ベッキーとパパ
夜はいつもマダムの店で飲むことにしている。
暇なのか、ダリルも毎晩やって来る。
「よう、町にはもう慣れたかい?」
カウンター席に並び、ウィスキーを片手にダリルが笑顔で聞く。
「3日で慣れるもんか」
ダリルはジョーク口調だったが、俺は真面目に答えた。
「でもいい町だ。3日あればじゅうぶん気に入ったよ」
「仕事は順調?」
「まだまだだな。ゴールドスミスさんが宣伝してくれてるが……、もっと住人と仲良くならないと」
「俺は最初、馴染めなかったよ」
ダリルが初耳なことを言い出した。
「俺もよそから移住して来たんだ」
「……まぁ、確かに都会の匂いがするとは思ったよ」
「シカゴで職を失ってね。君と同じくゴールドスミスさんにスカウトされて来た。2年前にね」
「2年もあれば慣れるかな?」
「まぁ、ね」
ダリルはウィスキーを呷ると、また初耳なことを言った。
「婚約者まで出来てしまった」
「それはいいな」
テキーラのグラスを差し出し、乾杯してやった。
「お相手はどこの美人だい?」
「小学校の教師をやっている」
ダリルがその名前を口にした。
「ナタリー・ハートマンっていうんだ」
「まじか……」
正直、ショックがデカかった。
「俺の最初のお客さんだよ」
「へぇ。もう会ったのか? どうだい、すげぇ美人だろ?」
「ああ……」
思わず口数が少なくなってしまいそうなのを誤魔化すように、俺はやたらと饒舌になっちまう。
「ハリウッド女優としてもやっていける人だよな。びっくりするぐらい美人だと思ったよ。素敵な女性だと思う。結婚おめでとう」
隣でマダムと会話するビリーの声が大きくなった。
「俺っちもこの町で結婚してまおうかな。マダムって独身?」
「あらやだよ、ミスター・テキサス。こう見えて孫までいんのよ、あたし」
□ □ □ □
マダムのバーを出た時、俺は珍しく酔っていた。ビリーの肩を借りないとまっすぐ歩くこともできん。
「なぁ、ビリー。俺、あっという間に失恋しちまった」
酔ったせいでいらんことを口に出しちまう。
「なんや? もしかしてマダムに一目惚れしてたんか? 聞いたけど、孫も息子もおるけど旦那とは死別して、今、独り身らしいで?」
前方で男女が喧嘩しているのが見えた。男女といってもどうやら親子のようだ。女の子のほうには見覚えがあった。オレンジ色の髪に黒いダウンジャケット──ベッキー・ボーナムだ。
「いいから帰るんだ」
そう言ってベッキーの腕を掴んでいるのは、ビリーと同い年ぐらいの頭の薄い、陰気そうな顔の男だ。
「ほっといてよ!」
ベッキーは捕獲された野良猫みたいに男を威嚇している。
「パパなんか大嫌い!」
なるほど。これが『性格を叩き直して欲しい』と言っていたパパか……。
親子の間のことに他人が口を突っ込むものではない。見なかったフリをして先へ行こうとすると、ベッキーに見つかった。
「ハムさん!」
聞こえないフリをする俺に、ベッキーは必死に助けを求める。
「ケビン・ハムさん! 助けて!」
パパが俺のほうを見て怪訝そうな顔をした。こうなったらスルーするわけにもいかないだろう。
「やぁ、ベッキー。また会ったね」
なるべく関わらないよう、すぐにバイバイできるよう、愛想のいい笑顔を作った。
「それじゃ……」
「誰だ? 見ない顔だな」
パパに捕まってしまった。
「ベッキーとどういう関係だ?」
変な誤解をされては敵わない。俺は正直にベッキーとの関係を告白した。
「昨日道で会っただけの関係ですよ。ナタリー・ハートマンさんと彼女が一緒にいたもんで」
「ハムさん、『何でも屋さん』でしょ? 助けて! お金はバイトして後で必ず払うから!」
「ああ……」
パパが頷いた。
「ゴールドスミスさんが何でも屋を招いたとか言っていたな」
「はい」
俺はにっこり笑った。
「御用があればお呼びください。文字通り、何でも請け負いますので。……それじゃ」
「害虫駆除なんかもできるのか?」
パパが意外なことを言い出した。
「出来ます。が、こんな寒い町に害虫など……?」
「娘についた害虫だよ」
それでわかった。ボーイフレンドのことだな、と。
「日本人なんだ。高校生なんだが、交換留学でウチにホームステイしているうちに、娘を気に入ったらしく、悪さしようとしやがるんだ」
「タックンは悪くないよ!」
ベッキーがその日本人の名前らしきものを口にした。
「あたしから誘ったのよ! 彼はシャイだから何も出来ないもん!」
「騙されてるんだ。日本人は狡猾なんだぞ」
「パパはなんにもわかってないくせに! タックンを家から追い出したらあたしも出て行くから!」
「ジェイムズさん……」
カタコトの英語が聞こえた。
声のしたほうを振り向くと、木の陰から背の高い東洋人の男の子がこちらを見ていた。どうやらこれが『タックン』のようだ。
「タックン!」
ベッキーが彼の名前を呼んだので確定した。
「貴様……!」
ジェイムズと呼ばれたパパが、憎しみを顔に浮かべた。
「のこのことわたしたちの前に現れやがって……!」
トマホークでも手に持っていたら投げつけそうな勢いだった。
「ぼく、追い出されたら、行くところがありません」
タックンはカタコトだが、なかなか上手な英語で言った。
「ぼく、ベッキーを、心から、ほんとうに愛しているんです。だから、認めてくれませんか」
なかなか純情そうな男だ。悪いやつには見えない。
「愛しているだと!?」
しかしパパには通じなかったようだ。
「日本へ帰れ! 貴様なんぞを泊めさせる部屋はウチにはない! さっさと帰れ!」
地震が起こった。
かなりデカい。俺とパパは立っていられず、思わずしゃがみ込んだ。
若いベッキーとタックンは身軽に動くと、ベッキーが彼の腕を掴み、夜の闇の中へ消えて行く。
「ベッキー! 戻れ!」
パパが揺られながら叫ぶ。
「クソ日本人! 娘をたぶらかすな!」
「ビリー! 戻れ!」
俺も叫んだ。
「どこ行く気だ!?」
ビリーはまるでスーパーヒーローのように、大きく揺れる地面の上を駆け出すと、若い二人の後を追って行った。
「おい、何でも屋!」
ジェイムズパパが揺られながら、俺に言う。
「依頼だ! 娘を連れ戻せ! あの東洋人から引き剥がせ! 契約は後だ!」
「わかりました!」
依頼されたなら引き受けなければいけない。
「とりあえず! 相棒が後を追いかけて行きました!」




