第七章 05 報われない恋をしているのは
討伐隊の食事が終わったあと、食堂に各隊長を集めて作戦会議が行われる。レオネルも参加するらしく、セレーネもついて行こうとしたがアーサーに止められた。
「セレーネはロザリンとここにいてくれ」
「そんな⁉ ずっとこの部屋にいるのは息が詰まりますわ!」
「ロザリンを外に出すわけにはいかないのだ。頼む」
「ロザリン様の魅力に討伐隊がやられるから……でしたっけ?」
「そうだ。ロザリンは愛の女神だからな」
ばかばかしいと一蹴できないところがつらい。事実ロザリンは学園の男子生徒たちを虜にしているのだから。彼女の何が男性を夢中にさせるのかはわからない。セレーネから見てもかわいらしいとは思うけれど。
皆が出て行ったあと、お腹が膨れたロザリンはベッドに寝転んだ。疲れていたのか、すぐに寝息が聞こえだす。少しのあいだ起きないだろう。
部屋の外には近衛騎士が立っている。廊下からはだめだ。拳大の大きさに窓をあけて指輪の石に手をあてた。
「変幻」
黒猫に姿を変え、窓の隙間から一階まで伝い降りる。アイリスの言うように、自力で空が飛べる動物だったら楽だろう。変幻中は魔力が抑制されるため、魔法が使えない。
食堂の窓からのぞき見れば、レグルス辺境伯が状況説明をしているところだった。
監獄内の住人たちはそれぞれ家の中に閉じこもっている。どの家も洞窟を住処にしており、冬支度を終え、籠城にも耐えられるらしい。念のため物資を届けつつ、魔獣を討伐していく作戦だ。
補給部隊とそれを守る部隊、そして討伐隊に分かれて行動する。人間相手ではないから手の込んだ奇襲などは考えずにすむ。しかし索敵は必要なので、その人員を募るようだ。
「誰か、我が息子とともに行ってくれる者はいるか?」
「じゃあ俺が」
手をあげたのはラルフだ。レオネルは最初からメンバーに入っている。
「ではシリウス家から魔術師ふたりを派遣します」
領団長フェルナンの提案で、一班の人員は決まった。四人構成の班をいくつか募り、各討伐隊から手が上がっていく。
「うむ、三班くらいでちょうどいいだろう。では次に移る」
次の議題を待たずに索敵隊は立ち上がり、レオネルは行ってしまった。門へ先回りしたセレーネは、どうやってついて行こうかと考えをめぐらせる。ロザリンのお守り役のことなど、スッポリと頭から消えていた。
(シリウス家の魔術師なら、話せば連れて行ってくれるかも……?)
猫の姿だからと油断していたようだ。セレーネは後ろから迫る人影に気づかない。気配に気づいたのは、首をつかまれる寸前だった。
「いけない猫さんですね?」
逃げ遅れた黒猫は男の声に毛を逆立てる。とても聞き覚えのある声だ。
「この艶やかな毛並み。お嬢様ですね?」
『うっ……レイヴン、どうしてわかったの?』
「やはりお嬢様でしたか」
鎌をかけられたのか。黙っていればもしかしたら、やり過ごせたかもしれない。そう思ったのも束の間、レイヴンは胸もとからギルドチップを取り出した。
「これは私のギルドチップです。ちょいと魔力を込めれば、お嬢様がどこにいらっしゃるのか一目瞭然です」
『なんですって⁉』
「ギルドチップは家族や仲間との絆でもあるのですよ。ああ、遠隔で保護者登録をしたのはオリヴィア様ですので、あしからず」
『……ということは、わたくしも登録すればレオネル様の場所がわかるの?』
「そうですね。ただ、身内でない者の場合は、双方の合意が必要になります」
おしゃべりをしているあいだにも、レオネルたちは門をくぐり抜けていく。どうやら徒歩で行くようだ。
『レイヴン、ちょっとだけ行ってみない?』
「外に出たら最後、合言葉がなければ中へは入れてもらえません。それでも行きますか? ちなみに結界が張られているので転移は不可能です」
『そうなの? でも、レイヴンなら合言葉を知ってるんじゃない?』
「いえまったく。というわけで、大人しく戻りましょうね」
しっかりと抱きかかえられ、セレーネは肩越しに振り返る。
(レオネル様、どうかご無事で)
重く閉ざされた門は、次の日になってもひらくことはなかった。
***
部屋から出られないまま三日経つ。セレーネもロザリンも限界を感じていた。
レオネルが帰ってきたという知らせもない。索敵隊が帰ってこないまま動くことはないから全員待機の状態だ。とはいえ補給部隊は地図を片手に忙しそうに準備している。セレーネも何か手伝えれば気が紛れるというのに。
部屋に入り浸るアーサーとブレイズがそれすら許さない。とうとうロザリンが切れた。
「もう帰りたいですっ! あっでも、帰ってお妃教育もイヤだし……どうすればいいの⁉」
「ロザリン……、母上を納得させるには功績をあげねばならない。そうすれば多少ほかがダメでも許される」
アーサーの言い分もどうかと思うが、女神の力を示せばおのずとそうなっていくだろう。女神信仰に厚い我が国ならば、むずかしいことではない。
アーサーがせっかくなだめたというのに、横からブレイズがいらない口を挟んだ。
「ロザリン、王妃が重荷なら……おれと結婚するという手もあるぞ?」
アーサーの顔色が変わった。剣呑な空気が部屋に満ちていく。
「ブレイズ! 貴様……」
閉じ込められて鬱憤を溜めていたのはセレーネたちだけではなかった。アーサーとブレイズが揉めはじめ、ドアの外にいた近衛が何事かと止めに入る。殴り合いに発展しそうな雰囲気にオロオロしていると、ロザリンがセレーネの袖を引いた。
「セレーネ様、今のうちですよっ」
「えっ?」
小声でささやいたロザリンはドアに視線を送る。あけ放たれたドアの外には誰もいない。セレーネたちはそっと抜け出し、三階の見晴台に登った。一階は人が大勢いるだろうからと三階を選んだのだが、ここにもやはり人はいる。
こちらに向かってくるふたりは、レグルス辺境伯とミルザム団長だ。逃げる場所もないセレーネたちは笑ってごまかすしかない。けれど、男性ふたりは外出を咎めることもなく、うやうやしく胸に手をあてた。
「これはご令嬢方、気分転換ですかな?」
「え、ええ」
レグルス辺境伯のおおらかな物言いに、セレーネたちはホッと胸をなで下ろす。
隣にいるミルザム団長もブレイズとは違って穏やかな人柄のようで、
「今日は霧が深くてあまり遠くが見えませんから、つまらないでしょう。風に当たりすぎてお体を冷やしませんように」
「はい、気をつけますわ」
にこやかに通り過ぎようとした男性ふたりだったが、辺境伯が「そういえば」と振り返る。
「シリウス公爵令嬢殿には息子たちが世話になったようで、お礼を言う機会を逃すところでした。ありがとうございます」
「いえ、そんな! こちらこそレオネル様にはたくさん助けていただきましたの。感謝してもしきれませんわ」
はにかむセレーネを見て、辺境伯の黄金の瞳が光った。
「ほほう……ところで、お名前でお呼びしても?」
「もちろんですわ、閣下」
「セレーネ殿は辺境の地に興味はございませんかな? 魔獣は出ますが、その腕前なら狩りも楽しめると思いますが」
遊びに来いという意味か、それとも……。
セレーネは真意を測りかねて探りを入れる。
「狩りのお誘いでしょうか?」
「ウチの息子はお眼鏡に適いませんかな?」
「っ――!!」
これは『嫁に来ないか』とのお誘いだ。行きますと返答しそうになり、口もとを押さえて恥じらう。うれしいけれど、レオネルの気持ちを無視するわけにはいかない。なんと返事をするべきか……考える間もなく、男の声が割って入った。
「――父上!! 何を言ってるんですか! セレーネ嬢、申し訳ない」
「レオネル様、戻られていたのですか⁉」
「つい先ほど戻って報告に上がったら……これだ。油断も隙もない」
レオネルに半眼で睨まれても辺境伯は飄々としている。セレーネの後ろにずっと隠れていたロザリンが、レオネルを見つけて飛びついた。
「レオネルさまぁぁ! ご無事で何よりですぅ!」
「うあっ、ロザリン嬢⁉ なぜ外に……?」
レオネルが慌てふためくも、ご機嫌なロザリンは抱きついて離さない。
これには辺境伯もミルザム団長も目を疑った。ロザリンは王太子の婚約者だ。ほかの男性に飛びつくなどありえない。辺境伯は自分の息子へ矛先を向ける。
「レオネル!! まさか、お前が現を抜かしておる相手は、王太子の婚約者殿か⁉」
「ち、違います!! ロザリン嬢、離れて!」
「これは由々しき問題だぞ、王家にケンカを売るつもりか⁉」
「ですから誤解です!! ロザリン嬢、頼むから離れてくれっ!」
無理には引き離せないのか、それとも離れたくないのか。セレーネには見分けがつかず、手を出すこともできない。きっと後者だろう。だって、レオネルは言っていた。
「……レオネル様は、好きな人に『顔向けできない行動は慎みたい』とおっしゃってましたわね。自分から離れられないのなら、それはロザリン様がお相手ということで間違いないのでは?」
心の中にとどめるべき言葉が口から出てしまった。皆の視線がセレーネに集まる。ハッとして居たたまれなくなり、それでも逃げ去るようなまねはしたくなくて、肩越しに憎まれ口をひとつ落とす。
「報われない恋は、おつらいですわね」
すました顔で言い放ち、セレーネは来た道を戻る。ゆっくりと歩くのは反論を受け入れる余地があると示すためだ。けれど、誰も何も言ってこない。
震える肩をごまかすようにリズミカルに階段を下りる。手も足もカタカタと震え、一歩間違えれば階段から転げ落ちそうだ。
(わたくしは……なんてかわいげのない女なの。ロザリン様が愛されるのは当然だわ)
もう誰も見ていない。階段を早足に駆け下り、一階から外に出る。「変幻!」と唱えてなんとか間に合わせた。猫の姿なら涙はほとんど出ないと思ったのに、びっくりするほど大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる。
最初は、生きていてくれるだけでいいと思った。でも少しだけ、その視界に入りたいと思ってしまった。ひとつ叶えば次の欲が――自分はこんなにも欲深い人間だったのか。
(報われない恋をしているのは、わたくしのほうね)
投げたブーメランは見事にセレーネを直撃した。刃物が食い込んだように心臓が痛い。自分で投げたのだから受け止めるべきだ。




