第623話 √d-2 わたあに。 『ユウジ視点』「〇九年四月一日~」
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二〇〇九年四月一日
ミユが泣いている。
俺の横で泣いている。
どうしてなんだろうか、泣かせるようなことをしてしまったのだろうか。
ああ、そういえば。
俺階段から落ちたんだっけ。
最近不眠気味で体調不良で気力もなくて仕方なく、それは桜が居なくなった日からずっとだった。
サクラのことを思い出すと吐きそうになって泣きそうになって悲しくなって辛くなって、春休み中は外は良い天気のお花見日和だというのに俺は家に引きこもっていた。
そして桜が居なくなったことがショックだったのは俺だけじゃない、姉貴はもちろん――そして俺よりも近くに居たかもしれないミユにとっては相当なものだったのだろう。
だから俺に怒るのも理解出来た。
どうして引き留めなかっただの、どうして告白なんかしただの、なんでそんな桜を困らせるようなことしたのと問い詰められた。
後になって思えば八つ当たりも入っていたのかもしれない、でも俺はそれらの言葉に反論できなかった、否定できなかった。
なんとか言ってよユウ兄……! とミユが恨むように言う。
ただただ俯き黙る俺にいら立つのも無理はなかった、だから魔が差したのかもしれない、そこまでの意図はなかったのかもしれない。
でも俺は結果的に――
ミユの押した力は軽いものだった、少なくとも俺を突き飛ばそうとする意図はなかったはずだった、それでもトンと押された程度で俺は寝不足気味と体調不良で熱があった俺はふらふらと後ろに後退し――階段の上から転げ落ちた。
おそらく下の階まで転げ落ちる前に頭から階段の踏み板に突っ込んだのだろう、ミユの悲鳴を最後に意識が途切れて――今に至る。
病院のベッドだった、そこで俺は目覚めた。
頭に触れると包帯を巻いていて、身体の節々がズキズキとする……落ちる時にだいぶ身体を打ったのだろう。
まぁでも頭を打ってもこうして意識が戻るだけ軽いものだったのかもしれない。
日付を見ると三日ほど飛んでいる……そう冷静にことを認識できることから、打撲以外は特になんともなかったのだろう。
「…………っ! み、ミナ姉! ユウ兄がユウ兄が!」
俺が起きたことを知って、ミユが飛び起きると病室を出て姉貴を呼びにいったようだった。
そう、この時は俺は気づかなかった。
そして医者もミユも姉貴も、この時誰も気づくことはなかった――俺の記憶が人知れず欠けていたことを。
――それは俺と美優と桜の記憶。
春休み中入院して過ごしたが、始業式には間に合った。
打撲も湿布を貼っておくぐらいで頭の包帯もギリギリ取れたのだ。
いつもの面子で進級した面々と顔を合わせた、がどうにも余所余所しい。
あまりにも不自然だったので割と長いこと顔見知りのクラスメイトの男子に探りを入れてみると、俺が桜に振られたことでショックを受けているのではないかということだった。
あんまり気にしてないと俺は強がって苦笑した、そのあとに男子の言ったことが問題だった。
「幼稚園ぐらい? から仲良かったのに以外だわー。やっぱ幼馴染は対象になんないとか、そういうことなのかね」
……幼稚園ぐらい?
ああ、俺とサクラとミユは幼稚園以来の幼馴染だ。
家が隣で、さらに幼稚園で仲良くなって、それで――――桜と美優とどんなことをしたっけ?
いやいや幼稚園なら覚えてなくても仕方ない。
小学生なら、数年前のことだからもちろん思い出せるだろう問題ないはずだ。
…………確かサクラと喧嘩をしたことはあった、ミユを泣かしてしまったことがあった、サクラがある話題で不機嫌にさせた、ミユがキレて俺を殴った。
それらはどうして、だっけ。
あれ? おかしいな、嫌な思い出というか苦い思い出の印象的なことは覚えているのにその前後のことを思い出せない。
楽しい思い出もちゃんとあったはずだ、たしか小学生一年生の頃……たしか…………。
思い、出せなかった。
それから俺は一心不乱に記憶を探った。
ところどころ、どうでもいい記憶や後ろめたい記憶は出てくるのに――桜や美優との楽しかった記憶が、思い出せなかった。
というかそもそも俺って、桜と美優と三人の頃はどういう性格してたっけ……?
分からない、自分というものがちゃんと認識できない。
俺って……本当はどんな人間だったんだ?
今の自分を構成にするのに必要な記憶が欠けてしまっていた、どういう経緯で俺は今の俺になったのかが――分からない。
そうして分からなくなっていった俺はどつぼに嵌っていき、これまでいくらか付き合いのあったクラスメイトともどこか距離を置くようになり。
そしていつの間にか一人ぼっちになってしまっていた。
中学三年生を迎えた俺は教室で一人、一人ぼっちを紛らわす為になんとなく買ってみたライトノベルを読みふけった。
一人なら一人を楽しむべきだ、俺は休み時間誰とも話さずに小遣いをほとんど費やしたライトノベルで三年生の春は終わりを迎えようとしていた。
その時だったのだ――
「お、下之ってハルヒとか読むんだな」
声をかけてきたのは高橋マサヒロという、あまり接点のない男子だった。
「アニメ版とか見たことあるか? なかなかいい出来だぜ」
オタク趣味ということで一部の女子には噂されていた……気がした。
別にルックスが悪くないだけにオタクで損していそうな男子の印象だった。
「高橋……だっけ?」
「おう。今読んでるのは……消失か! いや消失は――」
こうして俺はなんとなく買ったラノベから、オタク趣味に没頭していく――
それが、高校卒業まで続く俺とマサヒロとユイのオタクグループの始まりだった。
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