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第10話 排撃-Eliminate-

【第10話 排撃-Eliminate-】

 襲撃側の電子班の一人が、卓を叩きながら叫んだ。

「た、隊長! 学園のシステムが復旧しました!」


「ええい! わかっておる!」

 椅子から勢いよく立ち上がったゴッドハックの声は、艦橋の空気を一瞬で張り詰めさせる。

「すでに再度侵攻中だ! 貴様らは援護しろ!」


「は、ハッ!」

 電子班員が慌ただしく席へ戻る。


 ゴッドハックの眉間に皺が寄る。

(ロールバックした……? 馬鹿な、バックアップは封じていたはず! この我輩が見逃したというのか……? そもそもアクセス自体、不可能なはずだ……!)


 その時、耳元の通信機が低い振動を伝えた。

『ゴッドハック殿、問題発生か?』

 夜行被繍の落ち着いた声だ。


「……ぐ…………不覚を取った。だが一度は突破した壁! 再度の掌握にかかる時間は、最初の半分……いや、五分の一だ!」


『承知した』

通信が途切れる。


「くそ……敵も出てきたか。当然だな……しかし舐めるな!」


 ゴッドハックは指先をわななかせ、唇の端を吊り上げる。


「我こそは——Dr.ゴッドハック=マクスウェル=ダーク=シグナルⅢ世! 有言実行あるのみだ!」


 こうして、電子戦の火蓋は切って落とされた。



 副官が、戦況モニターを見つめながら低く呟いた。

「……劣勢だな」

 その歯ぎしりの音が、艦橋のざわめきに混じる。


「なに、まだわからんよ、キミ」

 ノーブル中佐は、まるで揺るがぬ石像のような顔で言い切った。

「敵も必死だ。……しかし、このままでは時間の問題なのも確か。今のうちにドローンを放てるだけ放っておけ。陸戦班は準備を。——上陸するぞ」


「イエス、ベローナ!」


「ベローナはよせ……」


「な、なんの作戦もなく上陸すると言うのですか! そ、そうか……またロールバックすれば……」


「敵も馬鹿ではなかろう。次があるとは考えない方がいい」


「では、どうすると!? 島内でセキュリティを敵に回したら……!」


「そうだ」

 ノーブルは、副官をその視線で鋭く射抜く。


「システムを再度奪取されれば、もう二度と上陸できないかもしれん。この機を逃せば、な」


「ば、馬鹿な……そんな状況で……!」

副官はその狼狽を隠し切れないでいた。


「応援! 応援はどうした通信班!」

「本部への通信は続けていますが……未だろくな応答がありません。よほど混乱している様子です」


「学園が占拠されたのだぞ!? それ以上に重要なことがあるのか!?」


「落ち着きたまえよ、キミ」

 ノーブルは声を抑え、視線を僅かに逸らした。

「数刻前までは確かに最悪だった状況が、僅かとはいえ開けたのだ。……彼らのおかげでな」

 そしてその目線を、三人の学生に向ける。


「上陸ってことは、俺らも……?」

 加賀が問いかける。


「いや、さすがに待機だ。我々はまだ、キミたちの異能すらよく知らない」


 千夜は何も言わず、ただ唇を結んだ。


「司令、ようやくわかっていただけたようで」

「なに、必ず投入するさ。しばらく待っていたまえ」


「司令!?」

 副官の声が、艦橋の空気を一瞬震わせた。


 優は何も語らず、静かに瞼を閉じていた。



 人気のない教室。窓際から差し込む光が机の上を白く照らし、カーテンの影がゆらりと揺れていた。遠くでは部活動の声が響くが、この空間だけは、まるで時間が止まったかのように静まり返っている。


「千夜、この事は誰にも言わないで欲しいのだけれど」

 優の声は、いつになく低く、真剣だった。


 彼女と二人きりの教室。季節は初冬、外は雲ひとつない快晴。だが、その表情の影は、青空よりも深く見えた。


「私の異能、静電気体質、その応用。機械の電磁波を見聞きできるって話は、前にしたわね」


 千夜は小さくうなずく。彼女が時折、何もない空間を見つめる理由を知っている。機械の“声”を聞いているのだと。


「それに加えて、私は私の体から発せられる電磁波を、ある程度コントロールできる。静電気の波をね、こう、うまいことやるのよ。出力はとても弱いけどね」


 優は指先を軽くひらめかせる。わずかに髪が揺れ、そこに帯電した気配を千夜は感じ取った。


「これは言わば、機械に話しかける行為。私は機械の声を聞くだけでなく、会話ができるの」


 淡々と告げるその言葉の奥に、ほんのりと誇らしさが滲む。


「だから何? って顔ね。そう。大したことじゃない。でも、今はまだ実験段階だけど、もしかしたら私は、“演算領域に直接触れられる”かもしれない」


 そう言って、優はゆっくりと窓の外に視線を移す。光を浴びた横顔が、どこか遠くを見つめているようで、千夜は胸の奥がざわめくのを感じた。


「なんで僕にそんな大事なことを?」


「それはもちろん」

 優は視線を戻し、微笑んだ。


「千夜には私のこと、たくさん知って欲しいもの」



 雷鳴が空を裂き、窓ガラスを震わせた。

 嵐のような電子の奔流が、目に見えぬ戦場を駆け抜ける。


 互いの電子要員は、まさに死闘の最中だった。

 指先が叩き込むコマンドは、絶え間なく放たれ、時に牙を剥き、時に盾となり、時に迎撃の刃に変わる。

 一進一退——そう見えたのは束の間。

 じわじわと、ゴッドハックを擁する襲撃側がサーバーの領域を侵食していく。


「クク……クハハ! この程度か!」

 モニターに映る侵攻状況を見て、ゴッドハックは喉の奥で笑う。

「我が障壁を破ったのは、幸運か? まぐれか? どちらでも構わんっ……あのような狼藉、二度と許さぬぞ!」


 その笑みは、嵐よりも冷たく鋭い。


「侵攻は神の手に一任する。我輩は敵を直接叩く! 貴様らは引き続きシステムの奪取を進めよ!」

「ハッ!」

 電子班員たちが即座に応じ、指を走らせる。


「さて、敵の位置はすでに掴めておる……我が神の眼からは逃がれられんとも……ん?」


 次の瞬間、送り込んだコマンド群が、あっけなく霧散した。

 ゴッドハックの小手先比べを、何の抵抗もなく分解してみせる——そんな芸当、普通ならば不可能だ。


「なるほど、こちらが本命ということか? ようやく姿を現した、な……?」


 だが、そこからの展開は異常だった。

 すでに数百は放ったはずの攻撃が、一つも通らない。

 しかも分解にかかる時間が、目に見えて縮んでいく。

 今や、コマンドが彼の手を離れた瞬間には、解体されているのだ。


「なんだこの速度は……?」


 ゴッドハックの脳裏に冷や汗が滲む。

 彼の攻撃は、事前に組んだコマンドを複数のモジュールに分割・組み合わせ、多彩な挙動を生む。

 そのパターンは数億——解析して即時対処など、常識的には不可能だ。

 さらに複数のデコイを同時に放ち、敵の目を逸らしている。

 にもかかわらず、相手は一切のデコイを無視し、すべての攻撃性コマンドだけを的確に破壊している。


「この量を捌くだと……? 数百人は必要だ……こちら同様、高機能知能でも積んでいるのか? いやしかし……」


 そして、その時。

 ゴッドハックの脳裏に、ある名が閃光のように蘇った。

 半世紀前、世界のあらゆる電子網を蹂躙し、忽然と姿を消した伝説のハッカー——


「まさか……幻影ファントム……!?」



 優の異能は、静かに、しかし確実に深化していた。

 幾度もの試行錯誤の末、彼女の手のひらで発生した微弱な電磁波を増幅し、端末と双方向に伝達する装置が完成していた。

 ガントレットの内部に仕込まれたそれは、優の思考を“そのまま”インプットとして端末へと流し込む——まるで脳と機械を直結するかのように。


 その恩恵は絶大だった。

 キーボードを叩くよりも遥かに速い入力速度、モニターを見て判断するよりも遥かに早い把握力。

 優が思考した瞬間、それは即座に形となり、電子空間へと解き放たれる。


 また一つ、ゴッドハックの攻撃が弾かれた。

 優に事前の準備など、ほとんど無い。せいぜいが気まぐれで取っていたシステムのバックアップ程度だ。

 だが今の優は、その場で考え、その場で打ち込むコマンドだけで、堂々と敵を押し返していた。


 人間が理解できる形に整える必要などない。

 ただ、機械に語りかけるように——旋律を紡ぐように。

 優は電子の海で舞い続ける。

 指先も口も動かさず、思考そのものを武器として。

 その姿は、まるでコードの波間を駆ける舞姫だった。



「馬鹿な……本当に幻影だとでも言うのか?」

 ゴッドハックの声が、震えていた。

「しかしこの、一切の無駄が省かれたコード! 故に無個性……これほどまでに美しい詩を、人が紡げると言うのか……?」


 モニターに流れるそれは、装飾も、癖も、署名すらない。

 ただ、機能だけを極限まで研ぎ澄ませた純粋な構造体。

 醜く混濁した電子戦の渦中で、それだけが異様なほど清廉に輝いていた。


 喉の奥が熱くなる。

 祖父と母——二人の尊厳を、かつて無惨に踏み躙った伝説のハッカー《幻影》。

 その復讐のために電子戦場を渡り歩き、数え切れぬ勝利と敗北を積み重ねても、ついぞ辿り着けなかった宿敵。

 その存在が、今、目の前にいる。


 なのに——胸に去来したのは怒りだけではなかった。

 涙が、こぼれそうになる。

 敬意か、安堵か、それとも長年の執念が成就しかけている感覚か……自分でも判別できない。


「く……我こそは……我こそは!」

 声を張り上げ、胸の奥に渦巻く感情を力に変える。

「Dr.ゴッドハック=マクスウェル=ダーク=シグナルⅢ世! 電子世界に生きる亡霊よ! 今ここで、我が祖父と母の無念を晴らそう!」


 稲妻が、戦場を白く染め上げる。


 轟音に先駆けて、眩い光が船体を包み込んだ。


 その瞬間、ゴッドハックの脳裏を、電流のような違和感が走る。


(……また落雷か。しかし条件は同じ、こちらだけが不利ではない)


 自らに言い聞かせるように思考を巡らせる。だが、その時だった。


 正面のモニターに、突如として一文字のアルファベットが現れる。



 E



 光がまだ消えぬ——落雷の瞬間。音はまだ到達していない。数秒にも満たない静寂のなか、ゴッドハックの思考が異常な回転数で巡る。


(バカな……こんな事を考える時点で、正気を失っている。たとえヤツでも、それは不可能だ。絶対に)


 だが、画面が再び瞬いた。



 L



 思考が一つ、逸れる。


 落雷によって発生する電磁パルス。それは電子戦の根幹を蝕む脅威であり、あらゆる情報伝達を数ミリ秒の間に破壊する。


 実際、この交戦中も幾度となく雷が大気を切り裂き、そのたびに送信されたコードは断片となり、不発となってきた。雷鳴の中では攻撃も防御も成立しない。それは”自然現象による聖域”であり、誰もが等しく無力となる刹那だった。



 I



 ゴッドハックの顔が、歪む。


(ありえない……ありえるはずが、ないッ)


 理性が叫ぶ。だが直感は、別の声を囁いていた。


 四十年に及ぶ電子戦歴。戦火に塗れ、死線を幾度も潜り抜けた軍人としての本能。そしてこの戦いの中でより一層研ぎ澄まされた、言語すら追いつかぬその感覚は、時に未来を予知するに等しい。


 そして、囁くのだ——「ヤツならば、やりかねない」と。



 M



(……もしもそれが、真実であったなら)


 我々が積み上げた作戦が、根幹から崩れ落ちる。緻密に張り巡らせた網が、根元から焼き切られる。学園の奪取は、失敗する。


 否。


 焼かれる前に、“雷に共鳴する者”が、その網に指をかけたというのか?


(……それだけは阻止しなければ。今ならまだ、間に合う。回線を——)


 思考が、途切れる。


(だが、それは……自らの敗北を認めるということ)


 そうだ。所詮根拠は自分の勘、そして非常に考えづらいこの僅かな可能性のために、たとえ一時的にでもこの船が孤立することは、自身が”負けた”と宣言すると同時に、自軍を窮地に陥れる行為。とても冷静とは言えない判断。


 しかし。



 I



(あまりにも馬鹿げている……そんなこと、人間にできるはずがない。考えもしない)


 ありえない。


 ありえないはずなのだ。


 "雷鳴の瞬間"に、"壊れることで完成するコード"を、"極めて正確に送り込む"など——


(そんなことが、できるとすれば)




 N




 ……それは、人ではない。




 ◇




 轟音が空を裂いた。振動が金属を叩き、管制室を揺らす。


「今のは……近かったな」


 副官の呟きに、電子班員が慌てたように報告する。


「て、敵回線ロスト! 落雷による断線と推定されます!」


「な、なんだと! すぐにシステムを奪い返せ!」


 騒然とする管制室。その隅で、少女がゆっくりと瞼を開く。


 その目に映るのは、意味をなさぬ文字列——だが、確かに届きかけた何か。


 優は宙を仰ぎながら、小さく呟いた。


「今のを躱すだなんて……とんでもないのがいるわね。おかげで仕留め損ねたわ……はぁ」

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