異変
今日は朝から雪かきを頼まれた。
ニューヨークでも雪は積もる。程度が違うとはいえ、慣れている。こんな仕事へっちゃらだ。
深い雪にスコップを入れ、思い切り後ろへ投げ飛ばすビリーを頼もしく眺めながら、俺もそこそこ頑張った。
これで50ドルは、ビリーには美味しい仕事だろうが、俺には割に合わない。俺は雪かきには少しばかり苦手意識をもっているのだ。
体力がないってわけじゃない。まぁ、ビリーに比べりゃミジンコみたいなものだろうが、人並み程度には動けるつもりだ。
雪を掘っていると、恐ろしくなるのだ。
子供の頃、親に頼まれて雪かきをしたことがあった。調子に乗って雪を掘っているうちに、嫌なものを掘り当ててしまった。
誰が埋めたのか、ネズミの死骸が4体、出て来たのだ。しかも目は潰れ、肉は腐って骨が見えていた。
俺は悲鳴をあげて、その場に尻餅をついたっけ。あれがトラウマになっていて、雪かきをするのは怖いのだ。
大体にして俺はチキン野郎の自覚がある。怖いものが多い。夜に一人でトイレに行くのなんて無理なほどだ。
それは自己防衛本能が発達しているのだと思うことにしている。君子危うきになんとやらだ。
雪かきの仕事を終え、事務所へと歩いていると、会いたくない人に会ってしまった。
「あら、ハムさん」
ナタリーさんだ。今日はなぜだかまた一段と眩しく見えちまう。
「あっ。こんにちは」
早く素通りして行きたかった。
その美しく清楚な顔を見ているのが耐えられない。
……ってほどじゃねぇだろ、俺。会って3日目で失恋してんだから、傷は浅いほうなはずだ。
「お仕事帰り? 町にはもう慣れた?」
天使のように俺に聞いてくる。
「色々な人と知り合いになりましたよ」
俺はできるだけにっこりと笑い、言った。
「ダリルともね。ダリル・コナーズ。あなたの婚約者なんですね?」
するとナタリーさんの顔に、恐怖のようなものが浮かんだ。
「違うわ」
「ち……、違う?」
「彼、しつこいのよ。何度お誘いを断っても言い寄ってくるの」
俺は呆気にとられた。
あの野郎……! 嘘ついてたのか!
「彼の口からあなたが婚約者だと聞きましたよ」
俺は内心ちょっと嬉しくなりながら、彼女を心配してそう言った。
「彼、もしかしてストーカーか何か?」
「あの人、虚言癖があるの」
ナタリーさんが気持ちいいほどダリルをこき下ろしてくれる。
「間違いなく変態野郎だと思うから、近づきたくもないの」
ぱあっと俺の顔が明るくなった。
この町での生活、やっぱり楽しくなりそうだ。
「酒場でよくヤツと会うんです。何か釘を刺しておきましょうか?」
「そんなこと会ったばかりのハムさんにお願いしていいのかしら」
「何でも屋ですよ、わたしは」
これは職権乱用なのだろうか。いや、違うよな?
「今回特別サービスで無料にてやらせていただきます。あの野郎に『ストーカー行為は重罪だぞ!』って、脅しをかけておきますね」
「じゃあ……、お願いします」
ナタリーさんがとびきりの笑顔を俺にくれた。
気分が晴れると世界が美しく見えるもんだ。俺は遠くの遠くまで、景色をしみじみと眺め回した。
「いい町ですよね、ここって本当。景色もいいし、住んでいる人もいい」
「田舎なだけですわ」
ナタリーさんが都会人顔負けの洗練された笑顔で言う。
「でもそう言っていただけると嬉しいわ」
「うへへ……」
つい、みっともない笑いが出てしまった。
「ところで今日は相棒さんはご一緒じゃないの?」
「ビリーはまだ仕事中です」
あいつ一人に雪かきを任せての帰り道なのだが、格好悪いのでそのことは言わなかった。
「もういいだろうって言ったんですが……あいつ、頑張り屋でね」
そんな会話をしながら角を曲がった。
すぐに気がついた。血の匂いが酷い。
10メートルほど先の雪の上に、何やら奇妙なものが横たわっていた。
二人とも言葉が止まり、それが何なのかを確かめようと、恐る恐る近づいて行く。
正直怖かったが、彼女を先に行かせるわけにはいかない。俺が先を歩いた。
それが近づいてきた。だんだんと、その赤黒いものが何なのか、わかりはじめる。
「見るな!」
俺はナタリーさんを自分の背中に隠した。
「こんなもの、あんたが見ちゃいけない!」
動物の死体だった。おそらくはヤギだ。
頭部がミンチのように潰れ、雪の上に半分埋まって倒れている。
あたりには平坦な雪が降り積もり、ヤギの足跡すらなかった。
俺はすぐさま警察を呼んだ。