第636話 √d-15 わたあに。 『ミナ視点』『四月二十六日』
→第467話 √b-51 神楽坂ミナの暴走!
私は逃げている。
向き合うべきことから私は逃げ続けている。
私には解決できる自信が無いから、私のせいで更なる破綻を招くことを恐れているから、なにより――勇気がないから。
私はカッコだけ付けて、優等生気取りで、母親を演じながら、逃げ続けて――
私、下之ミナは家事と勉強に逃避していた。
私とユウくんとミユちゃんとサクラちゃん、幼い頃から私が中学生になるまではみんな一緒だったんだよね。
私だけみんなと違って一歳年上だから、一足先に中学生になると自然とその輪から外れるようになっちゃった。
それだけはしょうがないと思うし、少し寂しかったけど私は受け入れたつもり。
ただその時から、ユウくんたちの関係の変化に気付きにくくなったのも確かだったし。
ユウくんたちに起こった劇的なことに気付いたのも事が終わったあとだった。
ユウくんがサクラに振られて、サクラちゃんが居なくなった。
サクラちゃんは少しだけ素直になれないだけでいい子なのは昔から知っていて、多分サクラちゃんもユウくんのことが好きなんだろうなあと分かっていた。
そしてユウくんがサクラちゃんのことを好きだったのも知ってた。
分かるよ、これでも私お姉ちゃんだったから。
幼い頃には本気だった、今でも少し思いは残っているけれど大きくなってある程度の線引きは分かっているつもり。
私はユウくんのことが好きだった、将来は結婚したいと思っていた。
でもいつからか姉弟で結婚できないことは分かっていて、だからあくまでも”姉として”の好きに抑え込んでいたんだよね。
だから、幼馴染のサクラちゃんが相手ならいいかなって、安心できるかなって思ってたんだよ……そう自分に言い聞かせてきたんだよ。
サクラちゃんは私にとっても妹のような存在で、ユウくんと仲良くしてくれて、好きになってくれて、ユウくんと幸せになってほしいとずっと思っていた。
けどサクラちゃんはユウくんを振った、それだけじゃなくて私たちの前から何も言わずにいなくなった。
私にとってもショックでもあったと思う、ユウくんやミユちゃんに比べれば一緒に居る時間は減ったものの。
休日は四人一緒に出掛けるなんてことは、私が中学生になったあとでも普通にしていたことだっただけに。
なんで一言言ってくれなかったのとか、何か悩んでるなら相談してくれてよかったのに、とも思った。
でも私の何倍もショックだったのは一緒に居る時間の長かったユウくんやミユちゃんで。
ユウくんはとにかく落ち込んで、春休み中は空き家になったサクラちゃんの家を覗いては帰って来て部屋に引きこもる日々。
ミユちゃんも落ち込んで、部屋に籠るようになっていた……春休みは、サクラちゃん含めて四人で出かけるのが毎年だったのにね。
暗く深く沈んだ空気の中、食卓でさえも会話は無く、私がユウくんやミユちゃんに話しかけても心に非ずで。
どうすればいいのだろう、姉としてどうすればいいのだろう。
お母さんならどうにかできたのかな、ちょうど海外に一か月単位で仕事に行ってしまった上に連絡も付かないお母さんは今家にいない。
二人を元気づけられるのは私しかいない、でも分からない、私も気持ちの整理が付かないのに分かるはずがない。
そうして私も含めて下之家の家族の心はどつぼに嵌っていき――
母親の代わりどころか、姉としても二人を癒すことが出来ない自分の無力さ。
大好きなユウくんなのに、結婚したいとも思っていたユウくんなのに、それでも余裕の無くなっていた私には――無意味にもサクラちゃんの家と自室を行き来するユウくんに苛立ちさえ覚えてしまって。
そして爆発した。
ユウくんに初めて手をあげた、思いが溢れた、誰にも話せない抱え込んでいたものをすべてユウくんに叩きつけてしまった。
その時は感情に任せるままだった。
ユウくんが落ち込んでいるのがいやだ、ユウくんと楽しく話せないのがいやだ、ユウくんがいつまでも――居なくなった彼女に執着しているのがいやだ。
私は泣いた。
お父さんが亡くなった日から泣くのはやめて、頼もしいお姉ちゃんになると決めたはずだったのに。
『ぉ……ご……め…………ん』
はたかれた頬を赤くしたまま、更にショックを受けたユウくんが私に謝った。
その時私は泣いていたからよくわからなかった、しばらくして自分のしてしまったあまりにひどいことを知った。
私が泣いてユウくんを困らせた、サクラちゃんが居なくなって悲しい思いをしているユウくんを追いつめた。
冷静になって理解した時には頭が真っ白になる。
なんでこんな、こんなに私はダメな姉なんだろう。
一番優しくしなきゃいけない、癒してあげなきゃいけない私が、ユウくんを更に追いつめるなんて。
どうにかしないと、どうにかして謝らないとと私は部屋に戻っていったユウくんを追う。
でも私だけが感情を乱していたわけではなくて、ユウくんだけじゃなく――もちろんミユちゃんも同じなはずで。
私たち姉弟三人の感情はぐちゃぐちゃになって、楽しかった関係も過去になって、重苦しい空気が家中を支配して、そして――不幸な事故が起きてしまった。
私の前に頭から血を流したユウくんが横たわっている。
私が居るのは二階へと続く階段の入り口だった、そして大きな物音と共にユウくんが階段を転げ落ちてきた。
ユウくんは動かない、そして階段の段から血が垂れていく。
ミユちゃんの叫びでどうにか我に返った私は救急車を呼ぶことが出来たけれど――
目覚めたユウくんは、違うユウくんだった。
私たち四人の思い出をところどころ失ったユウくんだった。
私が自分の思い出を話しても困ったように「ごめん」と謝るユウくん。
違うんだよ、私はユウくんに謝ってほしいわけじゃないんだよ、私は――ユウくんと楽しく話したいだけなんだよ。
そして階段からの転落事故のキッカケの一つにもなってしまったミユちゃんは完全に部屋に籠ってしまった。
以前に比べてどこか余所余所しいユウくんとの生活、顔も体もユウくんで、一部のことだったらちゃんと覚えてる、ユウくんに違いないのに。
でもそんなユウくんを見ていると悲しくなって、いつしかユウくんと二人だけになってしまった食卓も寂しくて。
どうして、こうなっちゃったんだろう。
姉として、何もできなかった私が悪い。
でも母親の代わりもしてるんだからとしょうがないと、性格の悪い私も這い出してきて。
じゃあ何が悪いの? 誰が悪いの? と自分の罪から逃げて。
すべての発端は、家族が壊れるに至った原因はなんだったのかなと考えて――サクラだと思ってしまった。
信じてたのに、彼女ならユウくんを任せても大丈夫だと想ってたのに、私も――姉として祝福できると思っていたのに。
それを裏切った、酷い形でなかったことにした、ユウくんもミユちゃんも私も傷つけた。
そうだ、そうだよね。
全部サクラちゃんが……サクラ悪いんだ、ぜんぜぜんぶ――
『全てを投げ出した幼馴染のあなたよ、サクラ』
サクラすべてに罪をかぶせて、自分の失敗から逃げて。
私は彼女への憎しみを糧に、この家族関係を修復することを決めた。
一年が経った、最初は他所他所しかったユウくんも多少甘えてくれるようになった。
それでも完全に元に戻ったわけではなくて、それが残念でもあった。
そしてミユちゃんには朝食や夕食を持って行ったり、メールなどで話も出来るようになったけれど部屋からは出てきていない。
そう、私に家族の関係をすべて修復することは叶わなかった。
たぶんやり方はもっとあったかもしれない、でも私だってがんばったつもりだった。
でももう疲れてしまった、一応ミユちゃんとメール越しでも会話出来てご飯を時々は食べるようになってくれただけいいかなって。
元通りにはならなかったけれど、これで”妥協”した方がいいのかなと――私は結果逃げた。
一方で私は勉強を頑張った、生徒会の仕事だってこなした、家事だって効率よく上手くこなせるようにしていった。
私はそれらに逃げ続けた。
勉強と生徒会と家事が忙しいからと、問題を解決することから逃げてしまった。
お母さんにもなれなければ、姉も全うできなかった私がせめて出来ることを頑張ろうと心に決めた。
それもあってユウくんの家事を手伝うという嬉しい提案も、断り続けてきたのだから。
そうして一年前に比べてだいぶ明るくなったユウくんと私の二人の食卓が日常になりつつあった。
そんな日常が変わりはじめたのはユイちゃんが引っ越してきてからだったかもしれない。
それからホニちゃんやクランナさんやアイシアさんもやってきて家は賑やかになった。
賑やかな食卓を眺めて私はついに妥協してしまう、ミユちゃんがいなくてもしょうがないかなと。
私は勝手に自分の罪が消えたような、一応の問題の解決を見たような、枷がなくなったような気持ちになってしまっていた。
だから少しは甘えていいのかなと考えてしまって。
ホニちゃんだけでなく、ユウくんが家事を手伝ってくれるようになった、大人数家族になったからと自分に言い訳をして逃げた。
そして私は――
* *
四月二十六日
「えへへー、ユウくんが生徒会手伝ってくれるなんて……!」
その日の深夜眠る前に私はベッドで、ユウくんが言ってくれた言葉を反芻しながら悶える。
「『俺に滅多に頼み事なんかしない、自分でなんとかしようとする姉貴のことだろ? 断るわけないだろ』だって~、きゃー!」
嬉しい嬉しくてしかたない、会長の暴走でひどい連れ方をしただけに断られると思っていた。
……というか私をダシにしないとユウくん生徒会入りを認めないとか本当に、ひどい!
でも、よかった。
これで、ユウくんと一緒に時間が増えて嬉しいな。
生徒会も忙しいから、ユウくんに手伝ってもらえたら百人力だもんね。
私は自分に甘くした。
かつては家族の問題から逃げる為に頑張っていた家事も生徒会も、ユウくんに手伝ってもらって、私は一人勝手に幸せ気分に浸る。
積み続けたままの問題から目を背けて――ユウくんとの生徒会活動や家事などに、私は逃げ続けている。