第180~183話 √1-26 ※独占禁止法は適応されませんでした。
なんでこんなことになったんだろう、と改めて思う。
俺がいけなかった。俺に全て非が有った。でも、それでも……
「こんな別れは――」
無理だ。こんな最後は悲しすぎる、切なすぎる。
それに俺は伝えなければならないことがある。
俺が拒絶されていても、それでも声を大にして一つだけ伝えたいことがあるんだ。
「俺は……俺はっ」
マイが好きだ、と。
届かなくてもいい、その言葉で終わってもいい……でも、言わないと気が済まないから。
俺は駆けて、駆け抜いて。彼女の元へとスニーカーで地面を蹴飛ばしながら走って行く――
* *
1月12日
正月が明け冬休みも明け。少し休みボケの残ったまま始まる三学期、そんな始業日から4日経った12日のこと。
いつも通りのワイワイガヤと喧騒にまみれた昼休みに、いつものメンバーで机をくっつけてランチタイムを展開していた。
「おおー、ユウジ、今日の弁当は、うまそうだな」
ユイは同じ家なのになぜにそんなことを棒声よろしく聞くのか。……いや、ユイが住んでいるのがバレちゃいけないからだけどさ。
あー……ここで、説明しておこう。
メイドインオレデイ。
俺が朝早くか、前日に予めつくって置いた……まあ俺が作った弁当の日だ。
ユイが同居し始める以前、桐が来るまでも「姉貴の負担軽減」理由として勝手に俺が姉貴の反対を押し切って設定した。
まあ食事当番の弁当版と言ったところ。それまでは姉貴の絶品弁当か俺の普通弁当と学食or購買のローテーションだった。
ユイも引っ越してきた当初は展開にあったように食堂や購買、又は予め買い溜めしたパン、おにぎりで回していたのだが――
『栄養不足するからダメー』
と、姉貴がすぐさま異議を唱えた。じゃあどうする? 俺とユイの弁当が被ってたら少なからずバレるぞ?
と考えた結果。
『日によって弁当作り主を変えればいい』
ということだ。え、どういうことなんだって?
つまりは「俺のつくった弁当」と「姉貴のつくった弁当」をユイと俺は違えて持ってくるということ。
俺自らがつくった弁当を自分が食べることもあれば、俺の弁当がユイに食べられることもある。
そんなものをスケジュール管理をしっかりした後、ユイは水曜は弁当無し、俺は木曜弁当無しと負担を軽減している。
いつかそんなものバレるだろと言われようが、とりあえずはこの体勢で行く予定。
ユイはどうやら料理だけは苦手らしく、殺人料理こそ生み出さないがよく炭を顕現させる……消臭用に使えそう?
そんなこんなで一応食べられるものは作れる俺と、絶品星三つな料理を生み出す姉貴で回しているという訳。
いや……マイに秘密にするのは正直心苦しいけども。そのうち、機会に……ね?
既に出来上がり巾着に入れた状態で皆に弁当は渡すこともあって、そんな訳でユイは俺の弁当を知らないのだ。
例えユイ担当の声優が某演技でも、それはスタッフの文章の稚拙さが原因であることを明記しておく。
「ああ、これか? ベーコンサラダ。ごま油とベーコンって合うな~」
「ユウジ様がおつくりになったのですか?」
「ああ、うん。数日に一回は俺がつくってる……まあネットで見つけたレシピで簡単につくってるだけだけども」
「す、すごいですね!」
「いやー、姉貴にはかなわない」
「でも色どりも綺麗で……ユウジ様もすごいですって」
「ああ、ありがとな。そう言ってくれると嬉しいもんだ」
そんな会話に目を光らせたユイが居た。そうだ、これだ――と。
「(こちらユイ応答せよ)」
「あー、でも今日のは上手く出来たかもしれない。良ければマイも」
「いいのですか?」
「(おーいユウジ)」
「じゃあ、どうする? 弁当のふたに――」
「あーんで」
「(ユ~ウ~ジ)」
「……大胆ですね、マイさん」
「チャンスは逃しません」
「(おっと、空気読むか)」
「じゃ、じゃあ行くぞ?」
「はっ、はい!」
「(リア充してるなあ……てめ、このっ!)」
「どう?」
「合いますね!」
「だろ?」
「(ユウジさんの女たらしー)」
「(誰がたらしだ)」
>ユウジが入室しました。
「(聞こえてるなら反応してくれよー、放置プレイとか……興奮しちゃうだろ?)」
>ユウジが退室しました。
「(ごめん、聞いて……というかユウジ、これは貴様にとって利のあることだぞう?)」
>ユウジがこちらの様子を伺っています。
「(いや、入ろうよ)」
「(はいはい……で、なんでこんな精神サーバーまでテレパシー飛ばしてなんの用事でしょうか?)」
「(いやー、アタシ思いついちゃったんだよ)」
「(何を)」
「(ユウジサン? 好きな彼女を家に呼びたいとか思わないかい?)」
「(いや、まあ……いや! イカガワシイことは絶対にしないけどっ)」
「(エロは置いておいて、純粋に好きなあの娘をヘッドハンティングしたいと思わないかい?)」
「(引き抜いてどうすんだよ……まあ、呼びたいとは思うよ?)」
「(さらに出来ればユイやマサヒロみたいなお邪魔虫は居ない方がいいと)」
「(うん)」
「(あ、そこは即肯定するのね……で、アタシの言いたいのは何気ない彼女の誘い方なんだよ!)」
何気なくマイを誘う……あからさまは出来れば避けたいからな、それは賛成だ。
いや、なんというかマイなら別にどストレートに言っても承諾してくれそうだけども……気分的に。
「(おおー、そりゃ役に立ちそうだな)」
やっぱユイって俺たちのこと考えて――
「(まず一言目は”俺の家でアレやろうぜ”)」
ないか。
>ユウジが退室しました。もう戻って来ることはないでしょう。
今回に関しては完全にからかわれてるだろよ……
「(ユウジカムバァーック)」
「(ラストチャンス)」
はいはい……次は頼むぜ?
「(了解。それで”新レシピの試食をお願いしたいんだ”と、だ)」
さっきの弁当会話と弁当解説はこのための伏線だったのか!
マイにも一応手料理を食べて貰えたし――だが。
「(! なるほど。しかし、俺はそれほど料理上手じゃねぇぞ?)」
うん、姉貴には一生勝てない。例え十人がかりでも(?)
「(数日置きにうめえ弁当を提供するお前のどの口が言うか……味に関しては大丈夫だ!)」
えー……まあ、食べられるレベルではあると思うけども。
「(それで、何気なく呼ぶと)」
「(そういうこった。ちなみにその間アタシはどっか出かけてるぜい)」
「(なる、助言ありがとさん)」
「(いいってことよ、弁当とか世話になってるしな! じゃあ、いってこい)」
この間のユイとのチャット、10秒にも満たない。
ユイの助言もあり”味見に誘おう”ということで俺の家へと呼ぶことに決定。
家族に味見してもらえばいいんじゃないですか……と言われても「マイに一番に食べてほしいんだ」という……クサイ台詞でごまかすつもり。
日程は……すっかり生徒会固定日となった木曜日――にしようかと思ったけど、それじゃ不自然か。
それならば、今週土曜は奇数曜日だから……日曜に呼ぶとしよう! うん、それがいいな。
ちなみにここまでの思考5秒にも満たない
「あのさー、マイ」
「はい」
マイの箸を止めてしまったが、ここで言わねば!
「今度の日曜俺の家に来ないか?」
「え!」
「いや、ちょっと新レシピの味見を――」
「行きますっ!」
言い終わる前までに承諾。……いい訳とかいらなかったな、うん。本当に「味見~」うんたらかんたらは必要なかったかもしれん。
で、でもそこまでキッパリと即決できるそんなマイが以下省略。
「今週の日曜の……10時ぐらいかな? ついでに昼食も」
「いただいてよろしいのですか!」
先読みはっやい。
「ああ、じゃあその日の時間に……道は分かる?」
「はいっ! 以前行きましたのでっ」
ということで、約束を取り付けた。マイの嬉しそうな表情は更に俺のテンションをあげていく。
この時俺は内心喜びまくっていたのだが……実際あんなことになるなんて、予測しようがなかった。
……こう意味深げに匂わせてなんてことはなかったりするけども、今回は本当に。
1月16日
その日は雨だった。よりにもよって、こんな日に。天気予報はホラ吹きで、今日の惨状を予報などしてくれてはいなかった。
雨の降る音に目を覚まし、横目に窓を見れば縦線が入るかのように土砂降り。
そんな憂げに窓から灰色の雨降る空を覗いていたが、きりがないのでさっさと着替えることとする。
気取らずいつも通りの部屋着――だと流石に失礼かもしれない。普段は数着ある中学ジャージを流用して部屋着としている。
それならば、考えるものの。ファッションセンスどころか美的感覚も狂う以前に存在しない俺には選択肢は少なかった。
適当にあった紺ジーンズとTシャツで身繕い……という表現はファッションモデルのみならずファッション雑誌を購読するそこら辺の女子からしたら怒りどころか逆に嘲笑されるかもしれない。
そこんところは気にしない俺であった。それに気を滅入らしても仕方ないと判断したからで。ありのまま、ありのままを貫くこととする。
休日にしては目覚めが早かった。時針が指すのは6時、分針は5と、姉貴でさえ自室で寝息を立てているぐらいだ。
節電よろしく電気が灯されていない、自然光のみ薄暗い廊下・階段を伝って未だ寝起きの目が覚めないままキッチンへと向かう。
冷蔵庫を開けてみるに――
「……買う必要があるか」
その各扉、引き出しをみて思う。材料は到底足りないと。
この日曜を向かえるまでに時間はたんとあった。たとえバイトや生徒会をこなしていてもだ。
ネットでグーグルさんに助力してもらい”この家に来てもらう為の名分”の新レシピを探すのである。
「……こんなのどうだろか」
十時から来て貰うということから分かる通り、仕込みとかも考えてのこと。
仕込み――そんな大層なことはしないし、貧弱な知識経験故にレシピ頼りである。
「寒いからなー……」
汁物がまず欲しい、けんちん汁とか地味だけど野菜入れられるし栄養価が――と、思ったが新レシピだった。
それなら手頃な一品で行こう。そうなれば、簡単おかずってところかな?
出来れば安い野菜を使いつつも(以下略)
「……とりあえず朝飯作るか、テキトーに」
姉貴が起きる前にちゃっちゃと、ね。
ご飯は炊けてて保温状態。魚は――冷凍しておいたサバがあったから、それにしよう。
後は小松菜があるからおひたしにして……卵焼きかな? そうして朝食をつくった――
出来上がっていた朝食をみて驚きを隠せない姉貴だったが「気分で」と答えた。
続々と現れる家族勢……いつもは遅起きのユイも早起きで、はやくも七時半には全員が揃う。
ちなみに姉貴とホニさんに”今日のこと”は伝えていなかった。なにせ――
『ユウくんが、女の子を連れ込む!? なんで私じゃないの……って元からいるから!?』
それから云々かんぬん続いて、マイとのイチャイチャ――までは思ってないけども。
ゆっくりはできないと判断し。
『ふふ、アタシが連れ出してやろう』
『ユイ様、ありがとうございますっ』
自分から勘付いて言ってきただけに感謝感激雨霰。
そんなとこで露払いするわけではないが、姉貴とユイには出かけてもらうことにした。
「めっちゃ雨降ってるけどな……」
大丈夫か? これ。
「……アタシに二言はないっ」
かっこいいけど、どうしよう。
「ミナ姉~、今日どぉっしても。どぉしっても! 欲しい参考書があるんだー。付き合ってくれない?」
「え……こんな雨だけど、いいの?」
「いいの! ミナ姉にみてもらいたいからー」
「うーん、いいけど……」
と、渋々ながらも説得していた。ありがとうユイ、心の奥底から感謝する。
ホニさんには伝えていない……姉貴みたいに害はないし。ユイとは違ってマイも知ってるし。
桐はシラネ。なんとかなるだろう。
九時半、俺は雨中通学路を歩いていた。
「くそー、雨足強いな」
料理材料を買いに商店街へと向かう。部屋を片付け、廊下を掃除機を掛け、雑巾で気になるところを吹いていたらこんな時間になってしまった。
「(もしかしたら途中で会うかもしれない)」
ちなみに会うかもしれないではなく”会おう”というのが俺の意図である。
丁度その頃には朝早い映画に何故か姉貴は付き合わされているという……その後に参考書目当ての本屋ならば、俺のデートコースに似てるとかは言ってはいけない。
ユイ達が出かけたのが十五分ほど前、映画がの放映時間が二時間前後……とすれば遭遇はしないハズ。
そうして俺は足早に忌々しいく叩きつける雨の通学路を歩いて行く。
「……こんなところか」
提げるビニール袋は両手に二つ。野菜やら卵やら肉やら……ついでついでと買い込んだ。
「(時間は……あと10分か、これはマズい)」
流石に焦る。家に呼んでいるというのに呼んだ張本人がいないとか……それ以前の問題だろう。
恐らくもうマイは向かっていると考えていい、なにしろこの雨だ。天候で足を取られることを考えて早めに家を出ているだろう。
「(ここで会って行くのは無理……走るか!)」
水たまり……というかアスファルトには雨の降ったせいで水が張られ、走る度に跳ね返って来る。
そして――
「うお!?」
ザアアアアアアアアアという雨の勢いが増す。例えで使うバケツの水をひっくり返したら、そのほどだろう。こんな時によりに、よってのゲリラ豪雨。環境破壊の弊害が今ここに。
更には突風と断言出来るほどの風が瞬間風速的に巻き起り、貧弱とは言わないが安い傘はそれになすすべも無く俺の体を濡らしてしまった。
「あーあ」
なんというか、この天候と自分の計画性の無さにウンザリする。
ちゃんと時間を考えて行動しろと、どれだけ部屋を磨いたって出迎える人がいなければ何の意味も無い。
「間に合ってくれ……!」
先程よりは弱め、それでも十分な強風が雨を巻きこんで吹き荒れる中、通学路を家へと逆走する――
「はぁ……はぁ」
帰宅部生徒会所属の俺はスポーツ全般はあまり得意ではない。もちろん持久走など、それが行われる春の時期が来る度に体育なんて潰れてしまえと切に願――呪っているものだ。
通学路そのものはそれほど長いかと言われれば、普通なのだが。予想外に雨と風の妨害が大きく通常の二、三倍の時間を要してしまった。
「もう来てるよな……」
しかし玄関前には人影はない。
「(ホニさんか桐辺りが入れてくれたのだろう)」
背後のゲリラ豪雨と強風のコンビネージョンに嫌気がさしたので、そう勝手な解釈をし鍵を明け玄関扉を開く。
すると目に入ったのは濡れた玄関と、見知らぬ靴が踵揃えて一足綺麗に置かれていた。
「(やっぱ来てたか……でも入れてくれて良かった)」
そこで自分のびしょ濡れ具合にはぁと息をつく。コートの前をしめるのを忘れたが故に中身のTシャツまでひどく濡れていた。
「タオル貰うかな……」
水も滴るイイ男……だったら良かったのだが、俺はイイ男ではないのでただの雨にやられた買い物帰りの学生だ。
そこでふと思う、あの突風にマイが巻きこまれてたかもしれない。……そんなことなければいいのだけど。
俺は何気なくドラム式ではない古い型の洗濯機が鎮座しタオル置き場兼脱衣所となっている風呂場へと続く扉を開いた。
しかし、俺は濡れていることに気が取られて。その風呂場へ続く着替えスペースに電気が灯っていたのを疑問に思わなかったのである。
もちろん、節電主義であることは言わずもがな。使っていなければ、電気など付けない。
「タオルタオル――!?」
扉を開いた先にはそれはもう美しい肢体が背中があった。丸みを帯びながらも引き締まり、その曲線美に見惚れてしまう――
しかしそんな中でも一際目立ちそれらを全て台無しにするかのような――
「!?
「あ、それは……その」
言語が働かない。冷静になれ。俺は何を見た、俺は何をした?
それは……俗に言う覗きという行為ではないか。
そんなマイの反応は早く、大きいものだった。
「い、いやあああああああああああああああああああああああああああああああ」
耳を劈く絶叫、脳の奥底までキーンと響く絶叫。
俺はこれ以上はいけない、と扉を閉め廻れ右。風呂場を背にした。
「……み、みられてしまいまいした。これで、私は――」
微かに聞える声で、そう俺は聞きとった。
しかしそれよりも俺は、美しいものを見た感動からやってしまったことへの罪悪感が一気に押し寄せる。
……俺はなんてことをした? 俺の不注意で、彼女を何をしてしまった?
許しなんてもらっているわけもなく、俺は彼女の裸体をその目にみてしまった。
「俺はなんてこと……」
かつてのセクハラ事件など霞むほどの、愚行だった。
そんな俺に怒りか、哀れみか、軽蔑か。彼女は脱衣所の扉を壊れるかと言わんばかりに押しあけた……絶叫を続けながら。
「いや、いや、いやっ! いやあああああああああああああああああああああああ」
「あ、ああ! マイっ」
情けない声しかあげられなかった。とっさに着替えたであろう彼女は俺の横を走り去り、玄関へと一目散に駆けて行った。
そして自分の靴を履き、決死の思いのごとく扉の鍵を解錠すると降り注ぐ、降りつける大雨の中を傘もささず肌着だけで走って行った。
「ま、まってくれ……!」
呼びとめるには弱く、馬鹿にしてるようにしか思えない声を彼女にかけるが届くことはない。
俺も投げ捨てられたサンダルを履いて彼女を追いかける。どうしても謝らなければならないからで、これが大きな溝を傷跡を作ってしまうように思えたからだ。
「…………っ」
雨は嘲笑うかのように俺に雨をぶつけてくる。これが罰ならどれだけ優しいか。
もしかしたら、これで全てが終わってしまう。走っているうちにそんなことだけを考えてしまうようになる。
靴箱に放置されていた手に持つ折りたたみ傘を開く間もなく、俺は彼女の足を追った。
公園へと辿りついた。
もちろん彼女と俺以外に人影はなく。土がぬかるみ水たまりが点在している。
そんな公園の濡れに濡れたベンチに俯きがちに彼女は座っていた。
「マイ……悪か――」
「なんで、追いかけてきたんですか」
「え……」
「ごめんなさい、ユウジ様。もう私はユウジ様に会わせる顔がございません」
淡々と、機械的に吐き出される言葉に俺は衝撃を受けた。
会わせる顔? それは、俺があんな最低なことをしたから――?
「俺こそ悪かっ……すまなかった、悪気はなかったんだ。でも、俺は最低なことをした……嫌われても――」
「嫌われるのは私の方です! 私の、私のあんな傷……あっ」
言いかけて口を紡いだマイは、そして。
「……ごめんなさい」
そう言うとマイは俺の横を走り去って行った。
俺は追うことが出来なかった。決して俺は追えないほどに力尽きていたのでない。
俺は彼女に拒絶されたのだ。俺のしてしまったことのせいで。
「ああ……なんだろうなあ」
雨は止む気配なく、一人残された公園で立ちつくしていた。
それは寒く悲しく虚しく――激しい後悔と果てしない失望感に当分体を動かす気になれなかった。
「…………本当にごめんな、マイ」
謝る相手は既にいない。そんな謝罪の言葉は雨の降りしきる音に全て掻き消される。
俺一人が、残された。
「わわわ、ユウジさんびしょ濡れだよっ?」
家に戻ると急に家を飛び出した俺を心配したのか、ホニさんがタオルを持って待ってくれていた。
「ああ、悪い……」
タオルを受け取って……自分の濡れた髪を拭く。
でもマイはもっと濡れているだろう、寒い思いをしているのではないか。
俺にあんなことをされて辛く、大いなる恥辱を感じているいるのではないか?
「ユウジさん? マイさんは……」
「…………」
俺は答えることが出来なかった。
「タオルありがとな、ホニさん」
「あ、うん……」
自分から水が滴るのも気にせず、俺がやらかしてしまった現場……脱衣所へ行く。
開かれた扉から、まだ湯気が立っていて直前までマイがシャワーを浴びていたことが分かる。
そんな着替えている場面で俺は直面してしまった。
「これ、は……」
脱衣籠にはマイの衣服が入っていた。そしてキラリ一つ光るモノが目に入る。
「ああ……」
手にとって確信する。これは俺が彼女にプレゼントしたクローバーのネックレスだった。
身につけてきてくれたことが嬉しい――そんな感情は、一気に喪失感に押しつぶされる。
「はは、見限られた……よな」
急いでいたから、焦っていたから――そんなことが浮かばない俺にとってこれは明確な拒絶、別れに思えた。
それを理解した俺はその場に立ちつくす。足元には買ってきた食材の入った買い物ビニール袋が雨の水を含みながら残されていた。
着替えて、マイのコートや上着をハンガーにかけ部屋干しをして食材を律儀にも冷蔵庫にしまってから俺は自分の部屋へと戻った。
メンタル的にかなり追いつめられているが、振り切ったかのようにそこでふと考える。そして思い出す。
「……」
俺は彼女の裸を目撃した。男としての本能か、嫌なほどにこびりついたそのスタイルのよい肢体を鮮明に覚えている。
そんな中での違和感。色とりどりの花が咲きほこる花畑にぽっかりと顔をみせる土の地。
いや……そんな生易しい物ではなかったのかもしれない。思い出せ、俺は一体何を見た。何に違和感を感じた?
そしてあの時彼女はこう言った。
『嫌われるのは私の方です! 私の、私のあんな傷……あっ』
傷。
彼女の背中に無残にも酷にもつけられた傷。
それもかすり傷ほどではない、深く抉り取られたかのように左肩から腰骨まで斜めにほぼ一直線にひかれた線。
絹のごとき柔肌の中で、赤黒く描かれるその線、彼女の美しい背中ではそんな傷に大きな違和感しか抱かなかった。
一言で言えば……醜い傷だった。
「……あんな傷が普通あるのか?」
いや、ない。背中という場所からして自分ではあんな深い傷を付けるのは難しい。
そもそも自分へ傷を付けてしまういかなる場合でも、多少なりとも生存本能が自制し思ったような深い傷は出来ないという。
あの傷の深さを考えると……他人からの危害を加えられた可能性と、事故に遭遇し負傷した可能性だろう。
「…………あー」
気になることは、気になる。しかし、俺にそれを聞く権利も――もしかしたら今後話すことも出来ないかもしれない。
自分が本当に愚かであることを再認識する。これだから俺は――
「……このタイミングで思い出すか」
引き出しを開けると、そこには姫城舞ファンクラブの会誌があった。
俺は貰ったはいいものの、結局マイに悪い気がして読んでいなかった。
俺は何も知らない。
出会ったころの残虐的さや、恐ろしいまでの執着心。その意味を俺は知らない。
好きなものも、好きな場所も、好きな言葉も。俺はそれを殆ど知らない。
彼女がどう過ごし、どんな家庭を持っているか。そんな当たり前のことですら知らない。
所詮俺とマイの関係は、そんな外面だけの薄く遠い関係だったのかもしれない。
そもそも――俺なんかを何故好きになってくれたのだろう。
言わなかったから。いや、聞かなかった俺が悪いのだ。
知ろうと思っているのに、臆病に聞くのを躊躇していた俺に全て非があるのだ。
「……見てしまおうか」
会誌にはおそらくマイのことについて書かれていることだろう。
彼氏だった俺でさえも知らないことがそこには踊っているのかもしれない。
マイに拒絶されたことにより感じた喪失感を深く味わされていた俺にとっては、それは禁断の果実。
取ってはならないのに、その手を止めることは出来ない。
そして俺は、また愚かにも――
「ままよっ」
欲望と寂しさに俺の理性は負けた。
そうして開かれる度に表れる魅力的な彼女の写真に見惚れてしまっていた。
「悔しいが、すげえ上手い――」
こんな時に俺は何を抜かしているんだろう。腐った根性を持った俺なんぞさっさと死ねばいいのに。
しかし、理性はそんな自制を促すことなく右手は次々とページをめくっている。
そんな時に「姫城舞、公式プロフィール」と書かれたものが何故か袋とじであった。
「あけるか、あけないか」
理性はまたもや負け、そして開かれる情報の数々。
スリーサイズは書いてあるのに住所や電話番号が書いていない偏ったプライバシー保護っぷり。
「……いいのか?」
そんな項で、気になるものを見つけた。
「家族構成……祖父、祖母?」
彼女の家族は祖父母のみだった。両親はどうしたのだろうか。
そして下にはこうも書いてあった。
『両親、弟は他界』
……え?
この時俺は、やっと彼女を知ることができた。
彼女を介さない、最低の方法で。