第21話 黒い波
会議室に置かれた簡易ホログラムの上で、夜行被繍の戦闘データが回転していた。
その冷たい光の前で、ノーブルは腕を組んだまま、静かに口を開く。
「と言うわけで、それを使って夜行被繍を無力化、ないしは引きつけろ。その間に我々が都市国家級を討つ」
あまりにも淡々としていて、恐ろしく現実的な命令だった。
千夜は思わず眉をひそめる。
「それはわかりましたが……」
その横でリンが腕を組み、わざとらしくため息をついた。
「どうやって当てるの。水無瀬の身体能力じゃ無理よ」
容赦のない指摘。千夜は「ですよね」と言いたくなったが言えない。
ノーブルは指一本動かさずに応じた。
「落ち着きたまえよ、キミたち。まだ話は途中だ。技術班」
「は!」
技術兵が背筋を伸ばして返事をする。
「用意はできてるか?」
「イエス! ベローナ!」
「少女はよせ……」
ノーブルがこめかみを押さえて小さくため息をつく。
“戦火の少女”。
その異名は敬意と畏怖の象徴だったが、本人にとってはあまり好ましい呼び名ではないらしい。
そして、指揮官の目がふたりに向けられる。
「さて、水無瀬、アイゼンフェルト。キミたちには“合体”してもらう」
千夜とリンの思考が、同時に停止した。
「「はぁ?」」
完璧に重なった声が会議室に響く。
千夜は顔を真っ赤にしながら、リンは眉間に深いしわを寄せながら、互いを見つめる。
どう考えても「合体」という言葉の意味が、まともに受け取れない。
会議室の空気だけが妙に静まり返る中、ノーブルだけは至って真面目な顔だった。
◇
——はたしてそれは、まさしく“合体”だった。
「変なとこ触ったら殺す。変なことしても殺す」
リンの低い警告。背中越しでもその殺意が伝わってくる。
「いや、僕両手動かせないから……」
千夜は必死に弁明するが、状況はどう見ても言い訳の余地がなかった。
リンの背中に千夜が密着し、ふたりはタンデム用のハーネスで強固に固定されている。
リンの肩越しに突き出された千夜の両腕は、副え木のような棒によって前方へと真っすぐ固定されていた。
まるで武器の銃身のように、千夜の腕がリンの首元周辺を守る角度で位置取りされている。
そして千夜の首にはゴツいギプスが装着されている。
視界はほぼリンの後頭部で埋められ、首もほとんど動かない。
「このギプスは必要なんですか?」
情けない声が漏れる。
「外しても良いが、アイゼンフェルトが本気で動いたら首を痛めるぞ」
ノーブルの即答に、千夜は一瞬で折れた。
「着けます」
あまりにも速い即答に、リンが呆れた視線を向ける。
「両手だけあればいいんでしょ? 両手だけにできないの?」
「なにそれこわい。発想がこわい」
リンのさらっとした狂気に、千夜は心底震え上がった。
そんなやり取りを見ていたノーブルが、軽く顎をしゃくる。
「どうだアイゼンフェルト。動けるか?」
リンは試すように身体をひねり、足を踏み替える。軽く跳ね、回し蹴りのモーションまで確認する。
そのたび千夜の身体が背中で大きく揺れた。
「酔いそう……」
「そこで吐いたらマジで殺すからね!? すぐに言いなさい!?」
殺意と心配が奇妙に混ざった声を出すリン。
千夜は一度ハーネスを外され、床に降ろされる。
「動きはまぁ、問題ないレベルね」
「よし。ではキミたちを夜行被繍に当てる。……できるな?」
ノーブルの問いに、ふたりは一瞬だけ黙った。
喉が乾き、背中に汗が流れる。
「僕は、ついていくだけなので……」
千夜の声は震えていた。それでも逃げる気配はない。
リンは——思い出していた。
管制塔で初めて夜行被繍を見た瞬間。
逃げても逃げても、背後に迫る殺気。
肺が焼けても足が止まらなくなるほどの恐怖。
だが同時に思い出す。
——自分は、一度あいつから逃げ切っている。
顔を伏せたリンは、深く息を吸う。そして——顔を上げた。
「私しかいないんでしょ? やるわ」
その言葉には覚悟だけでなく、意地と誇りが宿っていた。
夜行被繍を倒す必要はない。時間を稼げばいい。
今回は千夜もいる。
そしてなにより——このままでは気がすまない。
あの時の“自分の弱さ”が、今のリンを突き動かしていた。
「よろしい。では……」
ノーブルが続きを言おうとしたとき、千夜が口を開いた。
「すみません、先に、加賀の安否を教えてくれませんか」
その声には焦りと不安が覗くが、それ以上に強い意志が宿っていた。
ノーブルはその瞳を真正面から受け止め、短く答える。
「……死亡したという報告は入っていない。負傷したとも。まだ香具山の元にいるはずだ」
本当は「わからない」という意味に近い。しかし千夜はそのわずかな希望を掴んだ。
「……わかりました」
それだけ言うと、千夜は唇を強く噛んだ。
助けに行きたい。今すぐ。
だが自分には任された役目がある。
それを投げ出せば、仲間も加賀も危険になる。
信じるしかない。
軍を。香具山を。そして加賀自身を。
リンは横でその表情をちらりと盗み見た。
千夜の言葉にならない不安を、リンは理解していた。
「ところで、早坂は一緒ではないのか?」
ノーブルの問いが飛んでくる。
「え……あれ?」
千夜がようやく優の不在に気づき、周囲を見渡す。
「あれ……いない……?」
「ここに来るときにすれ違ったわよ。ずいぶんと慌てた感じだったけど」
リンの言葉に、千夜の胸に冷たい感覚が走った。
優が“慌てている”。
それだけで充分に異常だ。
彼女が落ち着きを失う状況など、千夜は思いつかない。
◇
優は嵐の空を駆けていた。
黒雲が低く垂れ込め、稲光が断続的に島を照らす。荒れ狂う雨粒が頬を叩き、視界を奪う。それでも、止まるという選択肢は彼女にはなかった。
指先で弾いたコインが空気を切り裂き、街路灯や手すりといった金属へ突き刺さる。
瞬間、金属は帯電し、強い斥力を生む。優はその力を足場にして着地の勢いを殺し、反動を利用してさらに前へ跳ぶ。
身体に染みついた機動。彼女だけの“駆け足”。
だが今日は最悪だった。
暴風がコインの軌道を狂わせ、雨が電荷を奪い去る。
いつもの機動は、ひとつ判断を誤れば致命傷になりかねないほどシビアなものになっていた。
それでも、どこに地雷が仕掛けられているか分からない地面を走るより、まだ空中の方が安全だった。
(あと六……いや五歩……!)
荒れた呼吸を整える暇もない。
次の街路樹の密集ゾーンを越えるには、大きく跳躍しなければならなかった。
風の唸り声が真横から吹きつけ、体勢を乱す。それでも優は迷わない。
指に挟んだコインへ、渾身の電力を込める。
微細な放電が走り、赤い瞳に雷光が宿る。
優は嵐の中へ、再びコインを投擲した。
◇
数分後、優はどうにか目的地へ辿り着いた。
息は荒いが、まだ動ける。雷鳴が遠くで鳴り、嵐の余韻が耳の奥に残っている。
「見る影もないわね……」
ぽつりと漏れた独り言は、閑散とした商業区画に虚しく響いた。
そこはショッピングモール——つい先日、千夜とふたりで歩いた場所だった。
あのときは、噴水が眩しく、ガラスの反射が綺麗で、千夜が少し照れながら笑っていて……。
優はその一場面を思い出し、胸の奥がひどく痛んだ。
(まさかこうなるなんて)
今のモールは、生きていた頃の面影を完全に失っていた。
人影はひとつもなく、すべての店のシャッターは閉じ、照明も落ちている。
非常灯だけがぼんやりと床を照らし、どこかのドアが破られたのか、風が入り込み、床には薄く雨水が広がっていた。
華やかさは消え失せ、まるで別世界。
"耳"を澄ませば——無数のワイヤーが仕掛けられていることが分かる。
「ブービートラップ……ここで飛ぶのはさすがに無謀ね」
優は舌打ちを飲み込み、すり足で周囲を探る。
細かく波長を散らし、“聞く”ようにして罠の位置を把握する。
その時――
物陰から、ひとりの武装兵が姿を現した。
彼が声を上げるより早く、優の指から弾かれたコインが閃光を引いて飛ぶ。
命中。
金属音と共に電撃が走り、武装兵はその場で崩れ落ちた。
「アイアンヴァイパーさん、だっけ? 鉄なら、お手のものだけど」
皮肉をこぼしながらも、優の顔は少しも笑っていなかった。
不安と焦り、その奥にある怒りが、赤い瞳の奥底で渦巻いている。
優は倒れた兵士を避け、慎重に足を進める。
千夜のため。
そして、自分自身のために。
優は再び闇の奥へ歩を進めた。
◇
渇いた発砲音が闇を裂いた。
その瞬間、加賀の意識が強制的に引き戻される。
ガバッと上体を起こし、乱れた呼吸を整えながら辺りを見回した。
……誰もいない。
味方も敵も、どちらの姿もなかった。
何が起きたのか理解できず、腕時計を見る。
気を失っていた時間は、十分ほど。
その間に、みな姿を消してしまった。
脳裏に残る最後の光景は、開発棟の前に立っていた“おかしなマスクの男”の口が光った瞬間。
まるで世界が一瞬で焼き切れたような、あの異様な光。
ふと背後へ視線を向ける。
その光の軌跡は——港まで続いていた。
加賀のよく知る、美しい海と街並みと、いつものあの景色。
全部、黒焦げの穴と砕けた瓦礫に変わっていた。
「は、はは……こんなんリンでも真似できねぇ……本当のバケモノってやつか……」
乾いた笑いが漏れた。
リンも十分化け物じみた強さを持つ。だがこれは、その遥か上。
数年連れ添ってきた身として、それだけは確かにわかる。
(みんな、やられちまったのか……? 香具山さんは?)
胸の奥に黒いものが広がる。
不吉な予感に押し潰されそうになった、そのとき。
また、発砲音が聞こえた。
今度ははっきりと——開発棟の中からだ。
(あそこか……?)
加賀は立ち上がろうと地面に手をついた。
だが——
膝が笑って、そのまま崩れ落ちた。
地面が容赦なく近づいてくる。その衝撃より、自分の不甲斐なさのほうが胸に刺さった。
「……情けねぇ」
掠れた声が、震える息と一緒に漏れた。
逃げたいわけじゃない。
怖いだけでもない。
胸の奥には、いくつもの感情が泥のように渦巻いていた。
情けなさ。無力さ。悔しさ。恐怖。
全部が全部、ぐちゃぐちゃに混ざり合って、足を縛る。
けれど――
そのどれよりも重く、熱く、激しい感情が、今の加賀を満たしていた。
「俺から、俺たちから……」
唇が震え、歯を食いしばる。
痛いほど強く噛み締めたその内側で、記憶が蘇る。
異能者と判定された日のこと。
両親の困惑した顔。
友人たちの微妙な距離感。
気づけば流されるままに学園へ転校し、「あの日常」を失った。
“悪魔寄り”と揶揄された。
冷たい視線。
押しつけられた責任と制限。
普通の同世代が普通に笑って暮らしているのに、加賀にそれは許されなかった。
友人たちが悪いわけじゃない。
誰かを恨みたいわけでもない。
しかし——
自分の境遇を「仕方ない」と飲み込めるほど、器用な人間でもなかった。
胸の奥で形を持たなかった感情は、その名をようやく得る。
——それは、怒りである。
「もうこれ以上、なにも奪うんじゃねぇよ……」
その言葉は震えた声ではなく、底から響く声だった。
怒りは確かに加賀の中に存在していた。
逃げず、誤魔化さず、直視できてしまうほどに。
力が抜けかけた脚へ、加賀はありったけの意志を叩き込む。
ぐらつきながらも立ち上がる。
頭が揺れ、視界が歪んでも、それでも——
加賀は一歩を踏み出した。
よろけても、膝が笑っても、倒れそうでも。
それでも確かに。
戦闘音の響く開発棟へ向かって——
加賀輝晃は、前へ歩いた。




