第18話 現
白い閃光が、昼のように世界を照らした。
耳の奥を叩くような爆音と熱風に、香具山は反射的に目を閉じ、次の瞬間、焼けるような光の残像にまぶたを震わせながらゆっくりとそれを開いた。
さっきまで最前列を走っていたはずの先輩――6番隊の斥候、津島の姿が、そこになかった。
そこにあるのは、ただ、焦げた大地と、抉り取られた空間だけ。
空気は焼け焦げた鉄の匂いで満ち、雨上がりの土が一瞬で乾いたような、ざらつく熱気が肌を刺した。
「……津島、さん……」
掠れた声が喉の奥から漏れる。呼んでも応えはない。
そこにあった“人”の形は、もう跡形もなく、ただ熱と光が貫いた空洞だけが残っていた。
視線を横にやると、木々の幹にも、建物の壁にも、直径一メートルほどの穴がまっすぐに続いている。
その先――港の方向まで、地面が線を描くように、一直線に焼き切られていた。
「都市国家級だと……んなもん、おとぎ話の類じゃねぇかよ……」
吐き捨てた声は、風にかき消されるほど弱かった。
震えていたのは怒りか、恐怖か、それとも呆然とした理不尽への拒絶か。
香具山は唇を噛み、焦げつく空気を無理やり肺に押し込んだ。
視線の先、開発棟の入り口に立つひとりの男が、無言でこちらを見た。
機械式のマスクが冷たく閉じ、その奥の瞳だけが僅かに光る。
言葉はなく、ただ一瞥をくれただけで、男は中へと消えた。
入れ替わるように、武装した敵兵が複数、開発棟の扉を押し開けて現れる。
その無機質な動きが、まるで機械のように統制されていて、背筋に冷たいものが走る。
「あれを即時無力化しろってか……。月凪の足音とかいうのもよくわかんねぇし……。あ゛ぁ! クソが!」
吐き出した叫びに、誰も返さない。
怒鳴ることでしか自分の心を繋ぎ止められないのだ。恐怖を押し殺し、戦場に立ち続けるために。
開発棟は高台の上。そこから放たれた熱線が、斜面を削り、港へと抜けていった。
香具山たちは窪地にいたことで直撃を逃れたが、風圧と光だけで全身が痺れ、鼓膜が震えていた。
「7番隊総員、隊列を組み直せ! 6番隊と共に“あれら”を討伐する! ビビってる暇はなさそうだ、気合い入れろ!」
『おおっ!』
その声に、散り散りだった隊員の目にようやく生気が戻る。
怒声でも希望でも構わない。立ち上がるための言葉さえあれば、人間はまだ動ける。
香具山は、己の声が震えていることに気づかないふりをした。
視界の隅で、ひとりが地面に倒れているのが見えた。
加賀だった。風圧で五メートルほど吹き飛ばされ、泥にまみれたまま動かない。
「…………」
それを見た香具山は、なにも言わず、なにもせず、ただ前を向いた。
◇
「被害状況、報告しろ」
ノーブルのよく通る声が響く。甲板を打つ雨音よりも鋭い警報が、艦橋の空気を震わせる。モニターの赤い点が増え、各セクションのステータスが次々と黄色から赤へと変わっていく。その光の踊りを見つめる者たちの顔には、即応の習慣と本能的な焦りが交錯していた。
「左舷中央被弾。貫通孔を確認。推進機関に被害、航行不能と判定します。艦内で火災発生、現在消火活動中。燃料・弾薬への延焼リスクは現時点では低いと見ています。人的被害は調査中、部隊を展開して確認中です」
ノーブルの瞳は、淡々と兵の報告を受け流しながら、その数値の裏側にある時間差と危険を計算していた。損害は重大だが、即時沈没の瀬戸際ではない。だが「瀬戸際ではない」という余裕は、ここではしばしば裏切られる。
「了解。即時沈没の危険はないか」
橘の指先がタッチパネルを滑る。データが更新されるたびに、彼の肩にのしかかる責務の重さがわずかに滲む。
「敵の動きはどうなっている、次弾の気配は?」
「敵性個体『赫宴の慟哭』は開発棟内部に侵入確認。敵艦は現在沈黙中、次弾の発射兆候は観測されていません」
「敵艦、チャフ散布を確認。センサーロスト、現在位置追跡不能です」
チャフの白い霧が視界とセンサーの視界を同時に曇らせた。海上戦の常套手段だが、今はただその「失踪」が不気味さを増す。橘が正直な問いをこぼす。
「なぜだ……なぜ撃ってこないんだ? 現状を維持しろ。即座に対空・対艦索敵を最大化、チャフ散布方向のデータを解析し直せ。被害回復班は消火・復旧を最優先、人的確認は速やかに報告せよ」
ノーブルは眉間に浅い皺を寄せる。戦況は、常に情報の「欠落」によって左右される。欠落が意味するものを読み取るのが指揮の仕事だ。
「赫宴の慟哭は出力こそ高いが、エネルギー効率は劣悪と聞く。チャージに時間がかかるとも。建物に入ったのなら、少なくとも連発は無いと考えてよかろう。敵艦の動きは不可解だが、隠れたと言うことは反撃を恐れている。……なぜ、艦を直接撃ってこなかった…?」
その問いを口にした瞬間、艦橋の片隅でモニターに映る小さなノイズを、誰かが見逃さなかった。だが声に出して指摘するにはまだ足りない「違和感」だった。
敵艦はノーブル達を狙っていた。しかし優が毒を仕込んでいた。先刻の電子戦の最後の一撃。それは全ては届かなかったが、一部は届いていた。その毒は”主砲の照準を左右どちらかに二十メートルずらす”というもの。撃てなくする事もできたが、敵の意思確認のために、リスクを取って”撃てるが当たらない”ものとした。その思惑の通り、敵艦はノーブルたちの艦を狙ったが外した。敵は熱線との集中砲火で艦を落とすつもりだったが、失敗した。この毒の件は優が秘匿しているため、ノーブルたちは敵の狙いに気付けないでいる。
「どうします、指令。降りますか、残りますか」
ノーブルは短く息を吐き、視界に散らばるオペレーターたちの顔を一人ずつなぞる。誰もが多層の覚悟を胸に秘めているのが見える。命令の重みは、言葉の後に残る沈黙で測るしかない。
「まず、しなくてはならないことがある」
彼女は通信士へと声を投げる。その声は静かだが、鋭い刃物のように周囲の雑音を裁断した。
◇
風の音に混じって、誰かの声がした。
それはやわらかく、遠く、懐かしい響きだった。
「リン、ねぇ、リンってば」
名を呼ばれ、リンはゆっくりと瞼を開いた。
世界がぼやけて見える。霞の向こうに、しゃがみ込んだ少女の姿。
その顔を見た瞬間、胸の奥が落ち着くのを感じた。
「……ミィ?」
口から漏れた名は、無意識のものだった。
呼ばれた少女――ミィは、微笑んで頷いた。
リンと背丈はそう変わらない。けれど、その表情には年齢を超えた優しさが宿っていた。
年の頃は十歳前後。幼いのに、どこか大人びた光を湛えている。
「またここにいたのね、リン。けどそろそろ、風邪を引く季節よ?」
言葉の意味が、すぐには頭に入ってこなかった。
リンは周囲を見回す。木々が並び、枝の隙間から光が差し込む。
家――いや、館。見覚えのある白い壁。
庭の中央には、小さな池があった。
そこでようやく、思考が繋がる。
(……夢、か)
ぼんやりと浮かんだ結論に、胸が少しだけ痛んだ。
夢だとわかっているのに、指先が震える。
ミィがゆっくりと歩み寄ってくる。
「またそんなに怪我をして……。訓練もいいけど、あまり無茶しないでね?」
その声がやさしく頬を撫でた。
見下ろせば、自分の姿は学園の制服。
袖口は破れ、布地には泥が染み込み、肌のあちこちに傷が浮かんでいた。
戦いの跡。痛みが現実のように残っている。
リンは口を開こうとして、言葉が出なかった。
なにかを言えば、この幻が壊れてしまう気がして。
「ほら、立って? みんなが待ってるよ」
ミィは小さな手を差し出す。
その掌が、どんな光よりも温かく見えた。
差し出された手の向こう――木々の隙間に、やわらかな光が差し込んでいる。
誰かの声が遠くで呼んでいた。
「大事な人たちなんでしょ?」
その言葉が胸に落ちると同時に、世界がゆっくりと揺らめいた。
池の水面に波紋が広がり、風が止む。
リンはその手を見つめたまま、目を閉じる。
――あたたかい夢の中で、彼女はもう一度――




