第六章 03 魔道具の指輪
アイリスは生まれたときに石を持っていたことで、将来の道を決められて育った。大人たちから大聖女についての講義を受け、過去の大聖女の日記を読む機会を得た。そこにはブラックな日常がこれでもかと綴られていたのだ。
大聖女の仕事は意外にも体力が必要で、一日の始まりは日の出とともにランニングと筋トレ。ときには騎士たちについていく体力が必要だからだ。そして魔術師たちに混ざって訓練の日々。聖女の力は国を守るためにある。
そして禁書の整理や修復作業。これがまた腕にくるのだと愚痴られていた。
「筋トレなんて、わたくしには無理です!! 筋肉は鑑賞するものですわ! それに魔道具を作る時間が惜しいですもの……」
日の出とともに筋トレ・ランニングで始まる毎日か。それはセレーネも遠慮したい。お先まっくらと沈むふたりの前で、テティスが小さく手をあげた。
「私……平気かもです。魔法の訓練も楽しいですし」
「「ええっ⁉」」
「前世は造園業で力仕事でしたし、うちは仕事詰まってたから、寝る時間なんて三時間取れたらいいほうで」
テティス曰く、貪欲な営業たちのおかげで遠方まで出向くことも多く、日の出前に出かけて戻ってくるのは真夜中。それが何日か続くこともあったという。
セレーネは深く反省した。
「ごめんなさい、テティス様。わたくし、勘違いしていたわ」
「わたくしもですわ……、てっきり裏社会の御方かと……」
「――えっ?」
「だって、姐さんとか……」
アイリスが申し訳なさそうに言えば、テティスは「ああ!」と笑った。
「たしかに“姐さん”はないですよね。あれは親方のお姉さんを、誰かがそう呼びはじめてから癖になっちゃって」
テティスは眉尻を下げて頭を掻く。けれどすぐに真顔になった。
「あの! 私は大聖女になってもいいんですが、ひとつお願いがあります!」
「何かしら?」
「片をつけたいことがあるんで、それまでは聖女だと公表するのを待ってもらいたいんです」
それなら、とセレーネも乗っかる。
「わたくしも、もうしばらくは公表を待ってもらえるとありがたいわ」
セレーネとしては婚約が解消され、王太子とロザリンが結婚するまでは隠しておきたい。ふたりの視線がアイリスに集まる。渋られるかと思いきや、アイリスは快く頷いた。
「もちろん、かまいませんわ」
「よろしいのですか?」
「ええ、わたくしも保険はかけておりますので」
「「保険⁉」」
アイリスが女神と契約したのは学園に入る二年前だという。フュージョンした片割れはプログラマで、魔法陣の仕組みを理解するのに相性がとてもよかった。すぐにのめり込んで魔道具師を夢見たアイリスは、“未契約”を装うことにした。
「そんなこと、可能なのですか?」
「ふふ。わたくしの魔道具をもってすれば、可能なのです!」
アイリスが袖をほんの少し捲ると、細い手首には銀色の輪っかがはまっている。
「これは魔力制御ブレスレットですわ。その名のとおり、魔力の出力をコントロールできますの。このツマミをこうして……」
ブレスレットは二重の輪っかになっており、それぞれに小さな丸い突起がついている。その突起を近づければ魔力は抑えられ、遠ざければ解放される仕組みだ。カチカチとひと目盛りずつ止まるので、勝手に動くこともない。
「ですが、魔力抑制カラーとは違って、最大でも実力の半分程度しか抑えられませんの」
魔力抑制カラーとは、魔力持ちの犯罪者などを取り押さえるときに使われる首輪型の魔道具だ。カラーを着けると、人間の活動に必要な魔力すら抑え込んで動けなくなってしまう。
「ぜんぶ抑え込んでしまわないというのは、逆に強みですわね。しかも調節ができるのでしょう?」
「ふふ、さすがセレーネ様。お目が高いですわ」
これを使って入学当時に行われた魔力測定を乗り越えたという。女神と未契約のセレーネよりも魔力が低い値だったのは、こういうからくりがあったのだ。
セレーネとテティスは目を輝かせ、アイリスの瞳もキラリと光る。
「よろしければお作りしますわよ?」
「「ぜひっ!!」」
「あっ、セレーネ様にはお約束のものを」
アイリスが立ち上がって机に向かう。セレーネは声を弾ませた。
「とうとう完成したのね⁉」
「ええ、大変お待たせしましたわ」
それはセレーネが渡した“月の石”の指輪だ。
アイリスの説明によれば、指輪の石には魔力を貯めておくことができ、魔力切れを起こすと動物に変身する。その際には、体のどこかに石をあててしばらくすると、魔力が体に補充される仕組みだ。
「すばらしいですわ! 魔力切れを起こすと動けなくなりますものね」
「そうなのです! わたくし、フュージョンする前はよく魔力切れで倒れておりまして。それで思いついたのですわ」
「なるほど、そういえば変身機能は? 魔力がなくならないと発動しませんの?」
「もちろん、ついておりますわ。指輪を着けた状態で石に手をあて、『変幻』と唱えてくださいませ」
指輪を装着したセレーネは月の石に触れ、わくわくしながら「変幻」と唱える。すぐに体に変化が訪れ、縮んでいくような感覚に襲われた。
椅子の座面が近い。というより寝そべっているような気がする。体を起こして自分の手を見れば、硬そうな鱗に覆われたネズミの手が見えた。その腕にはセレーネの指輪がはまっている。
『ヒッ⁉ アイリス様、これはなんですの⁉』
「うふふ。なんだと思います?」
含み笑いをしたアイリスは、セレーネの前に鏡を置いた。鏡に映ったのは全身に鱗の鎧をまとった黒い――
『――ネズミ⁉』
首をかしげたセレーネに、テティスが興味津々で顔を寄せる。
「これは、アルマジロではないでしょうか?」
『は、はあぁぁ⁉ アルマジロですって⁉』
「テティス様、正解ですわっ! ミツオビアルマジロですから、丸まれば敵なしですわよ!」
これでもかとアイリスは胸を張るが、アルマジロは強く抗議した。
『ほかの動物を希望します!! まだドラゴンのほうがマシですわ!』
「ドラゴン⁉ ドラゴンになれるんですか?」
テティスが食いつく。得意顔のアイリスはネックレスに手をあて「変幻」と唱えた。途端にアイリスの体が縮み、銀色のドラゴンに姿を変えた。体は髪色に左右されるらしい。
「おおお⁉ ドラゴンだっ!! 羨ましいっ」
『テティス様にもお作りしましょうか?』
「いいんですか⁉」
『ええ、大聖女を引き受けてくださることを条件に、格安でご提供いたしますわ』
とにかく神殿には勤めたくないらしい。テティスのほうもお安い御用だとばかりにコクコクと頷いた。そんななか、面白くないのはセレーネである。
『アイリス様! こちらをどうにかしてくださいませ! こんなの目立って、逆に危険ですわ。珍獣として売り飛ばされたらどうするつもり⁉』
『あ……、ドラゴンと違って空を飛べませんものね。それは考えが及びませんでしたわ。では空を飛ぶ強そうな生き物で……』
『待ってちょうだい!! 普通の! その辺にいる生き物で……、猫! 猫でお願いしますわ!!』
『猫では空を飛べませんわ』
『いいから! お金は倍払います! お願いだから猫にして!!』
涙の訴えよりも、お金のほうが響いたようだ。銀色ドラゴンの瞳には金貨の山が浮かんで見える。
『倍ですって⁉ 承知しましたわ!』
『あとこれ、どうやったら変身が解けるの?』
『解除――』
アイリスが口にした途端、人間の姿に戻った。
「――と、唱えれば解けますわ」
『解除!』
人間に戻ったセレーネは、指輪を引っこ抜いてアイリスに握らせた。
「お願いしますわ、……いいですか? “猫”ですわよ。普通の!」
「わかりましたわ。そうだ、テティス様の指輪もお預かりしますね」
「はいっ!」
こうして慌ただしい一日が終わり、セレーネたちは日常に戻っていった。