第十五章 06 次世代への置き土産(前編)
すべての話し合いが終わり、「解散しようか」とオスカーが立ち上がったとき、部屋のドアが乱暴にひらかれた。外には近衛が立っていたはずだ。無礼が許される王族は皆ここにいる。
皆の目にコーラルピンクの髪が踊った。アーサーを見つけてロザリンが走り寄る。
「アーサー、話し合いはどうなったの? お城もらえた?」
その言葉遣いに身を固くしたのはセレーネだけではない。ロザリンがどういう令嬢か知っている者たちは皆、距離を取って身構えた。礼儀が抜けているロザリンではあるが、相手を敬う気持ちは持ち合わせている。このように不躾な言葉遣いはしない。
アーサーはうんざりした顔でロザリンの肩をつかんだ。
「また女神か、ロザリンはどうした?」
「お腹いっぱいにしてやったら寝たわよ」
どうやら意識が薄れたときを狙って交代したようだ。アーサーに御せるのだろうか。皆が不安そうに見守るなか、アーサーは譲り受けた領地について言って聞かせる。
「屋敷はあるが城はない。枯れた北の大地と飢えた領民たちがいる場所を、ロザリンと一緒に立てなおしていくのだ。もちろん女神にも働いてもらうぞ」
「ええっ⁉ アンタ王子でしょう⁉ なんでそんな話になってるわけ⁉」
「私はもう王子ではない。一臣下として国に仕える身だ」
堂々と言いきったアーサーの顔は男気にあふれていた。もしかしたら、王となることに過度なプレッシャーがあったのかもしれない。
「冗談でしょう⁉ そんなのロザリンが嫌がるわ!」
「いいや、ロザリンはどんな場所へもついていくと言ってくれた」
ロザリンは平民であった期間のほうが長く、その根っこは意外とたくましい。どこへ行っても楽しくやるだろう。
ギュッと唇を噛んだエロイーズだったが、何を思ったのかニヤリと片口を上げた。唇に手をあて、投げキッスを飛ばす。ハート型の輪っかが放たれて、アーサーとその後ろにいたオスカーやコーネリアスを包んだ。
女神シンシア曰く、エロイーズの能力は『陶酔』。酒に酔ったかのような症状とともに、心を奪われてうっとりとする。この状態でお願いをされると、ほとんどの男性は断れない。そうやってこの部屋にも入ったのだろう。
「さぁ、アタシのお願いを聞きなさい! この王宮は今からアタシのもの。いいわね?」
エロイーズを見つめ、ぼんやりとするアーサーたちにセレーネは戸惑った。
おかしい。だって彼らは――
「おどろいたな……」
つぶやいたのはオスカーだった。
直後、底冷えするような目でエロイーズを見下ろす。
「こんな卑しい者が女神だなんて……、信仰が薄れそうだよ」
「なんですって⁉」
「叔父上、エロイーズは神器を持たない下級女神だそうですよ? しかも見習いだと、アイリス嬢から聞きました」
コーネリアスの言葉に「そうか」と頷くも、オスカーは思案顔だ。
アーサーは頭痛をこらえるように眉間を揉んだ。
「叔父上、決してこの者はロザリンではありませんから。それだけはお間違いなく」
「なんで⁉ どうしてアタシの力が効かないの⁉」
――よかった。セレーネは胸をなで下ろす。
この部屋にいる全員には行き渡っていないが、王族には真っ先にアイリスの魔道具を渡しておいた。アイリスは虹の女神からエロイーズの情報をもらい、陶酔の力を弾く魔道具を完成させたのだ。
(やはりアイリス様はすごいわ。魔道具師の道を閉ざしてはだめね)
エロイーズがわなわなと震えている。雲行きが怪しくなってきた。セレーネは静かに黒扇子を取り出す。
この部屋に武器の持ち込みは許されていない。部屋に入る前に預けておくものだ。扇子は女性の身だしなみだからとセレーネは持ち込んでいるが、魔杖代わりだと皆わかっていてなお、咎めない。
つまり何かあればセレーネが動くしかないわけだが、王族を守るにはあまりに立ち位置が悪い。ジリジリと後ろからエロイーズに近づく。しかし、エロイーズは待ってはくれなかった。
「アタシの言うことを聞けない人間は、必要ないわ!」
エロイーズの手が唇に向かうのを見て、とっさに願った。
(シンシア! わたくしをエロイーズの前へ!)
転移したセレーネはその手をつかみ上げ、周囲に小さな結界を張る。これで皆から隔離された。だがそれは、セレーネの逃げ場がないことを意味する。
もう片方の手も封じるため、黒扇子を投げ出して腕をつかんだ。シンシアから聞いた話では、唇を弾くことで力を開放しているらしい。手を封じてしまえば、力のコントロールを失うはず。
「セレーネ、無茶だ!! 結界を解いてくれ!」
結界の向こう側でレオネルが悲愴な顔をしている。その顔は今にも泣き出しそうで、まるでセレーネの死を予感しているようだった。
「大丈夫よ、レオ。わたくしは死んだりしないわ」
ほとんど自分に言い聞かせている。なにせ無策で飛び込んだものだから、このあとどうするべきか、今から考えるしかない。
腕を取り返そうとするエロイーズと組み合う。まったく鍛えていないロザリンの体にセレーネが負けるはずもない。
「エロイーズ、あなたロザリン様に恩があるでしょう?」
「恩ですって?」
「消えそうになっていたあなたを、ロザリン様が受け入れてくれたのよ」
「女神を受け入れるなんて光栄なことよ。頼まれたから入ってやったんじゃない!」
腕に噛みつかれそうになって、できるだけ遠くへ離す。両腕を広げるような格好になり、力が入りづらい。セレーネの腕も限界に近づいてきた。
「陛下、お願いがあります!」
「――なんだ⁉」
皆にも聞こえるよう、叫んだ。
「全員退避してください!! もう、持ちそうにありませんわ!」
ひとりのほうが気にせず戦える。だからお願い、逃げてほしい。女神に対抗できるのは聖女くらいのものだ。
足手まといだというのは、皆もわかっている。けれど残念なことに、ここにいるのは “逃げる”ことを良しとしない者たちばかりだった。誰ひとり動こうとはしない。
セレーネの言葉に焦ったのはエロイーズのほうだ。
「くっ、逃がさないわよ! まとめて始末しなきゃ面倒じゃない!」
セレーネの顔から表情が抜け落ちる。
「……あなた、本当に女神を目指していたの? 悪魔ではなくて?」
「ふんっ、悪魔すらアタシに陶酔するわ!」
「ここにいる誰も、あなたに陶酔していないのに?」
「うるさい! こうなったら仕方がないわ」
エロイーズがセレーネの体を引き寄せる。
何を思ったのか、その唇に――吸いついた。
「んっ――⁉」
仰天したのはセレーネだけではない。誰もが驚愕に目を見ひらき、頬を染めた。神官長がすばやく息子の目を覆う。
セレーネの頭の中にエロイーズの声が響いた。
『さぁ、アタシに陶酔しなさい!』
まさかとセレーネは逡巡する。シンシアはなんと言っていただろうか。唇と重ねるのは、手じゃなくてもいいような口ぶりではなかったか。
唇は何度も吸われては弾かれ、そのたびにエロイーズの力が流れ込んでくる。
――ああ、この唇は凶悪だ。
普段お酒など飲まないが、弱いほうではなかったと思う。それなのに酔いを錯覚して体が熱を持ち、思考が奪われていく。
「セレーネ!!」
レオネルの声が遠くに聞こえて我に返った。
緩みかけた手に力を入れなおす。結界も維持しなければ……、なのにまた頭がぼんやりとして、何もかも差し出してしまいたくなる。
セレーネの張った結界に綻びが生じた――次の瞬間、
「全員、武器を取れ!!」
皆の足もとから剣や杖が飛び出した。それは部屋に入る前に預けた各々の武器だ。オスカーの影から黒ずくめの男があらわれ、しわがれた声を響かせる。
「今からセレーネの結界を破る。攻撃に備えよ!」
「「――はっ!」」
大人たちは慌てることなく、武器を手にして身構える。息子たちは怪しげな人物に戸惑いながらも、大人たちに倣い武器を握った。
「ゆくぞ」と声をかけ、黒ずくめの男が闇をまとわせた杖でセレーネの結界を打ち破った。閃光のようにレオネルが駆け抜け、セレーネの体を引き離す。無防備な的となったエロイーズに武器が向けられる。攻撃が放たれるよりも早く、アーサーが立ちはだかった。
「待ってくれ! これはロザリンの体なんだ。傷つけないでくれ!」
その後ろでほくそ笑んだのはエロイーズだ。これ見よがしにアーサーの腕へまとわりついた。
レオネルに抱きしめられ、セレーネは正気に戻った。とはいえ体に力が入らない。まだ酔った感覚が続いている。膝をついたまま女神シンシアに話しかける。
(シンシア! どうすればロザリン様とエロイーズを切り離せるの⁉)
セレーネの頭に、思案するようなシンシアの声が響く。
『ひとたび器を得た魂を取り出すには、本人が作った神器が必要です。しかし、エロイーズは神器を作っていません』
(ユスティアの剣でロマティカを切ったでしょう?)
『あれは、掟の女神だけが作り出せる特別な剣なのです。あの剣以外に女神を裁くものは存在しません』
その剣はどこかへ飛んでいってしまった。掟の女神は不在。打つ手なしか。




