第612話 √c-24 わたせか 『↓』
下之君が眠りに就いたことを確認してこっそりと下之君の部屋を出ました。
本来ならばこのままお暇するのが普通なのですが……やっぱり気になることがあるのです。
「……ここですよね」
私が歩を進めて辿りついたのは”アイシアるーむ”と書かれた部屋の扉の前でした。
未来では私や下之君と同じように集まっているアイシアさんは、この時代でありこの世界では下之君の家にホームステイ――していることになっています。
しかしこれまででもあまりにも彼女が住んでいるという描写は少なく、特にアイシアの部屋内の描写など皆無だったのです。
そして人の情報を”読む”ことの出来る私の目も。
アイシアさんに限っては既存の情報しか得られませんでした――まるでアイシアさんを構成する情報は管理されてプロテクトがかけられているように。
ということもあって一種の興味として訪れ、私は扉をノックしました。
『入ってまーす』
……そりゃ入っていますでしょうとも自分の部屋なんですから、お手洗いじゃないんですよ。
「……アイシアさん、嵩鳥です。下之君のお見舞いついでに来ました」
『…………嵩鳥さんね、うん、分かった』
そうマイク越しとも思える言葉が返ってくるとガチャリ、扉が勝手に開き始めたではありませんか。
……さりげなく自動扉化しているんですかアイシアさん。
扉を開いたということは、入っていいんですよね……?
「お、お邪魔します」
そうしてアイシアさんの部屋に足を踏み入れると――
「寒っ!?」
秋にも差し掛かった十月初め、だというのにアイシアの部屋内はクーラーガンガンでした。
冷房ガンガンとかいうレベルでなく部屋の壁に霜がついています、これはもう冷凍庫並なのかもしれない室温に普通の格好の私は既にガタガタと体を震わせてしまいます。
……水含ませた布振り回したらすぐさま凍りそうな気がしますね。
『あ、寒いよね。そこに来賓用のコートあるから着てね』
来賓用のコートとは一体……寒さのあまり何も考えずに袖を通すとそれはもう暖かいものでした。
というかこの暖かさは完全に自然のものではなく、電気羽毛とかそのあたりな気がします。
『電熱線入りコートだよ。小型バッテリー搭載で行動範囲も自由な最新モデル!』
……どこの海軍で使われてたような防寒着ですか。
零戦パイロットが高度上空で凍死しない為のコード付き電熱線入りのコートというのが存在したそうですが、まさか現代でその進化版をお目にかかることになろうとは。
『いやーこんぐらいしないと放熱間に合わずに落ちちゃうんだよね』
「ここまで冷やして何……を」
アイシアさんの部屋、どう考えても間取りと一致しないぐらいに広いのですけれど、どういう仕組みですか。
その部屋の奥に白い息を吐きながら進むと――無数の機械が部屋を占めていました。
「世界が、さ」
その機械に囲まれる様にして、私と同じようなコート(花柄の可愛らしいやつ)を着こんだアイシアさんがそこにはいたのです。
「ここまで私の部屋に踏み込んだのは嵩鳥さんが初めてだね。なにしろ愛するオルリスだって入れたことないし」
そりゃそうですよ、こんな寒いところコート無しでは本当に凍死します。
というかこれだけの機械と冷凍庫並にガンガンに効かせた冷房で電気代はどうなっているのでしょうか……。
それよりも、です。
「さっき”世界が”って言ってましたけれど。それは……」
「そのまんまの意味だよ。今の現地のこの部屋で”藍浜町という空間”を管理してるから、ここでサーバーがオーバーヒートしたら落ちちゃうんだよね――世界が」
「それは……文字通り世界が停止してしまう、ということですか」
「そそ、一度やらかしてサーバーが落ちた結果が――ユーさんが目覚めず、世界が開始点に戻らずループしてしまった時なんだよね」
「……ああ、あの時の」
今から××周前(ルート3-0付近)に起きた下之君が目覚めることなく、下之君の部屋そのものが凍結してしまう事件を指しているのでしょう。
「私が”管理”しきれずに自分の部屋のブレーカーが落ちて、ほんの一分冷房が停止しただけで真っ先にユーさんが影響を受けちゃった。あの時のホニさんには迷惑かけちゃったな」
そう、描写上ではユミジの指示のもとホニさんが下之君を救い出してループを抜けるというものだったのです。
原因はバグの蓄積などという説明がされていましたが、そのバグなどをアイシアさんが抑制し管理していたのかもしれません。
そしてサーバーのダウンによってその抑制が効かずに、バグによる自己防衛の一種としてか下之君の部屋ごと凍り付いてしまった……まぁ私の妄想の域を出ないのですが。
……更にはおそらく私の想像でしかないですが、このアイシアさんの部屋で本当に”一年間をループする世界”をすべて管理し制御しているのでしょう。
それは時も空間も人も物に至るまで、それを処理する為には膨大な演算能力が必要で、そこには大量のコンピューターを必要とし、そのコンピューターを冷やす為の冷房も必要となるのでしょう。
「あ、ちゃんと電気代は調整してるからね。今は電線から直接引いてるし、もちろん許可もとってるよ」
「それを聞いて安心しました」
世界を維持するために使う電力がどれほどになるのか、私には想像も付きません。
「……まぁそもそもこの世界の電気もお金もやろうと思えばすべて管理出来るんだけどね」
やだこの人怖い。
「アイシアさんは学校以外はここで作業を?」
「そそ、まぁ大体システムは構築してるから見てるだけだけどね」
アイシアさんのこれまでの描写として家の中のことも殆どなく、休日にクランナさんと出かけるぐらいしかなかったのも納得できるかもしれません。
三食学業お風呂など以外ではこの冷え切った部屋で一人この世界を管理し続けていたのでしょう。
「さすがにオルリスと出かける時とかは離れるけどね、一応モバイル端末で監視できるようにはしてるけど」
「……アイシアさんがそんな生活してるなんて全然知りませんでした」
「まあ誰にも言ってないしね、きっとちゃんと話したのは嵩鳥さんが最初だよ」
「なぜ私に話していいと思ったんですか?」
おそらくは未来人(?)仲間だからだとは思うのですが。
「まぁ事情は知ってるしね……それに、私もちょっと誰かに話したいなと思っちゃったりしたのは確か」
未来で平然と空間を管理していると言いましたが、それも簡単なことではなかったのです。
それを一人で誰にも話すことなく、私がこれまでに繰り返した同じ時間を過ごしているのを考えれば――
「……よろしければ、これからも気が向いた時に話してください」
「そう? そう言ってもらえると嬉しいかも」
そうしてコードのフード越しに控え目に笑う彼女がどこか儚げに見えたのです。
アイシアさんが言う事すべてを信じるならば。
この”管理”し続けることから解放されるのは――下之君が攻略を終えた時なのです。
一年間をループする時間を、隔離された藍浜町という空間を、そこに存在する人や物の記憶や状態などもすべて。
それらを管理する必要のなくなる攻略終了まで、アイシアさんは一人この氷点下の世界で過ごし続けるのでしょう。
「それではそろそろお暇しますね」
「うん。嵩鳥さんヒロインなんだから、今回ぐらい好きなことしちゃった方がいいと思うよ」
「……アイシアさんは知ってますもんね、私がヒロインだって」
「もちろん。ちゃんとユーさんにも脈アリだと思うからがんば」
「ありがとう、アイシアさん」
――夢の中か曖昧な世界でしか本当の本当は自分の思い通りに出来ない、ヒロインになれなかった私と違ってさ。
そんな風なことを言ったような気がしますが、実際はよく覚えていないのです。
そうして私は今度こそ下之家からお暇するのです。
下之君が吐いた弱音と、アイシアさんのある一面を知ることが出来た今日の日を忘れることはないでしょう。