第五章 01 悪役令嬢冥利に尽きる
次の日、昼休憩を待ってセレーネはCクラスへ向かう。テティスがいるクラスだ。ところが教室内には姿がない。セレーネのそばをそっと通り過ぎようとした女子生徒を呼び止める。
「そこのあなた」
「ヒッ⁉ お、お許しくださいっ!」
――なんだ、この過剰反応は。
「……何か後ろめたいことでもあるのかしら?」
「うっ……」
「洗いざらい話せば、楽になることもありましてよ?」
「ひゅっ……」
壁ドンされ自白した女子生徒によれば、セレーネがロザリンを虐めているという噂を信じ、吹聴したうちのひとりだという。
「み、みんなも言ってたから……」
「ハアァ……、それで? 誤解は解けたのかしら?」
「は、はいっ! テティス様とスカーレット様が間違いだったと……」
ふたりを問い詰めたのは先週の頭。一週間でセレーネの名誉を回復してくれたようだ。けれど――
「じゃあなぜ、あなたは怯えているのかしら?」
「だ、だって……それでも怒りが収まらず、テティス様を学園から追放なさったのでしょう?」
「……はい? つ、追放⁉」
セレーネはやってない。シェダル子爵家には抗議文すら送っていない。いつかは送ろうと思ってはいるけれど、今はまだその時ではない。テティスがフュージョンを終えてからの話だ。
「テティス様はいつ退学なさったの⁉」
「せ、先週末にご挨拶を……」
「なんてこと……!」
この学園では一週間――七日のうち、休みは一日だけ。先週末というのは一昨日のことになる。
次に会うのは海の石を手に入れてからでいいと、呑気に構えていた。最後に会ったときの思い詰めた様子を甘く見すぎていた。
(そんなにあの羽ペンが大事なの? お母様の形見よりも?)
こうしてはいられない。テティスを見つけなければ。
「ありがとう!」
お礼を言ってBクラスへと走る。スカーレットは登校時に姿を見かけたから居るはずだ。
いつも冷静沈着で淑女の見本のようなセレーネが、人前で走ることなどない。はしたないと眉をひそめられる行為だ。思い出したセレーネは早歩きに切り替えた。
Bクラスはすでにもぬけの殻。スカーレットはもう食堂へ行ったのだろう。
超早歩きで食堂へ向かう。混み合った食堂でまず目につくのは、ローズピンクの髪。ロザリンはどこにいてもすぐにわかる。
そのまわりを固めるのはいつものメンバー……だけでなく、ロザリンの右隣には義兄のラルフが、左隣にはレオネルが座っており、向かいの席では王太子アーサーやダルシャンたちが殺気を飛ばしている。
(レオネル様……楽しそうだわ)
相当話が弾んでいるのだろう。レオネルは大口をあけて笑っている。その腕にしなだれかかるようにして、ロザリンがかわいらしく甘え、レオネルはとてもうれしそうだ。やはり、レオネルの想い人はロザリンで間違いない。
――もう見ていられない。
セレーネはここへ来た目的を思い出し、金髪ドリルを探す。スカーレットはとんでもない場所に席を取っていた。なんとレオネルたちの真後ろだ。
(これは、出なおすべきかしら……)
そうしたいのは山々だが、どうしてもテティスの思い詰めた顔が頭から離れない。居ても立ってもいられず、スカーレットの席へそっと忍び寄る。その距離あと三歩というところで、一番面倒な人物に気づかれた。
「あっ、セレーネ様!! 一緒にお昼を食べましょう?」
ロザリンの明るい声はよく響く。一気にまわりの視線を集め、セレーネの体が強ばった。同時にスカーレットも気づいて声をあげる。
「はっ⁉ シリウス様⁉ どど、どうか、お助けを……」
いきなり何を言い出すのか。そのひと言で皆の顔に「察」の文字が浮かび上がったではないか。
「な、何をおっしゃるの⁉ わたくしは――」
「このままではテティスが死んでしまいます! どうか! お助けください!!」
ざわめきがひと際大きくなった。ほぼ全校生徒が集まる食堂で命乞いをされるとは、悪役令嬢冥利に尽きるというもの。セレーネは現実逃避に陥っていた。
テティスは女神が物語を書いていると言っていた。セレーネも身をもって自動書記を体験した。それについては疑いようもない。結局のところ――
(――女神のシナリオからは逃れられないの⁉)
どんなに誤解を解いてまわっても、女神の力でセレーネは悪役令嬢の役目を負う。そんなの、足掻くだけむだではないか。
いつも持ち歩いている黒扇子が重く感じられ、腕が下がっていく。セレーネが俯きそうになったとき、横から男の声が割って入った。
「とうとう超えてはならない一線を越えたようだな⁉」
勝ち誇ったようにブレイズが腕を組み、みんなの視線が彼へ集まる。
「やはり、おれの言ったことは正しかったじゃないか。この女は悪役令嬢で――人殺しだ!!」
「「っ――⁉」」
貴族の通う学園で『人殺し』などそうそう耳にする言葉ではない。悲鳴までも飲み込んだ静寂が食堂を支配した。あり体に言えば恐怖が、生徒たちの体を硬直させたのだ。
その重苦しい空気を破ったのは、またも男の声だった。
「聞き捨てならないな」
そう言ってレオネルは椅子から立ち上がり、スカーレットに向きなおる。
「助けろとは、どういうことかな? 落ち着いて話してくれ」
「だからそれは悪役令嬢が――」
ブレイズはなおもセレーネに指を突きつける。それをレオネルが一喝した。
「――黙れ」
決して怒鳴ったわけでもないのに、見えない何かに気圧され、場は再び静まり返った。けれどスカーレットに向けたレオネルの顔つきは優しい。ホッとしたスカーレットが口をひらく。
「あ、あの……テティスはきっと、……死ぬつもりなんです!」
その言葉にセレーネも我に返った。
「スカーレット様、どういうことですの⁉」
「あのペンは自分の命より大切だからって……取り上げられるくらいなら、消えるしかないと……、わたくし止められなくて」
昨日、テティスが暗い顔で荷物をまとめているのを見て、スカーレットは理由を問い詰めた。返ってきた言葉はどれもうわ言のように断片的で、内容を咀嚼しているうちにテティスは消えていたという。
嗚咽がはじまったスカーレットの背中をセレーネがそっとなでる。
「行きそうな場所はご存じないの?」
「うっ……もしかしたら、ひっく……生家に向かったのかもしれません」
テティスはシェダル子爵と平民の母との子どもで、八歳まで母と一緒に住んでいた家があるらしい。そこへ向かう可能性は高い。
「わかりましたわ! テティス様は必ず連れ戻します!!」
高らかに宣言したセレーネは、おもむろにロザリンの手を取り、立ち上がらせる。
「行きますわよ! ロザリン様」
「――えっ? ロザリンも?」
なぜ自分がと言いたげな顔だが、あの羽ペンはきっとロザリンのものだ。それに、セレーネのベッドを執拗に探っていた。セレーネの隣の部屋――壁を一枚隔てた向こうにはテティスのベッドがあり、机も近い。羽ペンを探知する能力があるのならば、おおいに発揮してもらおうではないか。
「お探しのものが見つかるかもしれませんわ」
そのひと言で、ロザリンの顔はぱぁっと輝いた。