第八章 03 悪役令嬢のプライド
「――姉上!!」
クリスティンがセレーネの前に飛び出す。だがセレーネを吹き飛ばすほどの威力。クリスティンでは受け止めきれない。風雷魔法でうまく軌道をそらせたものの、姉弟ともども吹き飛ばされた。とっさにセレーネはクリスティンを抱きしめる。
建物にぶつかる衝撃を覚悟したが、セレーネの背中を何かが包んだ。そのまま壁に叩きつけられる。
「ぐっ――」
「「レイヴン⁉」」
「……おふたりとも、ご無事ですか?」
「ええ! あなたのおかげで」
「――ごふっ」
レイヴンの口から血がこぼれ落ちる。口を切っただけとは思えない量だ。きっと内臓をやったのだろう。手をかざして治癒魔法をかけようとするも、レイヴンがその手を押し返した。
「いけ……ません、お嬢様……。その、お力は――」
「――姉上! また来る!!」
「クリス、レイヴンをお願い」
体が小刻みに震えているが、今度は立ち上がれた。これは恐怖からくる震えではない。フツフツと沸き上がる強烈な何かが全身を駆けめぐり、セレーネを突き動かす。
「よくも、わたくしの大切な者たちを……」
走り出したセレーネは、攻撃を避けつつロマティカの行動を観察した。執拗に建物を狙っているのはロザリンを探しているからだろう。うまく誘導すればこちらの武器になるかもしれない。
再び宙に舞い上がり、ロマティカを誘うように目の前を横切った。
「こっちよ!! このわたくしに当てられるかしら?」
『なんだと……、妾のハートを食らって泣いておったくせに!』
「泣いてないから!」
自身に身体強化魔法をかけ、空中を縦横無尽に駆けめぐった。そしてときどき、空中にとどまっては挑発を繰り返す。
「あらぁ、わたくしの動きについてこれないのかしら?」
『チョロチョロと小賢しい……、食らえ!!』
「――みんな、下がって!!」
ロマティカが放った熱球は、結界の亀裂から入り込む魔獣たちを直撃した。一緒に結界も少し溶けたが、熱を持っている場所に魔獣は近づかない。これで魔獣の流入が一番ひどい箇所は封じた。
まんまと術中にはまったロマティカが、真っ赤な顔で唾を飛ばす。
『あくどいぞ!!』
「わたくしを悪役令嬢に抜擢したのは、あなたでしょう? おーっほほほ!!」
これで少しは時間が稼げる。そう思った矢先――ピンク色の光が居館の中からあふれ出し、傷ついた者たちを癒やしていく。
「まさか、ロザリン様⁉」
セレーネにとって今一番引っ込んでいてほしい人物だ。これでは守りきれない。討伐隊からは歓声があがり、士気は最高潮に盛り上がったが。
もちろんロマティカも喜んだ。
『そこにおったのか、妾の半身よ』
「いけない。ロザリン様――!!」
ロマティカとセレーネが同時に空を蹴る。二階の崩れた部屋の中で、祈るように手を組み、ロザリンは目を閉じている。隣にはアーサーもいるが、ロザリンに見とれており、迫りくるロマティカに気づかない。
思わずセレーネは本音を吐露した。
「こンの……気づきなさいよっ!! ボンクラ王子!!」
「なんだと⁉ 誰だ、ボンクラと言ったのは!」
悪口には反応するようだ。辺りを見まわし、セレーネとともに飛んでくる女神を認めてアーサーが剣を抜く。部屋の奥に待機していた近衛ふたりも剣を抜き、アーサーの前に躍り出た。
「ロザリンは下がっていろ!!」
「はっ、はい」
ロマティカよりセレーネのほうが若干早い。このまま行けばあいだに滑り込める。防御魔法を準備しつつ加速する。そのとき、女神シンシアの声が頭に響いた。
『待ってください、セレーネ』
「えっ、なんでよ⁉」
『ロマティカが半身を傷つけることはありません。ですから――……』
シンシアの作戦を聞いてセレーネは失速する。出し抜いたロマティカは、近衛ふたりを吹き飛ばし、アーサーを蹴り飛ばした。
「殿下っ!!」
さすがに王太子は守らねばならない。扇子から防御魔法を放ち、すんでのところで壁への衝突は免れた。その代わり、ロザリンはロマティカの手に渡ってしまったが。
セレーネが差し伸べた手をアーサーが叩く。
「何をやっている!! ロザリンを守れ!!」
元気そうで何よりだ。叩かれた手をさすりながらロザリンを見れば、ロマティカと手をつないで何やら話し込んでいる。セレーネが声をかけるより先に、ロザリンが頷いた。するとロマティカはピンクの光に姿を変え、つないだロザリンの手から吸収されていく。
「……ロザリン様?」
「ロザリン⁉ 大丈夫なのか?」
ロザリンの体もピンク色に輝く。肩にかかるくらいだった髪がサァッと伸びて、床にまで到達した。光が収まり、目をあけたロザリンは少し大人びて見える。
くるりくるりとその場でまわり、色気を宿した瞳でアーサーを見つめ、艶やかな唇をひらいた。
「アーサー、剣を取れ」
「っ……、アァ」
アーサーは言われたとおりに剣を拾い、ロザリンは満足そうに微笑む。
「さぁ、その女を殺すのじゃ」
「ロザリン様⁉」
信じられない思いでロザリンを見て、けれどすぐアーサーに向きなおった。物騒な復唱が聞こえてきたのだ。
「女ヲ……殺ス」
アーサーの目が据わっている。振り上げた剣は迷いなくセレーネを切りつけた。
(身体強化魔法をかけといてよかった!)
飛びすさったセレーネはローブの端を切られただけですんだ。だが、この狭い部屋では逃げきれない。ドアへ向かおうとしたセレーネの前には、近衛騎士ふたりが立ち塞がる。アーサーと同じく様子がおかしい。
「皆の者、その女を殺せ」
愉しげなロザリンの声に、三人の男が剣を構えた。さすがに分が悪い。迫りくる剣を避けながらも壁に追い詰められ、もう後がない。ならばと、穴のあいた天井へ向かって飛び上がれば、ハートを形作ったロザリンの手からピンク色の熱球が飛んできた。
「ぎゃっ!!」
まともにあびたセレーネは床に倒れ込む。それでもなんとか体を起こせたのはローブが守ってくれたおかげだ。しかし、胸下にはハート型の大穴があいており、ローブの防御機能は失われてしまった。次はもう防げない。服まで溶かされ、穴からは下着が見える。隠すように膝をつき、赤くなったお腹をさする。
ロザリン――否、ロマティカは豪快に笑い飛ばした。
「あははっ! 令嬢とは思えぬ悲鳴じゃな! 妾が抜擢した悪役令嬢は、ずいぶんと色気のないことよ。ふ、ふはは」
「くっ……余計なお世話よ」
この緊急事態に上品な悲鳴などあげていられるか。ふと笑いを止めたロマティカが手をひらひらさせると、アーサーたちがまたも剣を構えた。今度こそ逃げ場がない。転移しようにも魔力が足りない。
――万事休す。
そうやって思考停止できたら楽だろう。セレーネが背負っているものはあまりにも大きく、投げ出すわけにはいかない。それに、恐怖より怒りのほうが勝っている今、大人しくやられるという選択肢もない。
(悪役令嬢のプライドは、そこらの山より高いのよ!!)
振り上げられた三本の剣を前にして、セレーネは口の端を上げる。指輪の石に触れて唱えた。
「変幻!」
「っ――何⁉」
降ってきた剣は空を切り、黒猫にかすりもしない。男たちのあいだをすり抜けて、セレーネはまんまと廊下へ逃げおおせた。
(さて、レオネル様を探さないと……)
女神の作戦にはレオネルの力が必要らしい。きっと被害が一番ひどい場所にいるはず。レオネルの父レグルス辺境伯は、実力があれば自分の子でも前線に突き出すような御仁だ。
案の定、大きく穴のあいた結界の前でレオネルが奮闘している。騎士たちに踏まれないよう、黒猫は道の端っこを走り抜けた。
『レオネル様!!』
「セレーネ嬢? あれ? ……気のせいか」
辺りを見まわしたレオネルだったが、すぐに前を向く。
『レオネル様、下ですわ! 足もと!』
「――ん? 黒猫?」
『わたくしです! セレーネですわ!』
「セレーネ嬢⁉ 君は……猫だったのか」
『ちっ、違います! 魔道具で猫になっているだけですわ!』
どこかで聞いたやり取りだ。ただの猫ならどれほど幸せなことか。いや、今は現実逃避している場合ではない。
『レオネル様、女神があなたを呼んでいるの』
「女神が? セレーネ嬢は女神と話せるのか?」
『……ええ、まぁ。それで、「決断の時だ」と言えばわかるとおっしゃって』
「なっ⁉ どうして今なんだ!!」
『わっ、わたくしにはさっぱり……』
「そうだよな……、すまない。だが、少しだけ待ってほしい」
そう言ってレオネルは魔獣に突っ込んで行く。光魔法を帯びた剣で、巨大なドリルタウロスの首を切り落とした。向こうに転がるエクリプスの残骸も、切り口からしてレオネルとラルフが倒したのだろう。レオネルが叫ぶ。
「ラルフ! 少し外す。頼めるか⁉」
「おぅ、任せとけ! あとは雑魚ばかりだ」
剣を鞘に収めたレオネルは、黒猫に視線を合わせるようにしゃがんだ。
「それで、どうすればいいのかな?」
『もう少し安全な場所へ』
「わかった。失礼するよ」
『にゃっ⁉』
レオネルの腕に抱かれたセレーネは、猫らしい声を出す。いくら猫の姿とはいえ、とてつもなく恥ずかしい。そのまま腕の中に収まって顔を覆った。熱を逃がそうとする防衛本能が、耳から湯気を吐く。
居館の中へと走ったレオネルは、前方からやって来た人物に目を丸くした。
「ロザリン嬢⁉ 髪が長いな。それになんだか雰囲気も……」
『ダメ! レオネル様、逃げて!!』
「えっ?」
このままではレオネルも操り人形にされてしまう。レオネルは戸惑うばかりで動かない。ロザリンの顔をしたロマティカは、妖艶に微笑む。
「レオネル、その猫をこちらへ」
「っ……」
レオネルの目が大きくひらかれた。ロマティカの術にはまったのだろう。腕からそっと逃げようとしたセレーネは、けれど、力強く抱きしめられた。痛いほどではないが、これでは逃げられない。レオネルが歩き出した揺れを感じて、セレーネは絶望した。




