第581話 √5-62 より幸せに
昼食を終えて、話をして、それから雨澄が帰るタイミングで――
「雨澄、明日も弁当の日でいいんだよな」
雨澄はこくり頷いた、明日八月二十三日は月曜日。
月・水・金と設けられた弁当デイに当たる日で、日曜日の今日はあくまで例外だった。
「それと、明日雨澄に伝えたいことがある」
「――……っ!」
雨澄ももしかしたら察してくれたのかもしれない、俺の伝えたいことについて。
それは前の世界から俺が決めていることだった。
今日会ったのだから言ってしまえばいいのかもしれないが、やっぱり大事なことだから……その、だ。
今から公園に行くのも違うし、姉貴たちのいるこの家での告白も違うからであって――
「――……分かった、じゃあまた明日昼に公園で」
「またな、雨澄」
そうして今日は雨澄とは別れることとなった。
それからホニさんが世界を終わらすこともなければ、家族が居なくなることもなく、世界が緑に包まれることもなく――普通の夜を迎えた。
そんな告白前夜、俺はドギマギと自室でどう告白しようと言葉を選んでいる――ことはなかった。
「くそー!」
俺は雨澄と別れたあと少しの仮眠と、家事などをして、いざ眠りにつくことは……叶わなかった。
なにせ俺に残されている貢献度は神に願ったことで百万吹っ飛び、今は二ケタに突入している。
消費度は二倍のままなので二日も持たない計算になり……ようやく世界を進めることが出来たのに、俺の貢献度が尽きて消失なんて事態になりえた。
だからこそ、昨日の今日というか今日の内というか。
体は酷使でボロボロで悲鳴をあげているが、桐の謎ドリンク本日三度目の服用でごり押しして異狩り出かけていた。
基本この謎ドリンクは一日一本なら問題ないのだが、二本以上となるとかなりフルパワーで動けるが反動が来る。
そして三本目を飲んで二本目で来るはずの反動を先送りした、とりあえず今日と明日は頑張らないといけないので……ああ反動が恐ろしい。
そうして俺は特A級異を倒したその日の内に中規模異を複数狩って、数十日分の貢献度は確保することができたのだった。
* *
八月二十三日
寝起きはとてつもない倦怠感と、筋肉痛に出迎えられた。
死にそう。
しかしそんな時でも大丈夫、そう桐謹製の謎ドリンクがあればね。
腕を動かすのも億劫だったがどうにか蓋を開けて独特の粘性を帯びた決しておいしくない味の謎ドリンクを胃に流し込んだ。
そんな薬漬けの日々に将来を危惧してしまう。
そして謎ドリンクは他の栄養ドリンクも見習ってほしいほどの即効性であり、十秒チャージよろしくに十秒でピンピンとしていた。
……謎ドリンクが切れたそのタイミングが怖いが、その恐怖も今は先送りだ。
「さて、っと」
昼時も数時間前、最近は弁当を作ることも少なくなった。
夏時にあのクソ暑い公園で弁当を食べるのはどうかしていた、最初から家に招けば良かったと思うほどにだ。
そして俺はまさかタキシードを着ていくわけにも行かないので、学校の制定ズボンとワイシャツに袖を通し身だしなみを整える。
昼も十二時寸前、相変わらずこのクソ暑い中では子供たちも遊ばないもので夏の虫どもが大合唱を繰り広げているのみ。
……ここまで来てなんだが、このセミの鳴き声の中での告白ってどうなんだろうか。
そう思いつつもしょうがない、藤棚でかろうじて日影の確保されているベンチのある場所には雨澄が座って待っていた――
「よう、雨澄」
「――こんにちは」
しかし雨澄との最初の出会いと、ホニさんのこともあって敵対し始めたことを思うと雨澄が挨拶を返してくる日が来るなんて思いもよらなかった。
というかこうして俺が告白する未来を、俺が雨澄を好きになる未来を想像することは出来なかった。
「――母親の容態が回復した。寝たきりだったのが、今はピンピンしている」
「ああ! 雨澄の母さん、良くなったのか!」
雨澄の念願とも言える、母親の病気を治す願いが叶ったということなのだろう。
雨澄のその報告する表情もどことなく明るい様子を見せる。
「――下之にはその……協力感謝する」
「いや、お礼を言うのはこっちだ。倒すの手伝ってくれてありがとな、雨澄の力があって倒せたんだ……ありがとな、雨澄」
雨澄がいなければ、俺はここまでやってこれなかったと思う。
ホニさんと桐も最大限協力してくれた、両方が身を削って手伝ってくれた――それでも雨澄が決定打だったようにも思えてしまうのだ。
雨澄の力もそうだが、俺がその日を乗り越えて雨澄に告白したい! という熱情もまた、俺たちが死神を倒すに至った理由の一つにも思える。
そこで俺は一度は座ったベンチから立ち上がる、それを見て雨澄も立ち上がった。
「それで、だな……雨澄」
「――……」
雨澄は俺の言葉を待ってくれているようだった、ここでヘタレてはいけないと自身の心に警鐘を鳴らす。
ラノベやギャルゲーやラブコメ漫画でのお馴染みの、はぐらかすという選択が今の俺にはありえないのだ。
前の世界から、この世界も含めて……数か月も秘めていた気持ちを今、伝える時が来た。
「俺は……雨澄のことが好きだ。俺と付き合って欲しい」
キザったい台詞も、気の利いた言葉も織り交ぜられない、五七五の俳句調の告白みたいな遊び心もない……いや、それはふざけてるだけか。
ストレートの、思いつくままの、俺が望むことを言葉にした。
「――…………」
雨澄はじっと俺を見つめるままだった。
その雨澄の答えを待つ時間が永遠にようにも思えてくる。
俺のトラウマ、幼馴染への告白は答えが返ってこないままその幼馴染本人は姿を消してしまった。
幼馴染に告白してからの生殺しどころじゃない、半殺しにされたような何年も続いた日々に比べれば屁でもない。
ただ俺も、夏の暑さだけでない汗を流しながらじっと雨澄の口から出る言葉を待っていた。
「――本当に私でいい?」
返ってきたのは俺の告白に対する否定でも肯定でもない言葉だった。
むしろ雨澄自身の否定肯定だった。
「――……私は愛想が無いし、可愛げもないし、スタイルが特別いいわけでもない」
「…………」
「――……きっと私が器用でないせいで、あなたを困らせてしまうこともあると思う。それでも――私でいい?」
雨澄が器用でないことは知っている、しかし俺だって器用なんかじゃない。
不器用だからこそ失敗した、ホニさんの考えている事や思っていることが分からなかったらからやり直すことになった。
器用なら俺はもっとうまく立ち回れているはずなのだ、綱渡りのような賭けのような手段を用いない最善の策もあったに違いない。
というか不器用も器用も関係ない、俺は――
「俺は、雨澄がいい」
雨澄が良かった。
雨澄と少しずつ距離を縮めていくのが分かって楽しくて仕方なかった、自分の弁当を美味しいと最後まで食べてくれるのが嬉しかった。
雨澄のことが分かっていくのが嬉しかった、ホニさんと自分含めて雨澄に認めてもらうことも幸せだった。
表情こそ起伏に乏しいけども、次第に雨澄のその僅かな表情の変化を読み取れるようになっていくのが喜ばしかった。
雨澄と昼食を食べて、階段かはたまた公園のベンチか。
神裁のことでも、自分のことでも、話をする時間が――俺にとってかけがえのないものだったのだ。
「――……なら、よろしく」
雨澄の答えは、そんな素っ気ないものだった。
でもある意味雨澄らしくて、とにかく俺は心の底から安心してしまったのだ。
だからこそ雨澄と恋人同士になったという実感は、あとあとじわじわと覚えることになる。
こうして俺と雨澄は付き合うことになったのだった。