第549話 √5-30 より幸せに
異との初めての接触、そして初めての戦闘はあまりに呆気ないものだった。
目の前に現れた雨澄が異と指すものは、至って普通の鳥だった。
というかありふれた鳩そのものであり、見た目だけならば平和の象徴ともいうべき敵意を感じることさえ無い……周囲にあったコンクリ塀に穴を開けるまでは。
「――動物に憑いた異というのも存在する」
動物に憑いた異で今回の場合は鳩の身体を借りていて微力でさえあるが、場合によっては人を死傷することもあるという。
異はすべてが人間などに敵対しているわけではないが、凶暴性を有しているモノも存在しているとのこと。
「……つまりはこの鳩を倒せばいいと」
動物愛護的にどうなのかと思わなくもないが、目の前にいる鳩はコンクリ塀だけでなくアスファルトに突撃して窪ませる鳩であって鳩でない。
しかし見た目は鳩であるからして躊躇する、そして結界内でもないことで与えられた打撃はモロに鳩に伝わるだろう。
「――正確には宿主が意識を失った時点で、大多数の異は宿主からはじき出される」
「ということは別にこの鳩を殺傷させる必要はないと」
「――はい」
殺傷させる必要性はないということで、少しだけ胸をなで下ろす俺が居た。
しかしこれから俺が始める、俺が関わることはそんな生易しい考えでやっていけるはずがないことは想像できる。
だからこそ躊躇するのは今だけにするのだ。
目的のために、家族のために――
「ナタリー、そういうことだから頼む」
『……私が鉈になった時点で、そういうのも分かってますから。我慢しますよ』
「そう言ってもらえてありがたい」
俺は鉈を構えて、出来る限り鳩を死なせないように向かい来る鳩に打撃を加えたのだった。
そして地面に落ちる鳩、手加減はしたつもりだったが多少は傷を負わせてしまった。
「――”神裁”に与えられる力は、こんなことも出来る……”神の癒し”」
雨澄は鳩一羽をなんとか囲い込めるだけのテトラポットの結界を発動させたかと思うと、そこに手を当てて何かを口にした。
すると結界内の鳩の傷が癒えていくのが分かった。
それを見ていた矢先のこと、突然俺の視界は真っ白に染まっていった。
* *
そこは白い空間だった。
さっきまでの住宅街はどこへいったのか、途方もない白い空間が俺の周囲には広がっていた。
――ようこそ、新たな”神裁”候補よ。
頭の中に直接送り込まれてくるように聞こえてきたのは、年若いであろう女性の声だった。
――私が神だ。
女性曰く神らしい。
――現実で異を打ち倒したことによって”神裁”となる権利を得た。汝に問う、”神裁”となって私の手足となるか?
「俺が”神裁”になるとどうなる?」
――異と呼ばれる、この世に蔓延る調和を乱す存在を”浄化”してもらいたい。
――もちろん何の見返りもないことはない、まずは最初に汝の願いを叶えて進ぜよう。そしてそれからも異を浄化し、神である私に貢献することで見返りも用意しよう。
――しかし”神裁”となり力を得て、願いを叶えることでの代償も存在する――
「代償のことはあとにしてくれていいか?」
――汝が望むのならば。
「それで……で願いってのは、どんな願いごとでもか?」
――そうだ。富でも名誉でも、現実に存在しているもの、道理に反しないものならば、数少ない例外を除いて私はすべてを叶えられる。
神のその言葉を改めて聞いて、少しだけ冷汗が流れる。
もしかすれば俺の願いは道理に反しているかもしれない、ルール違反なのかもしれない。
――汝の願いを申してみよ。
それでも俺は、願うのだ。
「ホニさんに、”神裁”が干渉しないようにしてほしい。出来るか?」
俺の願いはそれだった。
ホニさんを守るためにどうすればいいかと考えて、思いついたのがホニさんという存在を異の中で例外にすることだった。
――可能だ。しかし願いが成立した時点で覆すことはできなくなる、よろしいか?
「ああ、問題ない」
それでホニさんが雨澄や、それ以外の神裁の脅威から逃れることが出来るのならば。
――それでは今後汝には”神裁”として神に、世界に貢献を約束してもらおう。その身を神に捧げられるか?
「約束する、この身は神に捧げる」
――よろしい、その汝の願い聞き届けた。自然ヲ司ル神・ホニの非干渉化を約束する。
そして神は”神裁”のルールを説明した。
”神裁”という存在は大きな力を得るが、その力を悪用してはならないこと。
”神裁”は異を浄化し、神に貢献する必要性があること。
”神裁”は浄化した異に対応した”貢献度”というものが存在する――これは雨澄が言っていた”貢献ポイント”なのだろう。
”貢献度”は”神裁”となった初段階で五〇〇度が用意される。
そしてその”貢献度”は異を浄化することで得ることが出来るが、”神裁”となった代償に何もせずともその貢献度が消費されていく――目安としては一日に二十四度減っていくという。
神に、世界に貢献することなく時間を浪費し”貢献度”を消費し切ってしまうと――
……役立たずの烙印を押されて、存在を抹消される。
そうだ、事後に知らされたこととはいえ決定的なことだ。
雨澄が言っていたメリットと、言わなかったデメリット。
別に雨澄が隠していたとは思わない、俺があえて聞かなかっただけなのだ、そして神が言おうとした”代償”に関しても後回しにしてもらったのは決意が揺らがないように自分を追いつめる為だ。
つまりはこういうことだろう――戦い続けて神に貢献しないと、俺は消滅する存在になってしまった。
なるほど、神に言わされた身体を捧げるというのがそっくりそのままなことに納得する。
正直聞かされた驚きはしたが、あまりにも雨澄から聞き出した”神裁”になる上でのメリットは大きすぎて、相応のデメリットもあるのではないかと予測はしていた。
更に今になって分かることもある、雨澄が焦るように俺に攻撃を仕掛けた三回目の戦いは――雨澄が有する貢献度が心もとないのもあるのだろう。
そして歩合給よろしくに異を浄化しないと、見返りはなく、雨澄でいうところのお金か食料は手元にこない、真相はそんなところだろう。
更に神に聞いたことではあるが、貢献度の譲渡などは可能らしい。
それを聞いて少しだけホッとする、といっても俺が雨澄たちから貰おうとは考えていない。
ということで神からのルール説明が終わり、晴れて俺は”神裁”になった。
* *
これで神裁となったらしい。
特にこれといった体の変化は感じないが……ふと見た右腕の手の甲に”五〇〇”の文字が浮き出ていた。
これは神の言っていた初期に与えられる貢献度の数字だろう。
「――あなたもこれで”神裁”になった」
現実に戻ってくると雨澄が待っていた。
あの白い空間に居た間、どれぐらいの時間が経ったのだろう。
または結界のように時が流れることはなく、現実にして一瞬の出来事だったのかもしれないが。
「ああ、そうらしい」
そうして現実に戻ってきた俺は、果たさなければならないことがあった。
「そうだ雨澄。最初に謝っておく」
「――……なぜ?」
なぜ謝るのかと、謝られる筋合いなのかと雨澄は思っているだろう。
ギブアンドテイクであって、今こそ同じ”神裁”になっただけの、同じ学校の通う女子生徒だ。
しかし俺の願いに少なからず後ろめたさがあるのも事実だった。
「……俺が神に願ったのは『ホニさんへの”神裁”の非干渉化』だ」
「――っ! それを本当に、あなたは願ったの……?」
最初獲物を横取りというか、獲れなくして貢献度が厳しいであろう雨澄は窮地に立たされて憤慨の一つでもすると思ったのだが。
予想に反して、驚きというか呆然とした表情を浮かべていた。
「ああ、言わなくて悪かったな。だから……”貢献度の雨澄への譲渡――二五〇度”」
俺が神に言われた通りの文言で、その言葉を発すると。
俺の手に刻まれていた五〇〇の数字が変化していき二五〇と、半減した。
「――!? あ、あなたは何をしているか……っ!」
「分かってる、せめてもの補償みたいなもんだ」
「――貢献度をそんな使い方して……”神裁”となった者の貢献度が尽きた場合……」
「存在が消えるんだろう? 神に聞いて、俺も納得してる」
神は一日に”二十四”の貢献度が消費されると言った、分かりやすい数字から一時間につき”一”の貢献度が減っていく仕組みなのだろう。
初期の五〇〇の数字は貢献度が尽きるまでおおよそ約三週間の猶予があったということになる、そして雨澄に貢献度を譲渡したことで――俺に現在残された時間は十日ほどになった。
存在が消えるというのは”死”なのか、それとも周囲に認識されなくなるだけなのかは分からないが……事実上の死と考えた方が良さそうだ。
「――……そこまでして異を守る価値がある?」
それだけ聞けば俺は憤慨していたかもしれない。
しかし雨澄は純粋に、悪意も何もなくそう聞いてきたのだ。
身体を張ってホニさんを襲う雨澄から身を守って、敵のはずの雨澄に自分の生きる時間を躊躇なく譲渡してしまったのだから。
雨澄からすれば正気の沙汰ではないか、よっぽど愚かにしか思えないだろう。
「あるさ、家族だからな」
家族という言葉は安易に聞こえるかもしれない。
しかし俺は安易だろうが、数か月に出会ったばかりの神様だろうが、一緒に同じ屋根のもとで暮らして・共に家事や学校などで生活をした――その時点で家族以外のなにものでもないのだ。
どんな形であっても、もう家族を失いたくはない……いや正確には違うのかもしれないな、俺から離れていってほしくないのだろう。
だから俺に出来ることすべてを費やして、家族を――ホニさんを守ると決めたのだ。
神が折角提示してくれた手段だ、使わないわけがない。
「――……なら私は何も言わない。貢献度、感謝する」
「今日は付き合ってくれてありがとな雨澄」
「――……また学校で、金曜に」
そうして雨澄は振り返ると、去っていった。
そこに敵意はなく、終始呆れたような空気を纏っていた……どうやら彼女を激怒させることはなかったらしい。
そして彼女が去り際に言った金曜というのは――
「ああ……金曜の弁当の中身は考えておこう」
俺が提示した月・金の弁当用意の約束は残っているらしい。
少なくともこれで雨澄との関係が断たれたわけではないと知り、なぜか俺は内心ほっとしていたのである。