第620話 √c-32 わたせか 『三月二十五日』
三月二十五日
終業式……というより終了式と呼ぶことを最近知った、いわゆる学年修め。
今日が俺たちにとって最後の一年生の日、春休みを挟めば俺たちは二年生になるのだ。
この学校で先輩になる、ということの実感がいまいち沸かない。
それは中学からのエスカレーター式高校というのもあるのかもしれない、実際に入ってくる一年生も見覚えのある生徒たちばかりなのだ。
だから大抵の生徒はというと「春休みだああああ!」と喜ぶ者ばかりで、単に春休み前の形式上存在する行事……という印象しかないのだろう。
俺も大してその認識と変わらない……はずだったのだが、俺としてはここ数年のこの頃になると――
「…………」
「ユウジ君?」
やっぱり、思い出してしまうのだ。
終了式前日、とある彼女とこれまでの関係を崩したくないという思いがある一方で出来ることなら関係を前に進めたい。
長い葛藤の末に俺が出した決断であり、行動だった。
しかしそれは完全に裏目に出てしまった。
付き合うことはなく、かといって振られたわけでもない――何も答えを出さないまま彼女は去っていってしまった。
振るのだとしても一言……たった一言で俺はよかったのだ、ごめんなさいとかごめんとかダメとか……最悪無理でも考えられないだのでもよかった。
まだ拒絶された方がよかった――幼馴染で、小さい頃から付き合いのあった彼女がいなくなるよりは。
「……ユウジ君、彼女の私がいるのに他の女の子のことを考えるのは感心しませんよ」
「あ……声に出てたか?」
体育館であった終了式のあと、殆どの生徒は教室に戻るのだが俺は校舎裏に来ていた。
そう、彼女――上野桜に告白をした場所に。
「いいえ、でも彼女だから分かります」
「まいったな」
咎めるような言葉と裏腹に……マナカは優しい表情をして俺の後ろに立っていた。
そして振り返ったままの俺にマナカは近づいてきたと思うと、後ろから――抱き付いてきたのだ。
「……まったく、私という彼女がいながら過去の女に振り回されるなんて」
「……そこまで分かるんだな」
「はい、ユウジ君の彼女ですから」
前に冗談めかして言っていた、人の心が読めるってのもあながち冗談じゃないのかもな――
「大丈夫ですよ、ユウジ君。私はいなくなりません、ずっと一緒にいますから」
「マナカ……」
その言葉は、俺にとって本当に欲しい言葉で、だからこそ嬉しくて仕方ない。
その一方で俺はマナカに対して失礼だった、ひどいことをしていた、まったくもってダメな彼氏だった。
マナカという彼女がいるのに俺はまだ、桜の呪縛から逃れ切れていないのだから。
それでも、マナカの言ってくれる言葉のおかげで……泣かずに済んだ。
男らしくない、女々しくてしかたない、それでも俺は去年の同じ頃に誰にも知られないよう卒業式を終えて家に帰ってから部屋に籠って泣いていた。
桜が去った喪失感と、自分がしてしまった行動の後悔で……俺は弱いから、それでも誰にも見られない場所で泣いていたのだ。
今年は、今なら大丈夫だ。
隣にマナカもいるのだ、泣いてなんかいられない。
過去に振り回され続けちゃいけない。
「数日も経てば私たちは二年生になって、それからも私はユウジ君の彼女なんですから」
「ありがとな……マナカ」
俺は抱き付いてくれる彼女をやんわりと離してからあらためて、お礼を言う。
俺の心の傷を、マナカは癒してくれる。
それが温かい、心地いい、嬉しい。
「……二年生も、副委員長やってくれますか?」
「もちろん」
即答だった、俺は卒業までマナカが委員長をやるなら俺は副委員長をやるつもりだ。
出来る限り一緒に時間を、そして副委員長としてマナカの助けになるのなら。
「嬉しいです……本当に」
「……マナカ」
「ああ、嬉しいなあ……ユウジ君の彼女になれて、副委員長になってくれて……本当に……本当に」
「マナカ……?」
「……どうかしましたか?」
彼女は言葉と裏腹に――泣いていた。
「なんでマナカが泣くんだよ」
「え……あれ……本当に、なんで」
自分でも気づいていない、マナカの涙。
それはひどく切なげで、俺も悲しくなるほどで、どうしてなのかさっぱり分からなくて。
「ス、スマン! 俺が他の女のこと考えてたからか!? それともなんか酷いことしたか!?」
「いいえ、いいえ、そうじゃないんです……そうじゃ」
彼女はそう否定する、尚更分からなくなる。
いつもはこの頃泣いていたのは俺の方なのに。
どうしたらいいか分からない、どうすれば彼女が泣き止んでくれるか分からない。
でも、もし間違っていたとしても――
「――――」
「っ」
俺は彼女に口づけをする。
例えこの行動が彼女を怒らせたり、困らせたり、嫌がらせることになっても……少なくとも涙は止まってくれると思ったのだ。
「……勝手にしてすまん」
「いいえ……その、ごちそうさまです」
「おそまつ様……?」
彼女はそれで泣き止んでくれた。
「恥ずかしいところをお見せしました」
「いやそんなことは」
俺の恥ずかしいところというか、みっともないところはさっき見られたばかりなだけに。
「ユウジ君」
「ああ」
彼女は目元を赤くしつつも、これまででもとびっきりかもしれない――
「じゃあ二年生になっても副委員長と、私の彼氏お願いしますね」
笑顔を俺に向けて。
「ああ、もちろん」
そう答えると彼女は更に笑顔になって。
「そろそろ教室に戻りましょうか」
「そうだな」
二人手を繋いで歩き出す。
式のあとにイチャついてただのクラスメイトに茶化されるだろうか、考えると少しうんざりではあるが――その時はその時だ。
今を大事に、マナカとの時間を大事に、それが一番なのだから。