第738話 √8-4 『ユウジ・ミキ・桐視点』『↓』
そうして俺たちがやってきたのは病院だった。
もちろんその場にも俺たち以外には一人としていない、それでもそこには人が居たようにバッグや携帯などの持ち物が置き去りにされている。
電気だって点いてるし、自販機だって動いていた。
そんな中ミキが連れてきたのは――正直俺には縁が無い場所だった。
「産婦人科……か」
「うん」
そうしてミキはその診察室の一つに入っていき、そしてベッドに座った。
「ここで、私は死んだんだ」
「…………ああ」
俺が勝手に脳内でミキの言った言葉の意味を補完する。
ミキという子は俺にとっての妹となるはずで、下之家にとっての三女になるはずだった。
しかし彼女は産まれてくることはなく、ミキが言う通りなら――この診察室のベッドの上で母さんがミキを死産したのだという。
「別に呪ったりしたんじゃないんだよ? でも、でもね――」
そしてミキは少しだけ悲しそうな表情をしながら――
「ちゃんと生まれて、みんなの妹になって、家族になりたかったなぁって……思ったんだ」
== ==
ちゃぷちゃぷ、と水音がきこえてくる。
とくとくとく、と心音がきこえてくる。
そして――声がきこえてくる。
まだわたしにみえる世界はない。
身動ごきだってほとんど取れない、たまに身体をうごかすとわたしを宿すママが反応する。
わたしはすべてをきいていた。
きくことしかできないから、ねっしんにきいていた。
ママとパパのはなす声がきこえる。
「この子、ミキってどうかな?」
「漢字で書くと”美樹”……いいじゃないか。健やかに育ってくれそうだ」
「ユウトさんがそう言ってくれて嬉しい!」
そうしてママはわたしごしのお腹をなでる。
そっか、わたしミキって言うんだ。
「お兄ちゃん! お姉ちゃん! 私に妹が出来るんだって!」
「楽しみだねー」
「ミキかぁ」
ミユっていうお姉ちゃんと、ミナっていうもっとお姉ちゃん、そしてユウジっていうお兄ちゃんがはなしている。
たのしそうだなぁ、みんなとはなしてみたいなぁ――家族の顔を、はやくみたいなぁ。
でも、それは叶わなかった。
くるしいとおもった、いたいとおもった、つらかった。
でも、わたしにはなにもできなくて、そして――ママのたいないにいたわたしはちからつきてしまった。
にんしん六ヶ月をすぎて少し、わたしは流産じゃなくて死産だったんだって。
そしてわたしはほんの少しの間だけ、家族の顔をみることができた。
宙からわたしがみている。
わたしになるはずだった赤ちゃんがしんでいて、それを悲しむママとパパ。
それをおなかの中じゃないから、わたしは目を開いてみえたみたい……へんなの。
ママびじんだね、パパいけめんだね。
おなかの中からきいていた”てれび”や”かいわ”で色んなことばをわたしはおぼえていた。
しゃべれなくても、きいておぼえていることだけはたくさんあった。
あとになっておもえば、わたしはそういう力……”聞く力?”をもっていたのかも?
できればお姉ちゃんともっとお姉ちゃんとお兄ちゃんの顔もみたかったな――そしてわたしはついにこの”よ”からいなくなる。
わたし、ミキというおんなのこはしんでしまった。
じぶんがしんだって、なんでか分かってしまった。
おとがきこえない。
みえてはいるのに、なにもない。
しろいせかいにひとりぼっち。
身動きもできずにながさていく。
ここはどこだろう?
わたしは……だれだったんだろう?
たしか”なまえ”があったはず、でもわすれてしまった。
わたしはじぶんのからだをみる。
あ。
てあしのいちぶがなくて、てをうごかしてかおをさわってみても……へこんでいるような。
ああ、わたしもうぼろぼろなんだなってわかる。
しんですぐにわたしはなぜ消えなかったんだろう。
そしていまのわたしはなんなんだろう。
でも、一つだけおぼえていることがあって――
「あいたかった」
はじめてわたしはこえをだす、そしてきっとこれはさいごのこえにちがいなかった。
あいたかった、家族にあいたかった。
みんなといっしょにすごしたかった。
家族になりたかった、妹になりたかった。
でも、もうむりだとおもう。
ぼろぼろな上にうすくもなって、たぶんこのしろいせかいにとけこんでいくみたい。
もうじきわたしはきえるから。
ああ、やだなあ。
きえたくないなぁ。
だれか、たすけて。
そんなとき、こえがきこえてくる。
――パパがやってきた。
そして、もうひとり。
「ここにいるんだよな……ミキが」
「うむ、ワシの”霊能力”で感じ取ったところ……まだギリギリ間に合うじゃろう」
「しかし既に魂の半分近くは消失しておる」
「っ! それじゃどうすんだよ!」
「なあに、その為のわしがおるじゃろ?」
「……母さん?」
「母さん…………ありがとう」
「礼には及ばぬ。なあにむしろ孫の顔を見れるというもの、いいチャンスじゃわい」
「……頼む、母さん」
「ただわしはミキの魂の欠けたところを補うことしか出来ぬし記憶も維持できぬじゃろう、それ以降”現世”に連れ戻すのはユウトお前の役目じゃぞ」
「……わかってるよ」
「くれぐれもユウトもミキを連れて”現世”に戻るのじゃぞ?」
「わかってる」
「……本当にわかっておるのかのう、お前が嫁の前から消えるような史上最大の親不孝は絶対に許さぬぞ」
「……ああ、わかってる」
「ではのうユウト、可愛い嫁と子供たちを大事にするのじゃぞ――」
そのとき、わたしの中にパパと一緒にいたひとがはいってくる。
きえかけていたわたしがすこしずつ、かたちをとりもどしていく。
それでもまだ――わたしは――曖昧な存在でしかないの――じゃった。
そして、わしは。
父親の母、わしにとっての祖母の魂と一つになりなんとか消えずにすんだのじゃ。
思えばこの時に、祖母の記憶こそ継承しなかったものの……祖母譲りのこんな喋り方になってしまったらしいの。
だからわしの、のちに”桐”となるわしのルーツはミキと祖母にあったのじゃった。
「……さて、と。母さんにはああ言われたが……ちょっと厳しいかもな」
「親子無理はするもんじゃねえな、まったくさ」
「まぁそれでも――ミキだけは、ミキの”可能性”だけは送り届けなきゃな」
「ユウジ頼むぞ。”魔法使い”の俺の息子なんだから、可能性の一つや二つぐらい現実にしてみせろよな――」
わしの今は可能性らしい。
曖昧な存在のわしが、ちゃんと確かなものになる為には――ひどく時間がかかった。
長いことその白い世界、曖昧な世界を旅してたどり着いたのが――ユウジのパソコンじゃった。
パソコンの中にあるちょっとしたデータでしかなかった、もしパソコンの電源が切れてデータが飛んでしまえばわしも消えてしまうほどに儚い存在じゃった。
しかしユウジはパソコンで、とあるゲームを起動する。
それは委員長がわしのことを知り、小説として文章に記し、紆余曲折あって未来のアイシアとユウジによって作られた委員長小説原作のギャルゲー。
そうして様々な奇跡と、わしのささやかな願いを以て――わしは、桐としてこの世界にまた生まれることが出来たのじゃった。
――それらのことを、わしは自分に異常をきたし、世界もおかしくなり始めたころに思い出したのじゃった。
母子手帳の少し前に抱いた疑問をきっかけに、少しずつ記憶がよみがえっていくように。
そう、わしの願いは叶っておったのじゃ。
わしが下之家の家族になり、家族の顔を見れて、そして妹になれたのじゃった。
だから、それを思い出したわしにとって、願いが叶った今では何の後悔もなく――
桐というわしの存在はもう消えても構わない、と思ってしまったのじゃった。
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「そういう……ことだったのか」
「うん」
桐の喋り方が祖母譲り、というよりも魂が結合した結果だとは思いもよらなかった。
そして親父がミキを、桐を救うために身を投げ出した結果が今に至ることを俺はようやく知ることになったのだ。
「そして桐が私の中から居なくなったのは、おばあちゃんの魂が天に還った……から?」
肉体に寿命はあっても、魂に寿命というものがあるかは分からない。
それでも桐となってから何度も世界を繰り返したことで、時間だけは経ってしまったのだ。
祖母の魂が還ってしまうのも無理からぬことかもしれない。
そうなら……安らかにな、おばあちゃん。
「だから今はミキ、なんだな」
「うんうん、そういうこと。おばあちゃんの魂がなくなったことで、わたしは本当のミキになったんだよ」
「本当のミキ……か」
確かに三女が産まれて、下之家ですくすく育っていけば……姉貴譲りにしてミユ譲りのはっきり言う、もの言いの子になったのかもしれない。
だから納得はできる、彼女がミキということに納得できないことはない。
「お兄ちゃん、実は桐結構好きだった?」
「そんなわけ…………あったのかもな」
ミユとはちょっと別ベクトルに遠慮なく話せるというか、小憎たらしかったり、何考えているか分からなくないと思う時も多々あった。
でも――嫌い、じゃなかった。
桐という”自称妹”がいる、ということが当たり前になっていたのだろう。
「そっか、桐を好きでいてくれてありがとね」
「いや! 好きってほどでもねーし!」
なんというか好きというのには抵抗あるな!
なんだろうなぁ、俺が好きって言うと桐がニヤッと笑って「やはりユウジはわしにメロメロじゃなあ!」とか小憎たらしく煽って来そうで――
「でも、ごめんね。もう桐はいないんだ」
でも、そんな煽りももう聞けないらしい。
「……ちょっと残ってもいないのか」
「うん、桐という人格はもうないかな。でも桐として過ごした記憶はミキにもあるんだ」
「……そうか」
少し、寂しいのかもしれない。
正直いないとせいせいするね! と思っていた時期やタイミングもあったが。
いなくなってみれば寂しい、そんな存在に俺の中で桐はなっていたらしかった。




