第六章 01 様子がおかしい
学園の女子寮――セレーネの部屋に転移した三人は、直後アイリスの悲鳴を聞くことになる。
「きゃあぁぁ――あ⁉ セレーネ様? びっくりしましたわ……」
玄関口に転移したため、ドアをあけたアイリスとかち合ったのだ。
「ごめんなさい、アイリス様。ただいま戻りました」
「お帰りなさいませ」
挨拶を交わしているあいだにも、ロザリンが居室のほうへ向かおうとする。
「ねむい……べっどぉ……」
「ロザリン様⁉ ご自分のお部屋に戻ってから寝てくださいませっ」
セレーネに襟首をつままれ、ロザリンは玄関の外へ放り出された。心配したのは一瞬だけ。あの様子なら大丈夫だろう。ふらふらしていると見せかけて、足取りはしっかりしている。
同じく部屋に戻ろうとするテティスを、セレーネが引き止めた。
「テティス様は残ってください。大事なお話があります」
「ひぇぇ⁉」
「わたくしは遠慮しましょうか?」
「アイリス様にも聞いていただきたいの」
部屋の中へ招き入れ、室内に防音結界を張る。セレーネのただならぬ様子に、テティスもアイリスも困惑するばかりだ。
セレーネはテティスの手を引いて長椅子に腰かける。その向かいにアイリスが座った。ふたりともセレーネが口をひらくのを、固唾を飲んで見守るしかない。
「……実はわたくし、月の女神シンシアと契約した“月の聖女”ですの」
「「っ――⁉」」
おどろきに言葉を失ったふたりのうち、アイリスが思い出したように言う。
「あっ⁉ 感情をあらわすようになったのは、もしかして……」
「ええ、婚約破棄を告げられている最中に、女神に呼び出されたわ」
「あらでも、セレーネ様は石を持っていなかったのでは?」
セレーネは頷いて、もうひとりの自分――月衣が石を持っていたこと。本当なら月衣の人生にセレーネが吸収されるはずだったのに、女神と取引し、セレーネとして生きる道を選んだことを話す。ついでに今日起きた出来事を、アイリスには説明しておいた。
「黙っていてごめんなさい。わたくしを悪役に仕立てた黒幕をつかむために、手札は取っておきたかったの」
「それじゃあ、黒幕はわかったのですか?」
アイリスの質問に頷いて隣を見やれば、テティスは椅子から浮くほど飛び上がった。セレーネはフッと笑みをこぼす。
「真の黒幕は……、愛の女神ロマティカだったのよ」
「「ええっ⁉」」
自分が断罪されることを覚悟していたのか、違う答えを聞いてテティスも目を丸くした。
「テティス様が持っていた羽ペンと、ロマティカが持っていた羽ペンは対になっていたわ。人間を使って自動書記させていたのはロマティカよ」
女神の愛し子という条件つきではあるが、人間に片方を握らせて、実際に物語を書いていたのはロマティカだ。
物語の強制力について、セレーネはテティスに確認しておきたいことがある。
「テティス様、あなたとスカーレット様は物語のとおりに進まないから動いたのよね?」
「はっ、はい! 大変申し訳ございませんでした!!」
ということは、物語自体に強制力はないはず。この先まっとうに生きれば、おそれることもないだろう。
「まぁ、その件についてはあとでキッチリ責任を取ってもらうとして……」
ひゅっと息を飲んだテティスの手を取り、セレーネは海の石の指輪を見つめる。
「テティス様、まずはフュージョンしましょう!」
「ふゅ、ふゅーじょん?」
「――えっ、ということは、テティス様も女神の愛し子なのですか⁉」
「わ、私が⁉ そんな、まさか……」
「この海の石を見たとき、直感でそう思ったの」
鑑定眼のことだけは誰にも言うつもりはない。もっともらしい言葉でセレーネはテティスを焚きつける。
「ねぇテティス様、今のご自分に満足してらっしゃる? 心にぽっかりと穴があいているのではなくて?」
しなしなと俯くテティスに畳みかける。
「あなたが心から望めば、自分を変えることができるわ」
「ほ、本当ですか? 私……変わりたいです!」
「強く強く、神に願うの」
「強く……」
テティスが両手を組んだとき、海の石が光った。セレーネたちから見ればとても小さく見過ごしそうな光だけれど、そのまま動かなくなったテティスを見て、セレーネとアイリスは微笑み合う。
だがアイリスは、気まずげに視線を落とした。
「あの、セレーネ様……。実はわたくしも――」
「――は」
テティスが息を吐く。ほんのわずかな時間で戻ってきた。きっと女神のいる場所とは時間の流れが違うのだろう。
「……テティス様?」
セレーネはおそるおそる声をかけ、アイリスも顔をのぞき込む。ふたりの視線に気づくことなく、テティスは前髪を掻き上げた。その声は少し低い。
「うへッ、邪魔な髪だな…………ん?」
あらわになった額にはソバカスがなくなっているが、鱗のようなものが一枚だけ貼りついている。サメの鱗のように少し尖った形だ。
目を白黒させるふたりを交互に見て、テティスはピシリと固まった。おどろきに瞠った青い瞳が揺らめく。いきなり立ち上がったかと思うと、素早い動きで床に移動し、見事な土下座を披露した。
「姐さんッ!! 自分の片割れがァ、すいやせんでしたァァ――!!」
「「あ……あねさん⁉」」
「こういうときはァ、とりあえず頭下げとけって親方がァ!!」
「「おやかた⁉」」
見た目はテティスだけど中身がテティスじゃない。得体の知れない恐怖を前にして、ふたりは手を取り合い、壁際まで後ずさった。セレーネは震える声でアイリスに耳打ちする。
「これって、フュージョンに失敗したんじゃないかしら?」
「わたくしもそう思いますわ。テティス様に何かが憑依したとしか……」
テティスは長椅子から消えたふたりに気づいていない。床に頭をこすりつけたまま、腹から声を出す。
「それでェ……、女神様ガタがァ、お会いになりたいそうでェェ」
「「――え?」」
「そ、そのォ……三人でェ、手ぇつなぐようにってェェ……」
「「…………」」
――手をつなぐ? この得体の知れない人物と?
たっぷり戸惑ったふたりだったが、女神には会いたい。
目配せし合い、覚悟を決めて頷いた。
「わかりましたわ」
セレーネに続いてアイリスもポンと手を打つ。
「まずは長椅子を近づけましょうか」
ローテーブルを下げて、長椅子同士を近づける。セレーネとアイリスが一緒に座り、向かいにテティスが腰かけた。三人とも緊張した面持ちでそっと手を重ね合う。
「では参りやす」とテティスが前置きして、スゥッと息を吸い込んだ。
「――天よ、道をひらけ!」
言い終わった瞬間、手をつないでいる三人の中心に白い光が屹立した。光の柱は大きさを増していき、三人を飲み込んでいく。