には焦りと苛立ちがにじんでいる。
「……敵の正体まではわからない。けど、まだまだ後続が来るのは間違いないわ」
優は、感情を抑えた声でそう言った。冷静に聞こえるが、その瞳の奥に宿る光は明らかに危機の到来を見据えていた。
「なんでそんなことがわかるんだよ?」
加賀の問いに、優は一瞬だけ黙った。
「…………」
「おい、優」
強めに言いかける加賀を、千夜が制した。
「待って加賀。ねぇ優、こんな状況だし、加賀なら……」
「…………そうね。加賀くん、私の異能がどういうものかは知ってる?」
優は問いかけながら、手元のコインを弄ぶ。指先に触れる金属は、思考のリズムを保つためのものだ。
「ん。確か、静電気がどうとか…」
「そう。私の体は常に発電し、帯電している。その影響で、電磁波に敏感なの」
淡々と語る優。その声音は、自身の異能を語っているというよりも、分析を読み上げる研究者のようだった。
「電磁波……? スマホの電波とかのことか?」
「間違ってはいないわ。実際はあらゆるものが、微小であれ電磁波を発してる。私はそれを、肌を通して見聞きすることができるの。……機械だけだけど」
「え、盗聴できるってことか?」
「通話の内容まではさすがにわからない。だけど“話してる”こと自体はわかるわ」
「よくわからん……」
加賀が眉をひそめる。優の説明は、理解の範囲をやや越えていた。
「感覚的には、耳で音が聞こえるのと同じよ」
「ふーん? まだわからんけど、その肌? でなんか変な電波を感じたと?」
「そう。明らかな軍用通信。しかもここに駐在してる日本軍のものとは規格が違う。探ってみれば電気インフラも落ちてるし、セキュリティ関連も沈黙。たぶんもう学園全体のシステムが機能していない」
優の目が一瞬鋭さを増す。言葉は変わらず穏やかだが、そこには確かな確信があった。
「そんでお前は、千夜を連れて逃げようとしたと」
「そう」
「ほかのみんなを連れて行かなかったのはなぜだ?」
「足手まといだから」
あまりにも即答で。冷たすぎるその言葉に、千夜が小さく息を飲む。
「優……!」
「……俺を連れ出したのは?」
「千夜が望んだから」
「そうかよ……」
加賀が顔を伏せ、短く吐き出すように言った。
「リンの格好を見たでしょう。彼女ひとりでもああなるの。それを、数百人の一般人を抱えて逃げるなんて」
「そうだな。わかる。無理だそんなん。速攻見つかって捕まるか、下手すりゃ殺される」
「わかってくれて嬉しいわ」
優は少しだけ表情を和らげるが、目は冷たい現実から一歩も離れていない。
「けど、優はみんなが人質になるって言ったよね? その理由は?」
「彼らの動きと装備からそう予想しただけよ。まとめて殺すつもりなら、他の手段を取るはず。爆弾とかね」
「なるほど…それであんなに焦ってたのか…」
「そういうこと。ロビーで彼らの装備を見て、制圧が目的と判断したわ。かと言って、みんなが必ず助かる保証もないけど」
「……うん……」
千夜は沈黙する。己の無力が、胸に重くのしかかっていた。
「今俺たちがここに隠れてるのも、バレたりしないか? レーダーとか」
「私が誤魔化してるから平気。けどあまり急な動きをしないでね。位置補正のタイムラグで、気取られるかもしれないから」
「万能さんかよ……」
加賀が苦笑し、皮肉混じりに言う。
──そのときだった。
「! 二人とも、見て…!」
千夜が指差す先。そこに見えたのは、連行される生徒たちの姿だった。
建物の陰から見下ろした先で、制服姿の若者たちが大型車両へと次々に押し込まれていく。まるで物資でも積むかのような手際のよさに、嫌な現実感が喉元を締め付けた。
その中に、確かにいた。
「紅葉さん…!」
加賀が押し殺した声を漏らす。見間違えるはずがない。控えめで、いつも周囲に気を配っていたあの姿。忘れるわけがない。
声にならない叫びが胸の奥で爆ぜた。
「委員長も…」
千夜の呟きが重なり、視線の先を凝視する。寝起きゆえだろう、普段はサイドにまとめている髪を下ろし、しかし背筋を伸ばしたその少女の姿。規律を重んじていた、あの風紀委員長が、連れ去られていく。
「今は堪えて」
優の声が静かに響いた。いつものような張り詰めた冷静さではなく、わずかに滲む憂いがあった。
「わかってる……」
千夜の声も、震えていた。
「ちくしょう、こんな時になにもできないのか俺は…!」
加賀が悔しげに拳を握りしめる。爪が食い込み、指先が白くなるほどに。全身の力が拳に集まり、震えが止まらない。
ただ、見ていることしかできない——その無力さが、胸の奥に黒い穴を穿つ。爪を噛むことすらできず、ただ拳を握るしかなかった。
やがて、連行される彼らの姿が視界から消える。
◇
「そろそろ動くわよ」
静かに放たれた優の声が、張り詰めた空気を断ち切った。
「このあと、どうするの?」
千夜が問う。声は風にさらわれそうに小さかった。
「島の外に脱出する」
「お、おい! 本当にそれでいいのか? 俺たちがいれば、タイミング次第で……紅葉さんたちだって助けられるかもしれないだろ!」
加賀の叫びには、苛立ちと焦燥がにじんでいた。だが、優はその熱に呑まれない。
「相手は武装した兵士が、目に見えてるだけでも二十人以上。千夜は異能に覚醒したばかり。加賀くんは、まだ目覚めてもいない。そして私は、対人戦が苦手なの。——だからこそ、今すべきことは、外に助けを求めること」
その瞳は揺るがない。冷たい雷のような意思がそこにあった。
「それが、彼らを救う一番の方法。急ぎましょう」
「わか……ったよ」
加賀が唇を噛み、うなずいた。悔しさと無念を飲み下すしかなかった。
「脱出ってことは、向かうのは……」
「一度、南ゲートを見てみましょう」
別館の裏手を抜け、濡れた地面を踏みしめながら向かった先。南ゲートには、すでに敵の兵士たちが布陣していた。車の横で銃を構える彼らの姿は、明らかに通す気などなかった。
「予想通りっちゃ予想通りね……」
優が肩をすくめた。
「どうする? 強行突破か?」
「無理ね。蜂の巣になるだけ」
「レーダー系は誤魔化せるんでしょ? それなら——」
「目視されたら終わり。私の妨害は、機械相手にしか効かないの」
「……北門も同じかな?」
「恐らくは」
「じゃあどうすんだよ……逃げられねーじゃねぇか。それに、そろそろこの雨風もしんどいんだが?」
加賀が震える肩を抱えつつ、顔をしかめる。
「ここに来たのは、あくまで念のため。開いてたらラッキーって程度。本命は、こっちよ」
そう言って、優は振り返りもせず歩き出す。
その背を追って、千夜と加賀も再び、雨の帳へと足を踏み入れた。
◇
轟音を響かせながら、いくつもの大型ヘリが夜空に浮かんでいた。深い雲を切り裂き、暴風に煽られながらも、その機影は揺るがない。
眼下に広がるのは、隔離された人工島——学園都市。その中心を睥睨するように、ひとりの男がヘリのハッチから外を見下ろしていた。
痩身の影。整った軍服を纏い、沈着な瞳だけが夜闇に輝く。
その耳に、機内通信が滑り込む。
『こちら、Dr.ゴッドハック=マクスウェル=ダーク=シグナル=Ⅲ世。我が神の手が、学園内の全システムを掌握したことを伝えよう』
気障な調子にも聞こえるその宣言。だが、そこには確かな実力と狂気が同居していた。
「時刻、0500。計画をフェーズツーに移行。降下開始」
男の低い声とともに、機体の灯りが赤から緑に変わる。
次の瞬間、数十名の兵士たちが一斉にヘリから身を躍らせた。パラシュートが開き、風を切って夜空に点在する。暴風、豪雨——そんなものは彼らにとって障害ではなかった。整然とした降下、制御された姿勢。技術の粋がここにある。
男自身も身を空に躍らせた。
降下の最中、彼の身体が、変貌を遂げていく。
筋肉が膨れ上がり、骨格が軋みを上げて広がる。皮膚は裂け、毛が生え、顔は歪み、牙が覗いた。
空に響く——それは、獣の咆哮。
ただの雄叫びではない。夜を裂き、心臓を凍らせるような、それはまるで——世界の終わりを告げる狼の遠吠え。
次々と着地する兵士たち。その足取りは正確で、迷いは一切ない。地面に衝撃を与えることなく、静かに、だが確かに侵入していく。
雨が叩きつける中、彼らは整然と、それぞれの任務地点へと散っていった。
その中には、寡黙な傭兵——サーペントの姿もあった。
本隊が揃った。全てはここから始まる。
ここからが、本当の侵略。
◇
海は荒れていた。暴風が白波を巻き上げ、砕けた潮が監視艇の甲板に叩きつけられる。
学園島の南西部——そこから数百メートル離れた洋上にて、一隻の軍用艦が静かにその身を漂わせていた。
その艦橋、モニタールームに響いたのは、突如として夜空を震わせた獣の咆哮だった。
「い、いまの音は……」
緊張に震える声。若い兵が青ざめた顔で周囲を見回す。
「落ち着きたまえよ、キミ。しかし——私もその気持ちは、よくわかる」
低く、しかし冷静な声が返る。
そこにいたのは、黒紫のショートボブを斜めに流した、一人の女将校。整えられた軍服の襟元、タイトスカートのシルエット、背筋を一分の隙なく伸ばした姿勢。その眼差しは氷のように鋭く、左目には一滴の泣きぼくろが妖しく光る。
彼女は頬杖をつきながら、脚を優雅に組み替える。
「あれは戦場で、最も聞きたくない音のひとつだ。あの咆哮が意味するのはただ一つ——地獄の釘打ちだよ」
その声音には、わずかに皮肉めいた響きが混じっていた。だが、それを誰も咎めはしない。むしろ、彼女がそう言うならば——と、兵士たちはそれを現実として受け入れるしかなかった。
モニターに映し出されているのは、身長2mを悠に越える、巨大な狼男。
「夜行被繍。まさか、こんな極東の島国でまみえるとはな……わからないものだ」
彼女の視線は、遠く、学園島の上空を漂う黒煙の彼方を見据えていた。
嵐はまだ、序章にすぎない。




