第11話 灰色の手綱
【第11話 灰色の手綱】
「構造級接近! 構えろ!」
「またか……!」
怒号と共に、全身を削るような風雨が叩きつけてくる。リンの戦闘は散発的に続いていた。現在地は北ゲート付近。ゲート防衛隊と、追跡隊に挟まれる形に、なりふり構わず逃げの一手。これまでの間、何度敵を迎え撃っても、決定打にならない。逆に身体のあちこちに傷が増えていくばかりだ。
強さを増していく暴風雨の中で、彼女はもう三時間以上も走り続け、跳び続けていた。追撃の手をかわし続けるだけで精一杯。打開の糸口は掴めない。
リンの異能は筋肉強化に特化している。その身体能力は凄絶だが、万能ではない。肺も血管も普通のままだ。だから呼吸は荒く、胸は焼けつくように痛み、鼓動は耳の奥で爆音のように響く。持久戦は決して得意ではなかった。
さらに戦況は彼女に不利だった。荒天は視界と足場を奪い、学園の構造物は少ない上に背が高く、得意の上方向への機動を活かしきれない。建物内では持ち前の機動力を失い、罠や待ち伏せが執拗に仕掛けられる。どこにいても、眼球や口腔といった筋肉で守りきれない急所を狙う攻撃が容赦なく飛んでくる。気を抜けば命を落とす。張りつめた緊張が、容赦なく精神を摩耗させていく。
まるで狙い澄ましたかのように、敵の作戦通りに。
『倒す必要はない。しかし決して休ませるな。我々の役割は、敵性筆頭戦力である構造級を釘付けにし、他の部隊の行動を阻害させないこと。体力以上に精神を削れ。……なに、所詮ガキひとり。倒してしまっても、別に構わんがな』
作戦開始時の、リンを追う部隊長の冷酷な命令である。
「——接近戦は、無理! なにか…なにかないの!?」
荒い息を吐きながら、リンは必死に思考を巡らせる。もう余裕など残っていない。それでも足を止めれば終わりだと、本能が叫んでいる。
濡れた髪が頬に張り付き、視界が歪む。それでも諦めない。生き残るために、勝つために。
やがて、暗がりの中に体育倉庫の影を見つけた。
胸にかすかな希望が灯る。手のひらにじっとりと汗が滲むのを感じながら、リンは駆け込んだ。
「これなら……! 見てなさい、一泡吹かせてやる……!」
◇
「サーバーを破壊せよ」
低く落ち着いた声が通信回線に乗った。
その声音には怒号も焦りもなく、氷のように冷徹な響きだけが漂っている。戦況を分析し、最適解を選び取る——まるで人ではなく機械が判断しているかのような冷静さだった。
『ヴェイルスタッド、了解』
即答が返ってきた。通信が途切れると、室内は一瞬の静寂に包まれる。
その間すら無駄にしないように、夜行被繍はすぐに保留していた別回線へ切り替えた。
「失礼いたしました」
『お邪魔したかな。出直そうか』
聞こえてきたのは若い男の声。まだ二十代半ばか、それよりも若いかもしれない。柔らかな口調は、まるで親しい友人と雑談でもしているかのようだ。しかし夜行被繍は知っている。この男が——世界を揺るがす存在であることを。
「いえ、それには及びません」
『そうか。苦戦中かい?』
「思わぬ反撃を貰いました。敵方にも相当な実力者がいるようです。Dr.ゴッドハックが電子戦で敗北を喫しました」
『ゴッハさんが電子戦で……? そんなことが、起きるんだね』
その声色には驚きと興味が入り混じっていた。だがそこに動揺はなく、むしろ楽しげですらある。
「しかしサーバーを無力化すれば、その力も発揮できません。セキュリティ機器を使えなくなるのはこちらも痛手ですが、敵方に奪われるよりはましというもの」
『攻城戦は、防衛側が有利だしね。けど僕の経験上、イレギュラーは重なるもの。気を付けてほしい』
「心します」
夜行被繍の瞳は、冷たくも揺るぎない光を宿していた。命じられた任務を遂行する。それだけだ。
『"ほか"も、ぼちぼち順調だ。我々の理想のため、最後までその力を存分に振るってください』
「は。御心のままに」
『うん。ありがとう夜くん。僕も頑張るよ。ではまた』
通信が切れる。ふたたび訪れる静寂。
だが夜行被繍の思考は止まらない。次へ、さらに次へ。彼の役割は命令を滞りなく遂行し続けることにある。
「コールドクレイドル、対象の封印解除の状況を」
『コールドクレイドル。責任者の身柄を確保完了。現在封印解除に着手』
「反撃を警戒せよ」
『了解』
通信を終えると、彼はすぐに全戦力に向けて通達を飛ばす。冷たい声が空間を震わせる。
「全戦力へ通達。ショーまで残り三時間を切った。各員、自身の役割を果たせ。学園を死守しろ」
『了解』
返答の声は一斉に重なり、戦場に向けた意思をひとつにする。
夜行被繍は目を閉じた。怒りも迷いもない。ただ「次の一手」を静かに描き続けていた。
◇
状況は刻一刻と変わっていく。電子班の端末に緊張が走り、室内の空気はさらに重く沈んだ。
「サーバーからの応答は?」
副官の鋭い声が響く。規律を叩き込まれた軍人らしい調子だった。
「ありません。先ほどまでのようにゴーストが返ってくるわけでもなく、完全に沈黙しています」
電子班員が努めて冷静に報告する。敵の回線が途絶え、これで憂いなくシステムを奪還できる――誰もがそう期待した矢先、今度はサーバーそのものが沈黙した。
一瞬だけ差し込んだ光明は、たやすくかき消される。希望を抱いた分だけ、その落胆は鋭く胸を抉った。
「物理的に止めたか……? 疎通を試み続けろ」
「は」
副官が短く命じ、班員はすぐに作業へ戻る。そのやり取りを見ながら、加賀が肩をすくめた。
「せっかくのチャンスだったのにな? 惜しいぜ……」
軽口を叩く彼に、千夜が不安げな視線を送る。
「そうだね……優、どうにかならない?」
頼るような声音。けれど返ってきた答えは冷めていた。
「無理ね。あの偉そうな人が言う通り、止まってるわ。声が聞こえない」
戦闘を終え、椅子に腰掛けた優が小さく息をつく。その声は疲れていたが、諦めを含んでいて、千夜の胸に重く沈んだ。
「そっか……」
そのとき、鋭い眼差しが優を射抜いた。副官である。
「そこの端末級の少女。彼等がまだ働いているというのに休憩とは、いいご身分だな? 貴様の端末を見たが、意味のわからぬ文字列ばかり……なにをしていた? 遊んでいたのか?」
場の空気が一瞬で凍りついた。
「そんな……優はちゃんと!」
千夜が声を荒げかけたが、優はそっと彼の腕に触れ、制した。
「ごめんなさい。やはり私では力不足でした。ここからはプロであるみなさんにお任せして、私はおとなしくしていようと思います」
静かにそう告げる優。その表情は自嘲を滲ませていたが、その裏には計算された冷静さも見え隠れする。
「ふん、初めからそうしておけばよかったのだ」
副官が吐き捨てるように言うと、優は小さく笑みを浮かべ、千夜へ向き直った。
「千夜、ありがとう。ごめんね? 私は大丈夫だから」
「そう……ならいいけど……」
彼の声は弱々しかった。だが優の瞳は揺らがず、千夜を安心させるように見返していた。
その空気を断ち切るように、ノーブルが手を叩いた。
「さて、作戦会議を始めよう」
場の視線が彼女に集まる。
「あれ? 急いで上陸するんじゃ?」
加賀が首をかしげる。
「また状況が変わった。ドローンの情報からしても、即座にセキュリティが復活する可能性は低い。そうなればまた奪い合いだしな。であるならここでいったん、腰を据えて戦略を練るさ」
ノーブルの声は落ち着いていて、しかし決断力に満ちていた。
「ふぅん……?」
加賀はいまいち理解していないようだが、それ以上は言わない。
「その前に、本土からの応援は?」
優が問いかけた瞬間、通信班員の声が慌ただしく響いた。
「ベ、ベローナ中佐! 本部から通信です!」
室内の空気が再び緊張で満ちる。
「ベローナはよせ……。そんなに慌てるな。どうした」
「そ、それが、少将閣下から、中佐に回せと……」
「閣下が直々に……? 回せ」
「はっ!」
副官でさえ目を見開いた。少将が直々に名を呼ぶなど、異例中の異例だった。
「こちらノーブル。いかがしました? はぁ、ほう。……この通話、オープンにしても? ……通信班」
「了解。音声、出ます」
雑音の奥から、柔らかくも重みのある声が響いた。
『やぁやぁみんな。この悪天候の中、任務ご苦労さん』
「少将……?」
千夜が小声でつぶやく。
「とっても偉い人」
優が補足する。
「マジかよ、緊張するぜ」
加賀が肩をすくめるが、口調はいつになく硬かった。
『おや、この元気な声は、学生さんかな? 災難だったね』
「……ウス」
加賀が珍しく短く返事する。その様子にノーブルは一歩前に出て、真っ直ぐ通信へ向かって口を開いた。
「閣下。話を」
『おぉ、そうだった。では結論を。貴艦は速やかに帰港なさい』
その言葉に、空気が一変した。沈黙が室内を支配する。
「…………」
ノーブルは眉一つ動かさず、思考している。
「お、恐れながら閣下、」
副官が慌てて口を開いたが、それより早くノーブルが言葉を発した。
「了解した」
「な……司令!?」
副官の顔色が変わり、千夜と加賀も驚きの声を上げる。優だけは、静かにそのやり取りを見つめていた。
「では本艦はこれより、救助支援活動に入ります。この災害、彼等に聞くところによると、被害甚大とのことですので」
再び場が揺れる。
「どういう……」
加賀が言いかけると、優がすかさず声を重ねた。
「黙って」
短い一言に、加賀は渋々口をつぐんだ。
『ふむ。それがきみの答えと?』
「なにか問題でも?」
ノーブルは微笑を浮かべたまま応じる。その背筋は一分の隙もなく伸びていた。
沈黙が長く続いたのち、少将が静かに言った。
『問題か……いや、ないな。帰港の最中に救助活動。ありうることだ。しかし、応援は出せない。こちらもごたごたしていてね。災害救助支援任務の、全権をきみに委ねよう』
「ありがとうございます、閣下」
ノーブルの返答に、誰もが胸をなで下ろす。
『なになに。市民を守るのが我らの使命だとも。おや、大臣からご連絡だ。ではこれにて失礼するよ』
通信が切れた。直後、重い沈黙が場を覆う。誰もが自分の心音だけを聞いていた。
◇
「……ふん、仕方あるまい」
静かに端末を閉じると、ゴッドハックは軍服の襟を正した。
通信用ジャックから外した指先に、まだ微かな痺れが残っている。
「作戦失敗の責任? 構わん。どうせ理解できまい……この手の“勝利”はな」
周囲には憤りの声と、怒号。
だが誰一人として、“何が起きたのか”を正確に把握していない。
その証拠に──誰も「Eから始まる9文字」を口にしていなかった。
「見えていない。あのコードの意味も、鋭利さも。
……あれは《神域》の攻撃だ。本物の電子戦を知る者ならば、震えるはずだ。
だが、お前たちには――届かない」
部屋を出る前、最後にもう一度だけ背後のモニターを見た。
そこには、まだ文字列が残っていた。
ELIMINAT_
「……名を刻むのは、勝者の役目だ。だが、墓標を残すのは私の矜持だよ」




