第十四章 03 王妃の嫌がらせ
文句を言ってもはじまらない。手早く仕分けをして、魔獣の被害報告書から取りかかった。部屋の隅ではエミリーがジッとこちらを見ている。手伝わないなら出て行ってほしい。そういえば、アーサーの側近であるダルシャンはまだ謹慎中なのだろうか。
「ねぇ、ダルシャン様はいらっしゃらないの? 殿下の側近でしょう?」
「ダルシャン様は首にされました」
「そう首に……、はあぁ⁉ なんでそんなことに?」
「痴情のもつれです」
ああ、ロザリン絡みか、とセレーネは遠くに目をやる。それが理由で領地へ追いやられたのなら、もう戻っては来ないだろう。
「せめて仕分けを手伝ってくれる人はいないのかしら?」
エミリーに向かって話したのに、まったく反応が返ってこない。何もエミリーに手伝えと言っているわけではない。誰かを寄こしてほしいだけだ。それすら望めないのか。まぁ機密書類もあるし、誰にでも頼めることではないのは確かだ。
「仕方がないわね」
メモ用紙に二行ほど書き殴り、立ち上がって窓をあける。風魔法で変書鳩を飛ばしたあとになって、エミリーがうろたえた。
「誰に、何を送ったのですか⁉」
「仕事ができる人に声をかけただけよ」
「いったい誰に?」
「そのうちわかるわ」
エミリーは悔しげに口もとを歪ませ、「王妃陛下に報告しますから!」と言って出て行った。王妃はセレーネに「ひとりでやれ」とは言わなかった。何も問題はないはずだ。
魔獣討伐の依頼を、王国騎士団と万屋ギルドに振り分けて箱に入れる。ギルドの依頼をこなした経験からこれくらいの采配はできるが、問題は工事などの決裁だ。慎重に選ばなければ予算がすぐに底をつく。
「あら……、予算これだけ? そんなわけないわよね?」
公共事業の予算がかなり低い。近年には災害もなかったし、国税は通常どおりのはずだ。棚から過去の予算編成簿を引っ張り出す。昨年と比べて公共事業の予算額が半分になっており、地方援助費が増額されていた。
「この配分はおかしいでしょう。しかも西方面ばかりが整備されてない?」
お金の流れを追っていくと、ほとんどがプロキオン領にたどり着く。十五年前に亡くなったプロキオン公爵を最後に、国へ返還された領地だ。しかも整備を請け負っているのがベガ公爵家となれば、きな臭いことこの上ない。
(でも、手間がはぶけたわ)
お金の流れが見えてきた。これなら財務部に忍び込まなくてもいい。
過去へ遡って調べては「おかしい」とこぼし、眉間を揉みながら唸っているとドアがノックされた。書類に目を落としたまま入室を許可する。数人の足音が近づいて来た。
聞き慣れた声に「姉上」と呼ばれて顔を上げる。セレーネの弟クリスティンと、手紙を出した相手コーネリアス、もうひとりはたしか、ハダル侯爵家の令息だ。
「クリス? どうして……」
「コーネリアス殿下と一緒にいたときに、変書鳩が飛んできたんだ」
「だからって王宮に来るなんて」
この魔宮にクリスティンまで囚われやしないかと、セレーネは不安になった。
「父上が、よく勉強してこいってさ」
「そう……、お父様が」
それならば帰れとも言えない。父の跡を継いで外交を担うのだから、国内事情も勉強しておくべきだろう。
セレーネは遅ればせながらコーネリアスに礼をとる。
「殿下、お呼び立てしてしまい、申し訳ございません」
「顔を上げてくれ。兄の仕事を押しつけられたんだろう? 本来はぼくがやるべき仕事だ」
「恐縮に存じます」
コーネリアスがハダル侯爵令息を手招きした。
「彼はクラスメイトのアルベルト。勉強ができるだけでなく頭の切れる男でね。ぼくの側近にスカウトしたんだ」
「そうでしたか。よろしくお願いいたしますわ、アルベルト様」
「お目にかかれて光栄です。シリウス公爵令嬢様」
アルベルトは優雅に腰を折る。見るからに利発そうな令息だ。全員セレーネより二歳下というのが経験値的に少し心許ないが、セレーネひとりで悩むよりはいいだろう。ソファに場所を移して書類を広げた。
「さっそくよろしいかしら? 公共事業の決裁の是非を」
「ああ、これは悩ましいね」
顎に手をあてたコーネリアスの横から、アルベルトが別の書類を差し入れる。
「殿下、こちらの水路を整備すれば、南の道路は後まわしにしても物流は滞りません」
「しかし、北東方面の道路整備は急務だ。となると、水路の予算はこの半分しか出せないよ?」
国と共同で水路を整備したいと申し出ている領地を、クリスティンがすばやく地図で確認する。
「王都とつながるこの川……ミラク領とベラトリクス領を隔てているんですね。申請者はミラク子爵ですが、ベラトリクス伯爵にも声をかけてみては?」
「そうだね。どちらにも恩恵があるし、ベラトリクス領は急速に発展しているようだから。――どうだろう? セレーネ嬢」
「そう……ですわね。いい考えだと思いますわ」
歯切れの悪さに、コーネリアスが片眉を上げる。
「本当にそう思ってる?」
「ええ、名案ですわ。ラルフ様もきっと、賛成なさると思います」
問題はベラトリクス伯爵ラルフが、ロザリンとアーサーを連れて雲隠れしていることだ。ふたりがずっと見つからなければ、協力者の存在にたどり着く。ラルフが捕まったらこの名案も頓挫してしまう。それを正直に話すわけにもいかない。
セレーネの心の内など知らないまま、コーネリアスはさらに繊細な問題に触れた。
「ところで、兄上はどちらに?」
それは聞かないでほしかった。今ここで答えるには勇気がいる。コーネリアスに伝えるだけならいい。クリスティンも口は固いほうだ。しかし、アルベルトがどんな人物かセレーネにはわからない。さすがの鑑定眼も口の固さまでは教えてくれない。
側近として迎えるくらいだから、コーネリアスにとっては信頼できる人物だろう。それでも、『一国の王太子が駆け落ちした』なんて国を揺るがす醜聞を、セレーネの口からは告げたくない。
「それは……」
いつもは察しのよいコーネリアスが、逃がさないとばかりにジッと見つめてくる。セレーネがたじろいだときだった。ノックの音もなく乱暴にドアがひらかれた。
反射的に皆が立ち上がる。ドアの外には近衛が立っている。それを無視して、王太子の執務室をあけられる人物など限られている。
あらわれた御仁に、セレーネたちは素早く最敬礼をとった。
「……国王陛下」
固い声で迎えたコーネリアスを、国王は冷たく見下ろす。
「コーネリアス、ここで何をしている」
問うでもない、押さえつけるかのような声が体にのしかかる。
「……王太子の仕事を手伝っておりました。セレーネ嬢だけでは大変でしょうから」
「必要ない」
セレーネは唇を噛んだ。必要だから呼んだというのに。ドアのそばではエミリーが勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
不機嫌そうな声音を隠しもしない国王を前にして、この場で発言できるのは息子のコーネリアスだけ。当事者のセレーネですら口を挟めない。
「ですが陛下、兄を助けるのは弟の務め。少しだけでも――」
「お前、社交界でずいぶん持て囃されているようだな」
「そのようなことは」
「いい気になるなよ。誰がなんと言おうとも、王位はアーサーに継がせる」
その声はコーネリアスだけに向けられたものではない。コーネリアスに従う者全員に刻みつけるように発せられた。
重圧と呼ぶにふさわしい空気に飲まれ、アルベルトやクリスティンの膝が笑っている。セレーネとて重石を背負わされた気分だ。
「……もちろん、心得ております」
「ならば、お前は第二騎士団を率いて魔獣討伐に向かえ」
国王は執務机から、王国騎士団への依頼書が入った箱を手に取り、コーネリアスの腹に押し当てた。
「よいか、お前は言われたことだけをこなせ」
「……承知、いたしました」
箱を受け取ってコーネリアスは頭を垂れる。国王が退出したあとも静まり返った部屋に、エミリーの声が響いた。
「コーネリアス殿下、お供を連れてご退出を」
「……そうだな。セレーネ嬢、ギルドへの依頼書もついでに届けよう。国政に携わらなければ問題あるまい」
「恐縮ですわ、殿下」
依頼書が入った箱を受け取り、コーネリアスは眉尻を下げた。
「力になれなくてすまない」
「とんでもございません。先ほどの考察だけでも勉強になりましたわ。皆様、ありがとうございます」
微笑んで送り出したセレーネは、ドアが閉まった途端、無表情に戻る。ひとりにしてくれればいいものを、エミリーがまた監視についたのだ。しかも先ほどからニヤニヤと薄気味の悪い笑みを浮かべている。王妃の意図がようやくわかった。
(わたくしに王太子の仕事をさせたいのではなく、ただ困らせたかったのね)
これはお仕置きなのだ。だからといって、国王を使ってまでセレーネを孤立させようとするなんて。父親からずっと認められずに育ったコーネリアスにはつらかっただろう。
(腹立たしい。……でも、光明が見えてきたわ)




