第582話 √5-63 より幸せに
私、雨澄ヨリという人間はずっと一人だった。
もともと不器用で、人付き合いが下手だったのもあるけれど。
母親の身体が弱く、妹も幼いことから長女の私が頑張らなければならず。
遊びの誘いも断ったりしているうちに、いつの間にか一人になっていた。
一人になると話す必要がなくなるもので、口数は減り何かを話そうという気力もなくなっていく。
だから今の私も話すということ自体、言葉を口にする自体、苦手でいる。
そして私の運命を変える日が訪れた。
といっても、その運命の日以前にも兆候はあった。
身体の弱い母が突然私や妹相手に暴言や、暴力を振るうようになった。
まさに人が変わったようで、いつも優しくしてくれた母親を見てきた私と妹はショックで仕方なかった……けれど我慢した。
でも、母は一線を越えてしまった。
私の大事な妹を、母にとっても大事なはずの妹を――刃物で殺しかけた。
夢であって欲しかった、何かの間違いであってほしかった、しかし私の目の前では包丁を手に持った母親が居て。
後ろでは恐怖に妹が泣いている。
理解出来ない事態と、豹変した母親に震える身体をなんとか動かして――私は母親を始めて手近な鈍器で殴った。
母親は打ち所が悪かったのか、倒れると動かなくなった。
母親が倒れ、妹が泣き、私が絶望に崩れ落ちる。
どうしてこうなったのか、私や妹や母が悪いことをしたのだろうかと嘆いた。
その矢先に神が私を白い世界に引き込んだ。
神は、母親に異というこの世のものでない異形が憑いていたと話した。
それを聞いて安堵した半面、母親はどうなったのかと神に問いただした。
このままでは死ぬという、そして未来には妹も病んでしまうということを聞かされた。
どうすればいいのかと縋った、神はそれに答えた。
――汝の願いを叶える代わりに、神裁となって神に世界に貢献してもらいたい。
私は二つ返事だったように思える。
私のしたことが、母親が豹変したことが、それを見た妹の記憶が――全部、全部なかったことにしてくださいと。
私はそう願った。
――それでは今後汝には”神裁”として神に、世界に貢献を約束してもらおう。その身を神に捧げられるか?
はいと私は即答した。
――よろしい、その汝の願い聞き届けた。異に汚された日々や記憶を無かったことにしよう。
そうして私の願いが叶うと同時に、私は神裁という一種の”呪い”を背負う事にもなった。
戦い続けなければならない日々が始まった。
それから私は手探りで戦った。
最初は嫌で嫌で仕方なかった、人の形をしているものを傷つけることに慣れるはずがなかった。
でも慣れるしかなかった、慣れないと私は消えてしまうことを知っていたから。
アロンツの誘いも受けて、自分が生きる為に、家族を生活させるために手段は選ばなかった……例えそのアロンツのメンバー生理的に受け付けなくても。
そしてそのアロンツの一人の男に「貢献度を溜めることで、また神に願いを叶えてもらうことができる」ということを聞いた。
その頃母親はかつての優しい姿を取り戻してはいたが、病状は悪化の一途をたどり寝た切りにまでなった。
母親の病気を治すお金はなかった、だから私はその”願いがもう一度叶う”ことに賭けた。
それからは学業半分、神裁半分で戦い続けた。
見返りのお金は、母親と妹に貧しい思いをさせないために使って……私は我慢した。
神裁になったことでエネルギーの消費も制御できるようになり、場合によっては存在感などに宛てるエネルギーも省力化して、少ないご飯で乗り切ってきた。
そしてそんな時に、下之と出会った。
下之は当時は接続者であって、特A級とつながっている臭いがしていた。
だから時折彼に接触をして、下之含めてホニ神と対峙した。
戦った、けれど下之以外にも接続者に判定されない協力者もいて苦戦して負け続けた。
そのホニ神に絞って戦い続けたことで、貢献度が溜まることはなく減っていく一方だった。
仕掛け続けて、一発勝負に出た。
これまで自分が得た能力を使った戦い、それでも負けて……そして初めて下之家を訪れて、多くの美味しいご飯をいつ以来か食べた。
下之の姉こと生徒会副会長が作った料理はおいしくて仕方なかった、暖かくて仕方なかった。
それから下之が私が情報を提供する見返りに、弁当をつくってもらうことになった。
副会長の作った料理は絶品だったけど、下之の作る弁当も十分に美味しかった。
そして日替わりに、栄養バランスや色合いも考えられた……下之が考えて作った弁当を食べるのが嬉しかった。
これまでに弁当を作ってもらう関係になったことは誰ともないし、階段で神裁の話とはいえ同い年の男子と話すこともなかった。
だから私もらしくなく、自分のことを話してしまった。
そして下之も自身のことを話してくれた。
弁当を食べている時も幸せだったけれど、その後に下之と何かを話す時間も……私はいつしか幸せに思うようになった。
私のことを好きかもしれないと言ってくれた時、まず最初にふざけないでと吐き捨てるように言ってしまったが……内心は驚いていたのだ。
冗談にしか聞こえない、その場限りの嘘としか思えない。
でももしもとも考えてしまった、私にここまでしてくれる裏付けはなにかと思い当たることを探しても見つからなかった。
ここまで約束を律儀に守って弁当を作ってくれることを考えると、確かに下之がどうしてそこまでしてくれるのかと思えたのは確かで。
私に好意を抱いているのなら、いわゆる理由としては分かったけれど――なぜ私なんかをと、思ってしまった。
私も何も知らないわけではなかった、下之がクラスの仲の良い女子の誘いを断ってまで一緒に昼食してくれていたことに。
私はいわば、下之が神に願ってホニ神を浄化出来なくした償い……ということを盾にして弁当を作ってもらっていたのだから。
私が下之に与えられるものはなにもない、少なくとも下之は神裁として成長も早かったし教えることも殆どなかった。
そしてなし崩し的にそんな下之に弁当を作らせて、私が何の見返りもなく下之の作った弁当を食べる関係を続けてしまっていた。
確かに食に困ってもいたし、下之の弁当が美味しかったことにも違いない――それでも、下之と食後話す時間が私にとっては尊いものだった。
だからついお弁当を食べるスピードが早くなってしまって、いつも下之の作った手製弁当を味わいつつも下之より早く食べ終わっていた。
最初こそ単に食べる速度が速かっただけなのが、いつの間にか下之と食後に話す時間を長くしたいという思いに変わっていった――
下之が頭を下げて、好きかもしれないと言われてから。
下之はそのことについて触れることは無かった、だからその時に考え付いた言い訳に違いないとそれから私は自分に言い聞か続けた。
少しだけ残念にも思う気持ちと、むしろその方が納得できるとも思いながら私は過ごしてきた。
それでも気になってしまうわけで、もし好き合った仲になったらどうするのだろう?
ということを調べたりもした、私は愛想が無く表情も乏しいが……少しだけ浮かれてもいた。
いつしかその下之の好きかもしれない、という言葉も過去になって。
下之も忘れた頃合いだと想った矢先に――夏の日、日曜だけども昼食に招くと言った下之が特A級異が出るからと呼び出したその日。
さらっと私のことを好きだとも言った。
それに私も動揺をして、それから下之と二人で異相手に戦った。
下之はきっと私の比でないぐらいに強くなっていた、そしてその強くなるために彼が努力し続けたことも後で知った。
私はこれまで一人ぼっちだったせいで、誰かと何かをする・成し遂げると言う事がなかった。
だから下之と二人で異を倒したことが、私にとって初めて誰かと成し遂げた体験だった。
成し遂げたあとに達成感もあった、けれど母親の病気を治す為に必要な貢献度が溜まったことで私はすぐに神に願った。
下之が与えてくれた機会だった、感謝してもしきれなかった。
思えば下之は私に色々なものを与えてくれた。
貢献度もそうだったけれど、美味しいご飯も、誰かと話すという時間も、そして母親の病気を治すための機会も。
最初私はメリットデメリットばかり気にしていたけれど、振り返ってみればこんなにたくさんのものを下之には貰っていた。
それに気づいた時に、私も何か彼にあげたいとも思い始めたのだ。
私にあげられるものは些細なものでさえないかもしれない、返し返されという利己的なものではない――
私が心から思った事、彼に恩返しをするというよりも――彼に何か出来たらいいなという思い。
だからその時点で私は、彼のことが好きになっていたのだと思う。
その彼に何ができたらという感情が、愛から来るものだと経験から知らないだけで。
そうして私は、特A級異と戦う前に下之が話していた――ちゃんとした告白は戦いの後。
という言葉を覚えていて、気になっていて、正直戦いの後の美味しいはずの昼食も半分ほど意識はその下之の言葉に行っていた。
そのあと下之が世界をやり直して、二度目であることも言ってくれて、色々と合点がいった。
きっと私は前の世界でも、下之のことを少なからず好意を抱いていたのだろうと。
それでも下之はその告白云々については触れなくて、私は焦らされて、帰る間際は悶々としていた。
だから下之が明日話したいことがあると言ってくれた時に、内心で胸が高鳴った。
正直かなりドキドキしていたけれど、私は言葉や表情にするのが苦手だからきっと下之には分からなかったと思う。
そして翌日下之に告白された。
嬉しかったし、すぐにでも答えを出したかった。
けれど本当に私なんかでいいのかという疑念を捨てきれなかった。
下之の周りには魅力的な女の子がたくさんいるのだから、わざわざ私なんか選ばなくてもとも思ってしまった。
だけど下之は私がいいと言ってくれた。
私を選んでくれてありがとう! 私も下之のことが好き! ……と素直にストレートに言えたらどれほど良かったと思う。
残念ながら私は、よろしくという愛想の欠片もない言葉で返してしまった。
正直今は反省している。
もっと言葉を考えるべきだったと。
だから今後はもっと私が自分の正直な気持ちを、真っ直ぐな思いを言葉に出せるように努力しなければならない。
少しずつでも思っていることを、半分でもいいから口に出せるようにしていきたいと私は――
* *
雨澄と恋人同士になって、それから俺と雨澄は俺の家へと向かっていた。
もちろん弁当の代わりの、俺宅での昼食の約束の為である。
「いや良かった、雨澄に断られなくて」
「――どうして私が断る?」
「え?」
「――……少なくとも、私は以前からあなたのことを好ましく思っていた」
「……マジで?」
雨澄はこくり頷いた。
いやまさか本当にと疑ってしまう、どう見ても俺の一方通行だと思っていたのだ。
そして雨澄はいつの間にか俺の呼び方が下之からあなたになっていることに気付く。
しかしその”あなた”のニュアンスは出会った当初の名前も知らない時とは違った――柔らかな声音だった。
「――私は言っていたはず、あなたを嫁にほしいと」
「あれ冗談じゃなかったのか!?」
「――あの時点では冗談」
やっぱりそうじゃん!
「――でも次第に、あなたの弁当を毎日食べたいとも思い始めていた」
これはあれだ、毎日君の作る味噌汁が飲みたいの逆パターンなのか。
斬新な好意の表現だ……。
「それは単に食い意地が」
「――……仮にも女性の私に失礼」
いやー、雨澄との触れ合いって神裁か弁当関連だと思うんですけど気のせいですかね。
いいけども! 俺は雨澄に実際弁当食べてもらうことに喜びを感じてたからWin-Winでいいんですけどね!
「――むしろあなたが私に言うことの方が、冗談にしか聞こえなかった」
「俺が?」
「――……ホニ神のことで土下座したと思ったら、好きかもしれないと言い出したり。特A級と戦う前にさらっと私のことを……」
「まぁでも、あれは嘘じゃないしな。前の世界から雨澄のこと好きで、この告白できる日をどれほど待ち望んでいたものか!」
「――……そ、そう」
雨澄が少しだけ顔を逸らした、少し見えた頬に赤みがさしているところ照れているのかもしれない。
萌えるッ!
「――……私は恋愛経験がない、だからあなたに任せる」
「いやー、俺も無いんだなそれが」
「――え?」
「え?」
雨澄にこれまでにないというばかりの最大級の表情の変化こと――驚き顔を見せられた。
え、なにそのリアクション……レアなんですけど!
「――だって、あなたの周りには私の何倍も愛想の良い女子がいるから」
……さっきから愛想愛想言ってるけど、気にしてるんだろうか。
俺としてはいつもの愛想が無い感じから、時折不意打ち気味の表情にグッとくるんだがなぁ。
「俺は誰とも付き合ったことはないよ、だから雨澄とおんなじ」
「――そ、そう」
雨澄はそれを聞くと少しだけ表情が明るくなったような気がした。
しかし雨澄が俺の交友関係を気にしているのはまた意外だった。
「だから二人で手探りに、恋人してみようぜ」
「――それも、いいかもしれない」
そうして二人見つめ合って、いざ家を目指そうとした矢先だった。
「っ!?」
「――っ! 嫌だった?」
「い、いや……嫌じゃない! むしろ、嬉しいんだが……まさか雨澄がするとは」
「――あなたに告白まがいのことをされてから、少しだけ勉強した――恋人同士は手をつなぐものだと」
そう、雨澄は俺が予想だにしない行動に出たのだ。
二人並んで歩いているタイミングで、俺の手に雨澄が手をそっと合わせてきたのだ。
突然のことに驚いてしまったが、雨澄が俺とのことを前から考えていたことを知ると……心の奥底から嬉しさがこみあげてきた。
「雨澄と手つなぐ日が来るなんてな……夢のようだ」
「――私も男性と手をつなぐ日が来るとは想わなかった。それに……」
「それに?」
俺はその続きつい聞いてしまう。
「――相手があなたで良かった」
彼女のもしかすると初めての、ちゃんと見た――微笑みだった。
超胸にドキュン!
雨澄はギャップ萌えの天才か、俺を萌え殺す気か!
そうして俺と雨澄は慣れない様子で手とつなぎつつも家に向かったのだった。
年内完結と言ったな。
あれは――




