第13話 ショック・アサルト
その頃、ゴッドハックは学園上空を飛んでいた。
荒れ狂う風雨が機体を揺さぶり、座席に身を預けるたびに胃が軋む。乗り心地など、到底「空の旅」と呼べるものではない。
「まったく、こき使いおって!」
不快げに吐き捨てる声。
「申し訳ありません。もう少しで到着しますので」
操縦士は冷や汗を浮かべながらも、必死に操縦桿を握りしめている。
「キミは職務に従事しているだけだ! 安全運転で頼むぞ!」
舌打ちを交えながらも、彼の声音には奇妙な余裕があった。
電子戦という本領で敗北した彼が、なおもこの空にいる理由。それは少し前へと時を遡る。
◇
重厚な扉を閉め、自室に戻ったゴッドハックは、湯気の立つ紅茶を口に運んでいた。
芳香と共に、胸の奥から込み上げるのは敗北の苦味。
(……クビかなぁ)
己の立場を半ば自嘲する。だが次の瞬間、端末が鳴り、冷徹な声が室内を満たした。
『ゴッドハック殿。経過は聞いた。ご苦労であった』
「……はん。悪かったな司令殿。あんなバケモノが居るとは聞いてなかったぞ」
紅茶を置き、椅子に背を預けたまま吐き捨てる。
すでに開き直った態度に、遠慮はない。
『ゴッドハック殿。貴殿と交戦した仮称”亡霊”。その正体を誰と考えるか?』
「しらん」
一瞬の沈黙を挟んで、夜行被繍は名を呼ぶ。
『マクスウェル卿』
「…………早坂優とやらと考えてまず間違いなかろう」
『その根拠は』
「ない。勘だ」
短く断じる。
ただ、敵戦力の資料に記されていた「静電気体質」の文字が、嫌に脳裏に焼き付いて離れなかった。
『承知した。感謝を』
「……ふん。好きにしろ」
そこで会話が途切れる。束の間の沈黙。だが次に放たれた言葉に、ゴッドハックは耳を疑った。
『そして、貴殿にはまた前線に出てもらう』
「は? 我輩ももう幻聴が聞こえる歳か?」
『これは命令である』
静かに、しかし逃げ道を与えぬ響き。
ゴッドハックは眉をひそめつつも、観念したように返答した。
「……了解した、司令殿。して?」
『研究開発棟に向かえ』
「……まさかの現地投入。しかも研究開発棟ということは」
『“彼ら”の封印が解かれた。その制御を』
「これはまた重いな。彼らの状態は?」
『予想通りだ。予備作戦に移行する』
「了解。司令殿も大変だな」
『そうでもありませんよ。では、貴殿の活躍に期待する』
通信が途切れ、再び紅茶の香りが漂う室内に静けさが戻る。
だが、もはや彼の瞳に迷いはなかった。
「まったく、手のかかるやつらよ!」
自嘲とも喝ともつかぬ言葉を吐き、立ち上がる。
その眼差しには、敗北の陰を吹き払うような力強さが宿っていた。
◇
甲板の片隅に、怒鳴り声が響いた。
「おら、遅ぇぞ。早くしろ」
その迫力に、千夜は思わず体を縮めて返す。
「は、はい!」
隣では加賀がもたつきながら情けない声を上げた。
「これ、どうやって着るんすか?」
「あぁーウゼェ。ここに腕通せ。んでここ締めろ」
千夜と加賀は言われるままに動くが、動作はぎこちなく、まるで子供が大人の真似事をしているかのようだった。軍用の戦闘服は厚く重い。金具のひとつを締めるだけで肩や背中に負担がのしかかり、普段の制服とはまるで別物だった。
やがて千夜の口から息と共に弱音が漏れる。
「重い……」
すぐさま冷たい声が突き刺さった。
「戦闘服だけでそれかよ。無理ならここに残れ」
千夜の喉がきゅっと詰まる。それでも諦めるわけにはいかないと、唇を噛んで言葉を絞り出した。
「そういう、わけには……」
その肩を軽く叩くように、加賀が笑って声を張る。
「大丈夫っす! コイツ意外と根性あるんで!」
だが香具山は鼻を鳴らすだけだった。
「そうかよ。ほら、次はこのリュックだ」
無造作に渡されたリュックは鉄の塊のようで、千夜の小さな体を容易に押し潰そうとする。背負った瞬間、足が床に沈み込み、肩紐が骨を軋ませるように食い込んだ。肺が圧迫され、呼吸さえ苦しい。
──これじゃあ、本当に足手まといだ。
胸の奥でそんな言葉がよぎる。だが、それを悟られるわけにはいかない。彼に見捨てられたら、きっと自分たちは島で何もできない。
だから千夜は、重さに耐えながらも無理に笑みを作った。ぎこちなく口を開く。
「香具山さんは」
「香具山“隊長”」
返ってきたのは即座の訂正だった。その一言に、千夜の背筋が思わず伸びた。軍人の視線は鋭く、軽々しく触れてはならない壁を感じさせた。それでも千夜はなんとか言葉を繋げる。
「香具山隊長は、おいくつなんですか?」
「ん、22」
短い答えに、加賀がぱっと顔を明るくする。
「おぉ、俺たちとそんなに変わらないじゃないすか!」
だが、返ってきたのは冷笑だった。
「なに言ってんだ。潜ってきた修羅場の数が違ぇわガキども。生意気言うと捨てるぞ」
「捨てるって……」
加賀が情けない声を漏らす間もなく、さらに荷物が投げ渡された。
「お前、物運びでもなんでもするっつったらしいな? じゃあこれも持てるな」
「う、お、おもぉ……」
「それが誰かを救うかもしれねぇ。大事に運べ。転ぶんじゃねぇぞ」
肩にずしりと重みがのしかかり、加賀は顔をしかめる。だが、もはや形だけとはいえ戦闘員らしい姿になりつつあった。
香具山は終始不機嫌さを隠さなかったが、それでも最低限の指導だけは欠かさなかった。
「ふぅ……なんか、ちょっとだけサバゲー気分っすね!」
加賀が汗を拭いながら無理に笑ってみせる。冗談めかして空気を和らげようとしたのだろう。その調子に、千夜もつられてわずかに口元を緩めてしまった。
だが、その一瞬の緩みを切り裂くように、鋭い声が突き刺さった。
「遊びじゃねぇんだぞ。撃たれたら死ぬ。仲間を庇えば死ぬ。わかってんのか?」
冷徹な響きに、二人の背筋が反射的に伸びる。空気が一気に重くなり、冗談は許されない現実を思い知らされる。
それでも張りつめた空気に耐えかねて、加賀がしどろもどろに声を上げた。
「け、けど! 軍のみなさんが来てくれたなら、きっと大丈夫なんじゃないすか?」
その言葉を聞いた瞬間、香具山の表情に怒りが浮かんだ。加賀は気付かず、さらに口を滑らせる。
「ノーブル中佐も、なんかすごそうだし」
次の瞬間、彼の声は低く鋭く跳ねた。
「あー、上陸したらその腕、折ってもいいか?」
「え?」と間抜けな声を漏らす加賀。
「ここで折るとさすがに俺の責任になるからよ。上陸したあとならなんとでもなる」
「か、香具山さん、なにを言って……」
千夜が慌てて制止しようとするが、冷たい眼光に凍りつく。
「馴れ馴れしくすんじゃねぇ。これはマジだ」
押し殺した声に怒気が滲む。背筋に冷たいものが走り、千夜も加賀も言葉を失った。
「言っとくがな、俺は橘大尉に同感なんだよ。悪魔寄りのド素人ふたりの面倒を見ながら戦えって? たまったもんじゃねぇ」
突きつけられた現実に、返す言葉など浮かばない。二人はただ唇を噛み、重さに耐えるしかなかった。
「テメェ、俺たちが来たから大丈夫とか抜かしたな。さっきなにを聞いてた? こっちが圧倒的に不利なんだよ!」
怒声が響く。艦内の薄暗さが一層重くのしかかるようだった。
「敵は構造級率いる未知のテロリスト。まだほかに悪魔寄りがいるかもしれねぇ。島の駐在兵は恐らく全滅、少なくとも連絡は取れない。敵はそれだけの力を持ってる。セキュリティシステムが無いだけマシだが、それでも戦力的には劣ってる。そんな奴らが守る陣地に攻め入るんだぞ? わかるか?」
香具山の言葉は鋭利な刃のようだった。楽観視した加賀の軽口が、いかに場違いだったかを突きつけられる。
「そんな中俺は、ガキの子守りしながら後方だぁ? んな余裕あんのかよ、あの人の考えはわからねぇ」
鋭い視線が二人を射抜く。千夜は何も言えず、加賀も肩を震わせるだけだった。
「テメェら、頼むから俺らの邪魔だけはすんな。帰りたくなったらすぐ言え。全力で帰してやる」
重苦しい沈黙が場を支配した。背負った荷物の重みが、まるで自分たちの無力さそのもののように肩に食い込んでくる。
そうして、ふたりの準備は不安と恐怖に押し潰されながらも進んでいった。
◇
空は鉛のような厚雲に覆われていた。朝であるはずの時刻に、夜の闇がそのまま降りてきたかのような暗さが支配している。
二艘の小型艇に分乗した強襲部隊にとって、それは幸運でもあった。視界は最悪だが、敵に気付かれにくい。だが同時に、荒れ狂う風雨は皮膚を打ち、体温を奪い、兵士たちの心を揺さぶっていた。
時刻は午前六時五十七分。作戦決行まで、残り三分。
無線から低く抑えた声が響く。
『こちら強襲隊。機雷、確認できず』
艦橋に立つノーブルの瞳が鋭く細められる。濡れたガラス越しに、彼女の横顔が雷光に照らされた。
「砲術科、主砲準備」
鋭い指示が艦橋を貫く。即座に砲塔内部から無線が弾けた。
『砲塔より艦橋、了解! 第一砲、第二砲、自動装填シーケンス、起動!』
艦内を震わせるような重金属音が連続する。弾薬庫から自動揚弾装置が稼働し、ベルトコンベアのような機構が巨大な砲弾を砲尾へと送り込んでいく。
橘は無表情を崩さぬまま計器を確認する。その横顔には、張りつめた空気を飲み込むような沈黙が漂っていた。
甲板下では千夜と加賀が香具山隊に混ざり、武器と装備を整えながら待機している。息が詰まりそうな時間の中で、リュックの重みや革ベルトの締め付けすら神経をすり減らす枷のように感じられた。
艦橋の一角。優はただひとりモニターに向かい、無数の電子情報を睨みつけていた。冷たい光に照らされた頬は蒼白で、それでも瞳だけは鋭く輝きを宿している。
そのほかの人間も皆、静かに、ただ時を待っていた。誰もが声を潜め、吐息すら重い。
モニターに「装填進行」の文字が点滅し、砲塔要員が確認の声を飛ばした。
『第一砲──EMP砲弾、装填完了!』
『第二砲、同じく装填完了!』
千夜は心の底で問いかける。
いま学園はどうなっているのか。学友たちは無事なのか。リンは……敵の狙いは何なのか。
頭に浮かぶ疑問のすべてに答えはなく、闇の中に閉ざされている。
彼は大戦の時代に生まれたが、物心がついた頃には世の中はすでに平和だった。廃墟の影や戦火の跡を目にすることはあっても、それはただ遠い出来事の痕跡にすぎない。
学園での日々は、退屈ながらも穏やかで、本気の喧嘩すら思い出せないほどの過去になっていた。──戦争とは無縁の、優しい子供として育ったのだ。
だからこそ、今から始まるものは千夜にとって未知そのものだった。
「艦橋了解。安全装置解除、撃針準備」
──六百人の命運が懸かっている。
失敗は許されない。誰一人として後退も言い訳もできない。
『安全装置解除──完了!』
『撃針、起立──異常なし!』
橘が短く報告を重ね、ノーブルは一切の迷いなく頷いた。
艦橋の空気は凍りついたように静まり返り、誰もが呼吸を殺して時を待つ。
「全隊員に通達。三十秒後、作戦開始」
『全隊了解!』
艦橋の中央でノーブルは腕時計に視線を落とす。秒針が最後の刻みを終えた。
──七時。
彼女の胸に燃えるものは、決意以外になかった。
「これより──第三特区封鎖解除作戦を開始する」
声は冷徹でありながら、雷鳴にも負けぬ力強さを帯びていた。
「第一砲、第二砲、目標照準──撃て」
瞬間、砲塔内の砲手が咆哮する。
『第一砲、てぇー!』
『第二砲、てぇー!』
轟音。
大気を裂く閃光が闇を引き裂き、船体が震えるほどの衝撃が海面を叩いた。
黒雲をも貫く咆哮は、戦場の幕開けを告げる鐘の音に他ならなかった。
◇
『こ、こちらブラックハウンド! 敵襲、敵襲! 信じられねぇ、砲をぶっ放してきやがった!』
無線が悲鳴に近い報告を吐き出す。作戦室の空気は一瞬にして張り詰めた。
だが、その中心にいた夜行被繍は、ふっと口の端を上げる。滅多に見せぬ笑み。それは冷笑でも嘲笑でもなかった。
明らかな愚行、馬鹿げた選択。
だが、彼はその一撃の裏に“覚悟”を見た。
「司令、敵戦力はもう現れないはずでは? 本土の工作に失敗したのでしょうか」
近くにいた者が恐る恐る問いかける。冷静さを保とうとしていたが、声の端に不安が滲む。
「いや、そちらもうまくいっている」
即答だった。夜行被繍の声音は揺るがず、重く響く。
「では……?」
男が言葉を詰まらせる。その瞳が答えを求めるように揺れる。
「ツイていないな。たまにいるんだ、信じられん馬鹿というヤツが」
次の瞬間、夜行は表情を引き締める。軽口の余韻を断ち切り、鋭い光を瞳に宿した。
「そしてえてして———そういう輩が戦況を大きく動かす。現れるはずのなかった敵。……手強いぞ」
低い声が、嵐を裂く雷鳴のように響いた。部屋にいた誰もが、その予言めいた一言に背筋を冷たくした。




