第三章 04 聖女だけに許された呪文
嘆き鳥の鳴き声は、特殊な振動波を乗せて飛ばしてくる。黒扇子をひらいたが間に合わない。これまでかと観念した刹那――、暖かな光に包まれた。おかげでセレーネは遮音結界を張ることができた。扇子に魔力を流せば、防御結界も自動でかかるから少しは時間が稼げる。
鳴き声を耳にしながらも気絶しなかったのは、すばやく光魔法を展開し、耳を塞いでくれたレオネルのおかげだ。
嘆き鳥のくちばし攻撃が結界に阻まれるのを確認したのち、レオネルはセレーネから手を離し、自身の耳をさするように押さえ込んだ。
「レオネル様! 大丈夫ですか⁉」
レオネルの顔が苦痛に歪んでいる。それでも何かを伝えようとしているが、セレーネの耳もやられていて何も聞こえない。ラルフも頭を押さえてつらそうだ。
耳の奥がキリキリと痛むけれど、魔法が使えないほどではない。もし直撃していたらセレーネは使いものにならず、三人そろって魔獣の餌食になっていただろう。
(わたくしがちゃんと警戒しておくべきだったのに……しくじったわ)
反省するあいだにも、嘆き鳥は防御結界を鋭い爪やくちばしで破ろうとしている。悔やむよりまずは態勢を立てなおすべきだ。
(治癒魔法が効くかしら?)
治癒魔法は少し特殊で、魔術師の中でも“治癒師”と呼ばれる職業が確立するほど適性が求められる。セレーネはあまり得意ではない。
簡単な怪我なら治せるけれど――
(――いいえ、やるのよ!)
セレーネに治癒魔法を教えてくれたのは祖父だった。欠損も治せるほど腕がよく、王家専属の治癒師として仕えている。
『セレーネ、治癒の光は“女神の光”。女神に祈り、力を分けてもらえばいいんだよ』
教えてもらったことを反芻し、基本に立ち返る。力が足りないのなら呪文で補えばいい。言葉は力だ。セレーネは胸の前で手を組み、月の聖女だけに許された呪文を唱える。
「我は月の聖女。女神シンシアの友にして懸け橋となる者なり。我が月魄を糧に、神光をもたらせ。――ルクス・ディヴィーナ!!」
セレーネは光に包まれ、両手からも光があふれ出す。それをふたりに向けると、苦しげな顔が一瞬にしてやわらいだ。光はすぐに消えてしまったがセレーネは全快した。ふたりはどうだろうか。
「おふたりとも、まだ痛いですか?」
「いや……、もうなんともない。すごいな」
「……上級魔術師すら超えてるだろ」
ぼそっとつぶやいたラルフの言葉に目を泳がせる。とりあえずは嘆き鳥の相手が先だ。麻痺をかけるには結界を解かねばならない。結界を解いてすぐ麻痺をかける。それはセレーネであっても簡単なことではない。どうしても魔力を練る時間がわずかに生じる。
躊躇するセレーネの肩を、レオネルがポンと叩いた。
「結界だけ解いて。僕が囮になるから、その隙に麻痺をかければいい」
「そんな、危険ですわ!」
嘆き鳥の攻撃を受けて、失神で済むとはかぎらない。セレーネは頭を抱えて必死に考える。その様子に何を思ったのか、ラルフが膝を打った。
「んじゃ、ふたり同時に別方向へ飛び出してみるか。魔獣も少しは慌てるだろ」
「はは! それはいいな。じゃあそういうことで、セレーネ嬢?」
「……わかりましたわ」
うまくいけば誰も怪我をせずにすむ。腹をくくるしかない。腕の見せどころだ。
「結界を解きます。……三、二、一、解除!」
嘆き鳥が息を吸うタイミングを狙って結界を解き、レオネルたちが左右から飛び出した。嘆き鳥が混乱して声に詰まる。それだけでセレーネには十分だった。
黒扇子から放たれた麻痺魔法が、嘆き鳥に直撃する。あえなく落下した巨体は、下で待ちかまえていたレオネルたちの手によって動かなくなった。
レオネルが息を吐く。
「もういないだろうな?」
「ああ、そういや上に卵があっただろ? 番だったんじゃねぇか?」
ラルフの言葉を受けてセレーネは足もとを見まわす。嘆き鳥の体を探ると、その下に白く固いものがあった。身体強化魔法がかかっていることを失念していたセレーネは、勢いあまって嘆き鳥の体を下に落としてしまった。崖下から男子たちの情けない悲鳴が響く。
「あ、あら失礼。うふふ……」
「うふふって……チッ、功労者には文句も言えねぇな」
「だな。――セレーネ嬢! 卵も落としてくれる?」
「そんなことをしたら割れてしまいますわ」
「「あ~……」」
気まずげな声を出すふたりを怪訝に思いながら、卵を抱いてふわりと着地する。ひとつだけあった卵は大きくて暖かく、脈打っている。もうそろそろ孵化するのかもしれない。
卵をしっかりと抱きしめていると、レオネルは優しく言葉をかけた。
「魔獣から生まれる子どももまた魔獣なんだ。動物とは違って黒い血液を持ち、心臓には魔核がある。その卵から生まれた嘆き鳥はまた人を襲う。真っ先に犠牲になるのは人間の子どもたちだ」
動物が瘴気に晒されることによって魔獣化する。体が肥大し、異常な凶暴性を持つ。それが魔獣だ。一度魔獣になったら、その子どもも魔獣の血を受け継ぐ。それは学園の授業でも習ったことだ。それでも――
「――何か、手はないのですか? 浄化するとか」
「浄化すれば魔核はただの魔石に変わる。空の魔石からは魔力が供給されないから、結局死んでしまうよ」
「……そう、ですか」
レオネルに手を差し出されて卵を渡す。「外で待っていて」という言葉に甘えて、セレーネはトボトボと歩き出した。
魔獣化した動物を正常に戻す魔法は、残念ながら、セレーネの知識にはない。王家も舌を巻く魔術の名門――シリウス家に伝わっていないのなら、この国には存在しないも同じだ。
(帰ったら研究しましょう。何か方法があるはずよ。帝国の魔術はどうかしら? お祖母様にも教えを請わなければ……、治癒と考えればお祖父様も……)
あらゆる手を考えながら、ふたりが出てくるのを待った。
レオネルたちが出て来たころには日も暮れており、三人は神官の好意で泊まらせてもらうことになった。