第630話 √d-9 わたあに。 『ミユ視点』『四月二十一日』
四月二十一日
それは暗い部屋、PCのバックライトのみの灯が頼りでした。
そんな部屋でいつもよりも早起きした朝七時半頃、一人彼女は膝を抱えてPCの中の世界を見つめます。
「あー……」
画面の中で、ユウジの幼馴染であるユキがタクシーにはねられたました。
衝撃と打ち所の悪さによって動くなったユキは自分の周囲に血だまりを作っていきます――それを彼女は身じろぎ一つせず眺めるのです。
「……ということはやり直しかな」
彼女は既に何度も何度も何度も何回も何十回も見てきたことでとっくの昔に慣れてしまっているのです。
ユキが死んでしまうことに、世界が終わることに、時が巻き戻ってしまうことに――
四月二十一日
一つの世界が終わり、また次の世界に移ったのです。
開始地点は同日のユキが交通事故に会う二時間半前でした。
「で、桐と」
何かのバグか、ユウジの気まぐれかで、ごく稀にユキを一度も死なせずに世界をやり直すこともなく世界が進行することはあるのです。
今回の場合は、まず一度はユキを死なせてしまうパターンだっただけで。
そしてこの巻き戻しはユキを死なせてしまった記憶をユウジも引き継ぐように出来ているのです。
そう、桐とユウジのいつものやりとりです。
一度失敗してしまったユウジに対しての、この世界のルール説明とヒント。
桐にはそれが役目づけられていて、これが基本的には桐とユウジが接触する瞬間でもあるのです。
「全員の女の子を攻略せねえ……」
桐はそのセリフを毎回言うものの、ユウジはこれまでに攻略した女子の人数も誰を攻略したかも覚えていないのです。
だからユウジにとっては毎回が一周目、ただ記憶を維持できる彼女とホニさんなどにとっては着実に攻略人数が増えていっていました。
「そもそもユウ兄と顔をも会わせてない私がどう攻略されろってのよ……」
ミユはそうして独りごちに呟きます。
そう、本来ならば誰にも聞かれることも無く言葉が返ってくるはずもないのですが――
『そもそも美優は下之ユウジのことをどう思っているんですか?』
彼女に答えるのは旧型の携帯ゲーム機で、バックライトが点灯し一人手に喋りはじめます。
「…………どうって何がユミジ」
ユミジ、かつて幼少期にミユとユウジが遊んだというゲームの共有キャラクターネームでした。
それが今になって人工AIの呼称名としてミユの前に現れたのです。
『好きか嫌いかです』
「…………き、嫌いじゃないけど」
『ということは好きなんですね』
「は!? だから嫌いじゃないって」
『二択で聞きました。私は機械なこともあってニュアンスは分からないもので、白黒ハッキリつけてもらわないと』
いやあ、だいぶ人間的になってきたと思ったらユミジもまだまだデスネ。
……絶対わざとからかっているでしょうに。
「うぅ………家族として……好きだよ」
『ツンデレ拗らせた美優を考慮すれば……今はそれで良しとします』
こんな人間味溢れた人工AIがいますかね。
「ツン…………で、そんな事聞いてどうすんの」
『少なくとも下之ユウジを嫌っていないことが分かって安心しました。もし嫌いなら世界は完全に詰みますからね』
「……私のルートスキップとかできないの? 全ヒロインルート解放トロフィーとかいらないんだけど」
『全ヒロインルート解放をしないと、このループ世界は永遠に続くのですよ』
ゲームクリア条件は桐が明言している通り全ヒロインの攻略でした。
……と言っても桐が最初の最初に言った時点ではルリキャベのヒロインルートだけだったはずなのに、いつの間にかはーとふるでいずっのヒロインルートも足されてるんですけどね。
まぁわた……嵩鳥さんのラブラブイチャイチャ史上最高萌え萌えシナリオを実現する為には必要だったのですけれど。
「…………べつにいいし、永遠に続く引きこもり生活楽しいなー」
『もう部屋にあるライトノベルもコミックもアニメDVDもすべて読んで見てしまったではありませんか』
「…………べつのことで気を紛らわすし」
『気を紛らわす、ですか』
「う……」
揚げ足を全力で取りにくるユミジ、なかなかいやらしい性格をしていますね。
『もしかしたらどこかのタイミングで待っていればいつか永遠のループが終わるなんて、甘く考えていませんか?』
「…………」
『それはありえません、システムの一部である私が断言します』
それは最近にしては機械的なユミジの言葉でした。
『あなたを、美優を下之ユウジが攻略しなければこの世界は永遠に続くのですよ。もしかしたら何年も何十年も……もしかしたら何百年も』
「……そんなの私おばあちゃんになっちゃうよ」
『肉体的な衰えはありません、時間軸はこの一年に固定されているのですから――もちろん精神的な疲労については例外ですが』
「ユミジは、機械のくせに私を脅すんだ」
『はい、私もウジウジとしている美優に付き合うのはウンザリですからね』
そしてさっきとは打って変わって機械らしくない、実際は音声は一定を保っていても呆れをまるで含んだようなニュアンスでユミジは答えるのです。
「なっ…………!」
『いつまで意地張ってるんですか。さっさと話し合いでも殴り合いでもして仲直りして、とっとと攻略されちゃってください』
「そんな簡単に言わないでよ……っ!」
『私目線で言えばこんなに簡単なことが出来ないなんて理解に苦しみます、とんだヘタレ兄妹ですね』
「ユウ兄はともかく、私はヘタレじゃないし!」
『……いいえ、ヘタレですね。どっちも行動に出れない、とんだ似た者同士です』
ユミジは最近S気味に見えましたが、もしかしたらそれはミユをからかうだけでなく。
本当に、機械なのに、人工AIのはずなのに――
『バカらしい、付き合ってられません』
時間の積み重ねによるバグの蓄積か、それとも彼女に感情というものが芽生えたのか定かではなくとも――ユミジはキレていました。
「つ、付き合って欲しいなんて最初から言ってないし!」
『そうですか。美優がそういう態度に出るなら私は、もう何も言う事はありません。勝手にしてください』
「ああ、勝手にするね!」
『さようなら、美優――――』
す、す……ストライキだあああああああああああああ!?
え、ええ……人口AIのユミジがミユのサポートを放棄するストライキするとか予想だにしませんよ。
…………どうするんですかこれ、収拾つくんですかこれ。
”ナレーション”の私はそこまで干渉できませんよ、参ったなあ。
* *
ところ変わったわた……私で合ってるんだったよね。
私こと嵩鳥マナカははぁと息を吐きだしました。
はぁ今日のナレーションの仕事疲れた。
喋ることというよりも、ギスギスしたところをナレーションして気疲れした。
気晴らしに艦●れでもやろっかな。
「おや」
すると管理者連絡用のチャットにレスが付いていることに気付きました。
意識をこの時代に持ってきている場合、未来の私は眠りについているのです。
そして未来の下之君や、アイシアさんや、井口さんと、またはこの時代の管理者である桐やユミジとの連絡用の回線のようなものです。
「…………はぁ」
なんというか、まぁ。
私はそのチャットに返します。
「いつの間にか親みたくなったんですかね、あなた」
『こういうのをお節介というのでしょう、それでも私は彼女に幸せになってもらいたいのです』
お節介の自覚、あるんじゃないですか。
「はい」
『ずっと一緒に居たはずの私が言ってもミユの心には届きませんでした』
それは彼女にして悲しげな、音声こそいつもどおりの一定であっても悲哀を含んでいるように聞こえていたのです。
彼女らしくありませんでした、彼女が産まれた時を思えば。
『だから、同じクラスメイトのあなたにお願いするしかないのです』
まったく、面倒くさい方々ばかりですね……誰ですかお前が言うなって言った人は。
合ってますけれど。
『……美優を助けてくれませんか』
それは桐よりも人間味に欠けた、機械的なサブ人工AIだったはずのユミジからの最初で最後かもしれない創造神サイドの私たちへの要望でした。
もし私の想像通りならば、さっきの下之ミユに対して怒っているように見えたのは――ミユに発破をかける為の演技だったりします?
……親バカですか?
「こんな役回りばっかだなぁ……私って」
こういうの損する性格って言うんでしょうね、自作の小説をギャルゲーという形でさらし者にされ、ナレーションも丸投げされ……私もノーと言える日本人になりたいものです。
まぁ、でも今回に関しては――
「わかりました。私なりにやってみますよ、ユミジ」
ストーリーの進行上仕方ないのもありますが、ユミジの本来はありえないはずの成長を祝す意味合いも含めていいでしょう。
私も一度下之ミユと対面で話したかったのです、良い機会ですからね。
『ありがとうございます――嵩鳥マナカ、美優をお願いします』
ナレーションの登場人物への干渉は許されませんし出来ませんが、委員長であり下之ミユさんの元クラスメイトの”嵩鳥マナカ”として下之ミユに会いに行く分にはとやかく言われる筋合いはないでしょう。
理屈を曲げてでも自分で仕事を増やす私、まぁでも今回ばかりはユミジの為に人肌脱ぐとしましょうか――
四月二十二日
私は学校を休みました、一応体調不良と言っておきましたけど日ごろの素行がいいので疑われないでしょう。
そうでもしなければ何年も委員長なんてやってないですし。
私は、この世界で最初の――下之家訪問を果たすのです。
インターホンを鳴らし、ホニさんが出て来て対応し、私だと言うと。
「委員長……さん」
「どうもホニさん、あなたとこうして会うのは前の世界以来ですね」
「……やっぱり、今までのこと覚えているんですね」
「はい、もちろんホニさんが一度は私にとってのクラスメイトなことも――」
「っ!」
ホニさんや桐は知っているのです。
ナタリーに持ち帰らせた情報により私が創造神であると、私は管理者サイドであると。
「ちょっとミユさんに会いたいんですけれど、いいですか?」
そうして私は前の物語から十数日以来に下之君の家に足を踏み入れます。
下之君と結ばれた世界と物語からまだ十数日しか経っていないのに、世界はリセットされているというのは思いのほか来るものがありました。
それでも分かっていたことですから、そんなルールを敷いたのは他ならない私たちなのですから。
私は階段を上がり、情報としては知っている元クラスメイトの部屋の扉の前にたどり着きます。
ノック、しかし返答はなく私は否応なく扉を開けるのです――
「どうもミユさん。前ヒロインにして元クラスメイトの嵩鳥です」