第631話 √d-10 わたあに。 『ミユ・マナカ視点』『四月二十一・二十二日』
四月二十一日
「…………」
あれから、ユミジは一言も発しなくなった。
機械が拗ねるというか怒るとか、そんなのアリなのかと思う。
でもむしろせいせいしたかもしれない、最近はたぶん調子に乗って私をからかったりしてたし。
私に……踏み込みすぎてたし。
だから問題ない、ユミジが現れる前に戻っただけ。
そう、私は最初から一人だったのだから――
四月二十二日
「はは……」
深夜アニメを見る気分でもなく昨日は早くに寝た、そしていつもよりも早く起きた。
乾いた笑いと共に、私は思い知った。
たった一日、時間にして数時間しか経っていない。
それなのに、完全に一人ぼっちになってしまった時間が寂しくて。
「こんなの……前は当たり前だったじゃん」
意地を最初は張っていた私も、昨日の夜には折れていた。
ユミジが居るはずの携帯端末に何度も話しかけていた、でも一切言葉が返ってくることはなかった。
ユミジが食いついてきそうな、茶々をいれてきそうな、からかいにきそうなことを言ってもユミジの声は聞こえなかった。
そっか……私、ユミジという話し相手がいてくれたから今までやってこれたんだ。
何回も何十回も繰り返すこの世界で、他の女の子とは違って変化が存在しないような私とこの部屋で。
いつの間にかユミジという存在が拠り所になっていたんだ。
「また慣れるよね」
これは一時的なもの、きっとまた一人に慣れるはず。
……そう思っていても不安が押し寄せて来るのは何故だろう、寂しさや悲しさが積もっていくのはなんでだろう。
ユミジの言っていたことを思い出す――私がユウ兄に攻略されないと世界がループするということを。
いつ終わるかも分からない、本当に脅しじゃなくて終わりがないかもしれない。
そんな世界を一人で生きていかなければならないの……?
「ああ…………」
実感が沸いてくる。
また、一人に戻ってしまった。
多くの後悔と少しの強がりで初めたひきこもり生活は、最初は楽しかったし――私が傷つけてしまったユウ兄と顔を会せるぐらいならマシだった。
でも部屋の中にあるものは有限で、例え貯めに貯めた貯金で新しいマンガを買っても時間があり余ってるからすぐ読み終わって。
私は何の為に生きているんだろう。
誰とも会いたくはないけれど、死にたくはならなかった、自分の殻に閉じこもりたかった。
もう誰も傷つかない、もう誰にも傷つけられないこの閉じた世界が私にとっては必要だった。
それでもいつか何かのタイミングで私は引きこもることを辞めるだろうと楽観していた、時が来れば出れるものだと思い込んでいた。
だけど現状はどうだろう、同じ時間を繰り返すようになってから何十年――私は一度もちゃんと外に踏み出そうとしなかった。
例え部屋の外に出ても誰にも会わずに衣食住の生活の為、少なくとも家の外からは一ミリたりとも出たことはなくて――雨澄シナリオで世界が終わり自分が消滅する瞬間までも。
殆ど人間として死んでいるような生活。
ぎりぎりのところで、人工AIのユミジという相手であっても話し相手が存在することで私は人間でいられた。
そんなユミジはもう居ない、私の人間として首の皮一枚で繋ぎとめていたものが――なくなった。
「あ、ああ……」
ネガティブな感情が奔流と化して自分を飲み込んでいく。
嫌、だ。
一人は嫌だ。
もう嫌だ。
怖い寒い辛い苦しい悲しい寂しい怖い寒い辛い悲しい寂しい苦しい怖い寒い怖い苦しい寒い寂しい辛い悲しい怖い寒い辛い悲しい辛い悲しい寂しい。
誰か助けて。
助けてよ。
助けてください。
お願いします。
「ユミジ……ごめん……っ! 許して……私とお話してよ……ユミジ……!」
人工AIにさえ見放される私なんかがもう言ってもしょうがないのかもしれない、それでもそれでも……ユミジと話せなくなるのは嫌だ――
そんな一人で自分を勝手に追い詰めていった私の部屋の扉がノックされる。
しかし私はそのノックに答える余裕すらなく、そのノックの主がいつ以来か分からない部屋の電気を付けたのです。
「……っ」
眩しさに目がくらみ、目の前に立っている人物の輪郭のみがかろうじて浮かび上がり――
「どうもミユさん。前ヒロインにして元クラスメイトの嵩鳥です」
予期せぬ訪問者、私にとってはそれは救いであり――多くから逃げ続けてきた私にかえってきた罰でもあった。
* *
ほかでもないユミジの頼みにより参上した私は、ミユさんの部屋に入るなりそう自己紹介をしました。
「い、委員長……?」
「覚えててもらえましたか」
「そりゃ前の世界で……っ!」
「はい、前ヒロインですから」
認識上は知っていても、現実の彼女と対面するのはそれこそ数字上では一年間ぶり、しかし私たちが経験してきた時間を考えれば何十年ぶり――になるのかもしれません。
彼女の姿は……思いのほか劇的な変化を迎えてはいませんでした。
背丈はそのままですし、痩せすぎていていないですし太ってもいない、ただ髪だかはかなり長くなっていましたが。
あと、太陽の下に出ないせいかかなり色白な印象を受けます。
「委員長は……全部知ってるんだっけ」
「知っていることだけですよ」
私も某眼鏡委員長の言っている台詞を真似てみますが、実際そうなのです。
私にも見えなければ、知ることはできないのですから。
「この世界はギャルゲーと現実のハイブリッド……ではありますが、そのギャルゲーのシナリオ原案は他ならぬ私の書いたものであり、そのギャルゲーはあくまで私が”見て”知ったことをもとに書いているものです」
「……本当に、そうだったんだ」
「私が裸眼で人を見ることで、その人の情報を「読む」力を持っているのも本当ですよ。ほら、こんな風に――」
私の眼鏡というのは視力を補助する器具ではなく、私のこの持て余してしまう能力の拘束具でしかないのです。
……自分で言っていて中二病みたいですけれど。
「”ユミジと喧嘩したことを後悔してる””バストサイズは<規制>””委員長なんか怖い”みたいなことを考えていたり、知っていたりするはずです」
「っ!」
私はそれからすぐに眼鏡をかけ直しました。
あからさまに怯えられる表情をすると、ちょっと傷つきますね。
だからこの能力を私はそこまで好きじゃないのです――この能力のおかげでめぐりめぐって下之君と再会できたのは確かですけれど。
「さて私もこれまで何十年もの皆勤記録ぶち破って、学校を休んで来ているわけですが……今日はミユさんと話しにきたんですよ」
「私……と?」
「はい。ミユさんの元クラスメイトとして、それと同時に前物語のヒロインとして、言わせてもらいます」
「…………」
一応建前上は創造神であり管理者サイドの私は干渉していないことになっているので、まぁ詭弁ですが。
「――ミユさんが、下之君の記憶を奪った過去は消えませんよ」
ちょっと強めの言葉で、私はそう言い放ちました。
「っ!? わ、私は……」
「はい、事故ですね。たまたま疲れ切っていた下之君相手にほんのちょっと軽く押しただけで後ろずさって、そのまま階段下に真っ逆さま。すべてがミユさんのせいではないでしょうね」
「わ、私の……せいじゃ」
「私のせいじゃない、というなら何食わぬ顔で下之君に会えばいいじゃないですか。そうしないのは負い目からでしょう?」
「それ……は」
私は知っています、ユミジが居なくなったことでミユは今日一日落ち込んでいることを。
それでも、いつまでもこの状況で停滞させておくわけにはいかないのです。
「ミユさんも察しているかと思いますが。中学二年までの下之君と、中学三年以降の下之君では――違うのです」
別人、というほどではないにしろ。
中学二年までの下之君を知っている私からすれば、面影こそあれど違った下之君の人格を形成しつつあったのです。
「その原因が下之君の階段での落下事故なのです。その時におそらくは下之君の人格形成にかかわる重要な記憶が欠落してしまいました」
「人格形成……!?」
「成功談の思い出でもいいですし、単純に楽しかった記憶でもいいでしょう……その前向きな思い出が欠け、一方で後ろ向きな思い出ばかり残ってしまっています」
結果残されたのは、悪い思い出ばかりを覚えている失敗談ばかりを持っている後ろ向きな下之君の出来上がりです。
着実にミユさんや上野さんとの関係を育む過程があったにも関わらず、それが尽くかけていました。
「例えばそうですね。下之君にとって上野さんが居なくなったこと記憶だけが残り、その前段階にあったはずの上野さんの行動について覚えていないのです」
「桜のアクション……! ど、どういうこと!?」
追いつめられていたミユさんの瞳が、どんな形であれ光を取り戻すであろうワード――上野さんのこと。
「……それを私の口から言ってしまっていいんですか?」
「……いいから、教えて」
まぁ、人の色恋沙汰に干渉するべきではないのですが……緊急事態のようなものですから。
「告白する側が、されると思っていなかったらどうでしょう?」
「何を言ってるの……?」
「二つの告白をしようと思っていた上野さんが、下之君に先を越されてしまったらどうでしょう」
「なっ……それって!?」
「急きょ引っ越さなければならなくなったという一つの告白と、自分の好意を伝えまた会えたら付き合ってほしいというもう一つの告白を、上野さんはしようと思っていたらどうでしょうね」
「そ、そんなことって……」
「素直になれない、つい意地を張ってしまうような、自分の感情そのものをそのまま相手に伝えるのが苦手だった桜さんからすれば、下之君のイレギュラーな告白は衝撃であり自分のことは伝え辛かったでしょう」
彼女の、上野さんの気持を知っている私からすれば上野さんの動揺は相当なものでした。
上野さんも下之君も両想いだというのに、それに二人は気づいていなかったのですから。
だから上野さんは”下之君が私への好意の無い前提”で告白し、ある意味振られ吹っ切れて町を去るつもりでした。
そして下之君は”上野さんと恋人になれるか友人のままでいられるかの二択の前提”で告白し、答えをもらうつもりでした。
間が悪かったのです、タイミングがあまりにも悪かったのです。
もしかして下之君よりも先に上野さんが告白すれば、ここまでこじれることはなかったのです。
下之君が上野さんに対して好意を抱いていることを上野さんが知ってしまったことで、自分の二つの告白は機会を失い、動揺し答えを出せないまま彼の元を離れることになってしまったのです。
「まったく不器用な二人ですね、私より不器用な人がいるとは思いませんでした」
「なんで……なんでそんなことになったの……」
「それをキッカケに下之君や下之君周りの関係が壊れれてしまうなんて、居なくなった上野さんは想ってもいなかったでしょうけどね」
上野さんに悪意はなかったのです、ただその行動の結果が最悪の展開に導いてしまっただけで。
「それが私の”見た”真実です。今回のヒロインであるミユさんには話しておくべきかと思いましたので」
「…………余計私に、ヒロインになる権利なんてないじゃん」
「なぜですか?」
「だって……! ユウ兄が振られたから居なくなったって、八つ当たりしてそれでユウ兄に取り返しのつかないことしちゃった私なんかが……無理だよ」
「まぁ、確かに結果論でもミユさんが間接的にでも下之君の記憶を奪ったことは確かでしょうね」
「なら……!」
……私にはお見通しなんですよ、ミユさん。
下之君が記憶を失ったことについて理解しそしてミユさんは責任を感じている、それは確かです。
ただ――
「実際のところ、自分の知らない下之君と接するのが怖いんでしょう?」
本当のところは、そこも本音であって。
「っ……」
「変わってしまった、上野さんに告白する前までの知っていた下之君じゃない下之君と接することが怖いのでしょう? 兄妹の楽しかった思い出を共有できないのが寂しいのでしょう? そして上野さんと下之君とミユさんの三人の時間にはどうやっても戻らないのが悲しいのでしょう?」
「…………」
そして訪れるミユさんの沈黙。
長い間一緒に育って、楽しいことも悲しいこともあった二人の思い出を自分だけは覚えていて兄の下之君が覚えていないのが辛いのもあるのでしょう。
それも含めてミユさんは現実から逃げ続けてきたのです――それでもまだ未練は捨てられないまま、というのがおかしいですが。
「引きこもって、誰にも見られる必要もないのなら。自分の状態を昔のままに保つことなんてする必要ないですよね?」
「……それは、自分がそうしたいだけだし」
「髪の長いこととと肌が色白なぐらいで、私が最後に会ったミユさんと変わりありませんね、驚きました」
「…………」
「それと、引きこもっているのならいくらでも娯楽をしていられるのに。下之君を監視する名目で一緒に同じ勉強をしているのは何故でしょう」
「そ、れは」
ミユさんは、キッカケがないだけで。
自分がこの部屋を出る勇気が無いだけで、出る為の準備はいくらでも整えているのです。
「まだ諦めてないんでしょう、ミユさん」
ユミジの出来ない、知っている私に出来ること。
それは好きな彼の妹の事情ということもあり、元カレ……前ヒロインとして今回のヒロインへのバトンタッチを果たしたいことでもあり。
単純に私たちとまた同じ学校に通ってほしいという、単純な元クラスメイトの私の意思でもあるのです。
「……少し長居しすぎましたね、そろそろ帰ることとします」
「…………」
「ああ、そうそうユミジに対しては今より新しい携帯ゲーム端末でも用意してあげれば待遇改善のストをやめて機嫌を治すかもしれません」
そういう約束も取り付けていることですし。
「それから――」
最後にミユさんの背中を押す一言を、私は言い残しておくことにしましょう。
「失われた下之君の記憶は私たちが取り戻します。時間はかかるかもしれませんが、待っていてください」
前世界から考えていた、未来の彼女らと取り組み始めた下之君の記憶復元プロジェクト。
それは欠けてしまった下之君の記憶のピースを埋めるためのことなのです。
「委員長! それ――」
ミユさんの部屋を背に私は廊下を歩きだします。
……ユミジ、私結構乱暴な手段でしたが背中を押しましたよ。
あとはミユさんの気持ち次第です。