第十三章 02 王妃は手を緩めない
「さてふたりとも、おしゃべりは馬車の中でしてちょうだい」
オリヴィアがピシャリと言って、ふたりの背中を押す。「なんでおれまで?」とブツブツこぼすカルロを馬車へ押し込み、セレーネが向かいに座る。侍女をひとりつけたいという要求は却下された。味方がいないのは心許ない。
「ねぇカルロ。どうすればこちらに寝返ってくれるのかしら?」
「は⁉ おれに言ってんの? おれの母親が誰だか知ってるだろ」
「知っているからよ。共倒れしてほしくないの」
「共倒れ? 勝てると思ってんの? あのババァに」
「ババァ……、あら反抗期? ちょうどいいわね」
「うるせぇ!」
プイッとそっぽを向かれてしまった。
母親が誰なのかは知っている。王妃教育を受けた帰り、影の中を探索していたら、カルロを見つけたのでついて行った。地上に出たカルロは王妃に向かって「母様」と呼びかけ、ひどく怒られていた。王妃は必死に事実を隠そうとしている。
だけど父親がわからない。見た目からして国王でないことだけは確かだが。
セレーネは鑑定眼でカルロをジッと見つめた。カルロから浮かび上がった球体の、“構成するもの”をのぞき見る。父親として映し出されたのは、カルロと同じ鋼色の髪と青灰の瞳を持った見目のよい男性。
(これは……、シェダル子爵⁉)
愛人が多いと噂の絶えない人ではあったが、よもやテティスのほかにも隠し子がいたとは。セレーネは頭を抱えた。
「あたま、痛いのか?」
向かいから素っ気ない物言いで、気遣う言葉が飛んできた。顔を上げても目は合わせてくれない。かわいらしくてつい笑ってしまう。
「ふ、ふふ。そうね……頭の痛い問題だけど、わたくしは必ず、あなたを救ってみせるわ」
「あっそ。意味わかんねー」
そろそろ王宮に着く。
セレーネは気持ちを引き締め、顔から表情を消した。
馬車から降りてすぐ王宮の客間に閉じ込められ、一番にやらされたことは学園の期末テストだった。セレーネは学園に入る前に、すべての科目を家庭教師から習っており、学園の授業は復習をする場となっていた。だから三年生の最後に受けるテストも余裕ではあるのだが。
(もう学園には行かせないつもり? いいえ、そんな単純な話じゃないわ。早く卒業させたがっている? とすれば――)
嫌な予感――どころではない。ペンを持つ手が止まった。
(わたくしとアーサー殿下を結婚させるつもりね)
学生でも成人していれば結婚できる。王妃の思惑としては、学園などさっさと卒業させて、公務を任せて楽をしたいのだろう。
反抗して点を落とせば、レオネルと祖父に危険が及ぶ。今はまだ油断させておかねばならない。眉根に寄ったシワを揉みほぐし、セレーネはペンを持ちなおした。
終わったテスト用紙を回収しに来たのは、王妃付きの侍女エミリーだ。無気力に近い表情で、淡々と科目を確認している。ジッと見つめれば球体が浮かび上がる。セレーネはつぶさに情報を読み取り、エミリーの事情を察した。
「ねぇ、エミリー」
セレーネに答えることなく、エミリーは冷めきった目だけをよこした。無表情くらべで負けるわけにはいかない。セレーネも底の見えない顔をして、淡々と切り出す。
「わたくしと、取引しましょう」
「……」
エミリーの細められた目には軽蔑の色が見える。手にしたテスト用紙は揃っているのだから、そのまま出て行けばいいのに、彼女はそうしなかった。
セレーネはわずかに口の端を上げる。
「あなたの一番欲しいものをあげるわ。だから、わたくしの欲しいものと交換してちょうだい」
「……残念でしたね、私に欲しいものなどございません」
「そう? よく考えておいてね」
くだらないとばかりにため息を吐き捨て、エミリーは退出していった。
***
三日後、王妃の私室に呼ばれ、テストの結果を告げられた。
ソファの向かいで王妃グレイスはご機嫌の様子。
「よくやったわ、セレーネ。優秀な成績でわたくしも鼻が高いわ」
「恐縮に存じます」
セレーネは無表情でも許される。愛想笑いをしなくていいのはありがたい。求められているのは人形のように指示どおり動くことだけ。
でもね、とグレイスは遠くに視線を投げた。
「オスカーが卒業証明書の発行を渋っているのよ」
「……そうですか」
「しかも後期授業にセレーネを通わせろって言うのよ? なんのためにテストを受けさせたと思っているのかしら」
学園長でもある王弟オスカーは教育熱心な人で、学園は勉強するだけの場所ではないと考えている。成人しても学生のうちは子ども同然だと言い、子どもでいられる時間を大切にしろと、新入生への挨拶で述べていた。
「まぁいいわ。卒業していなくても結婚はできるし、結婚すれば公務もできるし」
やはりそれが目的か。内心から湧き上がる悪態をお茶で押し返す。
グレイスが侍女エミリーに向かって手を上げると、ローテーブルの上に一枚の書状が置かれた。書かれた文字を拾い読みしたセレーネは、身を固くしつつもなんとか平静を装う。
「婚姻誓約書……とは、結婚式でサインするものではありませんか?」
「安心して。そのときにはダミーを用意するわ」
安心できる要素がどこにある。ズイッと正面に書状を押し出され、エミリーにペンを握らされた。
(レオネル……、バツイチでももらってくれるかしら?)
静かに息を吐き出して、セレーネは名前を書く。負けず嫌いな性格が手の震えを許さない。いつもどおりに美しくサインして、王妃のほうへクルリとまわした。グレイスは満足そうに頷く。
「ふふ、それでこそセレーネよ。あとは……エミリー、アーサーに渡してサインさせておいて」
「かしこまりました」
機嫌のよい王妃が「それにしても」と首をかしげる。
「あなた、いつも同じネックレスをしているのね」
「屋敷へ取りに帰ってもよろしければ――」
「必要ないわ。王太子妃の予算を使いなさい。わたくしが懇意にしているヘイナス商会を呼んでおくわ」
「……ありがとうございます」
それからも他愛のない話が続き、セレーネは妙な違和感を覚えた。
王妃はムダ話が好きではない。だというのに実のない話に終始している。まるで時間を稼いでいるかのよう。セレーネをこの場にとどめておきたい理由はなんだろうか。
(ああ、胸騒ぎがするわ……。何を待っているの?)
例によってセレーネの勘はよく当たる。にわかに部屋の外が騒がしくなり、エミリーがドアへ向かった。彼女が確認するよりも先に、ノックもなくドアがひらく。入って来た人物を見て、セレーネは立ち上がり最敬礼をとった。
同じくグレイスも立ち上がる。その顔はわずかに目尻が下がり、見たこともないやわらかな微笑みをたたえていた。
「陛下、どうなさったのです?」
「父上が……、身罷られた」
この場で息を飲んだのはセレーネだけだった。グレイスは「まぁ!」と大袈裟に口もとを押さえ、エミリーは伏せ目がちに佇んでいるだけ。あまりにも落ち着きすぎている。
気が動転しているのであろう国王はグレイスに縋りつき、セレーネがいることにも気づかない。
「グレイス、私はどうすればいい⁉」
「お気をたしかに、陛下。わたくしがついておりますわ」
子どもをあやすように頭をなでてやり、グレイスは薄く笑ってエミリーに目配せした。
(……今のやり取りは何かしら? まだ何かあるの?)
セレーネの視線に見送られながら、エミリーは静かに部屋を出た。どうしようかと考えて、セレーネも退出しようと、腰を低くしたまま一歩下がる。
そこへ、セレーネを引き止めるのに十分な音量で、グレイスの声が耳に届く。
「陛下、お義父様が亡くなられた経緯をしっかり調べさせましょう。それが手向けとなり、陛下の憂いも晴らしてくれますわ」
――亡くなった経緯を調べる。ずいぶんと含みのある言い方だ。
セレーネは内心で舌打ちした。
(そういうことね。調べるも何も、筋書きは決まっているんだわ)
先代国王の容態について、セレーネは何も聞かされておらず、病気なのか老衰なのかもわからない。祖父に聞いたところで、教えてはくれないだろう。それでも祖父の人となりから、治癒に尽力したことは誰に聞いても疑いようがないはずだ。
(どうやってねじ曲げるつもり?)
中腰のまま動けないでいるセレーネに、グレイスが声をかける。
「ああ、セレーネ。遠慮してちょうだい」
「……御前、失礼いたします」
王妃の私室を出ると、セレーネは少しずつ早足になっていく。ついてくる近衛たちもとうとう駆け足になった。救護室をのぞいても、祖父の姿は見当たらない。
(先代国王陛下の部屋はたしか……、この近くのはず)
離宮に住んでいた先代国王ヴィクターは、体調を崩してからは救護室近くの部屋へ移されたはずだ。王族にふさわしい部屋は……。
セレーネの勘は間違えない。廊下を進み、ある角を曲がろうとして近衛に止められた。
「セレーネ様、ここから先はご遠慮ください」
「……そう」
目的の部屋まで距離にして十メートルほどか。未練がましく通路を眺めていると、突きあたりのドアがひらき、祖父の姿が見えた。だが様子がおかしい。両脇を近衛騎士が固めているではないか。
「――お祖父様⁉」
「セレーネ⁉ 私は毒など盛っていない。信じてくれ!」
「ど、毒⁉」
祖父は高潔な治癒師だ。それに友人でもあった先代に毒を盛って、なんの利があるというのか。突拍子もない話に眉をひそめる者が多数いるだろう。それでも、王妃が黒と言えば、白いものも黒とされる。それが権力だ。
(どうして? わたくしが大人しくしていれば、大丈夫だと思っていたのに……)
余計なことを言うなと騎士に背中を押され、祖父はセレーネの脇を通り過ぎていく。ハッとしてその横顔に声をかけた。
「もちろん信じるわ!! お祖父様!」
セレーネの言葉に救われたような顔をして、祖父は頷き、前を向いた。この様子だと連れて行かれるのは牢屋だろう。せめて貴族用であってほしい。
(お祖父様……、必ず……必ず助け出すわ)
焦燥を押し殺すのに精一杯で、その後ろ姿を見つめたまま、セレーネは呆然と立ち尽くした。




