第九章 03 追いかけているのは
セレーネは王太子の背中に、殺気を乗せた声を浴びせる。
「殿下!! まだわたくしの件が残っておりますわ!」
「……セレーネ、そなたの件はまた今度に」
「そうは参りませんわ! いい加減、わたくしとレオネル様の婚約を認めてくださいませ!!」
「私は認めているのだが……、王妃陛下が……な?」
「な? ではございません! 納得のいく理由をお聞かせください!」
頭を掻きむしったアーサーが投げやりに言ってよこす。
「うぅ、わかった! 公務が落ち着いたら王宮へ呼ぶ。直接、母上と話せ!」
「……承知いたしましたわ」
仕方がない。今宵は卒業パーティーなのだ。断罪イベントはあくまで余興。三年生最後の夜を潰しては申し訳ない。それにセレーネにとっても、初めてレオネルと踊るチャンスだ。
アーサーの姿を見送ったのち、レオネルはセレーネにひざまずく。
「美しい人、私と踊っていただけますか?」
「よろこんで」
セレーネは花がほころぶように笑い、レオネルが愛おしそうに見つめながら抱き寄せる。ふたりはダンスフロアの中心で誰よりも輝いていた。その様子をテティスがため息交じりに見ていると、シルバーグレイの壁に視界を遮られた。
伝うようにゆっくりと顔を上げれば、紅茶色の奥にある、オレンジ色の優しげな瞳がテティスを映している。
「海の聖女殿、俺でよければ……踊ってくれないか?」
「ラルフ様⁉ わ、わわ、私……」
真っ赤になって口もまわらない。
そのとき、後ろからふたりの令嬢がテティスに襲いかかった。
「ラルフ様、少しだけお待ちになって!」
「テティ、こちらへいらっしゃい!」
「あわわ……」
アイリスとスカーレットが手際よくテティスの髪をまとめた。背中に流れる髪にゆるく巻かれた金の装飾をタイトに締め、手前に流せばダンスの邪魔にはならない。
「「はい、いってらっしゃい!」」
「ひえぇ……」
ラルフに手を差し出され、おずおずと手を重ねる。ダンスの申し込みが成立した。ニッと笑ったラルフに手を引かれ、テティスもきらめく波に飲み込まれていく。
「ハァ……、いいわね」
幸せそうなカップルたちを見て、スカーレットがため息をつく。その後ろでアイリスは何やら忙しそうだ。どこから取り出したのか、ペンでノートに書き殴っている。
「アイリス様? 何をしてらっしゃるの?」
「閃いたのです! この世界にはまだカメラがない。わたくしの出番ですわ!!」
「かめら? あなたって人は……、色気や食い気より、魔道具なのですね」
あきれるように言いながらも、スカーレットは食い気を選択した。ローストビーフを口へ運ぶ手が止まらない。そんなふたりを熱く見つめる目があることなど、まったく気づいていなかった。
セレーネは三曲目を踊り終え、さすがに疲れてテラスへ向かう。グラスを手にしたレオネルが遅れてやって来るも、テラスの入口に立ったまま動かない。
(あ、この表情は……)
お気に入りの剣を見つめていたとき、こんな顔をしていたなとセレーネは思い出す。頬を緩ませ、呆けたような表情はとても無防備だ。
「レオ?」
「ん? ……ああ、発泡酒を」
「ありがとう」
淡いゴールドの液体がセレーネを潤す。それを見届けてレオネルはひと口で飲み干し、テラスに備えられた小さなテーブルにグラスを置く。
何かを迷っているような瞳をセレーネに向け、口をひらいては閉じるの繰り返し。だからセレーネは(今しかない)と思い、心にくすぶる“例の問い”に触れた。
「レオネル、あなたの瞳はとても美しいわ」
「僕はセレーネの瞳が好きだよ」
ありがとうと答えて、うるさくなっていく心臓を押さえる。ここで終わらせるわけにはいかない。意を決してレオネルを見上げた。
「ねぇ、あなたの瞳が欲しいと言ったら、……どうする?」
一瞬キョトンとしたレオネルだったが、すぐに思案顔になった。
次に不思議なことを口にする。
「それは、たくさん……いる?」
「え……ええ、たくさんあると、いいわね?」
なんだ、どういうことだ? 目玉が片方か両方かという話なのか?
セレーネが質問しているはずなのに、謎かけをされている気分だ。
そしてなぜ、レオネルはそんなにうれしそうな顔をしているのだろうか。
「レオ……?」
「僕も君の瞳を持った子が欲しいから、子どもはたくさん作らないとね」
「――は、はい?」
「ん? あれ……子どもは欲しくない?」
レオネルの眉が急降下していく。「いやいや」と慌てつつ、セレーネは事の発端を話した。妻を亡くした男性に、娘が放った言葉を。
なるほど、とまた逡巡してレオネルは答える。
「僕も瞳はあげられないな。この瞳はセレーネを守るのにも、見つめるのにも必要だからね」
「そ、そう」
あげられないと言われたのに頬が緩んでしまう。金緑の瞳にしげしげと見つめられ、体が熱を帯びていく。
いい加減、穴があきそうだ。瞳を手で覆い隠そうと手を伸ばしたとき、ふとレオネルの表情が翳った。
「セレーネ、僕は君のことになると、正しくいられないみたいだ」
「どうしたの? 急に……」
今日のレオネルはなんだかおかしい。
「……僕が闇に染まっても、そばにいてくれる?」
冗談を言っている雰囲気ではない。揺れる金緑の瞳は、ともに堕ちてくれと願っているかのようだ。前世の月衣にとって、怜央は暖かい光だった。
今のセレーネにとって、レオネルは――
「あなたは闇に堕ちても光輝くわ。わたくしはその光をどこまでも追いかけるだけ」
「セレーネ、追いかけているのは僕のほうだ」
「ふふ。まるで月と太陽ね」
「それだと年に数回しか報われないな」
セレーネから空のグラスを取り上げて脇のテーブルへ置く。レオネルが両手を広げるにとどめたのは、逃げる余地を与えるためだろうか。紳士的な態度で余裕をかましているようだが、少し眉尻が下がっている。
セレーネは口もとに弧を描き、迷いなく飛び込んだ。途端にたくましい腕がセレーネを閉じ込める。
「――つかまえた」
「あら、わたくしがつかまえたのよ」
「君は強いな」
「だって、悪役令嬢ですもの」
先に吹き出したのはレオネルだ。つられてセレーネが笑い、月明かりがふたりを包む。テラスに落ちた影はひとつだけ。月が隠れるまでずっと、長い影はゆらゆらと踊った。




