第五章 04 全員が共犯者
お門違いな怒りでもって涙を止める。残った涙をレオネルのハンカチで乱暴に拭い、ツンと顎を上げた。
「もう平気ですわ」
「そうか。よかった」
手を差し伸べられて素直に乗せる。これを払いのけるなんて淑女の名折れだ。何もおかしくない。ひらきなおって辺りを見まわせば、アーサーはロザリンを気にしつつもセレーネにうろんな目を向けていた。器用なことだ。
「セレーネ、顔が赤いぞ。浮気か?」
「手を貸してくださったレオネル様に失礼ですわ」
浮気などと、お前が言うなと言いたいところだが、地獄の押し問答に発展するのは目に見えている。
セレーネはアーサーの視線を躱してテティスへ近づく。ロザリンはアーサーたちが手厚く介抱しているため、ラルフはテティスについたようだ。
息づかいが荒い。熱があるのだろう。セレーネが額に手をあてようとしたとき、ラルフが小さく慌てた。
「あ~、待ってくれ。彼女は額を隠したいようだから……」
テティスは長く分厚い前髪で目もとまで覆っている。見られたくないのはあきらかだ。「そうですわね」とセレーネは頷いて、手を引っ込めた。
「すぐに治癒魔法をかけますわ」
まずはテティスの服を乾かして、それから治癒魔法をかける。
その光景を見たダルシャンが吠えた。
「セレーネ嬢! ロザリンのほうを頼む!」
「……ダルシャン様って、魔法も使えないポンコツでしたっけ?」
「ぽんこ……? 治癒は得意じゃないんだ!」
ダルシャンを黙らせるためにも、ロザリンを鑑定眼でジッと見る。吸い取られた魔力は一割ほどか。“構成するもの”を見ても、女神の影も名前も残っている。体力ゲージもそんなに減っていない。
「ただの気絶に治癒魔法は効きませんわ。気つけ薬でも持ってきたほうが早いかと」
「なっ⁉ ロザリンは女神に殺されかけたんだぞ⁉」
キャンキャンとうるさい。ブレイズ二号と命名してやろうか。
女神は力を取り戻そうとしただけで、ロザリンを殺そうとしたわけではない。そう思うのは甘いだろうか。
「何にしても、治癒魔法で治るとは思えませんわ」
「冷たい女だな! だから悪役令嬢なんて呼ばれるんだ」
どうとでも言えばいい。テティスは息も絶え絶えで高熱を出しているというのに。手がこんなにも熱い。それでも少しずつセレーネの治癒魔法が効いてきたらしい。テティスがゆっくりと身じろぎする。ラルフに支えられて上半身を起こした。
「テティス様、ご気分はいかがですか?」
「あ、シリウス様……も、申し訳――」
「いいのです。それよりもこちらを」
セレーネは女神の空間から指輪を取り出す。海の石がついた指輪。それをテティスの指にはめた。
「お母様の形見で、間違いございませんか?」
「うぅ……たしかに、この石ですっ」
なんとなくわかるのだろう。セレーネもきっと、数ある月の石の中に、女神の石を放り込まれても見つけ出せると思う。
立てるまでに回復したテティスを連れ、アーサーに向きなおった。
「殿下、わたくしは女子を連れて転移魔術で帰ります」
「女子……、ロザリンもか⁉」
「当然ですわ。男子に囲まれたなかで目覚めるなんて、恐怖でしかありませんもの」
「ぐっ……」
「ああそれから。皆様、午後の授業をさぼったこと、理解してらっしゃいます?」
セレーネの言葉に学生全員が顔をそむけた。まだ現実には戻りたくないらしい。
気まずい沈黙が落ちたあと、アーサーが手を打った。
「よし! それについては私がなんとかしよう。皆には口裏を合わせてもらいたい」
アーサーの提案は真実のなかにほんの少し嘘をおりまぜた、妥協できる案だった。いいんじゃないかと皆も同意する。アーサーはこういう悪知恵はよく働く。そして人を使うのがうまい。王としての素質はあると思うが、ロザリンが絡むとおかしくなる。
いまだにロザリンを離そうとしないアーサーの隙をついて、ラルフがひょいと奪い取った。
「ではセレーネ嬢、義妹をよろしく――」
「――うう~ん」
「「ロザリン(様)⁉」」
薄く目をあけたロザリンは、心配そうに寄ってくる男たちの顔をぐるりと物色したのち、セレーネの首に抱きついた。
「ふえぇ……セレーネさまあぁぁ!! ごわがっだあぁぁぁ!」
「なぜセレーネに……」
不服そうなアーサーの声に、ラルフが釘を刺す。
「俺たちは何もできなかった。ロザリンを助けたのはセレーネ嬢です」
「……そうだな」
さすがに思うところがあったのだろう。アーサーの顔が王太子の顔つきに変わった。頼んだぞと言わんばかりにセレーネに向かって頷く。
「それではロザリン様、テティス様。こちらへ」
言いながらセレーネは、最後にチラリとレオネルを見た。真顔で傍観していたレオネルは、セレーネと目が合った途端ニッと笑う。今のセレーネにはそれだけで十分だった。
活力を得て転移魔法陣を展開する。転移先に登録してある寮の自室を選び、セレーネたちは姿を消した。
あとに残された男たちの顔といったら……。己が情けない顔をしている自覚はあるのだろう。誰も目を合わせようとしない。「帰るか」と言ったのは誰だったのか。それを合図に全員歩き出し、神殿を出てすごすごと馬車に乗り込んだ。
アーサーが渋面でつぶやく。
「女神か……、あのセレーネが押されていたな」
隣に座るダルシャンも、やれやれと首を振った。
「しかもあれで半分の力なんだろう? やはり女神は桁違いだね」
「最後にあらわれた巨大な手はなんだ?」
「う~ん……、ぼくにもわからないな」
そこへラルフも独り言のようにつぶやく。
「女神は最後に『まさかお前は』と言って、セレーネ嬢を睨んでいたな」
「だとすると、そのあとに続く言葉はなんだ?」
アーサーの言葉に沈黙が流れる。馬車は村を抜け、整備された大通りに入ったようだ。乗り心地も騒音も変わった。いくぶん静かになった馬車の中で、レオネルのつぶやきが落ちる。
「女神の、愛し子?」
「まさか。セレーネは石を持って生まれなかったのだぞ?」
アーサーはすぐに否定し、ダルシャンも隣で頷いた。
「現在、石を持って生まれたのはカペラ侯爵家のアイリスだけだよ」
「最初はアイリス嬢が私の婚約者だったが、なかなか聖女として覚醒しないので、セレーネに変わったのだ」
「聖女になると、どうなるんです?」
「魔力保有量が二倍に増えて、女神の力が使えるようになる」
「二倍……」
レオネルは瞳を揺らしながら考え込む。横からラルフが肘で小突いた。
「まぁ何にせよ、月の聖女は今のところいないってことだ」
「月の聖女? 何かあるのか?」
アーサーの問いにラルフが続ける。
「どうしても会いたいんだそうです」
「会ってどうする。レオネル?」
「……確かめたいことがあります」
「それはなんだ?」
「それは……」
口をひらきかけて閉ざし、レオネルは視線を彷徨わせる。しばらく待ったアーサーだったが、「まぁいい」と手を振った。
「今大事なのは、ロザリンを愛の女神から守ることだ。あれであきらめたとは思えない。作戦を立てるぞ!」
馬車が学園に着くまでずっと、作戦会議は続いた。