第626話 √d-5 わたあに。 『ナレ・ユウジ視点』『四月六日』
どうもナレーションです。
それはまた暗い部屋……ですが、単に電照灯が付いていないだけでカーテンの隙間からは明かりが入っています。
ミユの部屋ではなくそこは――
「まだわしは”この世界のユウジに認識される”前じゃからの、自由に動かせてもらおう」
四月二十日を迎えて、ユウジにこの世界がギャルゲーと現実のハイブリッドであると知らせるまで。
桐という人間はどう世界に認識されているのだろうと、私は今の今になって考え――見たのです。
ご丁寧にも桐が呟いた言葉の通りなら――未だこの世界のユウジは桐の存在を知らないのです。
そしてユウジの前に現れて、桐と名乗った瞬間、はじめて彼女という存在が確固となるのでした。
……もっとも、ユウジ以外のこれまでの記憶を持つ者であるミユやホニさんなどは知っているのですが。
ユウジが知らないよう、知れないように世界はできているのです……なんともご都合主義ですが、少なくともこの世界のユウジは桐の存在は知らないのです。
「…………しかし埃っぽいのう、物置と変わらぬぞ」
この部屋に人が踏み入れたのはいつ以来でしょうか、少なくとも数か月ぶりにはなるはずなのです。
そうその部屋の主は――
「すまぬな母上、少し探させてもらおうぞ」
桐が母上と呼ぶ人間。
下之ミサキ、下之ミユとユウジとミナの実の母親であり――今は”遠く”に行っている女性でした。
そんな彼女の部屋を漁る桐、一体何を探しているのでしょうか。
「…………おお、見つけた」
おおよそ一時間以上探しに探して、机の引き出しの奥にしまわれていた”それを”桐は取り出すのです。
「……やっぱりじゃったか。なるほどのう、これでようやく――わしがどういう存在なのか確信がもてる」
桐が手に取ったのは、とある埃をかぶった母子手帳でした。
そこの母子手帳の表紙には母には下之美咲と書かれ、そして子の欄には――
「美樹、か。わしの名前が桐というのもなかなか意図を感じるのう」
私が……いえ、正確には嵩鳥マナカがおおよそ考えていた予想の通りだったのです。
下之桐、彼女の正体は――
* *
四月六日
入学式の日を迎えた、煌びやかな新一年生になった俺こと下之ユウジのはじまりの日だ。
姉貴とホニさんの家事を手伝うべく、少し早めに起きた。
母さんは帰って来ないのに大家族と化した下之家の衣食住を管理するには姉貴一人では度が過ぎる。
そして家事に精通していたホニさんと、一応少なからずは家事も出来る俺を加えた三人総力戦で挑む。
正直ホニさんが居れば大丈夫かと思ったのだが、留学生二人が増えるとそうもいかない。
その日のうちに姉貴に手伝いを申し入れ、少しの話し合いののち姉貴が折れてくれた。
だから春休みだろうが入学式だろうが、家事手伝いに早起きするのは変わらなかった……おかげで入学式初日から遅刻なんてことにはならなくて済む。
寝間着にエプロンという出で立ちで姉貴とホニさんのサポートをしたのち、七時を過ぎたことで未だに寝ているユイを起こしにいく。
留学生二人はしっかり者というか、俺と同じぐらいに起きてシャワーを浴びていたこともあり入学式を控えたうちの家の住民で寝てるのはユイだけなのだった。
「……ったく、入学式だってのに」
再婚が決まりユイが居候した次の日には遅寝遅起きのユイさんの生活スタイルがよく理解できた。
普通は新しい家で物怖じしそうなものだが、なかなかに肝が据わっているのかもしれない。
春休み中は朝の十時まで起きてこなかった、それを考えれば放っておけば入学式をそっぽかさん勢いだ。
元は悪友というか友人で今は義妹のユイを起こしにいくという行動の違和感が凄い、少なくとも義妹としては見れない。
そしてユイの部屋の前に立つ。
……おっと、俺という男子はアレでも一応女子なユイ相手にちゃんとノックし声をかける人間だ。
少なくともノックもせず声をもかけずにドアを開いてラッキースケベなんて事態にはならない。
「ユイ、もう朝だぞ起きろ」
……ああ、違和感の正体に気付いた。
義妹を起こしにいくというよりも、自分の家に寝泊まりさせた友人を起こしにいく気分なのだ。
そしてノックも声かけもしたというのに中から反応は無い……これは爆睡かと考えドアを開いた。
「初日から遅刻するとか流石に度胸ありすぎだぞ……ユイ?」
「…………え」
寝間着脱ぎかけ、背中には下着のピンク色のホックが見え俺を見つめる――誰だよこの美少女!?
「きゃああああああ」
「す、すまん部屋間違え……た?」
間違って別の女子の部屋に入ったと思い慌てて扉を閉めるが、この場所はユイの部屋だった。
それなら部屋の中で半裸になっていたショートカットで長身気味の美少女は一体……?
しばらく部屋の前に立っていると、バタンと扉が開いた。
「ぐ、グッドなモーニングじゃんよ! ユウジ!」
「お、おう……おはようユイ」
急いだのが如実に分かるほどに少し気崩れた制服を着たグルグル眼鏡がトレードマークのユイが姿を現した。
「ちょっと音楽聞きながら過ごしててユウジの声に気付けなかったわ!」
「ならしょうがないな」
なるほど爆睡かと思ったがイヤホンかヘッドホンで聞こえなかっただけなら納得が行く。
……にしても、さっきのユイとは別人の半裸の女子は一体?
「…………アタシの顔に何かついてる?」
「え? いや、なんかさっき部屋の中にユイとは違う女子が居たような気がしてな」
「さ、錯覚だよ」
そっかー錯覚か……。
「なんか一瞬見えたのは可愛い気がしたんだがな、ユイ相手に見た錯覚か……なら仕方ないな」
あんな可愛い子ユイなわけないしな、うん。
「か、可愛い?」
「ああ、ユイなんかを相手に女の子の幻覚見るなんて俺もよっぽどだけどな……」
それも下着チラ見えの半脱ぎ状態という……溜まってるんかな俺。
「……ユイなんか、かあ」
「とりあえず今日入学式だから遅刻とかはやめてくれな、じゃ」
そう言って扉を閉めた……あからさまにユイが凹んでたのは何故か分からないが、まぁ俺には関係ないことだろう。
……ということで幻覚を見ただけなので、俺のラッキースケベ的展開は妄想であり不発だったのだ。
それから俺は自室に戻ってカバンを取りに戻り、ついでに自分も制服に着替える。
中高一貫に近いほぼエスカレーター式の高校だけあって制服もなんら変わり映えしない学ランを着る。
といってもここ数年の男子としては当然の成長によって苦しくなった制服から、大きなサイズの制服を新調はしたのだが。
「さてと」
鞄を持って部屋を出る、中学の頃とまったく変わらない登校前の一連の動作だ。
しかし俺は部屋を出ると、とある方向を眺める。
「…………」
それぞれの家族の個室が集まる下之家の二階、俺はその階段から少し離れたところに自室があるのだが。
次いで階段と別方向に姉貴の部屋があり――二階の端に、妹のミユの部屋がある。
なぜか一軒家なのに個室が盛りだくさんな下之家でもともと住んでいた俺たち姉弟の部屋が階段から離れているのかと言えば、トイレが比較的階段から遠い位置にあったことにある。
というよりもミユの部屋のすぐ近くだ、階段を降りる手間を惜しんで幼少期は二階のトイレを使っていたものだった。
最近は……トイレ掃除に行くことはあれど、緊急の用を要する時以外使うことは無くなった。
というのも鍵が不調気味な上に、しばらく顔を会わせていないミユの部屋に近い場所にあるトイレなのだ……行きづらい。
俺もミユが引きこもったあとの数か月は、ミユの部屋に扉越しに何度も話しかけた。
しかしミユは一度も答えなかった……よっぽど俺は嫌われるようなことをしてしまったらしい。
だから独り言のように話しかける日々にふと疲れてしまった、ミユとの過ごした記憶がいくらか欠けているのが多く――ミユにどう接していいかも分からなかったのだ
それからはミユの部屋付近に寄り付かないようになった、姉貴はどういう形かは分からないがミユと接していることが分かったのもショックだった。
俺が覚えている限り、彼女に嫌われる要因というと思いつくのは少ない。
でもおそらくはサクラを去らせる原因を作った俺を――憎んでいるのだろう。
だから口も利いてくれないし、俺に顔を会せようともしない……そういうことなのだと思う。
俺にはミユが引きこもっていることをとやかく言える立場ではなくて、資格なんてなくて。
「…………入学式行ってくる」
おそらくはミユに向けた言葉だったそれを残して俺は階段に向かう。
遠い記憶のおぼろ気な中にある、ミユをいつか起こしにいったことを思い出しながら。
俺と姉貴とユイとクランナさんとアイシアさんの五人がぞろぞろと下之家を出る。
散歩していたおじいさんが女子を連れ立って出てくる俺に対して何事かというような表情をする……べつにやましいことはないんだけどな、本当に。
登校途中にも奇異の目線が集まる、そりゃそうだ俺と姉貴の登校こそ珍しくなかったが金髪美女に銀髪美女にクラスメイトや同学年なら知っているかもしれない、グルグル伊達眼鏡で有名なユイも加わってのことだ。
どういう集まりなのかと、その中心にいるあの男なんだよ、ハーレム気取りかハゲろ、とかがヒソヒソと聞こえてくる。
ハゲろはやめて。
「おはよーユウジ……って、後ろの外人さんは一体何かな?」
俺の幼馴染のユキと出くわした。
黒髪でポニテにまとめた、活発そうな印象で、学校でも人気の高い美少女だ。
サクラやミユとの記憶が無いのだが、同じクラスの多いユキとの記憶は割と覚えているのだ。
……といっても、いまいちピンと来ない記憶の数々なのだが覚えていることに代わりはない。
「ウチにホームステイしてる留学生なんだよ。母さんがいきなり受け入れる言って」
「どうもクランナです、よろしくお願いしますわ」
「どもーアイシアです、よろしくー」
「おお、日本語ペラペラなんだ」
俺も思ったが二人の留学生組、とにかく日本語が流暢である。
喋る分にも聞く分にもまったく違和感はないし、日本語特有のニュアンスにも敏感で、もしかすると日本人の俺よりも日本語の使い方が上手いのかもしれない。
だからホームステイと身構えたが、コミュニケーションに関してはまったく苦労していなかった。
「私は篠文ユキ、よろしくね。ユウジとは幼馴染なんだ」
「オサナナジミですね、旧知の仲的な意味だと存じておりますわ」
クランナさんがそう答える、旧知の仲とか俺はすっと出てこないワードを普通に話す。
「幼馴染なんだ! いわゆる長い付き合いのせいで気恥ずかしさとか今更感が先行して思い人に思いを伝えられないことでおなじみの幼馴染ね」
……アイシアさんはアイシアでその偏り気味の知識なんなの。
「べ、別にユウジのことなんて!」
「ツンデレ! 生ツンデレ!」
「ツンデレってなに!?」
「しかし何故ユージさんの名前を……?」
「……聞き間違いだよ、きっと」
……アイシアさん本当に外国人なんだろうか。
と、その他ついでにユイの父親と俺の母親が再婚した話をすると。
「……そんなことあるんだね」
俺もまったく同じ感想でごわす、よりにもよってユイの父親と再婚するとか母さんは何を考えているのか。
「ということは三人とも……ユウジの家に住んでるんだ?」
「そうなりますわね」
「だねー」
「おうよ!」
クランナさんとアイシアさんとユイがそれぞれ答える……まぁ女子寮状態になっても別にどうということは無いのだが俺にとって。
「ふ、ふーん……ユウジには目に毒かもね」
「ユキの考えているようなことはたぶんないぞ」
「わ、私の考えてることってなんだし!?」
とまあユキはツンデレ気味で不思議な俺の幼馴染である……と、頭の中では分かっていてもいまいちピンと来ない違和感はなんだろうか。
ユキは俺にとって幼馴染に違いないのに。
……にしては、サクラとユキが同じ場に居合わせる場面をいまいち思い出せないのは不思議だ。
おそらくは俺が忘れてしまっただけなのだろうけども。
昇降口前に貼られたクラス分けの看板を登校してきた新一年生たちは眺める。
一年生は殆ど藍浜中学三年生の面子と変わらず、市外の高校に行った一部を除いてほとんど生徒はスライドしてきていると言っていい。
だからなんとなく見覚えのある面々がクラス分けに一喜一憂していた。
そして一学年は一組から五組にまで成る、大体二十人前後のクラスが五つ存在しているようだ。
「お」
一組から順に見ると下之ユウジという俺の名前は二組にあった。
「お、アタシもユウジも二組だぬ」
「私もだ」
……というか中学三年の時も俺含めてこの二組の面子だったし中学のクラス分けそのまま流用してるんじゃないか。
まぁユイとユキと一緒ということに何の異論もないが……あ、ついでにマサヒロも同じクラスらしい。
「私たちは四組ですわね」
「やったー、オルリスと同じクラスだ―」
一方の留学生組は俺たちとは違うクラスのようだった。
ホームステイ先の生徒とクラスが違うのは何か意図があったりするのだろうか……。
(ナレーション補足:ちなみにヨリは三組、井口は五組です。あ、委員長の私のことも触れていいんですよユウジ)
ともあれクラス分けを確認し一年二組の教室に向かう、下駄箱はまだ場所が決まっていないこともあって外靴は持ってきたビニール袋に入れて上履きに履き替えた。
中学の時も思ったが一年生教室は校舎最上階の三階で正直ダルい、遅刻してきた時には上級生よりも不利な立地にあると言えよう。
教室で黒板に張り出された出席番号順で指定された机に手荷物を置いてきたところで入学式の会場に向かう。
といっても体育館に新一年生用と保護者用のパイプ椅子を敷き詰めただけのものなのだが、その二組生徒のエリアの椅子に出席番号順に腰をかけた。
”篠文”ユキと”下之”ユウジとのこともあって、ユキとは隣の席になった、マサヒロやユイは後段の席に座ったのが見えた。
「いよいよ高校一年って感じだねユウジ」
「ああ、いまいち実感なかったからようやくって感じだな」
「だよねー、さっき手荷物置いてきた時に居たクラスメイトの面々三年二組の時と全然変わらなかったし」
「本当に覚えてる限りだと三ー二クラスそのまんまだな」
少なくとも三年になってからの記憶は確実に蓄積されている俺からしてもクラスの面子は変わり映えしなかった。
確か中学校の頃からずっと同じクラスだった覚えのある委員長もマサヒロの隣に座っている。
そうこうして生徒が集まり入学式が始まった――
校長先生の長い話にはじまり生徒会長のあいさつもあった。
「……会長って壇上にいるんだよな」
「ちょっと頭の先は見えるかな」
葉桜アスカという三年の生徒会長は体育館ステージ上かつ壇の前にいるはずなのだが、姿を認識できない。
そして小さい容姿に似合ったこの気が抜けるような舌足らずな演説……噂で聞いたことのあるロリ会長、本当に実在したのか。
少なくとも葉桜会長は中学時代に会長をしたことはなかったはずだ、一方で俺の姉貴は中学でも副会長を経験しこの高校でも副会長のはずだ。
「――ということで、新一年生よろしく!」
しかし中学の時もそうだがこういう表だって出てくることはない、それもあってベテラン生徒会役員だが知名度はあまりない。
裏方に徹しているのだろうけども、生徒会運営に欠かせない姉貴はもうちょっと前に出て来てもいいと思うのが弟心というものだ。
そうして入学式が終わりまた各々のクラスに戻っていく。
担任の自己紹介ののち、今日は授業も何もなく提出用の書類が配られただけで解散となった。
「ユウジ殿帰りますぞ」
「あ、ああ」
生徒が帰っていく新しいクラスを眺めながら、俺はふと思ったのだ。
――もしかしたら、ミユも高校生になって一緒のクラスになる未来もあったんだろうかと。
……まぁ考えても仕方のないことだったな。
そうして新一年生最初の日は終わる。