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第3話 命の価値

 ———夢を見た。


 紫電が走る。

 泣き叫ぶ男の子。泣き叫ぶ、私。


 焼ける匂い。鉄の、焦げたような、酸っぱい臭い。


 人が——焼ける匂い。


 どこ……ここは、どこ。

 出口は……出口はどこ? なにも見えない。


 手を引かれる。誰かが、私の手を——


 見える。

 丸い。青い。

 ふたつ。宙に浮かぶ。

 いない。

 いない——(×××××)


 その日、私は。

 なにか、大切なものを、失った。




◇ ◇ ◇




【第3話 命の価値】


「……今日は、玄関か……」


 呟きと同時に、優は硬い床の上でのそのそと体を起こす。頭がぼんやりしていて、ここが自分の部屋だと気づくまでに数秒を要した。


 夢の中の焼ける匂いがまだ鼻先に残っている気がして、思わず眉間に力が入る。


 眠気の色が残るまぶたをこすりながら、優はふらつく足取りでベッドへと向かう。床から立ち上がるのも億劫な朝。そんな日もある。


 枕元に立てかけたゴム板に触れた瞬間、パチリと小さな音が弾けた。静電気が一気に抜け、髪の毛がしゅるりと落ち着いていく。


 静かで、騒がしくない朝。

 でも、どこか物足りない。いつもと同じなのに、決定的に何かが足りない——そんな違和感だけが、胸にぽっかりと残っていた。


 窓の外に目を向ければ、重機が瓦礫を押しのけている。無言で動く鉄の塊たちが、ついこの前の出来事が現実だったのだと、改めて教えてくる。


「……千夜の聴取は無事終わったかしら?」


 口に出した言葉は、自分に向けた確認のようでもあり、誰かに問いかけているようでもあった。


 三日前。優と千夜に下された処分——停学十日。異能の無断使用という本来なら重罪とも言える行為への、驚くほど甘い措置だった。

 だが、あの場に居合わせた者なら理解している。あれは正しい判断だった。必要な行動だった。


 処分を免れなかったのは、学園という組織としての体面ゆえの、ぎりぎりの落とし所にすぎない。


「また委員長に怒られちゃうな……」


 優は苦笑をこぼしながら身支度を整える。服の袖を通し、髪を整えたタイミングで、机の上のスマホが震えた。

 画面を見るまでもなく、誰からの連絡かは察しがつく。


 彼も、ようやく目を覚ましたらしい。


 その知らせを受け取った私は、思わず笑っていた。

 彼が無事だったこと、そしてあの出来事が過去になりつつあることに、少しだけ安堵を覚えながら。



「カーズヤっ」


「うわっ」


 モールの入り口で、元気いっぱいの声が耳を打った。反射的に身を引いたが、声の主はやはり優だった。


 島の南端に位置する商業区画。そこにあるモールで、今日は待ち合わせをしていた。


「ここに来るのも、とても久しぶりな気がする」


「三日も捕まってたもんね。どう、娑婆の空気は? 今日は出所祝いよ」


「それはどうも。おいしいよ」


 軽口を叩き合いながら並んで歩く。普段なら立ち入りに申請が必要なこのエリアも、「私たちがいなければ死人が出てましたよね?」という優の一言で、あっさりと許可が下りた。


 さすが、優である。


「水着でも見ようかしら? 千夜、選んでくれる?」


「ばっ、なに言ってっ」


 唐突な発言に、千夜の声がひっくり返る。だが優はすぐに笑いながら手を振った。


「うーそ。どうせ買っても着る機会ないしね」


 確かにそうだった。学園は海に囲まれてはいるが、そのすべてが断崖絶壁。

 唯一の港は南西部にあり、そこは商用船と軍艦の専用波止場。泳ぎに行けるような場所ではない。


「ホラ、あそこで食事にしましょ? アイスがおいしいのよ。奢るわ」


「え、結構高いよ?」


「大丈夫。臨時収入があったの。まかせなさい」


「では、ごちそうになります」


 軽やかなやりとりを交わしつつ、ふたりは高級そうなレストランへ向かう。注文を終え、食事を終え、食後のデザートを待つ間。

 ゆるやかな沈黙のあとで、優が口を開いた。


「ところで、このあと時間ある?」


「あるよ。なんにもない」


「じゃ、研究棟について来てくれない?」


「なんで?」


「それは着いてからのお楽しみ」


 どこか意味深な笑みを浮かべる優に、千夜は身の危険を感じる。


「なんか怖いなぁ……」


 けれど、嫌な予感はするものの、断れない。

というより、どこかでその言葉を待っていた気がした。


 優の異能は——"超静電気体質”とでも言うべきか。はっきり言って、異能の強度としては、ひどく頼りない。

 しかし彼女は自分の力を活かすため、必要な知識を徹底的に身につけた。

 電磁気学、電子工学、機械工学。全てを習得し、結果として研究開発棟の一角に、自前の研究室まで持つに至った。


 その研究棟が扱うのは、軍事兵器の開発。異能を戦力として昇華するための、実戦的な研究機関である。


「まぁまぁ。悪いようにはしないわよ」


「むしろより怖くなったんだけど?」


「ふふっ」


「……渇いた笑い声だなあ」


 不安が消えたわけではない。

 それでも千夜は、笑いながら立ち上がった。優の後ろを、迷いなく追っていた。



「なんでリンさんがここに?」


 千夜の口から思わずこぼれた声は、驚きと警戒が入り混じっていた。

 そこにいたのは、想定外の人物。予想の範囲を軽く超えてくるのが、この研究室の日常である。


「私が聞きたいわよ。なんなの? 優」


 視線の先には、一つ年上の異能交流生、リーネ・シュタイン・アイゼンフェルトさん――通称リンさんの姿があった。線が細く、小柄な体格にブロンドのツインテール、透き通った蒼い瞳をしている。しかしその小さな口から飛び出す言葉はいつだって鋭利で、僕たちを容易く切り裂いてくる。


 リンは眉をひそめて優を睨みつける。無愛想だが、どこか居心地の悪さも滲ませていた。


「リンちゃん、ようこそ私の城へ! 歓迎するわ」


 優はいつも以上のテンションで両手を広げる。研究室というよりも、テーマパークの案内係のようだった。


「……用がないなら帰るけど」


 冷たい声を残して踵を返しかけたリンに、優が慌てて声を上げる。


「なんと、千夜の異能が目覚めたのよ! それも私を助けるために! だから今日はそのお祝い!」


「帰るわ……」


「待って待ってリン! おいしいケーキがあるわよ?」


「……それを先に言いなさい」


 言葉とは裏腹に、ケーキを手に取ったリンは椅子に腰を下ろした。

 その仕草に、なんだかんだで乗り気なのが透けて見える。


 ケーキに釣られるリン。無言で皿を手に取り、もぐもぐと頬張る様子はどこかリスのようで——。


 (かわいい……なんて言ったら殺されるな)


 千夜は思考を即座に打ち切った。


「……アンタ、今失礼なことを考えたでしょう」


「うぐっ」


 的確なカウンターが飛んでくる。鋭すぎる。


「千夜、大丈夫? お茶あるわよ?」


「だ、大丈夫、ありがとう」


 優が差し出してくれたティーカップを受け取りながら、千夜は熱を帯びた頬を冷まそうと必死だった。


「ところで、あの無能者はどうしたの?」


 リンの質問に、優が肩をすくめる。


「加賀くんのこと? 彼は今、入院中」


「あぁ、あの事故」


「そう。かわいそうに。ついてなかったわね」


「………」


 言わぬが花とは、このことだ。


「で? そろそろ呼ばれた理由を聞きたいのだけど」


「そうね。じゃ、始めましょうか。千夜、あれ、出せる?」


「あれ?」


「あの黒い円盤」


「あぁ、あれ」


 千夜は両手を前に突き出す。意識を集中すると、掌の先に黒い円盤が現れる。


「へぇ、これがあなたの異能? 地味ね。お似合いだわ」


「傷つくなぁ……」


 リンの容赦ない評価が胸に刺さる。だが、それも彼女なりの正直さなのだろう。


「さて、色々試しましょう」


 優がごそごそと器具を取り出し始める。真剣な目つきになると、途端に研究者の顔になるのが彼女らしい。


「……加賀の怪我って、ひどいの?」


 優があれこれと準備している間に、リンが千夜に尋ねる。


「んー、入院とはいえ、そんなにひどくはないみたい。念のための入院、ってことらしくて。本人も元気で暇そうにしてたよ」


「あっそ」


 どこか安心したような、けれどすぐに興味を失ったような返答。リンの感情は複雑だ。


「はいお待たせ!」


 優が勢いよく白衣に袖を通して戻ってきた。メガネまでかけて、どこかの博士のような出で立ちだ。


「その格好必要?」


「当然。必須よ」


「……あそう」


「ではさっそく始めましょう」


 よくわからない機器から、謎のレーザー光が円盤に向けて照射される。計器と円盤に交互に視線を動かす優を、なんとはなしに見つめること、数分。


「光は……少し返ってくるわね。音は返ってこない。……えいっ」


 不意にハンマーを振りかざし、優が円盤を叩く。


「うわ、びっくりした! 先に言ってよ!」


「ごめんね。殴られた感触はあった?」


「いや、全然」


「ふむ。物理的な衝撃はほとんど返ってくる……使用者には伝わらない……か。リン、出番よ」


「なによ」


「この円盤を殴ってみて? 最初は軽くね?」


「……そういうこと」


 嫌そうな顔をしつつも、リンは一歩前へ。試すように拳を当てる。


「こわい……」


「どう? リン」


 優の問いかけに、リンは答えなかった。

ただ一歩、後ろへ引いたかと思うと、すぐさま構えを取る。

 鋭い空気の揺れ。彼女の細腕が、まるで銃弾のような貫手を放つ。


「ひぇ」


 反射的に僕が声を漏らした瞬間、リンの指先は黒い円盤に到達していた。

 だが、打撃の余波も残響も、まるで存在しない。


 円盤は、ぴくりとも動かないまま、宙に貼り付いたように浮かんでいた。まるで空間そのものに根を下ろしているかのように。


「……硬いわ。こんな感触、初めて」


 リンがわずかに眉をひそめ、拳を引いた。

 その顔には困惑よりも、どこか楽しげな興味が見え隠れする。


「ふむ、リンでも割れないか。予想はしてたけど、これはとんでもなく頑丈な盾ね」


 優が目を細めながら円盤を見つめる。

 それは黒く、光も反射せず、ただそこに“ある”。

 物理法則の隙間に存在しているかのような、不自然なまでの静止。


「盾……」


 千夜が呟いた言葉が、どこか他人事のように響いた。

 それは自分の力なのに、自分のものとは思えない不気味さを孕んでいた。


「ま、役には立つんじゃない? あまりに範囲が狭いけど」


「使い方次第よ。これからたくさん考えましょう」


「うん」


 小さく頷いた千夜の目に、不安と期待が交錯する。

 これが武器になるのか、防具なのか、それともただの異物なのか。

 それはまだ誰にもわからなかった。


「用は終わり? なら帰るわ。ごちそうさま」


 唐突にそう言ったリンが、後ろ手で軽く手を振る。

 無造作な動きの中にも、妙な気品があるのが彼女らしかった。


「ありがとね、リン」


「ありがとう、リンさん」


 千夜と優がそれぞれ言葉をかけると、リンはそれ以上は何も言わず、ツカツカと研究室を後にした。

 ドアの閉まる音だけが、しばらく空間に残った。


 沈黙が落ちる。

 優がなにやら手元の資料に視線を戻した頃、千夜がぽつりと呟いた。


「ところで、あの事故はなんだったんだろうね」


 目線は資料にも円盤にも向いていない。

ただ宙を眺めながら、ぼんやりとした声で。


 すると——


「あぁ、あれ? ごめん、あれ、私のせい」


 優がぺろりと舌を出して笑った。


「……どゆこと?」


 千夜が眉をしかめる。

 嫌な予感が脳裏をよぎったのか、少し距離を取るような仕草。


「お詫びの印として、これを贈呈するわ」


 そう言って優が差し出したのは、一枚の紙切れだった。


 ぴら、と手元で揺れる白。


「……なにこれ?」


 千夜が受け取った紙をじっと見つめる。

文字がある。だが内容が……。


 研究室の空気が、また少しだけ不穏になった。



 研究棟から離れるリンの足取りは、いつもよりわずかに重かった。


「あの部屋にあった装置……やっぱり、あれは……」


 独りごちる声は、誰にも届かない。ただ、記憶の奥に引っかかった違和感だけが、じわじわと形を成し始めていた。


 ふと視界の先に、草むしりをしている加賀の姿が映った。


「……なにやってんのアンタ? 急にボランティア精神に目覚めた? ていうか入院中じゃないの?」


 訝しむように問いかけると、加賀が顔を上げ、何かを訴えるように食ってかかってくる。


「リンか……聞いてくれよ! あの、悪魔! 『あなたは私に借りがある。そうでしょ?』って微笑みやがって!」


「どうしたのよ」


 面倒そうに眉をひそめるリンに、加賀は怒りのボルテージを保ったまま、懐から紙切れを取り出した。


「これだよ!」


 差し出された紙には、ぎっしりと文字が並んでいた。


「『私加賀輝晃は、早坂優様にこの命をお救いいただきました。紅葉様の命も同様に救っていただきました。そのことを50分割し、ここに証明致します』……? なにこれ?」


 リンが読み上げると同時に、顔が引きつる。


「優に! あいつにサインさせられたんだ! 俺はそれを提示されると、この命の五十分の一を差し出さないといけないんだ! 紅葉さんの分まで! それがもう貨幣のごとく流通してるんだ!」


 加賀は半ば叫びのような声を上げながら、地面に膝をついた。


「今日なんて、モールの高級レストランとケーキ屋から提示されて……五枚もだぜ!? 信じられるか!? 生徒会長なんて……止めるどころか『正当だ。お前にできることをするしかなかろう』とか言ってさ! あのやろう! 今度の選挙で落としてやる……!」


 加賀の怒りが爆発していた。涙目になりながらも、拳を握りしめて地面を叩く。


 その様子を見ていたリンは、しばし無言だったが——。


「へぇ……?」


 口の端が僅かに上がる。面白がるような、あるいは冷笑のような表情だった。


「っ! しまった!」


 加賀が慌てて紙を取り返そうと手を伸ばすが、リンはひらりと体をかわした。


「労働ご苦労さま。がんばりなさい」


 最後にそう言い残し、涼やかな足取りで立ち去っていくリン。その後ろ姿を、加賀は膝をついたまま呆然と見送るしかなかった。


「なぁ〜〜〜〜〜っ!?」


 虚空に向かって響く加賀の叫びが、夕暮れの空に虚しく吸い込まれていった。

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