第572話 √5-53 より幸せに
対抗する術なく事実上の自殺を図った主人公のユウジの死によって、世界が終わった。
一人だけ生き残り、世界を終わらせ心が壊れてしまった神様――ホニさんはユウジの亡骸を抱いて過ごし続けたという。
そう、これはいわゆる一つのゲームオーバーを迎えた形。
√5バッドエンド。
そうして世界は停止する。
* *
「…………?」
我は目覚めると最近は見慣れた場所に居た。
いや、よく目を凝らせば見慣れた場所には違いなくても――ここを訪れたのはだいぶ前のはずだった。
教室の形をした曖昧な空間、その教室を形取った場所の我の指定席となっている机で目を覚ました。
「我は……?」
その時にじわりと、染みわたっていくように記憶が蘇り始める。
ユウジさんと結ばれた時の世界に似た世界で――我は狂い、ヨーコをも食らい、家族も、町の人も、何もかもを飲み込んで――災厄の神となった。
そうして迎えた結末は、ユウジさんを自殺に追い込んで、そんな時に我は――
「あ……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
全部思い出した。
全て我のせいだ。
全部我の手によるものだった、我がユウジさんをヨーコを、家族も全部殺して、そして世界を終わらせた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
そんなユウジさんを殺した我は、息をしなくなったユウジさんを抱いて――笑っていた。
幸せが訪れたと本当に思っていたのだ、その時は我はまたユウジさんと結ばれたと歓喜し、そして冷たくなったユウジさんを抱いて幸福に包まれた。
「あああああああああああああああああああああああああ」
我はこんなこと望んでいない、こんな結末望んでいない。
ユウジさんを死なせてまで、世界を終わらせてまで幸せになろうだなんて思っていない。
でも結果はどうか、そこまでして我は自分が幸せになることを選んでしまった。
我一人の、世界を終わらせるにしてはあまりにも小さな望みによって――
「ああああ…………あああああああ…………」
気持ちが悪い、胃の中身を全部吐き出したいほどに吐き気がする、心臓を杭で打ち付けられたように胸が苦しい、金槌で延々殴りつけられているように頭が痛い。
我がしでかしてしまった最悪の結末に至るまでを、すべて思い出してしまって我はどうにかなりそうだった。
この教室は、この空間は世界が終わったあとに訪れる世界でもあるのだ。
かつてユウジさんと結ばれて物語が終わったあとに訪れて、自らの意思で記憶を残してほしいと、選択した場所だった。
この場所に我がいるということは、世界は終わりゲームオーバーを迎えてしまったのだ。
「あああぁ…………ああああぁあああ…………」
叫び続けて声が枯れた。
声を出し続けなければ、我がやってしまったことの重さに耐え切れなかった。
「ホニ……」
「…………」
ふと気づくと我の目の前には、二人の女子が居た。
一人は知らないわけがない、小さい背丈に髪はツインテールながらどこか強気そうな顔立ちをしている桐。
もう一人は前髪で顔を覆い隠すほどの深い緑色の髪をした藍浜高校の制服を着た女子生徒……ユミジだった。
「どうして……どうして……我は――」
「ホニ……すまんな」
「え――」
桐は我に手を伸ばしたと思うと、その小さな手で我の目元を覆った。
すると次第に強烈な睡魔に襲われたかのように意識が落ちていき――視界がまっ黒に染まった。
* *
「ホニ……すまんな」
「ホニには辛い役回りをさせてしまいました」
机に突っ伏して穏やかな寝顔を見せるホニを見下ろしながら、また桐が謝罪の言葉を述べました。
そして隣のユミジは、彼女らしくない悲哀を含んだ声音でそう言います。
「わしらは分かっていたことじゃった。場合によってはお主がこういう結末に導くことも」
「それでも私たちには何もできません、見守ることしか出来ません」
「決してホニさんが悪いわけではないのじゃ……そのようなシナリオが最初から存在しておったのだから」
「バグもなく正常な”バッドエンド”を迎えたことに違いはありません」
ユウジやホニ達とは違う立場の二人の女子はそう淡々と、深い眠りに就くホニの前で懺悔するように言葉を連ねます。
「ホニ、もう何度か分からないが謝らなければならぬ。すまぬな……本当にわしが無力で、こんな小手先のことしか出来なくて本当にすまぬ……」
「……ホニの記憶は、おそらく次の世界では進行の妨げとなるでしょう。それ故の私と桐による判断です」
「お主は頑張った、記憶を残してヒロインを経験し傍から見続けてきた者はお主だけなのじゃ、悪くない……お主は何も悪くないのじゃ」
「同時に前々の世界の”ホニと結ばれた世界の記憶を有していた下之ユウジ”についての記憶も消去させていただきます」
「この”世界を終わらせた”記憶を持っていると辛いじゃろう……ホニのことじゃから後悔して後悔して自分を責めるじゃろう? だからお主の意思を聞くことはせずに、わしらが行うことを許してくれ」
桐は歯を食いしばっていました、ユミジは身体を震わせていました。
ホニが決意したこと、今まで積み上げてきたものを踏みにじって台無しにするようで、二人はホニに謝り切れないほどに申し訳なく思うのです。
ホニのことを考えてでもありますが、結局は世界の進行の妨げとならないようにホニの記憶を都合よく改変するのですから。
「次はこうならないよう、願いましょう」
「ああ、今度はユウジが間違わないよう祈ろう」
ホニが幸せになろうとして、不幸にならない世界を二人は望みながら。
二人はホニの頭に手をかざして、記憶に細工をしました。
「「次の世界ではホニ (さん)が幸せでありますように」」
前の世界の記憶はあやふやにして、ホニが世界を終わらせたことに関してはすべて抹消しました。
前々の中途半端に希望を持たせることとなった事柄に関しても、記憶を弄りました。
次の世界では、ホニさんはいつも通りの、平常通りに戻っているはずです。
それは中途半端にも希望を持たない、前の前の前の世界の頃に近いホニさんになっていることでしょう。
* *
そこはあやふやな空間、生と死の境界にあるという教室の形をした不思議な場所。
「ああ……俺は失敗したんだな」
自分の指定席で目覚めた俺は即座に理解した。
この空間では、これまでに存在した世界のことをすべて覚えている俺になれる。
姫城……いやマイと一番最初に付き合ってから、さっきホニさんの目の前で俺が自殺するまでのすべてを覚えている。
「おはようございます、下之ユウジ」
「おはよー、ユウさん」
そこにはこの世界ではお馴染みの二人が居た。
片方は前髪で表情を隠したユミジと、スレンダーな銀髪ショートヘアーの中原蒼でもありナタリーでもある女子。
「なるほどねー、私はここを暇つぶしの集会所として使ってたけど。世界が終わるとここに来るんだね」
「暇つぶしの為に俺もユミジも呼び出されて、自分の過去の醜態を見せられてたけどな……」
もちろんこの空間での出来事もすべて覚えている。
中原は時間があればこの空間にやってきて、一人俺が経験した世界のアーカイブやら、俺やユミジを呼び出して疑似学園生活を行っていた。
「本当なら私がここで見たかつてのユウさんを、現実のユウさんに伝えられればいいんだけどね」
「私や桐よりは情報の規制は緩いようですが、一定以上の情報は持ちだせないようです」
「まぁ、何度か言おうとしたけど無理だったもんね」
「それでこの世界で、多くのことを知っている俺も現実に戻れば”ゲームオーバー”を迎えた世界の記憶しか持てない……と」
「暇つぶしに読んだ本で見たけど、こういうのゲームバランス的に絶妙かもね……鬼畜寄りだけど」
この世界に来ればある程度の融通は効くのだが、際限ないわけではなく一定以上の情報は持ちだせないように出来ている。
「さてここまで誤魔化してきたけど、反省会ですよユウさん」
「…………ああ、そうだな」
先延ばしにしようと思っていたが、それも中原ことナタリーにはお見通しらしい。
「まずどうしてあんな結末になったか、だよね?」
「それは……やっぱり俺の神の願いが間違ってたんだろうな」
「冷たい言い方になるかもしれないけど、効率的な進行では正しかったと思うんだけどなぁ」
「……でも、そこにホニさんの気持ちはなかったんだよな」
俺の間違いは、神様にホニさんを”神裁”からの非干渉化はもちろんある。
しかしそれ以外にも……俺はその願いに頼り切りで、ホニさんを結局は蔑ろにしていた。
家族が大事と、家族を守るんだと意気込んでいた自分が笑わせる。
結局はホニさんが邪魔だから、俺は都合の良い願いを使ってホニさんを除外しただけだったのだ。
ホニさん相手に俺は嘘をついていたようなものだ、口にすれば酷いことだと思うが俺がやっていたのはそれに他ならない。
ホニさんを随時守っていると身がもたないからと、甘えて逃げた結果がこの結末を迎える発端となったのだ。
「なぁ中原、殴ってくれないか?」
「はい」
ベチンと、容赦ないグーパンチが俺の頬を襲う。
「おうふ……もう少し躊躇するかと思ってた」
「だってユウさんが全面的に悪いし、ホニさんを追いつめたのはユウさんに違いないんだから」
「……否定は出来ない」
雨澄のことに傾倒しすぎた、ホニさんのことを願ったからと甘えて軽視していたことに変わりはない。
「なら、どうするかだな……ホニさんを守りながら戦うと、どうにも制約が多い」
「冷たいねーユウさん、ホニさんのこと嫌いなの?」
そう言われて俺も黙ってはいられない!
「っ! それはない! 今でも俺はホニさんのこと大好きだし、ああ見ているだけで癒されるというか、少なくともこれまで付き合った中で――」
「……ユウさん、その言い方はないわ。私でもドン引きだわ」
正直にぶっちゃけてしまった結果ドン引かれた、何故だ。
まぁ冷静になれば、女とっかえひっかえにしたらホニさんが一番よかったと言ってるようなもんか…………ドクズか!
「ご、ごほん。とにかくだな、実際嘘をついてもしょうがない……嘘をついた結果が前の世界のザマなんだから、本当のことは口に出さないとな」
「まぁね、前の世界のを教訓にしなきゃね。で、実際何か考えはあるの?」
そうは言われても、まさに今から考えようとしたことで口ごもってしまう。
「そうだな……現実問題、家事こなして異を狩りながらホニさんも守って学校とか俺が何人居ても足りないんだよな」
「……っ! いや、そうだ! 二人いればいいんじゃない!?」
「え? 何言ってんだ」
何を言ってるんだろうねこの鉈の擬人化は、いや本当は逆だけど。
「ユウさんが二人いればいいんだよ! 神なんだからユウさんを分身させることだって余裕だよ!」
「……その発想はなかった、俺が神に願って分身か。そうすればホニさんを守りながらの異狩りも出来なくは……ないか?」
もちろん神にその願いが通じるという前提ではあるが。
確かにホニさんを守る俺Aと、異を狩る俺Bで二人いればもしかするともしかするのかもしれない。
「じゃあ次の世界はそれで決まりかな。大体暇な時にやったギャルゲーとかライトノベルとか、本編とスピンオフ合わせたら主人公どんな生活してるの!? ってのも多いし」
「……いや、そこはまあ主人公補正というヤツで。ヒーローみたいなもんだし」
「ユウさんも主人公だけど? 私たちにとってはヒーローだよ?」
中原は何の疑問も持たないように、不思議そうに顔を傾げていうものだから、いざ言葉にされると照れてしまう。
「……地味に恥ずかしいことを言ってくれるな」
「いや主人公、ヒーロー言い出したのユウさんだし……」
まぁ、違いないのだが。
「あとは……意識してなくても、あんまり桐とかに頼らなかったよね? 前に倒れさせたのがトラウマになってるからかもだけど」「
「そういえば……そうか」
「雨澄にも頼らなきゃ」
「……そうだな」
特にホニさんが壊れるトリガーとなったのは、おそらく俺が異である”或る死神”に苦戦して命からがら逃げだして玄関に倒れていたことにある。
少なくとも”或る死神”相手には撤退するだけが精一杯で、俺一人の力では無理だった。
「例えば雨澄と共闘するとかね、勝機あるかも」
「確かに俺が近距離武器で、雨澄が遠距離武器だから、連携すれば多少は……」
「ね、そういうこと。あとは桐には適度に頼ろう、微妙に私たちよりこの世界のこと分かってるんだから使い倒すぐらいじゃないと」
「……お前桐のこと嫌いなの?」
「ううん別に。ただ自分は多くを知っているけど話せない、難しい立場だからしょうがないよねスタンスはむかつく」
「やっぱり嫌いなんだろ!」
こうして俺は中原と作戦会議をした。
その間ユミジはじっと黙って見守っているだけだった、俺が次に始める時間を指定するのを待つように。
「――よし、これで再挑戦だ。ユミジ、物語をやり直したいんだが出来るか?」
「はい、どこからやり直しますか?」
ギャルゲーで言うところの、どこのセーブポイントから始めるかを選択する場面だろう。
「最初の異を倒した直後、神に願いを伝える寸前だ」
「わかりました。それではいつもの場所に寝てください」
「おう、今度来る時がこの物語をハッピーエンドで迎えた時だからな。覚悟してくれよ、ユミジ!」
次にこの空間を訪れる時は雨澄とホニさんとのことにケリを付けた時だと俺は決意する。
「いや私が呼びたい時に呼ぶけど」
「……そういえばそうだけども――せめてこのタイミングはもうちょっとなんとかならないのか」
「そういう約束だしねぇ、じゃあ現実でねユウさん」
そうして俺は自分の席で眠りに就く。
今度は失敗しないと、間違えないと心に決めて。
* *
五月三十一日