第四章 01 暗躍する令嬢の正体
夏休み明けの学園寮――セレーネの部屋に封書が届いていた。祖母に頼んでおいた件の報告書だ。ベッドルームを隔てるカーテンを引き、ベッドの縁に腰かける。
『愛の軌跡』の著者ケイシー・ケイデンス――本名テティス・シェダル。シェダル子爵の庶子で、引き取られたのは八歳のころ。本妻である子爵夫人には虐げられ、不遇な人生を送ってきたようだ。
なんと、セレーネと同い年で同じ学園の生徒だという。しかも婚約者の欄には『ミルザム子爵令息ブレイズ』と記載してあった。
(えっ⁉ ブレイズ様って婚約者がいたの⁉)
なのにロザリンを追いかけまわしているのか。アーサーといい、ダルシャンといい、婚約者をなんだと思っているのだろう。蔑ろにするにもほどがある。
報告書に載っている絵姿は、青灰色の長い髪で上半身が覆われている。前髪も目が隠れるほど長く、ソバカス顔。背中も丸まっており貴族令嬢にはとても見えない。
「ん? これって……」
たしか物語の中で、暗躍する令嬢たちをうまく動かしているのがソバカスの令嬢だ。思わず声に出したのがまずかった。カーテンの向こう側にいたアイリスが、セレーネの独り言に反応した。
「セレーネ様? どうかされました?」
「いえっ、ああでも……シェダル子爵令嬢をご存じかしら?」
書類を枕の下に隠してカーテンをあける。机に向かっていたアイリスは、頬に手をあて頷いた。
「ええ。お隣の部屋にいらっしゃいますわ」
「――えっ、お隣?」
「よくすれ違うでしょう?」
「…………」
ぜんぜん気づかなかった。それらしき令嬢を探していたというのに、セレーネの探索網にかからないとは、よほど気配を消すのがうまいのか。
「アイリス様は、シェダル子爵令嬢と親しいの?」
「いえ、廊下で会釈をするくらいですわね」
「そう……」
「ですが、テティス様と同室のスカーレット様とは、お茶会で何度かお会いしたことがありますわ。おふたりは従姉妹同士なのだとか」
それならなんとかお知り合いになれそうだ。そもそも隣なのだから挨拶してもおかしくはない。
「アイリス様、おふたりを紹介してくださらない?」
「もちろんですわ」
「では参りましょう!」
「い、今から?」
今アイリスを立たせなければ、魔道具作りに没頭してしまうではないか。そうなった彼女を机から引き剥がすのは至難の業だ。強引に手を引いて隣室へ向かう。幸いにもノックに応答があった。ドアはひらいたが、不思議なことに誰の姿も見えない。そのうえ悲鳴のような、けれど、か細い声が下からあがった。
「ヒッ⁉ あぁぁくゃ……」
視線を落とすと、床にひっくり返っている令嬢を見つけた。青灰色の髪を無造作に伸ばし、前髪で目もとはすっかり隠れている。頬には鱗のようなソバカスが点々と見える。
「あら、失礼。あなたがシェダル家のご令嬢かしら?」
「ひぃっ⁉ な、なぜ……私のことを……」
「お隣なのに交流がないのも寂しいでしょう? ぜひ、わたくしとお友達になってくださいませ?」
「ッ――⁉」
有無を言わさぬ圧で迫り、テティスはさらに縮こまる。塩をかけられたナメクジでもここまで早くは縮まない。少しかわいそうにも思うが、セレーネの推測が正しければ、彼女はセレーネを悪役令嬢に仕立てた黒幕だ。
「テティ、誰だったの?」
テティスに床ドンで迫っていると、部屋の奥から声がかかった。玄関口からつながる通路には、右手にトイレと左手に洗面台の部屋がある。通路正面のドアをあけると居室がある造りだ。
奥のドアから顔をのぞかせたのは、金髪を縦にドリル巻きした女子生徒。期せずしてセレーネのお仕置き対象がそろった。
テティスに迫る姿が、馬乗りになっているように見えたのだろう。金髪ドリルの令嬢は、声にならない悲鳴をあげて床にへたり込んだ。これでは話にならない。セレーネは仕切りなおしとばかりに、テティスを引きずって部屋に押し入る。
向かいの長椅子にテティスと金髪ドリルを座らせて、セレーネはアイリスと同じ長椅子に腰かけた。
「さて。アイリス様、紹介してくださる?」
頷いたアイリスはまず、セレーネの向かいに座る金髪ドリルに手を向けた。
「こちらがスピカ侯爵令嬢スカーレット様、お隣がシェダル子爵令嬢テティス様ですわ」
「そう。やっとお会いできましたわ。名乗るまでもないでしょうけれど、あなたたちが濡れ衣を着せた悪役令嬢、シリウス公爵家が長女、セレーネですわ」
「「ヒィ――ッ⁉」」
スカーレットとテティスは手を取り合って震え上がる。
アイリスは一拍遅れて声をあげた。
「ええ⁉ おふたりがセレーネ様の名を騙っていたのですか?」
「厳密に言えばあとひとり、ドゥーベ伯爵令嬢がいたのだけれど、彼女はすでに退学して修道院へ入ったわ」
「「っ――!!」」
シリウス家から抗議の手紙は送ったが、退学――ましてや修道院へ送られるとまではセレーネも思っていなかった。手紙を送った四家のうち修道院へ送られたのはドゥーベ伯爵の娘だけ。ドゥーベ家は子だくさんだから、口減らしの可能性も否めない。それをあきらかにするのは、おそろしいのでやめておいた。
「わたくしの名を騙った代償は高くつきましてよ? テティス……いえ、ケイシー・ケイデンスさん?」
「「どうしてそれをっ⁉」」
「まぁ⁉ あの物語、テティス様がお書きになったの⁉」
ふたりの令嬢はカタカタと震え、もう声も出せないようだ。テティスなど口から泡を吹いている。そんなノミの心臓でよく悪事を働けたものだ。長い前髪で瞳は見えないが、白目を剥いていることは想像に難くない。
「ねぇ……テティス様、あなたの婚約者ブレイズ様も、ロザリン様にぞっこんのようね。嫉妬からロザリン様をいじめたというところかしら?」
「――はっ、ちがっ……違い、ます」
正気を取り戻したテティスは髪を振り乱して否定する。しかし、それ以上はしゃべらない。最初のように圧はかけていないのだが、テティスはひたすら怯えるだけだ。セレーネは眉間を揉んでため息をつく。
「なら、こんなことをしでかした理由を教えてちょうだい。わたくし、あなたたちに恨まれるようなことをしたかしら?」
「い、いえ! わたくしたちはただ……物語のとおりにならないから……それで……」
割って入ったスカーレットによれば、“愛の軌跡”と同じ状況がせっかくそろっているのに、物語のとおりに進まないのでは本が売れない。だからストーリーと同じになるよう手をまわした。自分たちに似た描写のあるキャラのとおりに動けば、物語と同じように現実もうまく進んだという。