第十二章 02 王妃からの脅迫
しばらくして王妃グレイスのお出ましが告げられ、セレーネたちは立ち上がって迎える。
セピア色の茶髪をきっちりと結い上げ、星の石で飾られたティアラが際立つ。星空を閉じ込めたような星の石は、前世でいうところのラピスラズリだ。
星の石に合わせた青いドレスには金糸の刺繍が光る。グレイスの勝負服だ。ただのお茶会ではない気配を感じ、礼を取りつつ息を飲む。
「本日はお招きいただき、光栄に存じます」
「王妃陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう存じます」
「久しぶりね。ふたりとも、楽にしてちょうだい」
お茶を入れた女官が下がると、東屋にかかる橋の入口まで近衛も下がった。その距離十メートル。ひとりだけ王妃付きの侍女エミリーが立っている以外、まわりには誰もいない。
「今日は、忌憚のない意見を聞きたくて招待したのよ」
緊張した面持ちでセレーネたちは頷く。通常のお茶会ならば庭を眺め、花を愛で、ドレスについて褒め合い、語り合う。それから本題に入るものだというのに、まるで謁見室に通された気分だ。間違ってもお菓子に手を伸ばせる雰囲気ではない。
「あなたたちから見て、アーサーとコーネリアス、どちらが王に相応しいかしら?」
「「――⁉」」
のっけから、なんという質問を飛ばしてくれるのか。思わずセレーネは祖母から借りたネックレスを握りしめる。しかし、答えはひとつしかない。
「アーサー殿下にございます」
「セレーネ様に同じく、アーサー殿下ですわ」
国王が決めた王太子はアーサーだ。決めかねている段階ならまだしも、決定していることに異議を唱えるなど処刑台まっしぐら。グレイスだってわかっているだろうに。
「ハァ、つまらない。わたくしだってアーサーはかわいいけれど、くっついている虫が気に入らないのよ」
虫とは……もしかしてロザリンのことだろうか。ピンク色の虫。セレーネの頭に浮かんだのは、花に擬態するハナカマキリだ。それがアーサーの頭に乗っかっている。
(あらやだ、似合うわね)
さて、現実逃避している場合ではない。グレイスに乗っかってロザリンの素質を問えば、面倒なことになるのは目に見えている。無難に乗り切らねば……。
「王太子殿下から、妃教育は順調だと伺っておりますわ」
「あの子は甘いのよ。あなたたちのレベルからは程遠いわ」
ロザリンは十三歳まで平民だったのだ。幼少から叩き込まれているセレーネたちと比べるのは酷だろう。
微笑みを貼り付けたまま、セレーネもアイリスも固まった。王子の悪口にまで頷くわけにはいかない。
(愚痴をこぼしたいだけならいいのだけど……)
グレイスが口の端を上げた。
「やはりあなたたちは、わきまえているわね」
――試されたのか。
ふたりとも王妃教育から離れて久しい。この身に叩き込んだことを忘れていないか確かめられた。王妃は無駄なことはしない。これが意味することは――
「――ねぇ、アイリス。コーネリアスとはうまくいっているの?」
アイリスはピクリと眉を動かしてしまう。動揺を顔に出すのは芳しくない。すみやかに挽回しなければ叱責が飛んでくる。
「コーネリアス殿下にはよく、ご教授いただいております。特に魔術回路の知識はすばらしいですわ」
「色気のないこと。あの女狐に、あなたのつま先ほどの理性があればよかったのに」
ロザリンが虫から動物にレベルアップした。
ため息交じりにこぼすグレイスの顔には疲労が見える。セレーネたちは困惑した。女神の力を受け入れてからのロザリンは、くるくるまわることもなく、所作も美しくなっている。勉強からも逃げていない。
「おそれながら、陛下。わたくしから見ても、ロザリン様は落ち着かれたように思うのですが」
セレーネの言葉にグレイスは軽く手を振った。袖からチラリと見えた銀のブレスレットは、王妃の好みとは思えないほどシンプルなものだった。
「そういうことではないの。エミリー」
「はい」
後ろに控えていた王妃付きの侍女エミリーが進み出て、ふたりに顔を寄せた。
「王宮にロザリン様がいらしてから、籠絡された男性は数知れず。見目のよい男性を狙っての色仕掛けは日常茶飯事。あろうことか、国王陛下まで鼻の下を伸ばす始末」
「「っ――⁉」」
ロザリンは色気があるほうではない。とかく可憐であどけない少女といった雰囲気だ。逆に言えば、ロザリンに色仕掛けは無理がある。学園でも大人びた女性が好きな男子生徒には見向きもされていなかった。
さすがにおどろきを隠せないふたりに、グレイスが諭すような口ぶりで言う。
「わかるでしょう? あなたたちが必要なの」
「「……」」
セレーネの勘が『今すぐ席を立て』と言っている。そんなことできるわけもないのに。噴水に冷やされた風が、背中をつたう汗を冷やしていく。思わず落としそうになった黒扇子をギュッと握りしめた。
「僭越ながら。わたくしたちに、何かできるとは思えませんわ」
グレイスがスッと目を細めた。
「セレーネ、ずいぶんと表情豊かになったのね」
「っ……ご期待に添えず、申し訳ございません」
グレイスは無表情のセレーネを気に入っていた。ならばとニッコリ笑って見せるも、グレイスの視線はもうアイリスに移っている。
「アイリス、あなたとコーネリアスの婚約を認めます」
虚を突かれ、隣から息を飲む音が聞こえた。アイリスはもちろん、コーネリアスでさえも婚約を願い出てはいない。これは命令だ。
「アーサーが王になったとしても、コーネリアスがいなければだめなの。あなたは王子妃としてコーネリアスを、延いてはアーサーを支えてちょうだい」
王子妃として――それは王宮に居を構え、ときには国王の代理として公務に就く王子の妻。人使いの荒いアーサーのことだ。公務は丸投げして玉座にふんぞり返るだろう。コーネリアスがいくらがんばっても、手柄はすべて国王アーサーのもの。
カタカタと震える肩が、セレーネの目の端にちらつく。
「そしてセレーネ、あなたには王妃としてアーサーを支えてもらいます」
「――は、」
今、王妃と言わなかったか。聞こえた言葉を何度も何度も反芻する。
「わ、わたくしはすでに、ほかの殿方と婚約しておりますわ」
「あら、それは知らなかったわ」
「え……?」
貴族の婚約を王妃が知らぬなどありえない。王家に許しを得なければ成立しないのだから。まさか、そんな、とセレーネは振り返る。ずっと不安に思っていた。婚約許可証がレオネルにしか届かなかったことを。両家に届くはずなのに、シリウス家には届いていない。遅れているだけだと思っていたが、そもそも――
(――最初から送る気がなかった?)
信じられない思いでグレイスを見る。口の中が乾いて舌がもつれる。
「か……、カストル伯爵宛に、婚約許可証が届いておりますわ」
「おかしいわね?」とグレイスは首をかしげ、人差し指の背で自身の顎をなぞる。これは王妃が愉悦に浸っているときの仕草だ。何かを考えるような素振りを見せつつ、ゆっくりとセレーネに狙いを定めた。
「その許可証、本物なのかしら?」
「なっ⁉」
――ハメられた。この先の展開を予想して、セレーネは血の気を失う。
グレイスは酷薄な笑みを浮かべ、吊り上がった赤い唇をひらく。
「偽証罪の中でも王家を騙った場合は極刑しかないわ。セレーネ、あなたの見間違いではなくて?」
本物かどうかなど関係ない。王妃が偽物だと言えば、それが真実になる。異を唱える者はいないだろう。セレーネたち以外、誰も損をしないのだから。
好きな人が絡むとポンコツ化する気持ちがよくわかった。何も考えられず、頭の中が灰色に塗りつぶされていく。もう、頷くしか道はない。
「お、おそれながら!」
「何かしら、アイリス?」
「東を守るレグルス辺境伯を切り捨てれば、帝国に飲み込まれてしまいますわ」
「そうはならないわ。レグルス家は関係ないのだから」
「――え?」
理解できないでいるアイリスに、グレイスはやれやれと大袈裟に頭を振ってみせる。
「偽証が問われるのはカストル伯爵だけ。レグルス家には年の離れた次男がいるの。長男を切り捨てたとしても、跡取りは問題ないわ」
レオネルの弟は今年で十二歳になる。ずっと辺境領におり、セレーネもまだ会ったことがない。ちょうどこの夏休みに会いに行く予定を立てていた。
「不要なものは身内であっても切り捨てる。それが貴族よ」
セレーネも知っている。ドゥーベ伯爵令嬢は、公爵家から抗議の手紙を送っただけで娘を修道院へ追いやった。これが、醜聞を気にする貴族の処世術だ。
「さぁ、よく思い出してちょうだい、セレーネ。カストル伯爵は許可証を持っていると、嘯いているの?」
「……いいえ。わたくしの、見間違いですわ」
グレイスは満足そうに頷き、思い出したかのように「そうそう」と手を叩く。
「先代国王陛下が伏せってらっしゃるのは、知っているわね?」
もう声も出せないセレーネたちは力なく頷く。
「たしか担当治癒師は、あなたのお祖父様だったかしら?」
セレーネはハッと顔を上げ、バケモノを見るかのような目をグレイスに向けた。
もし家族やレオネルが抗うようなことがあれば、セレーネが説得しなければならない。
さもなくば、祖父の立場が危うくなる……いや、最悪の場合、弟のクリスティンを残して両親や祖父母は切り捨てられるだろう。セレーネが次の王妃になるために家だけは残される。そんな未来しか見えない。
(ああ……)
わかっていたはずだ。我が国の最高権力者が誰なのか。国王は傀儡にするために選ばれた。グレイスとその後ろにいる実家――ベガ公爵家の操り人形だ。
それはセレーネとて同じ。人形でないことをわからせるどころか、セレーネの手足にはしっかりと糸が絡みついている。王妃の思うがままに動く人形だ。
王妃が席を立つとともに立ち上がり、無意識にも礼をとることができたのは、王妃教育の賜物だろう。王妃が去ってもその場を動けなかった。頭の中は空っぽで、アイリスに握られた手をボーッと見つめるだけ。
「セレーネ様、帰りましょう」
「……ええ」
「このまま、ご実家にお送りしますわ」
「……ええ」
手を引かれるままに歩き、気がつくとシリウス家の見慣れた自室にいた。さっきまでアイリスがそばにいたはずなのに。目の前はずっと薄暗くて、今が昼か夜かもわからない。
誰かが話しかけてくるが、その顔はぼんやりとして認識できない。遠くに声が聞こえる。
「姉上⁉ どうしたの? まるで昔に戻ったみたいだ」




