第592話 √c-6 ずっと近くに居た私と、世界のこと
私こと中原蒼であり、現在はナタリーの私は悩んでいた。
私は病弱であり、手の施しようがないのであり、本来ならば病院で何の楽しい出来事もなく死んでいくはずだった。
それが下之ユウジという男子との手紙のやり取りから変わっていった、そして次の世界では結果的に鉈としてではあるけれど自由な世界を見渡せるようになれた。
事前に知らされていた「ホニさんの物語」とは途中から大きく違ったけれど、私なりにはユーさんをサポート出来たとは思う。
一度世界を失敗して、曖昧な空間で反省会を開いて、今度こそとユーさんが立ち向かって――前の世界「ヨリさんの物語」は幸せな結末を迎えられた。
その時点で私の役目は終わったのだ、私のありえないはずの延長戦は終わってしまったはずだった。
そしてユミジはというと、終わる世界と次の世界の境界で『次の世界も鉈に転生します』それまではいい、けれど私は次の世界ではきっと役立たないからずっと倉庫で眠ることを覚悟していた。
しかしユミジは『そして妖精形態にもチェンジできるようになります』と言った。
それは鉈以上にファンタジーすぎるのではないか、とか。
というか私は妖精になってどうしろというのか、更には『あと一か月に一回ぐらい一分の一スケールになれます、それと自由に動き回れます』とも付け足した。
妖精の一分の一……? それとも小さな妖精から人と同じ大きさに変身できるということ……?
いきなり妖精って言われても……。
実感が沸かないし、今度は私の存在は邪魔になるのではないかとネガティブな発想ばかりが先行してしまう。
だから私は前の世界でユーさんに鉈として出会う日の前後まで、妖精形態になる気はせずに曖昧な空間で過ごし続けていた。
「遠慮しなくていいのですよ、前の世界で攻略に貢献してくれた見返りと思っていただければ」
「そう言われてもなぁ……正直私の役目は前の世界で終わったはずだし」
だから一度切りの「ヨリさんの世界」だけの延長戦とばかり思っていただけに、今の状況には戸惑ってしまう。
ユーさんの鉈となって、町中を走り抜けたことで私にとっての世界は広がり知ることができた。
満足していた、これ以上望むなんて贅沢だと思っていたのだ。
だから今のゲームでいうところのボーナスステージ? には動揺しっぱなしで。
「というか一分の一ゲージが溜まってます、明日五月十日にはこの教室のあなたの容姿そのままで現実に出現できます」
「え!? 一分の一って本当にそういうことなの!?」
「はい。ナタリーではなく、かつての中原蒼でもない、今の中原蒼あなたが下之ユウジと邂逅することができます」
「っ!?」
実は内心に秘めていた、もし私がガリガリの頬もこけて女の子的な可愛らしさ皆無の病弱的な容姿じゃない状態で、またユーさんに会うことができたのなら。
でもそれは私のわがままで、曖昧な空間に呼び出すことで叶っている。
前の世界はそこまで私は貢献できたのだろうか、それにしたって私にとっては破格すぎる見返りだからこそ戸惑う。
私にそこまでの価値があるのかと、もしかしたら何か裏があるのではないかと。
「……きっと、何か私にデメリットがあるんだよね」
なんかヨリさんみたいなこと言ってるけどこの際はいい。
そうでないと釣り合わない、私にとって都合が良すぎると思ってしまった。
「デメリット……というのとは違いますが、頼みたいことがあります」
「あぁ、だよね」
ある意味で安心した、何の条件もなしに私の願いが叶うなんて信じられなかったのだ。
「あなたの妖精形態は、下之ユウジ以外には視認出来ないように設定してあります。そして――ある意味スパイ活動をして欲しいのです」
「ス、スパイ?」
「それは――」
それから話されたことは、ある意味ユミジらしくない。
とても人工AIとは思えない、機械的でない自らの意思すら介在している――あるものへの反逆でもあった。
でもそれは私にとっても悪い提案ではなく、だからこそ引き受けた。
五月十日
「きゃあっ!? ……な、なにこれ埃っぽい! けほっけほっ」
曖昧な空間から真っ暗な世界へとやってきた。
途端に埃っぽさが鼻をつき、思わずむせてしまった。
「ここは……ナタリーのあった物置部屋?」
見覚えのある景色、それは目が慣れてくると鉈越しに見た景色に違いなかった。
おそらくはユーさんが異と戦う世界ならば、私と出会うその日付が今日。
そんな日に私はまたこの物置部屋から始まるらしい。
「……え?」
まず違和感としては、自分の体重だろうか。
鉈になっているとどうにもふわふわとした感じで、人でいる時とはまた違ったのだけれど――
今はお尻が地面に付いているという感覚。
そして次に身体を動かそうとすると普通に手足が動き、立ち上がると同時に自分の手を見つめることができた。
「手足が……ある!」
いや騙されてはいけない、実は手足こそ生えたけれど実は鉈に手足が生えたモンスターと化しているかもしれない。
私の人間の一分の一ではなく、鉈の一分の一人間サイズかもしれないのだ。
「胸は……あんまり無い!」
でもこの服越しに感じる人肌は、鉈の金属のものではなさそうだった。
そう思うと私も今の自分を確かめたくなってしまう。
私は手足を動かして物置部屋を出た。
廊下は最低限の明かりだけがついていて、どうやら家は寝静まっている時間のようだった。
扉に耳を当てると、ユイの部屋からは寝息が聞こえる。
そしてある程度の間取りは分かっている私は鏡のある洗面所へと向かった――
「……うそ」
そこには藍浜高校の制服を着た私が居た。
いや本当は私であって私でないのかもしれない、むしろそっくりさん、ドッペルゲンガー?
「本当に……私?」
髪は自分の髪色が退色する前の黒一色で、そして頬あたりもこけておらず最低限の肉はついている。
なにより鏡に映る私には病弱っぽさを感じとることはできない、健康的とまではいかないが健常者な肌の色。
もし私が病気にならずに健康なまま、成長したらという曖昧な世界での私であり”if”がその鏡には映っていた。
「うわー……わー」
思わず制服を着た私は鏡の前でくるくると回る、銀髪に黒髪の混ざりガリガリの私にセーラー服は似合わなかったのに……今は幾らか様になっているように思える。
こんな日が来るなんて、夢にも思わなかった。
この世界は私に甘え過ぎるのではないかと思う、もしかしたら相応の反動が来るのではないかと恐ろしくもなってくる。
それでも私は喜びに満ちていた。
「ユーさん……!」
私の隠していた衝動、夢でもあった。
私の恩人であるユーさんに、元気な健康的な姿でまた会って話がしたいと。
でもそれは曖昧な世界で叶った、だからそれ以上望む必要もなかった。
けれど、けれど現実で……この今の私が会えるなら!
私は階段を駆け上がった。
殆ど寝てばかりで、時折リハビリをしていた程度の私が普通に足を走らせる。
そして私はユーさんの部屋の扉を開いた。
「っ!」
そこにはユーさんが寝ている、ああこうして現実で会うのは二度目になるのかな。
想いが溢れていく、鉈になったからにはユーさんの役に立たなければと決めていたからこそ押さえつけていた気持ちだったのかもしれない。
これでも私だって女の子であり、乙女だ。
私の生意気な手紙にも辛抱強く返信してくれて、松葉杖をつきながらもボロボロな容姿で私の病室を訪れた時、私の為に世界をやり直したことも、私が鉈となってからユーさんと同じ世界を見続けて、一生懸命な彼を眺め続けて。
ユーさんのことを嫌いになるはずがない、彼はいつも全力で、私たちを救ってくれる。
それから過去のユーさんが経てきた物語を曖昧な空間で見続けて、彼の一生懸命さとギリギリさと私たちを愛してくれていることが分かってしょうがなかった。
だから私も――
私はいつからかユーさんのことが好きだった。
最初は恋心ではなかった、実際に文通をして彼と顔を合わせた時は驚き少し嬉しさ多め、そして感謝の気持ちなどで愛の入る余地はなかったのだ。
それでも私は彼を見続けてきた、時には曖昧な空間で見るログの中で、時には鉈として傍で。
だけど叶わぬ恋だと知っていたからこそ、鉈という存在でしかないからこそ諦めもついていた。
でも今の私は、今の私は。
「あぁ……ユーさん」
想いが暴走する、熱情に満ちていく、ああこんなに……こんなにユーさんのことが好きだったなんて。
ああ前の前の世界で「私の世界」でホニさんが抱いた感情はこんなのだったんだと、思い知る。
これは我慢するのが無理な話だ。
惚れ薬でも飲んでいるのではないかと思うほどの、胸の高鳴りと自分の熱い体温があった。
でも惚れ薬に酔っていようともそれでもいい、別にそれが不都合なんてことはない、彼相手なら私は理由付けなんてどうでもいい。
「ユーさん、好き……です」
私は寝息を立てて眠るユーさんの唇にそっと口づけをした。
その時の私は喜びと幸せに満ちていた。
* *
『おはよーございますユウさん!』
いつものように目を覚ますと、目の前には何か美少女フィギュアが飛んでいる。
いや、やっぱり今も夢の中なんじゃないか俺は美少女フィギュアなんて持ってないしユイの部屋ぐらいにしかないし。
更に俺の名前っぽいのを呼んでいるらしいのが夢っぽい。
『どうも鉈の妖精ナタリーですっ!』
「はぁ」
それから目が冴えてくると、ああなるほど。
そういえば今のこの世界はギャルゲーとのハイブリッドだったなぁ、この飛んでる妖精もそういうものなのだと解釈することにした。
「……いやいや! 鉈の妖精ってなんだよ!?」
こうして俺は鉈の妖精、ナタリーと出会った。