第十章 04 堕ちた女神
ポンコツ化したアイリスを引きずって寮へ戻る。女子寮の廊下を歩きながら、セレーネはふと、聖杯のことを思い出した。
「そうだわ、アイリス様。王宮の宝物庫へ行かれるなら、聖杯の様子を見てきてくださらない?」
「きんに……聖杯と言いますと、レオネル様の魂で作ったという、あれですか?」
「ええ。ぞんざいに扱われていないか心配なの。いつか手柄を立てて、聖杯を褒章にいただいてやるわ」
「ふふ、わかりまし――……あら?」
「――ん?」
ふいに、すれ違うロザリンを見ておどろく。厳密にいえば、ロザリンの手の中にあるものを二度見した。
「「ロザリン様⁉ それは⁉」」
「せーはい、ですよぉ?」
「どうしてあなたの手に⁉ 聖杯は王家に献上したはずですわ!」
「アーサー様に欲しいってお願いしたんです。えへへ」
えへへ、じゃない。お願いして手に入るのもおかしいが、なぜロザリンは欲しがったのだろうか。
「まさか花を生けるとか言いませんわよね⁉」
「違いますよぉ。これで女神様を助けるんですっ」
「「女神様⁉」」
「夜になると、お空から泣き声が聞こえてくるんですっ。かわいそうでしょぉ?」
かわいらしく眉尻を下げたロザリンは、そのままテケテケと部屋へ戻っていく。セレーネたちもそのあとについて部屋に押し入った。
聖杯に水をなみなみと注いで、ロザリンはローテーブルの上に置く。
「女神さまぁ、もう出てきていいですよぉ?」
ロザリンが聖杯に話しかける様子を、セレーネたちは固唾を飲んで見守る。けれど、いつまで経っても何も起こらない。
「あれぇ? 女神様ぁ? 使い方、間違ってるのかなぁ」
ホッとして、セレーネが聖杯を取り上げる。
「これは王家に献上したものです。お返ししましょう」
「ああんっ、そんなぁ……女神様がいるんですぅ!」
水が入っているというのに、ふたりが揉み合う。オロオロしながらアイリスも手を伸ばした。三人同時に聖杯へ触れた瞬間――聖杯から光の柱が屹立し、何かが飛び出してきた。
ロザリンが興奮気味に叫ぶ。
「女神様っ!」
「「嘘でしょう⁉」」
あらわれたのは妖しい色香をまとう美しい女性で、宙に浮かんでいる。ピンク色の髪はロザリンよりもオレンジ寄りのコーラルピンク。白の長衣は女神たちのものに似ている。だが様子がおかしい。体は半透明で、今にも消えそうだ。
『体を……、アタシに体を寄こせぇ』
あっけに取られていたセレーネは反応が遅れてしまう。飛びかかられてギュッと目をつむったが、女神は弾き飛ばされ、うめき声をあげた。
『うぅ、このままでは消えてしまう……。ロマティカめ』
「ロマティカ?」
セレーネが反応し、眉をひそめると、女神は涙ながらに話しはじめた。
『ちょっと煽っただけで自滅したくせに、腹いせにアタシを天の狭間に閉じ込めたのよ!』
「天の狭間?」
『天界と人間界のあいだにある空間よ。出口のない状態だと、両方から引っ張られて体がちぎれていくの』
「……エグいわね。でも、煽らなければよかったのでは?」
『お黙り! うまくいけばアタシが愛の女神になるはずだったのよ!!』
また愛の女神か。そういえば、ロマティカは誰かに座を狙われているようなことを口走っていた。たしか――
「エロイーズ?」
『ふっ、アタシも有名になったものね!』
誇らしげに胸を張ったエロイーズだが、その体はどんどん薄くなっていく。見かねてロザリンが両手を伸ばした。
「女神様、ロザリンなら受け入れられるかもしれません」
たしかにロマティカの半身をその身に宿した実績がある。言い知れない不安を感じてセレーネは止めようとした。が、一寸遅かった。ふれ合った指先からエロイーズが吸収されていく。
「だめよ!! ロザリン様――」
コーラルピンクの光に包まれて、ロザリンの髪が伸びる。毛先のほうはローズピンクのままだが、伸びたところはコーラルピンク色になり、長さは腰の辺りで止まった。
「……ロザリン様?」
ロザリンは胸の前で手を組み、魔力を込める。その手を広げると、コーラルピンクの光が部屋を包み、セレーネもアイリスもふわりと体が軽くなった。以前、風邪を引いたときにロザリンから受けた力と同じ。
セレーネはおどろきつつも眉根を寄せた。
「これは、女神の力だわ」
「うっ、うぅ……」
ポロポロと涙をこぼすロザリンにギョッとして、ふたりは背中をさする。
「どこか痛むの?」
「やはり、無理があったのでは……」
心配するふたりを気にも止めず、ロザリンは子どものように泣きじゃくった。
「ふえぇ~、よかったぁ! 力が戻ったぁ! これでアーサー様と結婚できるぅ」
「ロザリン様……力などなくとも、殿下はあなたと結婚するように思いますわ」
「でもっ、ロザリンがだめなのぉ!」
ロザリンも不安だったのだろう。アーサーに相応しくありたいと思っての行動だ。セレーネも怒る気が失せていく。とはいえ聖杯は回収しておくが。
「聖杯はもう不要ですわね。わたくしが返しておきます」
涙の止まらないロザリンをベッドに寝かしつける。泣き疲れてそのまま地べたで寝るのは目に見えているから。同室の令嬢が困り果てるだろう。
ロザリンの部屋をあとにして、セレーネは自室へ戻り、聖杯の水を捨てる。外に出しておくのは不安なので女神の空間へ預けた。
「あら? もしやこれで、すべて丸く収まるのでは……?」
「きっとそうですわ! 王太子殿下は晴れてロザリン様とご結婚されて、セレーネ様はレオネル様と……うふふ」
「アイリス様はコーネリアス殿下と……ですわね?」
「――ハッ!! きんにく……」
余計なひと言を放ってしまった。アイリスは頬を押さえて仰向けに倒れ、ベッドの縁に背中を引っかけたまま動かない。腰をやりそうな態勢だ。仕方なくベッドに引きずり上げてやる。明日はデートだというのに、行けなくなったらどうするつもりだ。
「アイリス様、念を押しておきますが――」
「――きんにく様」
「それは絶対に言わないと約束してくださいませ!」
なんとなく不安な気持ちになるのは、アイリスが不敬なことを言うからだ。
きっとそうに違いない。




