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第17話 デッドリー・エンカウンター

 降り注ぐ弾丸の雨を、夜行被繍はまるで舞うように避けていた。

 砕けたアスファルトが跳ね、鉄片が頬を掠める。それでも、その瞳は一度たりとも曇らない。呼吸も乱れず、視線はすでに次の瞬間を見据えている。通信機へ、低く機械的に問いを投げる。


「主砲の状態は?」


 相手は開発棟にいる、Dr.ゴッドハックである。

 返答は、どこか他人事のような口調で返ってきた。


『予想通りだ。チャージが足りん』


 まるで今日の天気でも報告するかのように、淡々と。戦況など関係ないとでも言いたげな声音だった。


「出力は?」


『五分後に、よくて二十パーセントというところか』


 夜行被繍はひとつ短く息を吐く。だがそれは溜め息ではない。

 戦況を読み、最適解を導き出すための、ただの呼吸だった。


「構わん。十五パーセントで十分だ」


『承知した』


 通信が途絶える。

 弾丸の軌跡が彼の頬をかすめた。夜行被繍は体をわずかに傾け、反射のように回避する。ほんの一秒も遅れれば肉が削がれる距離。だが、その動きには焦燥の影もなかった。

 彼にとって、死地は恐怖の象徴ではない。ただの環境の一部にすぎないのだ。


 空気は血と火薬の匂いで満ちる。

 その中を、夜行被繍はまるで獣のように、しかしどこか人間よりも静かに歩いていた。

 銃撃をかわすたびに、筋肉が金属のように鳴る。

 その全身から滲むのは、狂気ではなく――圧倒的な理性の冷たさだった。


「……想定内だ」


 誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。

 彼の中では、すでに戦況の全体像が描かれていた。

 駆逐艦の配置、敵兵の分散、逃走経路。


 彼は、戦場を俯瞰する。

 地上の混乱の中に、ただ一人、沈黙の支配者が立っていた。

 風雨が彼の外套を揺らす。砲撃の光がその輪郭を白く縁取る。



 加賀は走っていた。息が喉の奥で擦れるように荒く、肺の奥で燃えるように痛む。

 道は覚えている。港から西へ延びる沿岸の道だ。かつては学校帰りに寄り道したお気に入りの散歩道。左を見れば本土と三浦半島が霞み、振り返れば太平洋の水平線が広がる。海風が頬を撫で、夏は潮の香りが心地よかった。――平時であれば、の話だ。


 いまは違う。慣れない軍靴が地面を叩くたび、濡れたアスファルトが鈍く音を返す。重い装備が肩に食い込み、ヘルメットの縁から雨が流れ込む。夜明けを迎えたはずの空は異様に暗く、雲が地表に押し潰されそうなほど垂れ込めている。

 打ちつける暴風雨。視界は曇り、足元は泥と水でぐしゃぐしゃだ。そのくせ道のすぐ脇は崖。踏み外せば、暗い海面にまっさかさまだ。


 イヤープロテクターが外音を遮る。風と雨の轟音の中、敵がどこに潜んでいるのか、まるでわからない。――次の一歩で、地雷かもしれない。次の影が、殺意そのものかもしれない。そんな不安が、喉の奥に鉛を詰めたように重く沈む。


 落雷が走るたび、加賀は思わず肩をすくめた。雷鳴なのか、銃声なのか。判別がつかない。地雷探知を行いながらの前進は、度重なる停止を強いられる。わずか300メートル。されど永遠に感じる距離だった。体力だけでなく、心の芯まで摩耗していく。


『おい、ガキ。まだ始まったばかりだぞ。もうギブアップか?』


 通信機から聞こえるのは、香具山隊長の声。いつも通り、皮肉めいた響きを含んでいた。


「……面目、ないっす。この道、何度も通ってるのに、こんなにしんどいとは……」


『無理もねぇ。ろくに訓練もしてねぇ素人には、さぞキツいだろう。しんどかったら帰ってもいいぞ? 敵と地雷に気をつけな』


 軽口に聞こえたが、その裏には“帰る道すら危険だ”という現実が潜んでいた。

 加賀はその瞬間、悟る。――自分はもう、一人では引き返せない。彼らと共に前へ進むしかないのだ。


 恐怖が背骨を這い上がる。

 ゴーグルの内側が曇り、雨水が滲む。息苦しさに目を細め、拳を握る。


『お友達はもう帰還したようだぞ? 怪我でもしたのかもな。ま、あんな秒で命令違反するやつ、いらないけどな。さすがに驚いたわ』


 香具山が淡々と告げる。

 その瞬間、加賀の脳裏に浮かんだのは、前線へ走り出していった千夜の背中だった。雨に濡れながら、振り返りもせずに走る姿。

 ――そうか、無事だったのか。

 安堵と、わずかな誇りが胸を温める。


 異能を持つ彼でも、恐怖を感じなかったわけがない。だが、それでも走った。

 もし立場が逆だったなら、俺は走れただろうか。答えは出ない。だが、いまはその疑問すら無駄に思えた。


「リンは……構造級も、無事でしたか?」


『あん? あぁ、とりあえず死んではいないようだぞ』


 香具山の声には訝しげな色が混ざっていた。


 リンも生きている。あの地獄の中、孤立しても戦い抜いたのか――。

 小柄な身体で、誰よりも前へ出るあの少女の姿が脳裏に蘇る。あんな化け物じみた戦場で、一人きりで敵を相手にしていた。


 加賀の胸に、静かな火が灯る。


「俺も、負けてられねぇ……!」


 言葉が自然にこぼれた。雨音に溶ける叫びは、己を奮い立たせるためのものだった。

 膝が軽くなる。視界が明るくなる気がした。――足を止める理由は、もうなかった。


(……チ。逆効果かよ)


 香具山は内心で舌打ちをした。どうやら軽口で気を削ぐつもりが、逆に燃料を投じてしまったらしい。


『オイ、大声出すんじゃねぇぞ。元気なのは結構だが、味方を邪魔すんならやっぱり帰ってもらうからな』


「了解ッス」


 加賀は息を整え、再び前を向いた。

 道はまだ続く。雨脚はさらに強まり、海と空の境界が溶け合っていく。視界は灰色の一枚絵のようにぼやけ、遠くで砲撃の閃光が一瞬だけ世界を白く染めた。


 泥を蹴り、崖際を駆ける。足音も呼吸も、もう聞こえない。

 聞こえるのは、胸の奥で鳴る脈拍の音だけ。



 6、7番隊が進軍を続ける中、開発棟の影が雨の帳の向こうに見え始めた。

 そのとき、最前列を進んでいた6番隊員がぴたりと足を止め、ハンドサインで「停止」を示す。全員が即座に動きを止め、重たい雨音だけが一帯を支配した。


『どうした?』


『識別不明の人物を発見。開発棟の前です』


 隊長の問いに、部下の声が無線越しに震える。

 香具山はゴーグルの奥で眉をひそめ、雨を弾くバイザー越しに視線を凝らす。見えたのは、嵐の中に立ち尽くすひとりの影。

 白一色の服。裸足。両手には無骨な手錠。赤髪が風に翻り、機械仕掛けのマスクが口元を覆っている。項垂れるように下を向いており、その表情は見えない。

 激しい暴風雨にもかかわらず、その姿は一歩も動かず、ただ無言でそこにいた。まるで生きているとは思えぬほど、静止している。


『学園の関係者に該当者はいません』


『かといって敵兵にも見えんな……』


 6、7番隊の隊員たちは息を呑んだまま、銃口を下げることもできずにいた。

 嵐の中、白い影だけが、不気味なまでの静寂をまとって立っていた。



「本艦、主砲発射」


 夜行被繍の一声で、母艦の主砲が唸りを上げた。砲身の振動が甲板を伝い、空気が裂ける。砲弾は海面を蹴って港を襲い、着弾と同時に土煙と潮の匂いが渾然一体となって舞い上がった。EMPではない、硬質な金属弾の衝撃音が耳を痛くする。


 粉塵が晴れきらぬ間にも、次弾の準備音が艦橋を満たす。甲板上の影は揺らぎ、聴力に頼る者の顔からは一瞬の硬直が消えない。


 「続いて、“主砲”発射」


 夜行被繍の無機質な声が、嵐の轟音を貫くように響いた。


 その言葉に呼応するかのように、長身の男のマスクが、甲高い金属音を立てて解放される。

 歯車が噛み合うような断続音。装甲の継ぎ目が開き、内側の冷たい機構が露わになっていく。


「なんだ……?」


 香具山の声がかすれる。

 マスクの奥、開口部の闇の向こうから——光が生まれた。

 それは瞬きの間に収束を始め、雨粒を焼き裂きながら一点へと凝縮していく。

 空気が震えた。圧が変わる。肌が痛む。そこに立つだけで、生命が削られていくような気配。


 男は、ゆっくりと顔を上げた。

 紅い髪が暴風に煽られ、濡れた頬を打つ。だが、その瞳には何の感情も宿っていなかった。

 ただ命令に従う機械のように、冷徹に、淡々と「それ」を放つ準備をしている。


『これは……これはだめだ! 総員、伏せろ! 本部! こちら6番隊——!』


 隊長の叫びが途切れた瞬間、閃光が爆ぜた。

 音よりも速く、世界が白に塗り潰される。

 空気が燃え、雨が蒸発し、轟音と衝撃が一帯を呑み込む。

 誰もが理解した——これは人の発する“熱”ではない。

 戦場に立つ者としての本能が告げる。あれは兵器ではなく、“災厄”そのものだ。



 通信室から飛んだ声が、嵐の轟音を突き破って艦橋に刺さった。モニターの薄い光が顔を青く照らし、警報ランプが断続的に赤く点滅している。EMP弾ではない。本当に命を奪うつもりの、127mm砲弾。誰の呼吸も粗くなり、鉄の床が微かに振動するたびに皆の顔が揺れる。


「敵艦、主砲発射しました! 港に着弾!」


 言葉が落ちるより早く、モニターの表示が跳ねる。空気が一瞬で張り詰め、目の前の海面に土煙と波濤が噴き上がる映像が反転するように映し出される。


「あの沈黙していた艦か……? 位置解析! 撃ち返せ!」


 橘の声は鋭い。指先がコンソールを叩く度に、解析窓が更新される。雨音、波音、爆音、それらが重なって耳を塞ぐようだ。だが艦橋のどこにも怯えはない。あるのは緊張と即応だけ。


「損傷は」


ノーブルが問う。


「損傷は軽微! 次弾、来ます!」


 誰もが次弾に構え、息を合わせるように時間が伸びる。次弾が海を叩き、さらに周囲に波紋が広がる。砲煙の白が黒く染まり、視界が揺れた。


「容赦はない。徹甲弾、発射準備」


 短い命令が飛び、甲板で具現化される忙しさ。砲の低音が低く唸る。マニュアル通りの手順だ。だが、それと同時に誰も予期しない光が、島のどこかから走った。


『本部! こちら6番隊……』


 通信が割れ、言葉が途切れる。次の瞬間、モニターの海面を貫くように、眩く鋭い光線が空を裂いた。光は音を伴わぬ速さで伸び、艦を直撃する。金属が焼ける匂いが空気に混じり、火花が飛び散った。


「当艦、動力部に致命的損傷!」


 声が震え、モニターの出力数値が赤く跳ね上がる。動力表示の針が暴れ、警報ブザーの音が一段と鋭くなる。冷静を保とうとする者の声も、動揺を隠せない。


「なんだ!? なにが起こった!?」


「……映像解析急げ」


 ノーブルの言葉は低く、しかし強い。艦橋中の目が解析班へと集中する。誰もがその瞬間、既視感の無い不安に体を支配される。


「退避、退避だ! 急げ!」


 艦内に緊急退避のコールが響き渡り、ハッチが開く音が届く。だが逃げる余裕など、残されていないように感じられた。


「映像解析完了ッ! な、こ、これは…」


 解析班の声がかすれる。画面上の画像が高速再生され、解析ログが行を埋め尽くす。誰もが息を飲む。


「どうした、キミ。報告を」


「ハ、ハッ! 対象、異常判定! コード指定:都市国家級ベルサイド、コードネーム『赫宴の慟哭ヘリオラトリ』――確認!! 繰り返す、都市国家級出現!!」


 場内の空気が一瞬凍る。「都市国家級」という言葉が、重さを伴って誰の胸にも落ちる。過去の資料に刻まれた忌まわしい語彙。想像を絶する存在が、目の前に確定されたのだ。


「と、都市国家級…? はは……そんなことが……」


 笑いは震えに変わる。横顔の筋が引きつり、誰もが現実を受け入れられずにいる。


「『赫宴の慟哭ヘリオラトリ』だと……馬鹿な。奴は廃棄されたはず……映像回せ」


 ノーブルの指が震えを見せぬまま操作を続ける。画面が巻き戻り、再生される映像は赤毛、そして口元から迸る高熱線の反転不可能な証拠を残す。


「この燃えるような赤髪……口からの高熱線……。……本部より全戦力に通達。6、7番隊は第一種戦闘配備へ移行、対象の即時制圧を最優先せよ。距離による安全は存在しない。最大火力で迎撃しろ。

 同時に、1〜5番隊へ指示。『月凪の足音スリザードーズ』の所在を特定し、迅速に対処せよ。状況次第では、この島そのものが消滅する……!」


 言葉が終わる前に、艦橋の誰もが理解した。戦術的な後退も、時間稼ぎも、そこには存在しない。存在するのは即応と犠牲の選択だけだ。外では雨がさらに激しさを増し、海面が絶え間なく白く砕ける。

やっと異能バトルものっぽくなってきましたねぇ…!

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