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第八章 02 女神の舞い

 ロマティカはセレーネを一瞥いちべつして鼻を鳴らす。


『ふん……お前か。わらわの半身をよこせ。大人しく渡せば魔獣たちを消してやろう』

「消す? そんなことができるの?」

『消すも呼ぶも、簡単なことじゃ。――ほぅら!』


 ロマティカは天に手をかざし、クルリと体を一回転させる。すると、空をおおっている暗雲あんうんから黒い恐竜――エクリプスが降ってきた。

 その巨体はセレーネの眼前がんぜんで結界に弾かれ、ドーム型の結界に爪を立てながら滑り落ちていく。地面に落ちたとわかる轟音ごうおんと振動が建物を揺らした。


「嘘でしょう⁉ 神器がなくても力が使えるの⁉」

『妾の神器は力を吸収するか、増幅させるためのものじゃ』

「そ、そうなの……」


 セレーネは引きつった口もとを扇子で隠し、あおぐフリをしながら考える。


(……結界内部には魔獣を落とせないのね。ほかには何ができるのかしら? まずは手の内をさらさせないと)


 空から降ってきたエクリプスに度肝どぎもを抜かれ、下ばかり見ていた討伐隊がようやくロマティカに気づく。三階の見晴台からレグルス辺境伯の声が響いた。


「セレーネ殿⁉ その子どもは⁉」


 ――なんと答えるべきだろうか。


「あなたはもう愛の女神ではないのよね?」

『なんだと⁉ 人間どもよ、よく聞け!! 妾こそは愛の女神ロマティカじゃ!! 妾の半身を早急に連れてくるがよい! さすれば魔獣を消してやろう』


 ロマティカの声は皆にも届いたようだ。下がザワザワと騒がしい。騒音から聞こえてきたのは、ロザリンが本当に女神の半身だったのかとおどろく声だ。誰もが半信半疑だったのだろう。

 そんな声に混ざって、ロマティカに対する感想も聞こえてきた。


「あれが愛の女神? 子どもじゃないか?」

「神殿の石像はもっと色気があるのに……」

「でも空に浮かんでいるぞ?」

「それなら、シリウス家のご令嬢だって浮かんでるじゃないか」


 なかなかに言いたい放題だ。ロマティカの耳に届いていなければいいが。チラリと少女のほうへ目をやると、小さい体をワナワナと震わせている。しっかり聞こえていたようだ。子どもの姿だとうなり声までかわいらしい。


『うぅうぅ、お前が空になど浮かんでおるから! 妾が目立たないではないか!!』

「とばっちりですわ」

『さっさと半身を連れてくるのじゃ!!』


 ロマティカは両手を広げ、クルクルと優雅にまわりはじめた。その仕草しぐさはドレスのすそを広げて楽しんでいるかのよう。また何か降ってくるのかと身構えたが、少しして周囲の異変に気づく。


(何? 結界の外にいる魔獣たちが移動してる?)


 唸り声をあげながら結界を破ろうとするのは同じなのだが、何かを目指している気がする。それはまるで、ロマティカに向かっているようで。


「まさか、自分をえさにして魔獣を呼び寄せているの⁉」

『ふ……、妾の可憐な舞に寄ってくるのじゃ』


 それは誇らしげに言うことだろうか。人が寄ってくるならまだしも、魔獣ではありがたみに欠ける。

 ロマティカの舞を見ているうちに、ロザリンの姿が重なった。ロザリンもよく両手を広げてクルクルとまわる。その愛らしい姿に男性たちはメロメロだった。


(まさか、ロザリン様に男性が集まるのはこれが原因⁉)


 暢気のんきに考えている場合ではなかった。結界にひずみが生じ、方々からあせりの声が聞こえる。


「結界にヒビが入ったぞ!!」

「重ねて張りなおせ!」

「だめだ、もう持たないっ!!」

「――おい、何やってるんだ⁉ 集中しろ!」


 叱咤しったする声のほうを見れば、結界を張っていた魔術師のうち数人がロマティカを見上げ、恍惚こうこつとした表情を浮かべている。ロマティカの舞に魅了されたか。

 三階の見晴台からも叱責しっせきが飛ぶ。


「何をボーッとしている! 気を引き締めろ!!」

「一発殴ってやれ!」


 魔術師よりも騎士のほうが重症のようだ。目はトロンとして、ひたすらロマティカの動きを目で追っている。


(ロマティカの舞を止めなければ! 見た目が子どもだからやりづらいわね)


 黒扇子をパチンと閉じて雷をまとわせる。クルクルとかわいらしく舞うロマティカに向かい、心を鬼にして振り下ろした。

 雷はロマティカを直撃し、舞は止まったものの、今度は大声で泣き出した。子どもの泣き声が大人たちの庇護ひご欲をきつける。


「なんてひどいことを!!」

「あれはたしか、悪役令嬢と噂の……」

「悪役令嬢を引きずり下ろせ!!」


 騎士たちは剣を抜き、魔術師数人はセレーネに向かって詠唱を始めた。呪文からして風属性の攻撃魔法を放つつもりだろう。


「冗談よね⁉ ……え、本気?」


 まともな魔術師は結界を張るのに集中しているため、止める余力よりょくはない。数人抜けたせいで、ところどころの結界が薄くなっている。砦を囲む城壁の上では、亀裂きれつから侵入した魔獣との戦闘がはじまった。しかも戦っているのはレオネルだ。


(どうしよう、わたくしが結界を張るべき? でも……)


 この砦を覆うほどの結界は、張ることはできても長時間の維持はかなりの魔力を消費する。しかもロマティカの相手もしなければならない。飛んできたカマイタチを避けながら考える。けれど、焦りばかりつのって考えがまとまらない。

 そんなセレーネの迷いは、レグルス辺境伯によって晴らされた。


「皆落ち着け!! 女神に気を取られるな! 騎士は亀裂の前に待機! 入ってきたところを討て! 魔術師は穴をあけてもかまわん、今の状態を維持せよ!!」

「「はっ!!」」

「セレーネ殿は、女神の相手を頼む!」

「わかりましたわ!」


 混乱はすぐに収まった。さすが辺境伯は戦い慣れている。ロマティカにも惑わされていないようだ。ロマティカは忌々しそうに顔をゆがめた。


『くっ、持久戦はこちらも分が悪いな。仕方がない』


 ロマティカは手をハート型に合わせ、中心にピンクの光る玉を作り出す。それを砦の二階部分に向かって放った。当たった箇所が熱に溶けていく。いびつなハート型の穴ができあがった。


(うわぁ、受けたくない……なんて言ってられないわね)


 一球は見送ったセレーネだったが、次はなんとか受け止めた。扇子にまとわせた防御結界で防げたが、間近まぢかで熱をあびて肌がヒリつく。防御魔法を刺繍ししゅうしたローブを着込んでいるというのに、体にも熱が伝わるほどだ。


(熱い……、皮膚がただれそう。集中、しなくちゃ)


 治癒魔法を使うヒマもなく、また次が放たれる。


「――きゃっ!!」


 半端な集中力で作った防御結界はもろかった。ロマティカの攻撃はセレーネを弾き飛ばし、飛散ひさんしたピンク色の熱が、結界を張る魔術師たちの背中を焼く。叫び声があちこちであがり、一部の結界が失われたことで魔獣がなだれ込んできた。すぐにレグルス辺境伯の指示が飛ぶ。


「結界を分散するな!! 今のままでいい! レオネル、ラルフは南へ!! 西へは私が行く!」


 吹き飛ばされ、横たわるセレーネのそばに駆け寄り、辺境伯が抱き起こす。


「セレーネ殿、無事か⁉ 過酷かこくな役目を負わせてすまない。……だが、私の本能が告げるのだ。女神の相手が務まるのは、あなたしかいないと」

「ふふ、光栄ですわ。……行ってくださいませ」

「すまない、頼む!」


 なけなしのプライドで口角を上げて見送った。軽口を叩いてみたものの、セレーネの心にも大きな亀裂きれつが入っていた。女神相手に何ができるというのか。


(寒い……)


 きもが冷えるどころか全身が冷えきっている。亀裂から入る冷たい風のせいだろうか。手先など、かじかんで感覚がない。


(ロマティカを、止めないと……)


 そう思うのに足が震えて立ち上がれない。こんなことは過去のどの経験にもなかった。辺境伯は正しい。ロマティカの相手ができるのは、聖女であるセレーネしかいない。


(立って! 動かなければ……)


 どんな訓練でも感じなかった恐怖がセレーネに覆い被さる。感情がなければすぐに立ち上がれたのに、今のセレーネにはそれができない。どうにもづいてしまう。

 女神の愛し子なんてただの人間だ。人より魔力がたくさんあるというだけで、女神の力にかなうはずがない。またあの熱をあびれば、今度こそ皮膚が焼けるかもしれない。


 すぐそこで、背中を焼かれた魔術師たちがうめき声をあげている。焼け焦げた匂いが鼻から入って喉をつく。ウッと嘔吐えずいても胃液しか出てこない。晩は食欲がなくて何も食べていなかった。


 戦いに来たというのに、ふと頭に浮かぶのはレオネルや怜央のことばかり。これは月衣が選択した道。セレーネもそれを受け入れた。こんな苦しみを味わうことになるとも知らずに。


(がんばって何になるというの? 愛する人はわたくしを選ばないのよ)


 弱りきった心に追い打ちをかけるように、ロマティカがセレーネに向けて灼熱しゃくねつのハートを放つ。恐怖に支配された体は動かない。もう息を飲むしかなかった。



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