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第16話 巡り昇る

 雨の中、黒い影が一つ、港の瓦礫を踏みしめた。


 その足取りに迷いはない。風も雨も、まるで彼を避けるように裂けて流れる。水飛沫が跳ねるたび、鉄の匂いが濃くなった。


「駆逐艦が一隻。所属は日本。上陸した兵はおよそ六十名」


 呟く声は、静かだった。

 敵戦力の概要を読み取るように、わずかに目を細める。

 彼の視線の先では、艦砲の火が閃き、断続的な機銃掃射が港の防壁を削っている。銃声に混じって聞こえるのは、短い叫びと命令の断片。混沌は、もう完全に人の手を離れていた。


 上空を唸りを上げて通過した弾丸が、背後の樹木を貫いた。

 夜行被繍はその下を、ただ歩いていた。


「三〇ミリ弾はさすがに受からんな……」


 雨音に紛れて洩れた言葉。

 弾道を視線で追い、体をわずかに傾けた瞬間、轟音が背後で咲く。

 爆風に晒されても、彼の動きは微塵も揺らがない。

 呼吸が整っている。まるで戦場の中心が、彼の生活圏であるかのように。


 視線の先、瓦礫の向こうに浮かぶ影。

 巨大なローラーを振りかざし、敵兵を薙ぎ払わんとする少女――リーネ・シュタイン・アイゼンフェルト。

 彼女の筋肉は限界に達しているはずだ。それでもその腕は止まらない。

 空気が悲鳴を上げるほどの速度で振り抜かれる整地ローラー。

 その一撃が直撃すれば、夜行被繍とて無傷では済まない。


 だが、その一撃は――弾かれた。


 雨を裂くような金属音。

 ローラーが軋みを上げ、火花を散らして跳ね返る。

 防御側の異能兵の手前に、黒い円盤のようなものが出現し、そのままローラーを押し返した。


「……なんだ、今のは」


 夜行被繍の瞳がわずかに細くなる。

 防御結界か、それとも質量転移か。

 咄嗟に得た情報だけでは判断がつかない。

 脳裏で思考が高速に回転し、可能性をひとつずつ削っていく。


「……保留だ」


 それ以上の推測は、今は無駄だと切り捨てた。


 リンの動きが唐突に止まる。

 限界を超えた肉体が、ついに悲鳴を上げたのだろう。

 膝が折れ、視線が宙を泳ぐ。

 彼女は、あの異能兵――黒い円盤を操った少年の胸元へと倒れ込んだ。

 少年も必死に支えようとするが、ふたりして地面に崩れ落ちる。


 周囲の兵たちが駆け寄り、リンを抱え上げ、後方へと運んでいった。

 夜行被繍はその光景を見届けながら、無表情のまま息を吐く。


「仕留め損ねたな。……まあいい。あれはなんとでもなる」


 それは、負け惜しみではなく確信だった。

 彼の声には焦りも悔しさもない。

 獲物は逃げたが、戦況はまだ手のひらにある。

 彼にとって戦闘とは、生と死を競う遊戯ではない。

 戦略を積み重ね、敵を確実に摩耗させる作業だった。


 耳の奥で、電子的なノイズが鳴る。

 通信機が接続を確立する。


『こちらヴェイルスタッド。まもなく現着』


「ヴェイルスタッドはブラックハウンドと合流。退きながら敵を迎撃せよ。人質に到達するまでに捻り潰せ」


『了解』


 短い応答。

 その一言の裏に、命令が即座に共有され、兵が動く。


「防衛区画は落とされたが、人的被害は軽微。このまま数を減らしてもらう」


 降り注ぐ銃弾の中でも、彼の口調は変わらない。

 左肩を掠めた弾丸が布地を裂き、血の筋を描いたが、

 彼は振り返りもしなかった。

 痛みを「情報」として処理する訓練が、体に染みついている。


 彼は足元の水たまりを軽く蹴った。

 その瞬間、彼の輪郭が一瞬だけ滲む。

 次の瞬間には、銃弾が通り過ぎた空間に、彼の姿はもうなかった。

 避けた、のではない。

 ただ、“そこからいなくなった”だけ。

 獣の脚力と人の思考を併せ持つ存在――それが夜行被繍という男だった。


 降りしきる雨の中で、彼の視線がひととき上を向く。

 艦橋。

 その上に立つ人物――おそらく指揮官だ。

 目には届かない距離だが、彼の眼光は、まるで相手の鼓動を透かし見るように鋭い。


「大将の顔を拝みたかったがな」


 独り言のような声が雨に溶けた。

 その言葉の裏には、ほんのわずかな興味が潜んでいた。


 銃弾がまた飛ぶ。

 彼はそれを視界の端で捉え、軽く身をひねる。

 そのまま後退を開始した。

 撤退ではない。

 あくまで“位置の調整”。

 戦いの舞台を変えるための、意図された移動だった。


 戦場を去る彼の背中を、砲火が照らし、次の瞬間には、闇と雨に紛れて姿を消した。


 ――その退き際すらも、ひとつの戦略のように。



 ノーブルは艦橋の高窓から、港の混乱とその奥を駆ける黒い影をじっと見下ろしていた。灰色の空と海が溶け合う中、彼女の視線は一瞬、四足になった獣――夜行被繍の目と交わったような錯覚を覚える。ノーブルは視線を外し、次の作戦へと気持ちを切り替えた。


 艦橋の端に立つ若い兵が、報告を流す声を上げる。短い報告は、嵐にかき消されそうな現場の断片を室内へと運んでくる。


「敵は散開しつつ後退を開始」


 ノーブルはため息めいた短い音を漏らすと、即座に命令を口にした。言葉は冷たく、だが無駄がない。周囲の者たちは瞬時に神経を研ぎ澄ませる。


「各員へ通達。前進開始。1〜3小隊は中央突破、4〜5小隊は東側より迂回、6〜7小隊は西側より迂回せよ。各隊は分断している敵を各個撃破の原則で殲滅しつつ、目標地点となる体育館へ向かえ。トラップを強く想定すること。制圧射撃を優先し、突入前の斥候・感知を怠るな。夜行被繍ナイトウォーカーとの接近戦は厳禁。極力距離を取り、正面からの交戦を避けよ。対応は遠距離制圧または迂回で行え。咆哮対策として、イヤープロテクター等の保護具を速やかに装着せよ。気休めだが無いよりマシだ。近くの者が咆哮で機能障害・混乱が生じたら殴れ。遭遇した不測事態は即時上長へ報告。以上、行動開始」


 命令が下りると、艦橋にいた者たちの動きが一斉に変わる。モニタに映る戦域はまだ混沌としているが、指示の輪郭が現場に線を引く。7番隊――香具山隊の名が無線越しに聞こえる。


 橘が肩越しに艦首方向を見やり、低めの声で報告する。声には緊張が混じるが、冷静さを保とうとする努力が滲んでいる。


「アクシデントはありましたが、なんとか少ない被害で上陸できましたね…」


「ようやく舞台に立てた。ここからだ」


 ノーブルの短い返答に、橘は軽く頷いた。だが視線を戻したノーブルの顔は、さっきより少しだけ厳しくなっている。港を示すモニタに目を凝らすと、そこで見えたのは四人がかりで肩を寄せ合いながら、気を失った少女を艦内へ引き上げようとする光景だった。


 千夜が、その群れの中に混じっているのが見えた。香具山隊とは離れ離れになったらしい。


「幸いに、思ったより早く出会えたな。我らの最高戦力と」


「しかしひどく消耗している様子です。戦前に復帰できるかどうか」


 橘の懸念に、ノーブルは冷ややかに笑って言葉を濁すように続ける。


「なに、してもらうとも。夜行被繍ナイトウォーカーに匹敵しうるのはヤツしかいない。早坂」


 名前を呼ばれた優は、モニタの前で画面から目をそらさずに応えた。


「なんでしょう」


「アイゼンフェルトを救護室に運ぶ。診ていてくれ」


 優はしばらく黙り込み、眉間にわずかな影を落とした。


「うーん……」


「友人だろう?」


 ノーブルの問いかけに、優は一瞬だけ表情を固くした。ノーブルの言いたい事はわかる。異能者はたとえそれが寝ていたとしても、うかつに近づいてはならない。異能者としてのリンの扱いを、優ならば知っているだろう、というわけだ。

 しかし、友人――その言葉が胸の内で何かを揺さぶる。


「大げんか中です」


 優のその言葉に虚を突かれたノーブルは、一瞬だけ目を瞬かせた。が、すぐに表情を取り繕う。


「そうか。では水無瀬に頼むとしよう」


 優は不快感を隠そうともせずに、救護のための具体的要求を淡々と述べる。


 「……わかりました。酸素ボンベと、カロリーバーのような物があれば用意してください。大量に」


 その言葉を聞いて、ノーブルは無言で頷いた。


 艦内の空気は重く、金属の匂いが漂っている。

 誰もが自分に課された任務を胸に、淡々と歩を進めていた。

 夜行被繍の影は未だ完全には払われていない。それでも、その場に立つ者たちの表情には、恐れよりも覚悟が宿っていた。

 ノーブルは再びモニタへ視線を戻し、沈着に情報を整理する。戦況図を見据えながら、次の指示を思案するように。

 外では、雨が容赦なく艦体を叩いていた。鉄板を打つ雨音は、まるで時間を刻む太鼓のようだ。

 一滴ごとに、戦場の針が確実に進んでいく。


 そんな中、優がふと口を開いた。


「――あ、ノーブル中佐。一応お伝えしておきます」


 モニタから視線を外し、ノーブルが片眉を上げる。


「なにかね?」


 優は微笑んでいた。

 だが、その笑みの下にある何かを、ノーブルは直感で悟る。

 優の声は穏やかで、言葉の端には柔らかさすら漂っている。

 けれど、その奥には、静かに燃えるような“熱”があった。


「くれぐれも、ええ、くれぐれも――千夜に余計な事は吹き込まないよう、お願いしますね」


 笑顔で言う。

 しかし、目はまったく笑っていなかった。

 その双眸は、まるで青白い電流が走るように光を孕み、冷たくも痛いほどの殺気を帯びていた。

 ノーブルは一瞬だけ息を止め、次の瞬間、静かに笑みを返した。


「……過保護だな、キミは。そんなに彼が大事か」


 冗談めかしたその言葉の裏に、微かな探りが混じる。

 優は返答せず、ただまっすぐにノーブルを見つめた。

 その顔には感情がない。凪いだ水面のように、静かで――底が見えない。


「はい。とても」


 短い返答。

 それは、祈りにも、宣告にも聞こえた。

 言葉の温度が一瞬で下がり、艦橋の空気さえ凍りつく。

 ノーブルはそのまま沈黙を守った。

 そして、わずかに息を吐き、モニタへ視線を戻す。

 優の背中が去っていく。

 その小さな背中には、脆さと、恐ろしいほどの決意が共存していた。


 ――彼女は本気だ。

 ノーブルはそう感じながら、口の端にわずかな苦笑を浮かべた。

 雨の音が、また一段と強くなる。

 まるで、嵐の前触れを告げるように。



 リンが救護室のベッドに寝かされ、優が付き添いを始めたあと。ノーブルは静かに千夜を自室へ呼び出した。


 部屋は艦内の中でも特に隔離され、壁一面の鋼板が音を吸い込む。窓のないその空間に、ただモニターの淡い光が漂っている。

 机の上には一枚の作戦図と、半ば飲みかけのコーヒー。冷めきった香りが鉄の匂いと混ざり、妙に無機質な空気を作っていた。


「水無瀬、キミはその異能を“終える”とき、なにをしている?」


 唐突な問い。

 沈黙の中で発せられたその声は、まるで刃物のように鋭く、言葉そのものに重みがあった。


「……仰っている意味がよくわかりません」


 千夜は思わず背筋を伸ばし、言葉を選びながら答える。なにかの確認か、それとも尋問か。ノーブルの表情からは読み取れない。


 ノーブルは椅子にもたれかかり、脚を組む。

 その視線は一点を見据えており、千夜の返答を待つというよりは、すでに自分の中で答えを決めているようにも見えた。


「異能は大きく分けてふたつ。常時発動型と任意発動型。これは知っているな?」


「えぇ、はい。授業で……」


 ノーブルが軽く頷く。

 千夜の頭に浮かぶのは、かつての授業風景。白衣の教師が黒板に図を描き、淡々と語る声。

 “常時発動型”――優やリンのように、意思に関係なく異能が常に働く者。

 “任意発動型”――千夜のように、ある動作や意識によってのみ発動する者。


「結構。任意発動型の発動条件は、まぁ理解るな。だが“停止”はどうだ?」


「停止……ですか?」


「そうだ。これは授業ではあまり扱わん。必要性が薄いからな。だが、戦場ではそうもいかない」


 ノーブルの言葉に、千夜は息を呑んだ。

 停止――つまり、能力を“終わらせる”条件。

 言われてみれば、意識したことがなかった。


「特に、自身の異能の停止条件を熟知しておくこと。それが生死を分ける場面もある」


「……なるほど」


「例えばキミの異能は、両手を突き出すと発動するそうだな。では、その状態でどちらかの手を無理やり動かそうとしたら、どうなる?」


 ノーブルの声は淡々としているが、その内容は鋭い。

 千夜はわずかに身を引いた。


「僕の場合、発動中は……手を動かせません。両手を離したり、近づけたりもできない。力を入れても、何かに固定されているみたいで」


「ふむ。つまり、“発動中は自力で両手の位置関係を変えられない”と理解していいな」


「ええ……たぶん」


 ノーブルは軽く頷くと、今度はそのまま視線を千夜に刺すように向ける。


「では、もし発動中に――片腕を切り落とされたらどうなる?」


「……!」


 思考が凍りついた。

 口を開きかけたが、喉が固まって声が出ない。

 ノーブルの言葉は、まるで実際にその場で千夜の腕を切り落とすかのように冷酷で、現実的だった。


「試したことは……ありません」


「敵は試す。もしそれで異能が停止すれば儲けものだと考える」


 淡々とした声。だが、戦場の現実そのものだった。

 千夜の表情が、痛みに似た硬さで歪む。

 だが、ノーブルの眼差しには軽蔑も皮肉もなかった。純粋な戦術思考。冷たい正義。


「停止どころか、キミの場合は再発動すらできなくなるかもしれない。発動条件が仕草に依存している異能は、総じてそれが弱点だ。その仕草を奪えばいい」


 千夜は何も言えなかった。

 授業では決して教えてもらえない現実。

 ノーブルが語るのは“戦いの論理”であり、“生き延びるための理屈”だった。


 長い沈黙が落ちる。

 ノーブルは立ち上がり、机の上のカップを手に取った。冷めきったコーヒーを一口飲み、再び口を開く。


「さて――話を戻そう。キミの異能の停止条件だ。両手を動かせない。つまり“仕草を能動的にやめられない”のなら、どうやって異能を停止している?」


「……」


 千夜は考えた。

 無意識に、両手を前へ突き出す。

 その動きに呼応するように、空間が揺らぎ、漆黒の円盤が現れる。


 しかし次の瞬間、フッ、と、円盤は煙のように消えた。

 千夜はゆっくりと手を下ろす。


「たぶん、意思……です」


 その声は小さく、だが確信があった。

 ノーブルは腕を組み、じっと観察するように頷く。


「もういらない……そう思うと、勝手に消えます」


「発動は仕草、停止は意識――オーソドックスなタイプだな」


 ノーブルの言葉は淡々としているが、何かを測るようでもあった。

 千夜は落ち着かない。質問の意図が見えないのだ。


「あの……それが、一体?」


「じきにわかる」


 ノーブルは言葉を切り、机上の端末に視線を移した。

 そこには“夜行被繍”の識別コードが点滅している。

 次の戦いが、すぐそこにあるということを意味していた。


「時間を取らせてすまなかったな。下がっていい。疲れたろう。少し休め。追って次の指示を出す」


 千夜は黙って一礼し、部屋を出る。


 艦内の廊下に出た途端、人工照明の光が眩しく目を刺す。

 冷たい鉄の匂い。遠くから響く機関音。

 足元が、少しふらつく。

ちなみにリンは寝返りひとつで壁を破壊します。なので寮の彼女の部屋は鉄板で覆われています。近づかないよう、気を付けてください。

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