第十三章 04 王妃はさらに先手を打つ
先代国王の葬儀が終わった数日後――
セレーネが客室から王太子妃の部屋に移されたことを、レオネルは第二王子コーネリアスから聞かされた。
「くそっ!! やられた!」
「レオ、落ち着け! 王太子の寝室につながるドアは施錠されている。セレーネ嬢は無事だ」
ラルフに窘められ、レオネルは苛立たしげにソファへ腰かける。ここは王都にあるカストル伯爵のタウンハウスだ。
「セレーネが卒業するまでは、時間があると思っていたのに……」
頭を掻きむしるレオネルの向かいから、ため息交じりの声が落ちる。
「これはぼくへの脅しだろうね。これ以上動けば、セレーネ嬢と兄上をすぐにでも結婚させる気だ。お祖父様が身罷られたことで、母上のタガが外れたんだろう」
コーネリアスが意欲的に動き始めたことは、王妃に筒抜けだった。成人の儀を終えたのをいいことに、有力貴族の夜会へ参加し、ご婦人たちの集まるお茶会にも顔を出していた。
コーネリアスの人柄は多くの貴族を惹きつけた。これにより、王太子と比較するような話題がいろんなサロンで飛び交ったのだ。
当然、王妃は手を打ってくるだろうと思っていたが、コーネリアスを飛び越してセレーネにいくとは……、王妃を甘く見ていた。
「すまない。ぼくの失態だ」
「いえ、殿下は必要なことをなさっただけです」
レオネルは額に滲んだ汗を片手で拭う。セレーネのことも気になるが、先代シリウス公爵の安全を確保しなければ、セレーネは動けない。
「セレーネのお祖父様は無事でしょうか?」
「貴族用の牢だし、食事もちゃんと与えられているよ。問題は、先代シリウス公が毒を盛ったという噂が、なぜか王宮の外にまで流れていることだね」
王宮から情報が入るよりも前に、コーネリアスは有力貴族から話を聞かされておどろいた。王妃に動きを悟らせないため、学園寮を拠点に動いていたのが裏目に出てしまった。
「すぐに王宮内に連絡役を置いたけど。人質を取られたのはまずかったね」
頷いたレオネルは、己の力不足を思い知って拳を握る。口をついて出てくるのは認めたくない現実だけだ。
「これでシリウス家は動けない。その庇護を受けている貴族たちも。こちらに傾いていた貴族も離れていく」
「いきなり劣勢になってしまったね。やはり母上は手強いよ」
静まり返った応接室に、ノック音が響く。コーネリアスの後ろに控えていた護衛のカイトが身構えるも、入って来たのは執事のジェームスだった。レグルス家の執事だが、カストル領を立てなおすまではレオネルの元で働いている。
「坊……ゴホン、旦那様。王宮からの使者がこれを」
「王宮? ……これは、茶会だと?」
「すぐにお返事を。使者がお待ちです」
渡された手紙は王妃からで、お茶会の招待状だった。
向かいから手を伸ばしたコーネリアスに手紙を渡すと、日時を確かめて思案顔になった。
「同じ日に、王宮へ呼ばれている令嬢がひとりいたな」
「ハァ、見合いさせる気か」
「レオネル、母上を甘く見ないほうがいい。見合いですむとは思えないよ」
「……、ひとまずは茶会に参加して、ついでにセレーネの様子を窺ってきます」
「そうか。もしセレーネ嬢に会えたら伝えてほしいことがあるんだが……、レオネルが正気でいられるとも思えないな。ラルフ、当日は見張っていてくれ」
「承知しました」
セレーネを前にして正気でいられるかどうか。それについてはレオネルも自信がない。コーネリアスの忠告を甘んじて受け入れた。
王宮の使者へは『出席』の返事を持たせたが、さも当然だという顔をして帰って行った。
それから二日後。お茶会に指定された王宮の中庭では、ピンクの薔薇に囲まれたテラスに、同じくピンク色のフリルがたくさんついたテーブルがセットされていた。少し離れた場所にある白いテーブルはサーブ用だろうか。椅子まである。
見覚えのあるセッティングが、レオネルの脳裏をかすめる。その昔、参加したお茶会で、レオネルは令嬢を突き飛ばしてしまった。
あれはたしかベガ公爵家のお茶会だったか――
「――まぁ、そのようなところに突っ立ってないで、お掛けなさい」
後ろからかけられた声に身が強ばる。だが思い出せ。屠ってきた数々の魔獣を。こんなもの、エクリプスほどではない。
貴公子の微笑みを浮かべて振り返り、うやうやしく礼をとる。
「王妃陛下。本日はお招きいただき、光栄の極みに存じます」
「なるほど、たくさんの浮名を流しただけあるわ。『紅茶の騎士』だったかしら?」
舐めるような視線を送られるのには慣れている。絡みつき、値踏みするような王妃の瞳は、不義の子を産んだという噂に真実味を持たせた。そんな考えはおくびにも出さず、さわやかな笑みを浮かべて、王妃のために椅子を引く。
椅子は三つ用意してある。もうひとり来るのだろう。
後ろから衣擦れとともに足音が聞こえてきた。
「王妃陛下、お呼びでしょうか?」
その声に、まさかとレオネルは振り返る。あまりのことに震えて声が出ない。
「……カストル伯爵、お久しゅうございます」
無表情で抑揚のない声。精巧な人形のように美しいその人は、笑えば心が締めつけられるほど魅力的なのを知っている。愛しい人を前にして、今度こそレオネルは駆け寄ろうとした。
「セレーネ!!」
「お待ちなさい! カストル卿、彼女は次期王妃となる身。わきまえなさい!」
「……はっ、失礼いたしました」
グッと拳を握ってこらえ、レオネルは椅子を引く。近づいたセレーネはその椅子を通りすぎ、少し離れた白いテーブル席に腰かけた。
あっけに取られたまま、レオネルはセレーネを目で追いかける。そこへ横から甘ったるい声が耳を食んだ。
「あらぁ、ありがとうございますぅ。レオネル様ぁ」
これまた聞き覚えのある声にドッと汗が噴き出す。レオネルが引いた椅子に腰かけた令嬢は、王妃と同じセピア色の茶髪。あのときと同じピンク色のドレス。
「お座りなさい、カストル卿」
「――あ、はっ」
右からは王妃、左からはセレーネに見据えられ、正面には――かつてレオネルが突き飛ばした令嬢――ベガ公爵令嬢リリアがいる。
リリアはレオネルよりふたつ年上だったはずだ。醜聞を気にする公爵家の令嬢が、よもや未婚であるとは思わなかった。
「初対面ではないから紹介の必要はないと思うけれど、リリアはわたくしの姪なのよ。美しい子でしょう?」
「……ええ」
「きゃあぁ! レオネル様ったら」
耳をつんざく黄色い声によってレオネルの意識が遠のく。美醜でいえば美しいほうだろう。しかし、世の中には背筋が凍りつくような、ひざまずきたくなる美女がいる。そう、レオネルのすぐ左横に。うっかりセレーネに見入ってしまい、王妃の叱責が飛ぶ。
「カストル卿!! よそ見をするなど、失礼にもほどがあるわ!」
「はっ、申し訳――」
「――あらぁ、こうすればいいのよ!」
リリアは女官に手を上げて立ち上がり、椅子をレオネルに寄せさせる。その距離は肩が触れあうほどだ。それだけならまだしも、リリアはセレーネに見せつけるように、レオネルの腕に手を絡ませた。
こうなるとレオネルは石化してしまう。年季の入ったトラウマが、リリアの手を振りほどかせない。
セレーネはそれを見ても眉ひとつ動かすことなく、扇子に指を一本添えるだけにとどめた。未婚の女性が男性にしなだれかかるなど、普段の王妃なら「はしたない」と鼻を摘まむ行為だ。ところが姪には甘かった。
「まぁ、いいわ。ふたりは夫婦になるのですもの」
「――は?」
「エミリー、持ってきてちょうだい」
間の抜けた声を出したレオネルの前に、一枚の書状が置かれた。
それは婚約届け――ではなく、婚姻誓約書と書いてある。
「婚姻……?」
信じられない思いで書面に目を通す。王妃は人差し指の背で顎をなでつつ、レオネルの表情を愉しげに見つめる。
「リリアはもう二十一歳だし、婚約期間は必要ないわ」
「お待ちください! 私はリリア嬢と結婚する気はございません」
王妃の顔から笑顔が消えた。冷淡な視線がレオネルを突き刺す。
「あなたに決定権などないの。これは命令よ」
「国王陛下は、なんと⁉」
「この件はわたくしに一任されているわ」
たまらず椅子を引いたレオネルに、近衛騎士が集まる。
待て、と王妃が片手を上げた。
「思い違いをしているようね、カストル卿。あなたはリリアを突き飛ばして、傷物にしたのよ」
「――それは」
傷物は言い過ぎだ。リリアは大袈裟に泣いていたが、目を擦る手に傷は見当たらなかった。だから当時、頭を下げるだけですんだというのに。
「責任を取りなさいと言っているの。あなたのせいでリリアは行き遅れているのよ」
貴族の結婚は早い。成人の儀が終われば、学園に通いながら結婚生活を送る者もいる。だいたいは十八歳で結婚。二十歳を過ぎれば、行き遅れを心配されはじめる。
「さぁ、椅子を戻して。エミリー、ペンを」
力なく座り、エミリーからペンを受け取る。書面はご丁寧にもリリアのサイン済み。だが、まだ神官のサインはない。
レオネルはチラリと目を横にやり、思わず身震いした。セレーネの瞳から光が消えている。罵られるよりおそろしい。
セレーネを裏切りたくはない。かといって、抵抗を見せれば牢屋行きは確実。セレーネを助け出すことができなくなる。ここは従うしかないのだ。わかってほしい。




