第542話 √5-23 より幸せに
ストックが現時点で15話溜まりましたので更新頻度あげます
11月中は3日に2話更新です
「……カレーパン食うか?」
俺は雨澄の気の抜けるようなお腹の音を聞くと同時に、カバンからカレーパンを取り出していた。
正直倒れていたところを運んだことで義理は果たしたはずなのだが、何故かそんなことを口にしてしまったのだ。
生徒会にただでさえ遅れて姉貴たちに迷惑がかかっているというのに。
「――む、無用です」
そう彼女が言う一方で 、お腹ははたまたきゅるきゅるきゅると鳴らして雨澄は赤面する。
へへ……強がっていても、お腹は正直なようだぜ?
なんて下衆な言い回しが思いついたが口には出さないでおこう。
「昼飯食ってないのか?」
「――……」
「朝飯も? まさかそれが原因で倒れたとか……」
そして黙する彼女と裏腹に無慈悲にもきゅるきゅるとお腹の音が答えた。
そういうことらしい。
俺は巻き込まれた立場からして、少しだけ彼女をからかいたい気分になり、カレーパンの封を開けて彼女の口元に近づける
「――くっ!」
前髪で隠れていない片方から覗く瞳の眼光が鋭くなる、例えるならば目の前に獲物を見定めたそれで、おそらく獲物は俺が吊るしているカレーパン。
カレーパンの油とパンの香りの中に、パンによって包容されているが故に微弱ながらもカレーソースの香り。
夕食を準備しているであろう時間に生徒会帰りの通学路を歩いていた際に嗅ぎ取ってしまう魅惑のカレーの香りは抗いがたいものがあるよな……今はあまり関係なかった。
しかし……雨澄はどれだけ腹をすかしているやら。
「――な、何が目的」
「いや、別にこれといったことは」
「――あなたにどんなメリットがある?」
「無いなそりゃ。強いて言うならお腹を鳴らし続ける雨澄が不憫で仕方ないからか」
「――っ~~!」
……口数が少なめで、無表情かと思っていた彼女だが赤面すれば案外女子していて可愛げがある。
やべえ、Sに目覚めそう。
「よーしならこうだ、雨澄がこうして空腹に倒れるまでになった原因を聞かせてもらおうか」
「――それは……」
「それが聞き入れられないなら、俺はこのカレーパンを雨澄の目の前で食べる!」
「――き、鬼畜の所業!」
「……どんだけ腹減ってんだよ、もう言わなくてもいいから食べてくれ」
流石に情けなくなってきたので俺はカレーパンを袋ごと雨澄に押し付ける。
最初は手に持って俺に返そうという意思が働いてか、それを俺に押し返す動作をしかけたが数分の格闘の末、見事に敗北した。
雨澄は血走った表情でカレーパンにかぶりついた、雨澄が倒れて運び保健室でカレーパンの格闘まで要した時間は四十分近くである。
彼女ははむはむとカレーパンを黙々と食べ続けた、女子故にガツガツという表現ではないが、小ぶりな口なりにもペースは早めで食べ終えた。
「美味かったか?」
「――……数日振りの炭水化物だった」
一日単位ですらないのかよ……焦らしていた俺が申し訳なく思えるほどだ。
食べ終えた雨澄はいくらか表情が緩んでいた……といってもベースは無表情であり、微弱な変化でしかないのだが。
それでも、いつも出会いがしらに拒絶してくるようなオーラを放っていた彼女とは思えない。
「――これであと数日は乗り切れる、あなたには感謝する」
カレーパン一つで運用可能な人体とは、燃費の良さが半端じゃないのではないではなかろうか。
腹持ちしそうなおにぎりとかだったら一週間持ったりして、というどうでもいい想像が捗ってしまった。
「そうか良かったな、じゃあ俺は生徒会に――」
雨澄が倒れた原因を言う気がないのなら生徒会にとっとと向かおう、これで以後は変わらず敵同士だ。
と俺は席を立とうとしたその時だった。
「――……私が倒れた原因については教える、ただしあなた方異の浄化に対しては譲歩しない」
「分かってる分かってる、なら倒れた原因とやらを聞かせてもらおうか」
そうして俺は席に座り直して彼女の話を聞いた。
倒れたのは数日間ロクに物を食べていなかったこと。
そして何故か街を歩き回っていたらしく、学校も普通に来ては授業を受けていたとのことだった。
「カレーパンの前に最後に食べたのってなんなんだ?」
「――……もやしスープ」
おおう、もやし炒めとかならまだしも水でおそらく水増しして食べるもとい飲んだのだろうと勝手に想像してしまう。
雨澄という人間は、どうにも食に困るような生活をしているらしいというのが分かった。
「空腹が限界に達したと」
「――……副要因として、あなたと対する為に結界を張ったのもある」
「そりゃ悪かったな、じゃあ今後も結界を張らないことをお勧めする」
「――それは出来ない、あなた方異を浄化しないと私はいよいよお金に――聞かなかったことにしてほしい」
ふむ、今思わず口を滑らしたことを鑑みるに。
異を浄化することで、お金の見返りがあるのかもしれないな……一体どんな仕組みというか、どこぞの営利法人がやっているのかと思ってしまうが。
つまりは俺とホニさんを浄化しない限り、彼女の食生活は改善しないと。
「ああ、わかった。俺たちを倒さない限りはお金に困る、的なことは聞かなかったことするぞ」
「――嘘つき」
少しだけ拗ねたような表情を僅かながら形作る雨澄に何故か和む俺、敵同士のはずなのにこのまったり感は一体。
実際雨澄はホニさんを実質的に”殺し”にきていたのだ、浄化という言葉でだいぶオブラートに包んでこそいるが。
そんな相手に俺はそこまで嫌悪感も、敵対心も、今はそこまで覚えていないのはなぜだろうか。
カレーパン一つに一喜一憂するような間抜けな一面を見てしまったのも大きいが、こうして面と向かって話すと――彼女がそこまで根っからの悪人には思えないのだ。
やむを得ずというか、そうしなければならない事情を彼女は抱えているのが分かってしまうからこそ、俺は彼女を嫌いになれないに違いない。
むしろ雨澄の食生活がどうにかならないかという、世話焼き根性すら出てきてしまうほどだ。
実際はというとそこまで深い仲でもない女子の家庭の事情に足を突っ込むのは野暮だろうし、彼女としても余計なお世話だろう。
もちろん俺が雨澄に同情して雨澄相手に手を抜いて、ホニさんを失うなんて事態には絶対なってはいけないのだ。
俺の中ではそんなせめぎ合いが繰り広げられていた。
しかしいつまでも考えていたところでしょうがないと理解して、俺は今度こそ席を立った。
「おっと、俺は生徒会があるからそれじゃあな。あんまり無理するなよ」
「――……」
俺はそうして保健室を去ろうとすると、微かにではあるが。
「――ありがとう、助かった」
という風に雨澄が口にした気がした、もちろん空耳かもしれない、俺がそう都合よく聞き取っただけかもしれない。
それでも俺は悪い気分ではなかった。