第七章 06 レオネルの言い分
(レオネル様は怜央じゃない。もう、月衣の大好きな怜央はいないのよ!)
そう考えて違和感に気づく。レオネルに対するこの気持ちは月衣のものではない。これはきっと、セレーネのものだ。恋心など感じることのなかったセレーネにとって、レオネルは初恋の相手だった。
(初恋は実らないって……本当なのね)
地面に地図が描かれていく。こんな状況だが、今回は後ろの気配にも気づいた。それでも涙は止まってくれない。
「お嬢様……」
『……なによ?』
「誰に泣かされたのですか?」
『誰でも、ないわ。投げたブーメランが、戻ってきた、だけよ』
「ぶーめらん?」
『……。とにかく、これは……自業自得だから、気にしないでちょうだい』
震えていた声が少しマシになってきた。それでもレイヴンと顔を合わせたくなくて下を向き続ける。そんなセレーネを、レイヴンはヒョイと抱き上げ、走り出した。
『ちょっと、どこへ行くのよ⁉』
「あそこは人が来ますから」
建物の陰へ入り、レイヴンはセレーネを石のベンチの上に降ろす。ひざまずいたレイヴンと目の高さが同じになった。労るような視線が余計に惨めな気持ちにさせる。セレーネはフイッと顔をそむけた。
『なに?』
「お嬢様、王太子殿下はあなたを化身様の盾になさるおつもりです」
『ええ、知っているわ』
「……私はそのようなこと、許すつもりはございません」
『でも、それがわたくしの使命よ』
「それを知っていれば、オリヴィア様は同行を許さなかったでしょう」
「そうかしら?」
王命とあらば従うのが臣下の務めだ。いかに祖母が強くても、逆らえるはずがない。
「お嬢様……、このような精神状態で討伐に向かわせるわけには参りません」
『王命に逆らうというの?』
「王太子命令であって、王命ではございませんから」
『そんな理屈が通用すると――』
言いかけてセレーネは口を閉じる。人の気配がしたのだ。レイヴンも気づいて立ち上がる。
「どなたでしょうか? 盗み聞きとは品のない……」
セレーネがいるベンチの影から、ニュッと顔をのぞかせたのはラルフだった。気まずげに視線を泳がせている。まるで生首が地面から生えているかのよう。なんともシュールな絵面だ。
「……すまない、影の中で昼寝してたら聞こえて」
ラルフの得意な魔法は闇魔法だ。影の中に入り込んで出づらくなるのはセレーネも経験したことがある。ちなみに人影の下に入っても、人は透過して見えるので、スカートの中などは見えない。だからこそ、出るときには注意が必要だ。
『それは……、確認を怠ったわたくしたちが悪いのですわ。お邪魔してごめんなさい』
「いや……それより、なんで猫なんだ?」
『……猫は、神が創りたもうた最高傑作なのです』
「話が噛み合わねぇ」
もう涙も止まり体の震えも消えたが、人間に戻るのは勇気がいる。猫の姿のまま、セレーネは目も合わせようとしない。影から這い出たラルフは居館に向かいながらも軽く手を振った。
「まぁ、あれだ。ロザリンは俺とレオで守るから、気にしなくて大丈夫だぞ」
気を遣って言ってくれたのであろう言葉が、今のセレーネには突き刺さる。
『そう、ですわね。おふたりがいれば安心ですわ』
「ああ。任せとけ!」
ニッと笑って去って行くラルフを見送り、今度こそセレーネは顔を突っ伏した。香箱座りで顔をベンチにめり込ませれば、“ごめん寝”のできあがりだ。勢いあまって鼻をぶつけたが、患部をさする気力もない。
「お嬢様⁉」
『しばらく放っておいてちょうだい』
「そういうわけには参りません。…………撫でても?」
『お触り厳禁!!』
「そんなっ」
召集がかかるまでずっと、セレーネは石のベンチでうずくまり、レイヴンはソワソワしながら横で見守るのだった。
***
ロザリンの部屋に戻ったセレーネは、入るなりアーサーに詰め寄られた。
「セレーネ! どうしてロザリンから目を離した⁉」
「……弟が気になって、会いに行っておりましたの。何かございましたか?」
アーサーの後ろにいるロザリンを見ても、特に何かあったふうでもない。
「ほかの男の目に触れさせるなと言っただろう!」
「これから戦いに赴くというのに、それは無理な話でしょう」
「ハァ……、もういい! ロザリンは私が守る!」
「賢明なご判断ですわ」
部屋にはアーサーとロザリンしかおらず、ブレイズの姿がない。ふたりきりにしてしまったことはセレーネも少しだけ反省した。
しばらくしてミルザム団長がやって来た。食堂では最終会議がひらかれていたらしく、その内容をアーサーに報告する。
「主要な魔獣は領の北東に集まっており、一網打尽にしやすいとのこと。討伐隊は北東を目指します。ご準備ください」
「一カ所に? 北東に何があるんだ?」
「索敵隊の報告では……、温泉に浸かっているらしく」
「おんせん?」
「温かい湯が湧き出す泉にございます」
なんと、魔獣たちは温泉を楽しんでいるようだ。真冬ならではの行動だろう。今が夏であったなら、群れることなく好き勝手に暴れていたはずだ。
(羨ましい……わたくしも温泉に浸かりたいわ)
そうすればこの陰鬱な気分も吹き飛ぶに違いない。準備を終え、ロザリンと腕を組んで歩くアーサーの後ろについていく。ボーッとしていてもアーサーの青いマントを追って行けば、しかるべき場所に着くだろう。
青いマントについて一階に下りる。食堂のそばを通り過ぎ、玄関ロビーの辺りでやっと、青色が濃い紫色に変わっていることに気づいた。しかもマントではなく騎士服だった。
「……あら?」
のろのろと顔を上げると、金緑の瞳にセレーネが映っていた。ミルクティ色の髪より先に目が見える。それは顔がとても近いということだ。
「っ……れ、レオネル様⁉」
「セレーネ嬢、ちょっといいかな?」
のけぞったセレーネのすぐ後ろには壁があった。頭を打つかと思いきや、壁と頭のあいだに挟まった大きな手によって衝撃を免れた。
(あっ……手、痛かったんじゃ……)
手に気を取られていると、レオネルが物陰に誘った。
「こちらへ」
決して強引ではないが、有無を言わさぬ気迫を感じ、セレーネは言われるがままに足を運ぶ。広い玄関ホールの太く頑丈な石柱を背に、レオネルは片手をそっと壁につく。乱暴に置かないところがレオネルらしい。
「僕の話を聞いてほしい」
「な、なんですの⁉」
「今からする言い訳を、どうしても君に聞いてほしいんだ」
切実な顔で迫られ、セレーネは頷くしかない。できればもう少し距離を取ってほしいが、離れがたくもある。
お願いするべきか迷っているうちに話がはじまってしまった。
「子どものころ、僕はどうしょうもない悪ガキでね」
レオネルは昔から腕っ節が強く、剣術にも体術にも優れており、将来を有望視されていた。とはいえ、調子に乗ってケンカが絶えないような子どもだったという。
そんなレオネルも十歳を過ぎるとお茶会などに出席するようになる。整った顔立ちのレオネルには令嬢がたくさん群がった。その中でもひときわ積極的な令嬢がおり、嫌がるレオネルにつきまとう。面倒になったレオネルは行動に出てしまった。
「そんなに強く押したつもりはなかったんだ」
なのに令嬢は尻餅をつき、手首を押さえてひどく痛がった。すぐに謝って手を差し伸べたが、大号泣されてお茶会は中断。レオネルは両親が頭を下げるのを、情けない思いで見ていたという。
「それ以来、女性を突き放すのがどうにもおそろしくて。ラルフがいればうまく引き離してくれるんだけど……」
「だからロザリン様を引き離せなかったと?」
「そうなんだ」
レオネルにも事情があって、トラウマから動けなかったようだ。それはわかった。
けれど――
「どうしてそれをわたくしに?」
「……わからない」
「はい?」
「なぜだかわからないが、君には伝えておきたかった」
なんだそれは。ちゃんと理由を明確にしてから話してほしかった。やっつけ仕事にも程がある。
うろんな目で見つめてもおかまいなしに、レオネルは続ける。
「僕は、君のように強い女性となら――うっ、待ってくれ! どうしても……」
「レオネル様?」
レオネルが急に膝をつき、頭を押さえて苦しみはじめた。
セレーネもオロオロしながら座り込む。
「どうなさったの⁉ 頭が痛むのですか⁉」
「頼むから、待ってくれ。時間が欲しい――いいや! 月の聖女はいないんだ!!」
月の聖女とはセレーネのことだ。王太子との婚約が解消された今、知られても問題はない。できればあのふたりが結婚するまで待ちたかったが。
意を決したセレーネは口をひらく。
「月の聖女は、わた――」
「オイ、こんなところにいたのか! って、あ……」
遅れてセレーネに気づいたラルフは、ただならぬ雰囲気に目を泳がせる。しかし、頭を押さえたレオネルを見て、すぐにしゃがみ込んだ。
「セレーネ嬢、王太子殿下が呼んでる。先に行ってくれ」
「でも、レオネル様が……」
「こいつは大丈夫だ。すぐに落ち着く」
まるで“よくあること”のような言い方だ。ラルフに追い立てられ、セレーネは討伐隊の後方へ向かう。
レグルス辺境伯を先頭にした討伐隊は、セレーネが見るかぎり、前衛に実力者を置いた布陣のようだ。王族は引っ込んでいろと言わんばかりの配置だが、アーサーは気にすることもなく、馬の上でふんぞり返っている。その後ろでロザリンは不安そうな顔だ。初めて馬に乗るのであろう。ここまでは馬車だったと聞く。
「セレーネ! ロザリンのそばを離れるな!」
「……ええ」
玄関から出てきたレオネルたちを目で追いながら、気もそぞろに返事をする。もう普通に歩けているようだ。
「聞いているのか⁉」
「ええ……」
レオネルたちは先頭組についた。実力からしても申し分ない配置だ。ふたりとも、前に人がいないほうが剣を振るいやすい。ただ、そのすぐ後ろでセレーネが支えられないことを残念に思った。
魔法の馬に跨がり、セレーネは一行の後ろにつく。そのさらに後ろから馬のいななきが聞こえた。振り返って目を疑う。
「クリス⁉ レイヴンも、どうしてついてくるのよ? あなたたちは補給部隊の手伝いでしょう?」
「レイヴンがいいって!」
「おふたりを見守る任務を請け負っておりますので、苦渋の決断にございます。私に分身する才能があれば……くっ、不徳の致すところ!」
「ハァァ……、心配事が増えたわ」
レイヴンは肉体派で攻撃魔法は使えないし、クリスはこれが実戦デビューとなる。セレーネには守るべきものがたくさんある。
(悩んでいるヒマはないわね)
気を引き締めて前を向く。魔法の馬は、先ほどよりも軽やかに走り出した。




