第660話 √d-39 わたあに。 『ミユ視点』『十一月六日』
十一月六日
「こんな感じでいいかな」
今日は藍浜学園で文化祭が行われる、学生だけでなく一般にも開放されることもあって私こと下之ミユも行くことにした。
少し前にミナ姉と買い物に行って冬物の服を買ってきたののユウ兄へのお披露目もしようと思っていたのは確かで。
……本当ならコーデを何も考えなくていい制服にするところなんだけど、そうすると藍浜中学時代に私のこと知ってる生徒に何事かと思われそうだし。
そうなんだ、よね。
引きこもりと化した私が、おおよそ中学・高校違うとはいえ二年ぶりに学校に行くわけだから知る人には驚かれるかもしれないし、好奇の目で見られるかもしれない。
まあ自意識過剰だとは思うんだけどさ、それでもやっぱり思わざるを得なくて。
といっても来年受験する”ことになっている”のだから、私も慣れておかないと、うん!
「よし」
十一月の今はだいぶ冷え込んでいて、寒い。
スカートに肌着を重ね着した上にセーターを着こんで、三つのボタンに更に飾りボタンが三つ付いたボアコートを羽織り、に首にはマフラーを巻く万全っぷりだ。
スカートを履いているんだけど丈の長いボアコートのせいで履いてないように見える、ユウ兄ドキドキポイントだと思う。
「はー」
白い息が出る、すっかり日が落ちるのも早くなって秋ではなくもう既に初冬気分だ。
引きこもりを卒業しての初めての冬、同時にこんな寒い中外に出るのも久しかった。
ユウ兄の文化祭の自由行動時間は前もって聞いているので、あわよくば文化祭を一緒に回れたらと考えていたり。
確かカレー屋だったはず、ユウ兄が調理担当のカレーを食べてからユウ兄と文化祭巡りできるのが好ましいかな。
「…………」
一人で寒く乾いた空気に満ちた通学路を歩いて行く。
こうして学校に文化祭目当てとはいえ、向かう私はふと考えていた。
ユウ兄に私を好きとちゃんと告白されてから、何か大きな出来事があったわけじゃなかった。
夏休みが終われば平日ユウ兄は学校で、私は朝「いってらっしゃい」とユウ兄に言い送ってからホニさんの家事を手伝いつつも、私もユミジに許可を貰ってユウ兄をモニターをして一緒に授業を受けていた。
部屋に籠る必要もないので居間にやってきて、洗濯物を畳みながらユミジの入ったゲーム画面に映し出される授業風景で勉強をする。
それからユウ兄が帰って来て夕食終わりからが、少しだけ話せて過ごせる時間。
そして隔週で午前授業の土曜日、休日の日曜日はほぼ一日中ユウ兄とゲームアニメ三昧ということも少なくなかった。
まぁもちろんそんな時間の間に……恋人同士らしいスキンシップの一つや二つあるわけだけど。
そんな幸せな日々が続く、何十年も待ち望んだ時間で、私は満ちていたと思う。
それでもこの時間に限りがあることを、私は知っていた。
この世界は一年をループする世界であって、これまでの私なら変わらず引きこもりを続けていた二〇一一年三月末日までしかこの世界には存在しない。
だから私が藍浜高校に入学できることはなくて、受験して受かったとしても新入生を迎えられることはなくて。
エンディングを迎えれば、ユウ兄との関係もリセットされて、私もまた引きこもりに戻ってしまう。
それが分かっているのに、何故受験勉強をしているのかと、勉強をし続けているのかと考えたことがある。
私は、ユウ兄を信じているから。
この繰り返される世界をいつか終わらせてくれると信じているから。
それでも私は引きこもりをしていてみんなに迷惑をかけている以上、私は自分の出来る最低限をしなくちゃいけないと思ってる。
もし、もしかしたら。
多分は私の世界が終わってもループし違うヒロインの世界が始まったとしても、場合によってはあるヒロインを最後にループを抜け出した時に。
私が本当の意味で、藍浜学園一年生になれるように――そんな途方もない準備を私はし続ける、
だから今を楽しむことにする、ユウ兄の恋人になれたこの世界を最後の最後まで全力で楽しんでやろうと思うのだ――
一年二組のスパイシーカレー……なかなか繁盛で教室外にも列をなしていて盛況のようだった。
それからしばらくしてユウ兄の教室にやってきて入っていくとまずユウ兄が気づいた、そして――
「…………え? 今来たのって下之妹じゃね?」
「ほんとだ、久しぶりすぎる」
「同性愛趣味の下之妹が上野に振られたショックで引きこもりになったんじゃ」
「私は膝に矢を受けて治療してたって聞いた」
好き放題言ってくれる、元クラスメイトどもめ!
というか同性愛趣味ってなにさ、サクラに振られた!? はぁ!? ……膝に矢は受けてないよ。
「いらっしゃーい、ミユ」
「いらっしゃい、義妹様」
と普通に迎えてくれるのは篠文と姫城だった。
というのも、私たちは海水浴場で顔を合わせ紹介を済ませている。
同じ歳だけあって話し方も特に気を遣ったりはしていないはずだ。
姫城の言う”いもうと”ってのはどう考えても義理っぽいニュアンスなのが気になるけど、やっぱり狙ってるなこの人……!
「おお、ミユ来たか」
「きたよ」
制服エプロン姿でお玉を持っているユウ兄……なんだろう、ちょっといいかも。
「カレー食ってくか」
「うん」
「あいよ」
それから少し並んでユウ兄の手でよそった所望のカレーを手に席に着いて、いただくことにする。
机を組み合わせたテーブルをこしらえた店内は賑わっており、何故か私にピッタリなお一人様用テーブルが窓際にも並んでおり、迷わずそこをチョイス。
「っ!」
辛い、のに美味い。
この食欲を駆り立ててるような濃厚かつくどくなく複雑に入り組んだスパイス具合で箸というかスプーンが進む。
確かこのカレーの考案者は篠文だったらしく、二ケタものスパイスを注ぎつつも黄金比によってまとめあげるこの手腕は見事だ。
そのスパイスの角をほどよく取る用にじっくり煮込まれて染みだした野菜のエキスと、ヘルシーさも意識してかのチキンカレーになっていてかなり美味しい。
おかわりをよこすのですよ! ……と言いたいぐらいだけども、ユウ兄と文化祭を回るのに満腹では楽しめないので断念する。
「むぅ」
それにしてもレシピもいいんだろうけど、やっぱりユウ兄が作ると美味しく感じるのは気分の問題だけではないはず。
……私も料理、出来るようになりたいなあ。
ホニさんにちょくちょく教わってはいるけども劇的な変化はなくて、普通レベルになっただけでミナ姉はまだしもユウ兄にも近づけた気がしない。
「…………」
それにしても篠文ユキ、私は篠文って呼んでいるけれど。
大昔のログでは激辛マニアなのがいつの間にかスパイスマニアに変わってたり、一番最初にユウ兄と会った時は一人称が私ではなくユキだったりしたけど、まあそれは今は関係ない。
パソコンの画面越しではピンと来なかったし、海水浴の時も自分の水着でそれどころではなかったけども――
「(やっぱり)」
見覚えがある。
私はこの世界のことを比較知っている方だと思う、現実とギャルゲーがハイブリッドなことはユウ兄も知っているはず。
だけど、そのそもそものギャルゲーが現実の人間に則していることを知っているのは多くないと思う。
かつてのネタばらしでは、委員長の物言いではほぼ全員ヒロインのモデルがいると言っていたはずだ。
ということは篠文にもモデルは存在している可能性が高いわけで、そして私はそれに妙な心当たりがあった。
篠文をどこかで見たことがある気がする、もちろんログとは関係のない私の記憶だ……けれどやっぱり思い出せなくて、歯に小骨が引っかかったとうな違和感を覚える。
私はいつ篠文と会っていたのだろう?
私が記憶しているということはもちろんユウ兄も会っている可能性の方が高いわけで、もしそれがかなり前だとしたら――もしかして彼女は、本当に幼馴染だった?
謎は深まるばかりだったものの、ユウ兄の休憩時間が訪れたことでその疑問は端においやってユウ兄との文化祭デートがはじまるのだった――