第十五章 07 次世代への置き土産(後編)
掟の剣がなくとも、あきらめるわけにはいかない。
セレーネはなおも女神シンシアに追い縋った。
(何か方法はないの⁉ とりあえず、この場を納められるならなんでもいいわ!)
『……、体内で力を分割する方法ならあります。ただし、完全な切り離しではないので、時間をかけてどちらかに吸収されるでしょう。おそらくは赤子のほうへ』
(――あ、あかご? 待って、なんの話?)
『母と子で分ければ、一時的に力は弱まります』
(ははと、こ…………、はあぁぁぁ⁉)
つまりロザリンは妊娠しているということだ。アーサーならさもありなん。
セレーネは考えることを放棄した。
(……いいわ、方法を教えて)
『この方法は掟の女神の領分ですが、今は運命の女神が兼任しております。私が橋渡しを致しましょう』
次いで聞こえてきたのはシンシアよりも少し低く、飄々とした女神の声。
『一時的に掟の書をひらく権限を、汝に与えよう。呪文は――』
頭の中で呪文を復唱する。そうこうしているうちにエロイーズが動いた。口なおしとばかりにアーサーの顔を引き寄せる。
――そうはさせるものか。
「殿下! ロザリン様を拘束して!」
鼻の下を伸ばしていたアーサーはハッとして、エロイーズの両腕をつかむ。
セレーネは黒ずくめの男に振り返った。彼は闇魔法をセレーネやカルロに教えてくれた師匠だ。
「師匠! 呪文を唱える時間をください!」
黒ずくめの男が頷き、アーサーはたじろぐ。
「セレーネ、何をするつもりだ⁉」
「ロザリン様は傷つけませんわ」
「……、わかった」
必死に抵抗しても男の力には敵わないし、背の高いアーサーの唇には届かない。
そんなことはエロイーズが一番よくわかっている。こういうときは頭を使うのだ。
「あっ、い……痛い! アーサー様ぁ」
「っ、ロザリン⁉」
ニヤリと笑ったエロイーズは、まんまとアーサーの手から抜け出した。突き飛ばされたアーサーが尻餅をつき、すぐにレオネルが引きずって距離を取る。すかさず公爵や令息たちが防御結界を張った。
結界に閉じ込められたエロイーズは、唇を弾いてハート型の熱光線をふりまく。こうなると持久力勝負だ。
セレーネは深呼吸をひとつして、片膝をついたまま胸の前で手を組んだ。
「我は掟に従う者なり。授かりし権限を以て、神の御業を希う――」
セレーネの頭上に、鎖で封印された銀の書があらわれ、紐解かれていく。
「これは……、掟の書⁉ どうして人間ごときが⁉」
「掟の書、第九十九条に基づき――」
「なっ⁉ その呪文は……冗談でしょう⁉ させないわ!!」
顔色を変えたエロイーズが、セレーネに向けていっそう熱を強める。一点集中された熱光線がぐずぐずと結界に穴をあけていく。
セレーネを守るように皆で結界を維持するが、見習いでも女神の力は強かった。ほとばしる熱に頬がヒリつく。
「落魄の青い果実を、血の器に分け与えん――」
エロイーズは狂気の色を浮かべてコーラルピンクの熱を放つ。
死に物狂いの攻撃が結界を蝕む。その熱だけでセレーネの顔が苦しげに歪んだ。もはや熱気で息が吸えない。あと少しなのに、口をひらけば喉が焼け爛れそうだ。
「皆しっかりせい!! ――影の者たちよ、集え!」
黒ずくめの男から檄が飛び、影の中から闇魔法の使い手たちがあらわれた。
その中にはカルロの姿もあり、小さな手をかざして熱に耐える。
持ちなおしたセレーネは、やっとのことで最後の呪文を唱えた。
「――スプリット!!」
掟の書から放たれた光がエロイーズを包む。
「いやあぁぁぁぁ――!!」
まるで断末魔のような叫び声をあげて意識を失い、ロザリンの体が倒れていく。
「誰か! 受け止めて!!」
セレーネだけでなく、ほとんどの者が魔力を消費して動けない。結界が解かれてすぐレオネルや辺境伯が飛び込んだが、ロザリンを腕に抱いたのはアーサーだった。
セレーネはホッと息を吐き出す。エロイーズのことは許せないけれど、お腹の子が流れでもしたら自分まで許せなくなる。
気を失ったロザリンを揺さぶりながら、アーサーはセレーネに向かって声を荒げた。
「ロザリンに何をしたのだ⁉」
「……エロイーズの力を体内で分割して、ふたつの受け皿へ流し入れました」
「ふたつだと?」
「ひとつはロザリン様、もうひとつは……」
言いながらセレーネは、はたと気づく。まわりには大人たちだけではく、まだ成人していない子どもがふたりもいる。ひとりはカルロで、もうひとりはアークトゥルス家の嫡男ダリルだ。それに闇使いの宮廷魔導師たちもいる。簡単に口にしていいものか。
迷っているうちに、大人たちは見当がついたようで、黒ずくめの男は魔術師たちを解散させ、カルロに用事を申しつける。公爵たちもそれぞれの息子を部屋の外へ追い出した。
オスカーがコーネリアスを外へやることはなかった。次期国王になるのだ。どんなことも受け止めなければならない。オスカーが続きを促す。
「かまわない。続けてくれ」
「はい。もうひとつは……、お腹の子に」
大人たちはあきれ果て、ひとりおどろいたコーネリアスがアーサーに詰め寄る。
「兄上⁉ 未婚の女性になんてことを……」
「あ、いや……その、違うんだ」
「何がですか? 見損ないました!」
「うっ……」
アーサーは意外と弟に弱い。ロザリンを抱いてしょんぼりとうなだれてしまった。沈黙が部屋の空気を重くしていく。居たたまれなさにセレーネは、わざと明るく言い放った。
「で、でもまぁ、これでエロイーズの力は半減しましたし、ロザリン様が力を失うこともなく、丸く収まったかと……」
反応を探るように周囲を窺えば、オスカーと目が合い、首肯が返ってきた。
「ああ、セレーネ嬢には本当に世話になった。この件についてはまた別途褒章を考えよう。魔獣討伐の活躍も耳にしている。希望があれば聞こう」
「ならばカペラ侯爵令嬢アイリス様に、何者にも制約されない魔道具師の立場を確約していただきたいですわ」
そしてセレーネは彼女のマネージャーとして稼ぐのだ。お人好しのアイリスひとりでは、いつか破産してしまう。セレーネが窓口に立てば問題解決だ。
予想外の提案にオスカーは首をひねる。
「もちろん、アイリス嬢の魔道具で助かった分は彼女に褒章を与えよう。セレーネ嬢の望みはないのかい?」
「わたくしは……、レオネル様との婚約を認めていただければ」
「ああ……、それもあったね。もちろんだ」
ドッと疲れたようにオスカーは肩を落とす。身内の尻拭いも大変だ。
「ワシからも礼を言いたい」
黒ずくめの男がフードを下ろした。白くなった髪のところどころに輝く金髪が見える。青い瞳には金の筋が走る、王族特有の“星の瞳”があらわれた。
「「ヴィクター王……」」
最敬礼を取ろうとする公爵たちを、片手で制した。
「もう死んだ身だ。必要ない」
「父上……、こんな方法しか思いつかず、申し訳ございません」
オスカーは、父ヴィクターに毒が盛られたことを治癒師ジョナサンから聞きつけ、遺言状による政権交代に踏み切った。おもて向きの死ではあるが、父親を亡き者にしたのだ。
オスカーから『父を殺した』と聞かされたとき、セレーネは混乱した。師匠は生きているのに何を言っているのだと。物証を押さえたあとで種明かしをされ、そういうことかと納得した。
遺言状の有効性を保つためにも、ヴィクターはこれから先、陰に隠れて暮らさなければならない。
オスカーは申し訳なさそうに俯いたが、ヴィクターは豪快に笑い飛ばした。
「ダーッハッハッハ! 皆を納得させるおもしろい策であった。ジョナサンには悪いことをしたがな……。そのネックレスから聞いておるか?」
セレーネは祖母から借りたネックレスに手をあて、いたずらっぽく笑った。
「いえ、魔力を流していないので。通信しましょうか?」
「よいよい。あやつには今度、酒でも持っていく」
祖母のネックレスは祖父のカフスボタンと対になっており、魔力を流すことで会話ができる。
王妃のお茶会に呼ばれて脅されたときから、会話は祖父とヴィクターに筒抜けだった。その内容はオスカーや公爵たちに共有され、オスカーが主体となって兄王を引きずり下ろしたのだ。
ちなみに五年前、王都へヴィクターを呼び戻したのもオスカーだった。
「セレーネ、レオネル」
ヴィクターに名を呼ばれてふたりが進み出る。レオネルが膝を折るのに合わせてセレーネも腰を落とした。けれど「人の話を聞いていたのか?」とヴィクターは片眉を上げ、ふたりを立たせた。片方ずつ手を取って重ね合わせる。
「息子夫婦がすまないことをした。これからは、幸せな人生を歩んでほしい」
「「はい」」
頷いて影に消えようとするヴィクターを、セレーネが引き止めた。
「あの、師匠! カルロはどうなりますの?」
「もうしばらくはワシが預かる。しかるべき時が来たら、父親に託そう」
「父親がどなたか、ご存じだったのですね」
「影の中ではすべてが筒抜けよ。ダーッハッハッハ!」
それは王族たちにとって笑い事ではない気がする。コーネリアスなど、青ざめているではないか。
ひとしきり笑ったヴィクターは、ふと真顔に戻って顎をさすった。
「アーサーよ、お腹の子はそなたの子ではなかろう。どうするつもりだ?」
誰もがおどろき振り返ったが、アーサーに動揺は見られない。凛とした表情で躊躇なく言い切った。
「いいえ、私の子です!」
「そなたがその娘を大切にしていたことは知っておる。本当によいのか?」
「ロザリンの子どもは私の子どもです」
アーサーは揺るがなかった。とうに決心はついていたのだろう。少し羨ましいなと思ってしまった。
隣に立つレオネルを見上げるよりも早く、ギュッと手を握られた。気持ちを見透かされた気がして、おそるおそる視線を上げる。その顔には一点の曇りもなく、熱を帯びた瞳がセレーネを映していた。
(わたくしったら……バカね)
レオネルから注がれる愛情は疑うべくもない。負けじとその手を強く握り返した。
「ならばよい。ワシはただの魔術師として陰から王家を見守っていこう」
ヴィクターは鷹揚に頷いて影へ消えて行き、あとに残された者たちは気まずげに視線を落とす。そんななか、コーネリアスがアーサーにおずおずと歩み寄った。
「兄上……、先ほどは『見損なった』などと言って、申し訳ありませんでした」
「気にするな。対外的にはそれで通すつもりだしな。皆もそうしてくれ」
「「仰せのままに」」




